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虚な夜空に陽は昇る

ーーどんな赤もこうして混じりて黒く染まるのだから

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――過去――

「――はぁはぁはぁはぁ」

 とある施設の少年は、息を切らせながら、壁にもたれかかっていた。部屋の中には、真っ赤な血を流す獣人が光を失った目で何体も倒れている。

『――行かなきゃ、母さんのところへ』

 少年は、足を引き摺りながらも、遺体の腐臭漂う中、進んでいく。自らの血の繋がりし母が囚われた牢獄を目指して。

『やっと、力を手に入れた。これで、こんなゴミみたいな施設から逃げられる。だからこそ、早く母さんを連れて、ここを出なければ』

 そして少年は、やっとの思いで、母がいる牢獄にたどり着いた。両手を鎖に縛られ、疲弊した様子で俯く母親。早く助け出さなくては、少年は、看守の1人から奪った鍵を使い、この檻の鍵を開ける。

「母さん!」

 少年は、牢が開くと、すぐに彼女の元へと駆け寄った。自身を呼ぶ声を聞き、ゆっくりと顔を上げる母親。彼女は、その少年の姿を見つけると、その2つの瞳を震わせた。そして、両方の手の拳を硬く固く握りしめる。その現れし感情は、怒り。しかし、少年は、そんな母親の心に気づくこともなく、母の手錠を外そうとした。

「母さん! 俺力を手に入れたんだ! だから逃げよう、2人で! こんな施設にもう居なくてもいい。変な実験に付き合わされなくてもいい。どこか静かなところで、2人でーー」

 ――パシィィィィン!

 するとその少年の右の頬に、強い熱がほとばしった。顔が左へと向けられ目を白黒させる彼。そう、自分は今ぶれたのだ。少年がその事実を認識するまでに、刹那の時間が流れ去る。

「――ふざけるな」

「……母さん?」

 普段と違う母の様子に戸惑う少年。そんな彼に彼女は、奇声を上げながら、烈火の炎のような怒りを浴びせにかかる。

「ふざけるなふざけるなふざけるな!! お前がそんな力に目覚めないために、優しくしたんだ! 愛してもない男との子に、わざわざ偽りの愛を注いだんだ! なのに唯一成功の兆しが見えかけたお前が黒魔法に目覚めたら、私の今まではなんだったんだ? ……ああ、また一からやり直しだ………このままじゃ私は………あのお方に愛してもらえないぃぃ!!」

 ヒステリーでも起こしたかのように、何度も頭を掻きむしり、意味のわからない奇声を撒き散らす母親。しかし、そんな変わり果ててしまった母へ、かつての面影を探すように、少年は手を伸ばす。

「……かあ……さん? ……どうしたのさ。……偽りって、何?」

 ――バシィ!

「触るなぁぁぁぁ!!!」

 しかし、そんな少年の手を、彼の母は、まるで虫でもはたき落とすかのように、力強く払い去るのだった。

『愚かだね。まだ気づいていないんて。君は道具だ。愛されちゃいない』

 少年の頭に、ローブの男の言葉が頭に浮かぶ。嫌だ、やめろ、母を、理想を、汚すな。しかし、そんな少年に対し、残酷にも、彼の母は言葉を続ける。

「触るな! 薄汚い手で! そもそもお前はどの囚人の血が流れているんだ! 他の属性魔法を失った今! それすらもわかないじゃないか!」

『優しい母親は、偽りの姿だ。君は、たまたま他の子より実験の成功に近かったにすぎないあの女にとっての君の価値は、それしかない』

 やめろ、やめろ。少年の耳に、そして頭に、彼らの声は、絶えず響く。

「そんな気持ち悪い貴様に対してでも、情を注がなければ黒に目覚めるから、努力したんだ! 吐き気を堪えながらお前を抱きしめたんだ!!」

『もし君が属性を3つ使えていなければすぐに捨てられるよ。あの女は、実験成功の時に注がれる、神の愛が欲しいだけ』

 うるさい。うるさい。黙れ黙れ。黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ。

「それなのに、親不孝にも黒に目覚めるお前などに価値はない!! いいか! 私は、あの人との子どもでもないお前なんて――」

『信じられないかい? まあ何を信じるかは君の勝手だけどね。これは、事実だ。いいかい? あの女は、君なんて――』

「『―――――愛してなんか、いなかった』」

 ―――――――――――――――プツリ。

 気づくと少年は、その手に看守から奪ったナイフを握りしめて、冷たい物体の上に乗り出していた。自分の腕からは引っ掻き傷のようなものがいくつもつき、そこからポタポタと黒い液体が流れている。

 少年は、ゆっくりと辺りを見渡した。すると、部屋中に誰かの血がべっとりと付着し、それはすっかりと固まり、赤黒く変色していた。

『誰の血が流れている、か』

 彼は頭の中で、すっかり赤黒いボロ切れとなった女の言葉を思い出す。そして彼女に吐き捨てるように、少年は、部屋を見渡して小さく呟いた。

「……どうでもいいだろ。血なんて――どんな赤も、こうして混じりて黒く染まるのだから」
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