41 / 47
【41】無能な聖女
しおりを挟む
「ああ…神よ………」
「オルフィスも漸く終わりを迎えるのね…」
「待っていていくれ…もうすぐ君の元へ逝くよ…」
光の灯らない薄暗い教会の奥部屋で、身を寄せ合った人々は口々に祈りを捧げている。
皆、最期の時を待っているのだろう。瞳に希望の色はなく、生きた屍にも見えた。
「……」
「リゼッタ?」
そんな中で一人、小さな窓の向こうに興味なさげな視線を飛ばしていたリゼッタはポツリと呟いた。
「獅子様の御加護はもう当てにできなくなってしまったみたい」
直後、ドンッと下から突き上げるような揺れがしたかと思うと、生暖かい空気が窓の隙間から流れ込んでくる。肌に纏わりつくそれはじっとりとしていて気持ちが悪い。
やがてゆっくりと自身を蝕んでいくであろう瘴気の気配に、辺りを取り囲んでいた筈の聖壁が完全に崩れたのだとリゼッタは感じ取った。
外からは小さな放出音が聞こえる。鉱山での瘴気の噴出をきっかけに、聖壁によって今まで何とか保っていた教会周辺の大地も限界を迎えてしまったのだろう。
外の様子は教会内からは見て取れないが、恐らくオルフィスのあちこちで小規模ながらも瘴気の噴出が連鎖的に起きているのだと思う。
オルフィスにやってきた聖職者───グリファートによって学舎付近は浄化されている。聖壁内の一部もどうやら浄化していたようだが、安全性で言えば学舎の方だろう。今から急いでそちらに避難すればまだ一縷の望みはあるかもしれない。
だがこの教会より外に出る者はいなかった。ここにいる者の多くは聖職者や聖女に捨て置かれた事に絶望し、嘆き、生きることを諦めてしまった者たちだ。
そのように唆したつもりなどリゼッタにはなかったが、結果としてリゼッタの言動に賛同するようにしてここの教会に集ったのである。
諦めた人々の口から漏れるのは悲鳴ではなく、絶望という名のこの地獄から解放されるという安堵の息だった。
「…君も最期までここにいていいのかい」
ふいに肩に温もりが触れる。それは唯一、リゼッタが触れる事を許した存在───夫の掌の温もりだった。
「ええ、あの子のいない場所ならどこでもいいわ」
「リゼッタ……」
「わかっていた事よ。オルフィスは最初から神に見放されていたの。助けなんて絶対に来ないわ」
今までも、これからも。ずっと───…
窓の外を見つめていたリゼッタは夫を振り返ると微笑んだ。
「私を助けてくれたことなんて、一度だってなかったもの」
外から聞こえる瘴気の噴出音と共に、教会の柱や壁からミシミシッという嫌な音が鳴る。
床板の隙間からぶすぶすと嫌な匂いのする煙が上がる。天井から木片がボロリと剥がれ落ちてくる。
もう間もなく教会は崩壊するだろう。
漸く見えた終わりの訪れに、リゼッタは微笑みを浮かべたまま瞼を閉じた。
◇◇◇◇
「浄化する力があってもこれじゃあどうしようもないな」
浄化の力は持っているが、その魔力量は精々が治療士止まりだと言われた。それは暗に、聖女として『無能』だと言われた瞬間だった。
リゼッタの家は代々聖女を多く輩出しており、リゼッタも当然優秀な聖女であるだろうと勝手な期待のもと産まれた。
だがリゼッタの魔力保有量は他の聖女と比べ、いや聖職者と比べても少なかったのだ。
聖女であるならば魔力量は絶対に必要な条件である。
浄化の能力があっても魔力量が少なければ多くの地を救うことはできないし、浄化の精度も落ちる。魔力を放出するたびに倒れていてはそれは『できない』と言っているに等しい。
聖女は完璧でなければならない。
浄化という奇跡を起こせる力を持っているからこそ、期待も希望も大きいのだ。
そして同時に絶望も───
「治癒?魔力壁?それがなんだ?治癒も魔力壁も浄化も、できて当たり前のことばかりじゃないか。そんなことは聖女であれば誰でもできるだろう」
「誰かが代わりにできることならあなたである必要はないわ。あなたは、あなただけの価値を見出しなさい」
「『聖女』ではなく『リゼッタ』が求められるようでなければ意味がないんだよ」
気付けばリゼッタは治療士として生きていく事になった。
聖女として使い物にならないのならせめて、という事だったのだろう。
だが、治療士としていくら努力しようとも、リゼッタが認められる事はけしてなかった。
何故なら周りがリゼッタを無能な聖女と呼ぶからだ。
「折角浄化の力があるのに…」
「これでは宝の持ち腐れじゃないか」
「無能な聖女」
そう言われ続けたリゼッタの心は簡単に死んでしまった。
周囲の身勝手さに押しつぶされ、自分自身に絶望してしまったのだ。
リゼッタは全てのことに興味をなくし、全ての感情を無くし、全てのものを捨てた。
そうしてしまえばいくらかは生きやすいように思えた。
だが何故だろう。救われた心地はしなかった。
やがてリゼッタは愛すべき男と出会い、身籠った。
これで漸く『無能な聖女』の呪いから解き放たれるのだと安堵した。死んだ心を唯一救えるのはリゼッタが母となり聖女を産む事だったのだ。
だが生まれたロビンは男の子であり、浄化の力もなければ魔力量が多いわけでもなかった。
「オルフィスも漸く終わりを迎えるのね…」
「待っていていくれ…もうすぐ君の元へ逝くよ…」
光の灯らない薄暗い教会の奥部屋で、身を寄せ合った人々は口々に祈りを捧げている。
皆、最期の時を待っているのだろう。瞳に希望の色はなく、生きた屍にも見えた。
「……」
「リゼッタ?」
そんな中で一人、小さな窓の向こうに興味なさげな視線を飛ばしていたリゼッタはポツリと呟いた。
「獅子様の御加護はもう当てにできなくなってしまったみたい」
直後、ドンッと下から突き上げるような揺れがしたかと思うと、生暖かい空気が窓の隙間から流れ込んでくる。肌に纏わりつくそれはじっとりとしていて気持ちが悪い。
やがてゆっくりと自身を蝕んでいくであろう瘴気の気配に、辺りを取り囲んでいた筈の聖壁が完全に崩れたのだとリゼッタは感じ取った。
外からは小さな放出音が聞こえる。鉱山での瘴気の噴出をきっかけに、聖壁によって今まで何とか保っていた教会周辺の大地も限界を迎えてしまったのだろう。
外の様子は教会内からは見て取れないが、恐らくオルフィスのあちこちで小規模ながらも瘴気の噴出が連鎖的に起きているのだと思う。
オルフィスにやってきた聖職者───グリファートによって学舎付近は浄化されている。聖壁内の一部もどうやら浄化していたようだが、安全性で言えば学舎の方だろう。今から急いでそちらに避難すればまだ一縷の望みはあるかもしれない。
だがこの教会より外に出る者はいなかった。ここにいる者の多くは聖職者や聖女に捨て置かれた事に絶望し、嘆き、生きることを諦めてしまった者たちだ。
そのように唆したつもりなどリゼッタにはなかったが、結果としてリゼッタの言動に賛同するようにしてここの教会に集ったのである。
諦めた人々の口から漏れるのは悲鳴ではなく、絶望という名のこの地獄から解放されるという安堵の息だった。
「…君も最期までここにいていいのかい」
ふいに肩に温もりが触れる。それは唯一、リゼッタが触れる事を許した存在───夫の掌の温もりだった。
「ええ、あの子のいない場所ならどこでもいいわ」
「リゼッタ……」
「わかっていた事よ。オルフィスは最初から神に見放されていたの。助けなんて絶対に来ないわ」
今までも、これからも。ずっと───…
窓の外を見つめていたリゼッタは夫を振り返ると微笑んだ。
「私を助けてくれたことなんて、一度だってなかったもの」
外から聞こえる瘴気の噴出音と共に、教会の柱や壁からミシミシッという嫌な音が鳴る。
床板の隙間からぶすぶすと嫌な匂いのする煙が上がる。天井から木片がボロリと剥がれ落ちてくる。
もう間もなく教会は崩壊するだろう。
漸く見えた終わりの訪れに、リゼッタは微笑みを浮かべたまま瞼を閉じた。
◇◇◇◇
「浄化する力があってもこれじゃあどうしようもないな」
浄化の力は持っているが、その魔力量は精々が治療士止まりだと言われた。それは暗に、聖女として『無能』だと言われた瞬間だった。
リゼッタの家は代々聖女を多く輩出しており、リゼッタも当然優秀な聖女であるだろうと勝手な期待のもと産まれた。
だがリゼッタの魔力保有量は他の聖女と比べ、いや聖職者と比べても少なかったのだ。
聖女であるならば魔力量は絶対に必要な条件である。
浄化の能力があっても魔力量が少なければ多くの地を救うことはできないし、浄化の精度も落ちる。魔力を放出するたびに倒れていてはそれは『できない』と言っているに等しい。
聖女は完璧でなければならない。
浄化という奇跡を起こせる力を持っているからこそ、期待も希望も大きいのだ。
そして同時に絶望も───
「治癒?魔力壁?それがなんだ?治癒も魔力壁も浄化も、できて当たり前のことばかりじゃないか。そんなことは聖女であれば誰でもできるだろう」
「誰かが代わりにできることならあなたである必要はないわ。あなたは、あなただけの価値を見出しなさい」
「『聖女』ではなく『リゼッタ』が求められるようでなければ意味がないんだよ」
気付けばリゼッタは治療士として生きていく事になった。
聖女として使い物にならないのならせめて、という事だったのだろう。
だが、治療士としていくら努力しようとも、リゼッタが認められる事はけしてなかった。
何故なら周りがリゼッタを無能な聖女と呼ぶからだ。
「折角浄化の力があるのに…」
「これでは宝の持ち腐れじゃないか」
「無能な聖女」
そう言われ続けたリゼッタの心は簡単に死んでしまった。
周囲の身勝手さに押しつぶされ、自分自身に絶望してしまったのだ。
リゼッタは全てのことに興味をなくし、全ての感情を無くし、全てのものを捨てた。
そうしてしまえばいくらかは生きやすいように思えた。
だが何故だろう。救われた心地はしなかった。
やがてリゼッタは愛すべき男と出会い、身籠った。
これで漸く『無能な聖女』の呪いから解き放たれるのだと安堵した。死んだ心を唯一救えるのはリゼッタが母となり聖女を産む事だったのだ。
だが生まれたロビンは男の子であり、浄化の力もなければ魔力量が多いわけでもなかった。
160
お気に入りに追加
473
あなたにおすすめの小説

【完結】相談する相手を、間違えました
ryon*
BL
長い間片想いしていた幼なじみの結婚を知らされ、30歳の誕生日前日に失恋した大晴。
自棄になり訪れた結婚相談所で、高校時代の同級生にして学内のカースト最上位に君臨していた男、早乙女 遼河と再会して・・・
***
執着系美形攻めに、あっさりカラダから堕とされる自称平凡地味陰キャ受けを書きたかった。
ただ、それだけです。
***
他サイトにも、掲載しています。
てんぱる1様の、フリー素材を表紙にお借りしています。
***
エブリスタで2022/5/6~5/11、BLトレンドランキング1位を獲得しました。
ありがとうございました。
***
閲覧への感謝の気持ちをこめて、5/8 遼河視点のSSを追加しました。
ちょっと闇深い感じですが、楽しんで頂けたら幸いです(*´ω`*)
***
2022/5/14 エブリスタで保存したデータが飛ぶという不具合が出ているみたいで、ちょっとこわいのであちらに置いていたSSを念のためこちらにも転載しておきます。

転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…
月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた…
転生したと気づいてそう思った。
今世は周りの人も優しく友達もできた。
それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。
前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。
前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。
しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。
俺はこの幸せをなくならせたくない。
そう思っていた…

からかわれていると思ってたら本気だった?!
雨宮里玖
BL
御曹司カリスマ冷静沈着クール美形高校生×貧乏で平凡な高校生
《あらすじ》
ヒカルに告白をされ、まさか俺なんかを好きになるはずないだろと疑いながらも付き合うことにした。
ある日、「あいつ間に受けてやんの」「身の程知らずだな」とヒカルが友人と話しているところを聞いてしまい、やっぱりからかわれていただけだったと知り、ショックを受ける弦。騙された怒りをヒカルにぶつけて、ヒカルに別れを告げる——。
葛葉ヒカル(18)高校三年生。財閥次男。完璧。カリスマ。
弦(18)高校三年生。父子家庭。貧乏。
葛葉一真(20)財閥長男。爽やかイケメン。
名もなき花は愛されて
朝顔
BL
シリルは伯爵家の次男。
太陽みたいに眩しくて美しい姉を持ち、その影に隠れるようにひっそりと生きてきた。
姉は結婚相手として自分と同じく完璧な男、公爵のアイロスを選んだがあっさりとフラれてしまう。
火がついた姉はアイロスに近づいて女の好みや弱味を探るようにシリルに命令してきた。
断りきれずに引き受けることになり、シリルは公爵のお友達になるべく近づくのだが、バラのような美貌と棘を持つアイロスの魅力にいつしか捕らわれてしまう。
そして、アイロスにはどうやら想う人がいるらしく……
全三話完結済+番外編
18禁シーンは予告なしで入ります。
ムーンライトノベルズでも同時投稿
1/30 番外編追加

生まれ変わったら知ってるモブだった
マロン
BL
僕はとある田舎に小さな領地を持つ貧乏男爵の3男として生まれた。
貧乏だけど一応貴族で本来なら王都の学園へ進学するんだけど、とある理由で進学していない。
毎日領民のお仕事のお手伝いをして平民の困り事を聞いて回るのが僕のしごとだ。
この日も牧場のお手伝いに向かっていたんだ。
その時そばに立っていた大きな樹に雷が落ちた。ビックリして転んで頭を打った。
その瞬間に思い出したんだ。
僕の前世のことを・・・この世界は僕の奥さんが描いてたBL漫画の世界でモーブル・テスカはその中に出てきたモブだったということを。

パラレルワールドの世界で俺はあなたに嫌われている
いちみやりょう
BL
彼が負傷した隊員を庇って敵から剣で斬られそうになった時、自然と体が動いた。
「ジル!!!」
俺の体から血飛沫が出るのと、隊長が俺の名前を叫んだのは同時だった。
隊長はすぐさま敵をなぎ倒して、俺の体を抱き寄せてくれた。
「ジル!」
「……隊長……お怪我は……?」
「……ない。ジルが庇ってくれたからな」
隊長は俺の傷の具合でもう助からないのだと、悟ってしまったようだ。
目を細めて俺を見て、涙を耐えるように不器用に笑った。
ーーーー
『愛してる、ジル』
前の世界の隊長の声を思い出す。
この世界の貴方は俺にそんなことを言わない。
だけど俺は、前の世界にいた時の貴方の優しさが忘れられない。
俺のことを憎んで、俺に冷たく当たっても俺は貴方を信じたい。
【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。
桜月夜
BL
前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。
思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる