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第二話
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幸知が幼い頃風邪をひいたとき、母はなかなか小児科病院に連れて行ってくれなかった。用事があるとか仕事で時間がないからとか、大丈夫よね? と顔を覗き込まれてにらみつけられたらいくら辛くてもうなずくしかなくて。それでもある時保育園で高い熱を出して身動きがとれなくなって昼過ぎに母が呼び出されたとき、いつも人前では怒りの表情を見せない母がその日は笑っていなかった。眉を寄せて、不機嫌そうにすねた表情をしている。保育士が色々と説明していてもその目は幸知を睨みつけたままで、幸知はとんでもないことをしてしまったと恐怖する。悪い子だった、幸知が熱なんか出さなかったら母は早々に迎えに来なくて済んだのに。
母は起き上がるのもままならない幸知の腕をつかんで立ち上がらせて、保育士に頭を下げて無理やり駐輪場に止めた自転車に向かって歩き出す。咳き込んでふらつきながらも幸知は泣いて、恐怖のままにごめんなさいを繰り返した。
そしてその日母が仕方なく連れて行った病院では熱の高さに驚かれて、それから数日間の記憶がない。風邪をこじらせて肺炎を起こし入院したのだと、それから数年して誰かから聞いたのだが幸知自身は全く覚えてはいなかった。
(いまさらそれをトラウマなんて言ったら大げさだろうか)
「ゴホ、ゲホッコホッ……」
コンビニで買った使い捨てマスクをしながら幸知は熱のある頭で登校する。朝になってもやっぱり下がっていなかったし、多分もっとこれから熱が上がるのだろう。でも体育はないから着替えないで良いのは助かる。そうして必死で午前中は授業を受けて、けれど幸知が気にしていた隣の席の久賀野は昼を迎えても登校して来なかった。
(ずる休みか、まあ彼にはよくあることだけれど……)
どこか寂しい気がしてたまらなかった。だって幸知とまともに会話してくれるのは久賀野しかいなくて……ということは、では今自分は誰かと会話をしたいのか、と自ら気が付き驚いた。人と関わり合いになりたくない、そう思って日々を送っていたのに。風邪のせいで気が弱くなっているのかもしれない、多分。考えを巡らす幸知は今日の自分がいまいちわからないでいる。
「ゲボゲホッ! コフッ、ゴホゴホンッ! ゴフッコブ……ッ」
(苦しいな、咳が止まらない。あれから呼吸器があまり強くなくって風邪をひくといつも咳からはじまる。母は咳をすると嫌な顔をするから、僕が我慢するしかないのだが。病院とか帰りに行ったほうが良いのだろうか、保険証はあるけれどかかりつけのクリニックの診察券はどこに行ってしまったのだろう)
「橘野ー、どうしたの風邪?」
「ゴホッ、あ……」
「オハヨー、昼めし食ってきたら遅くなっちゃった」
昼休みになって周りは机を囲み昼食をとっており、そんななか一人教室の隅で背中を丸めて咳き込んでいる幸知をようやく登校した彼が気付いてくれた。久賀野は伸びた髪を輪ゴムで無造作に束ねて、にこにことしながら飲みかけの緑茶のペットボトルを持っている。
「か、風邪、ひいちゃって」
「わ、なにやばい声してんの。咳し過ぎか? 大丈夫かよ」
「だいじょうぶ……」
大丈夫だと言ってはいるが真っ赤な顔をしている幸知の額に久賀野が荷物を持っていないほうの手で無造作に触れる。熱く汗ばんでいる額に珍しく動揺した顔をして、まじかよと一言呟いた。
「熱高すぎ、保健室行こ」
「いい、大丈夫だから……」
「大丈夫じゃないから言ってんだろ、ばか!」
「いい、歩くの、つらくて……」
「橘野!」
その時ぷつりと糸が切れたように、幸知の意識は暗転した。
(覚えているのは最後にみた久賀野の驚いて見開いた目だ、いつもふざけているあの彼もこういう時そんな顔をするのか……)
母は起き上がるのもままならない幸知の腕をつかんで立ち上がらせて、保育士に頭を下げて無理やり駐輪場に止めた自転車に向かって歩き出す。咳き込んでふらつきながらも幸知は泣いて、恐怖のままにごめんなさいを繰り返した。
そしてその日母が仕方なく連れて行った病院では熱の高さに驚かれて、それから数日間の記憶がない。風邪をこじらせて肺炎を起こし入院したのだと、それから数年して誰かから聞いたのだが幸知自身は全く覚えてはいなかった。
(いまさらそれをトラウマなんて言ったら大げさだろうか)
「ゴホ、ゲホッコホッ……」
コンビニで買った使い捨てマスクをしながら幸知は熱のある頭で登校する。朝になってもやっぱり下がっていなかったし、多分もっとこれから熱が上がるのだろう。でも体育はないから着替えないで良いのは助かる。そうして必死で午前中は授業を受けて、けれど幸知が気にしていた隣の席の久賀野は昼を迎えても登校して来なかった。
(ずる休みか、まあ彼にはよくあることだけれど……)
どこか寂しい気がしてたまらなかった。だって幸知とまともに会話してくれるのは久賀野しかいなくて……ということは、では今自分は誰かと会話をしたいのか、と自ら気が付き驚いた。人と関わり合いになりたくない、そう思って日々を送っていたのに。風邪のせいで気が弱くなっているのかもしれない、多分。考えを巡らす幸知は今日の自分がいまいちわからないでいる。
「ゲボゲホッ! コフッ、ゴホゴホンッ! ゴフッコブ……ッ」
(苦しいな、咳が止まらない。あれから呼吸器があまり強くなくって風邪をひくといつも咳からはじまる。母は咳をすると嫌な顔をするから、僕が我慢するしかないのだが。病院とか帰りに行ったほうが良いのだろうか、保険証はあるけれどかかりつけのクリニックの診察券はどこに行ってしまったのだろう)
「橘野ー、どうしたの風邪?」
「ゴホッ、あ……」
「オハヨー、昼めし食ってきたら遅くなっちゃった」
昼休みになって周りは机を囲み昼食をとっており、そんななか一人教室の隅で背中を丸めて咳き込んでいる幸知をようやく登校した彼が気付いてくれた。久賀野は伸びた髪を輪ゴムで無造作に束ねて、にこにことしながら飲みかけの緑茶のペットボトルを持っている。
「か、風邪、ひいちゃって」
「わ、なにやばい声してんの。咳し過ぎか? 大丈夫かよ」
「だいじょうぶ……」
大丈夫だと言ってはいるが真っ赤な顔をしている幸知の額に久賀野が荷物を持っていないほうの手で無造作に触れる。熱く汗ばんでいる額に珍しく動揺した顔をして、まじかよと一言呟いた。
「熱高すぎ、保健室行こ」
「いい、大丈夫だから……」
「大丈夫じゃないから言ってんだろ、ばか!」
「いい、歩くの、つらくて……」
「橘野!」
その時ぷつりと糸が切れたように、幸知の意識は暗転した。
(覚えているのは最後にみた久賀野の驚いて見開いた目だ、いつもふざけているあの彼もこういう時そんな顔をするのか……)
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