18 / 19
17. 想いよ、伝われ
しおりを挟む私が演奏を始めると、そこかしこで「この曲は……」なんて声が聞こえてきた。
ここにいる大半の生徒はきっと、ミハイル殿下の演奏を聴いたことがあるのだろう。
(いいなぁ……)
私なんて五年も婚約者をやっていたのに、一度だって殿下のピアノを聴いたことがない。
~~~~~~~~~~
君に聴かせてあげることは出来なかったけれど、この想いが届くといいな。
『祝福の歌』(変イ長調)
~~~~~~~~~~
この『祝福の歌』という曲は私の先生のレパートリーだったから、何度も聴いたことがあった。そして副題についてもさらりと聞かされていた。
(想いってそういうことよね?)
だから殿下のお手紙を読んだ時、「逢いたい」と言われたようで天にも昇る気持ちになった。
それから自分も、この「祝福の歌」を弾いてみたくなった。
この曲は、全体的に明るく穏やかな印象を受ける。ゆっくりとしたテンポで耳馴染みのよいメロディが何度も繰り返されるので、わりと弾きやすそうに感じるのだが、そこに騙されてはいけない。
実際に弾いてみると、右手と左手とが複雑に重なり合って、主旋律を際立たせるのがとっても難しかった。
(けれど、ミハイル殿下のあの大きな手なら……)
私の手は小さいから、メロディーが途切れないようたくさん練習した。
なんだったら、この一年こればかり弾いていたと言ってもいいくらいに。
練習だけでなく、この曲の副題『あなたに逢いたい』が一体どこから来ているのか、それについてもちゃんと調べてみた。
そしてわかったこと。
『あ・い・た・い』
『あ・い・た・い』
『あ・い・た・い』
繰り返される主題に隠された、この暗号のようなメッセージ。
音を文字表記することにより浮かび上がってくるそれは、作曲家が胸に秘めていた想いではないかと言われている。
殿下もここで、このピアノを弾きながら「逢いたい」と、私を想ってくださったのだろうか。
(ああ、泣いてしまいそう……)
この椅子に殿下も腰掛けていらっしゃった、そう考えるだけで私の胸はずっと高鳴っている。
それに殿下が弾いて以来、誰も弾いていないだなんて。
(一音たりとも弾き損じるわけにはいかないわ)
現在、私の身に起きている入れ替わりという不可思議な現象はとても受け入れ難いことだ。
けれど、今この瞬間だけは満ち足りていた。
四年間の文通で、殿下から直接的なお言葉を頂いたことは一度もなかった。
卒業間近の、あのお手紙が唯一それっぽい表現を含んでいたように思う。
実は私からは数度、お手紙に想いを乗せたことがある。
それに対して、殿下からのお返事は頂けなかったけれど。
社交辞令として受け取られたのかもしれないし、私の気持ち自体が迷惑だったのかもと悩んだ時期もあった。
その後も、殿下との文通は何事もなかったかのように続いた。
殿下のお心が知りたかったけれど、それ以上手紙で何かを伝える気になれなかった。
だから私は決めた。殿下に想いを伝えるのは直接会った時にしようと。
でも、結婚式までの顔合わせはたったの三度だ。まだお名前すら呼べない私に、告白なんて大胆な行動がとれるはずもなかった。
そうして迎えた結婚式。
(あの夜、私はちゃんと言えたのかしら……)
気になったけれど、頭痛が来る前にサッと思考を切り替えた。
曲は今、まさにクライマックスを迎えている。
低音から高音へと忙しなく移動する主旋律。私はそこに自分の感情を乗せながら、一音一音丁寧に、ロマンティックに響かせていった。
『あ・い・た・い』
『あ・い・た・い』
『あ・い・た・い』
フェリハの振りとか、ジェム皇太子のこととか、余計なことは考えたくなかった。
今この瞬間、私はただミハイル殿下に逢いたくて、切なさで胸が張り裂けそうだった。
「うぅ……」
堪えきれなくなった想いが、涙となって次々と溢れ出す。
演奏は少しずつ終わりに近づいていった。
この曲は「祝福の歌」だ。
大切な人の門出を祝う曲として作られたらしいが、私が終盤、弾きながらいつもイメージするのは穏やかな海と一隻の船だった。
(星月夜にはどうか、殿下の隣に立てますように……)
そんなことを願いながら、私は最後の一音まで優しく鍵盤を撫でるように弾ききった。
鍵盤から離した両手で、そのまま胸元の指輪に触れる。
周りは異様に静まり返っていた。
ふぅと大きく息を吐いた後、空を見上げた私はそのまま固まってしまった。
なぜならここ円形ステージの真上に、サブリエのポムポムピアノと私の姿が大画面で映し出されていたのだから。
17
あなたにおすすめの小説
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない
ラム猫
恋愛
幼い頃に、セレフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セレフィアはそれを喜んで受け入れた。
その後、十年以上彼と再会することはなかった。
三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セレフィアはその場を離れた。
しかし治療師として働いているセレフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。
それどころか、シルヴァードはセレフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。
「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」
「お願い、セレフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」
※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。
※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
明日結婚式でした。しかし私は見てしまったのです――非常に残念な光景を。……ではさようなら、婚約は破棄です。
四季
恋愛
明日結婚式でした。しかし私は見てしまったのです――非常に残念な光景を。……ではさようなら、婚約は破棄です。
王女殿下のモラトリアム
あとさん♪
恋愛
「君は彼の気持ちを弄んで、どういうつもりなんだ?!この悪女が!」
突然、怒鳴られたの。
見知らぬ男子生徒から。
それが余りにも突然で反応できなかったの。
この方、まさかと思うけど、わたくしに言ってるの?
わたくし、アンネローゼ・フォン・ローリンゲン。花も恥じらう16歳。この国の王女よ。
先日、学園内で突然無礼者に絡まれたの。
お義姉様が仰るに、学園には色んな人が来るから、何が起こるか分からないんですって!
婚約者も居ない、この先どうなるのか未定の王女などつまらないと思っていたけれど、それ以来、俄然楽しみが増したわ♪
お義姉様が仰るにはピンクブロンドのライバルが現れるそうなのだけど。
え? 違うの?
ライバルって縦ロールなの?
世間というものは、なかなか複雑で一筋縄ではいかない物なのですね。
わたくしの婚約者も学園で捕まえる事が出来るかしら?
この話は、自分は平凡な人間だと思っている王女が、自分のしたい事や好きな人を見つける迄のお話。
※設定はゆるんゆるん
※ざまぁは無いけど、水戸○門的なモノはある。
※明るいラブコメが書きたくて。
※シャティエル王国シリーズ3作目!
※過去拙作『相互理解は難しい(略)』の12年後、
『王宮勤めにも色々ありまして』の10年後の話になります。
上記未読でも話は分かるとは思いますが、お読みいただくともっと面白いかも。
※ちょいちょい修正が入ると思います。誤字撲滅!
※小説家になろうにも投稿しました。
英雄の番が名乗るまで
長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。
大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。
※小説家になろうにも投稿
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる