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「私なんて」「本が好き」な「寂しがり屋」

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 うざい。
 頬杖をついて、何度目かのため息をついた。

「チッカ、すっかり有名人だね」

 なぜか嬉しそうな瑞希をにらみつけると、わざとらしくそっぽを向いた。
 すでに学校一番のイケメンと認定された遥が、前代未聞のスピーチをした新入生代表の私と、全校生徒の集まる昇降口でドラマチックな一場面を展開したのだから、話題にならないわけがない。
 ……とはいえ、たった一日でここまで注目されるとは。
 今朝、私が教室に入った瞬間、さり気なく、けれど確かに教室の空気が変わった。
 嘘くさい沈黙にひそひそと話す声。チラチラと向けられる好奇心たっぷりな目。無視していればそのうち収まると思っていたのに、昼休みになった今もまだ続いている。

「みんな、他にやることないのかな」

 たまらずそう呟くと、瑞希がパッと顔を輝かせた。

「じゃあさ、チッカ。一緒に部活入らない?」
「は? なんで?」
「青春といえば部活。部活といえば青春でしょ」
「だからなんで私がその青春に付き合わなくちゃいけないのよ。第一、私は汗をかくことが嫌いなの」

 汗をかいたときの、なにかがまとわりつく感触を思い出すと背中がぞわぞわする。気持ち悪い。いや、やめて。ぶるりと小さく頭を振って、湧き上がる不快感を追い払う。そもそも、部活に入るなんてママが許してくれるわけない。

「大丈夫だよ。あたしのおススメはね、文芸部。なんでかっていうと――」

 そのとき、波のようなざわめきを感じた。教室中の視線が一点に向かっていく、音のない空気の揺らぎ。その流れをたどると、入り口からのぞき込んでいる遥と目が合った。

「千佳」

 遥の表情がふわっと綻んだ。花が咲くよう、とはまさにこのこと。女子たちの愛憎入り混じった感情のビッグウェーブがぶつかってきて、地味にダメージをくらう。

「あ、遥くーん」

 瑞希がひらひらと手を振る。こいつ、本当に空気読まないな。

「瑞希ちゃん。ちょっと千佳のこと借りるね」
「はいはーい、ごゆっくりー」

 遥が私の手を取った。
 誰かに触れられるのは嫌い。だけど、遥の手は嫌じゃない。それはきっと、私がいまチーだから。遥に恋をするチーだから。
 つれていかれたのは、人気ひとけのない階段の踊り場だった。振り返った遥は、やけに神妙な顔をしている。もしかして。ドクン、と心臓が音を立てた。
 私がチーじゃないって気付かれた……? 

「ごめんっ!」

 遥はぱんっと拝むように両手を合わせて、頭を下げた。予想外の展開に、私は言葉を失ってしまう。

「俺と千佳が噂になってるって聞いた。俺があんな目立つとこで千佳に声かけたから……。迷惑してるよな。本当にごめん!」

 さらに深く頭を下げる遥に慌てながらも、どこかでホッとしていた。大丈夫。まだバレてない。

「ね、顔上げてよ。みんな、きっと私のことなんてすぐ忘れちゃうから。それより遥のほうが大変じゃない? 私なんかと一緒にいたら、いろいろ言われるでしょ?」
「……やっぱり怒ってる」

 遥が頭を下げたまま、ぽつりと呟く。

「怒ってないってば」
「千佳は怒ってるとき、よく『私なんか』って言うから」

 ぐっと言葉に詰まった。チーってなかなか面倒くさい女だったんだな……。

「怒ってるわけじゃなくて……ちょっと恥ずかしいだけ」
「そっか」

 顔を上げた遥は、ちょっとホッとしたような顔をしている。

「時間がたてば噂はなくなると思うけど、もしなにか言われたら俺に教えて」
「うん」
「どんなことでも、絶対。約束」

 目の前に差し出された右手の小指をぼうっと眺めていると、遥が「ほら」と私の右手の小指を絡めとった。

「ゆーびきーりげーんまん」

 嘘が嫌いなチーは、ことあるごとに指切りをしたがった。きっと遥ともそうだったんだろう。私の小指に絡まる遥の小指は、、チーの小指と繋がっていたんだ。

「うーそついたら針千本のーます」

 ――指切った。

 遥の歌声にチーの声が重なった。その瞬間、すぅっと私の存在が薄くなったような気がした。

「あーでも、やらかしたよなぁ、俺。千佳は有名人なのに」
「……え?」

 首を傾げた私の頭に、遥がぽん、と手を置いた。

「その他大勢になるつもりでこの高校へ来たわけじゃありません。新入生代表、澤野千佳。あれ、めっちゃかっこよかった」

 かぁっと顔が熱くなった。
 ありきたりな言葉の群れに紛れ込ませた私のオリジナリティー。
 あれは、遥に私を見つけてほしかったから。自分が憎まれることを誰かのせいにしたくなかったから。
 そんな思惑だけで吐いた言葉を、かっこよかったなんて言ってもらえると思わなかった。

「あれで千佳だって気付いた。そういう強気なとこ、昔とちっとも変ってない」
「そう、かな」


 私を見る遥の目はとても優しくて、そこに疑うようなものは一切感じられなかった。遥の目に映っているのは、私じゃない。チー。向けられた言葉も私へのものじゃない。
 それなのに、どうして私は嬉しいなんて思ってしまうんだろう。

「そりゃ噂になるよな。あんなかっこいいスピーチしたやつが早々と男に声かけられちゃってんだから」

 ……んん? 
 何となくだけど、話の軸がズレてるような気がしてならない。

「もしかして、噂の中心が私だと思ってない?」
「そりゃそうだろ」
「いや、逆だから。噂になってるのは遥で、私はそのオマケ」
「なんで?」

 イケメン本人に「イケメンだから」とは意外と言いにくいものなんだな、と初めて知った。遥は、ごにょごにょと言い淀む私の頭をぐしゃぐしゃに撫で回した。
 慌てて乱れた前髪を直す。

「なっ、なにすんの」
「どーでもいいけど、約束ちゃんと守れよ。俺、千佳のこと、絶対守るから」

 私がなにか口にするより先に、昼休み終了のチャイムが鳴った。

「やべ、行こうぜ」

 遥が私の腕をつかんで駆け出した。
 遥に触れられることが、どんどんと当たり前になっていく。
 誰かに触れられるのは嫌い。大嫌い。
 なのに、なにかが少しずつ削り取られて、私のかたちを変えていく。
 隣のクラスに消えていく遥の背中を見送りながら、小指に残ったくすぐったい感触を消すように、手をぎゅっと握りしめた。遥との約束はチーのもの。この胸のざわめきもチーのもの。私のものじゃない。

「おかえりなさいませ、お姫様。王子様との逢瀬はいかがでしたか?」

 教室に戻るなり、瑞希がニヤニヤしながら私の顔をのぞきこむ。

「なにそれ」
「だって、遥くんにエスコートされる姿がお姫様みたいだなぁって思ったから。ほら、シンデレラとかああいうやつ」

 そのとき、塚本先生が教室に入ってきて、瑞希は慌てて前に向き直った。

「今日は初日なので一人ずつ名前を呼んで出欠を取りますが、明日からは日直がまとめて報告を行ってください。各授業、先生によってやりかたは違うでしょうが、基本的にはそのように。では――」

 塚本先生が淡々と名前を読み上げ、さまざまな「はい」が繰り返される。その合間に、クラスメイトがちらちらと視線を向けてくる。
 私は、お姫様なんかじゃない。
 爪先を切り落としたり、踵を切り落としたりする覚悟がなければ、自分のものじゃないガラスの靴なんて履けるわけがない。ガラスの靴が血に染まっていても、たとえみんなが「靴が真っ赤だ」と指をさしたとしても、胸を張って堂々と王子の隣に立たなくちゃいけない。それが、私の役どころ。

「澤野千佳」
「はい」

 まっすぐ前を見て、しっかりと返事をする。怯んでなんかやるもんか。
 塚本先生がちらりと私を見て、名簿に丸を付けた。
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