百夜の秘書

No.26

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駆引は内密に

一、

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「蝶は首都に来るのは初めてなんだっけ」
「はい。旦那様はよく来られるんですか?」
「年に一度は必ず来るよ」

 ある夏の日。天藍と蝶は出張で首都を訪れていた。

 船から石畳の地面へと降りると、真っ青な空に高く聳え立つ高層の建築物と、その下を行き交う多くの人の姿が視界に飛び込んだ。
 蝶は初めてみる景色に目を瞬かせ、
「道が入り組んでいますね。会合場所まで迷わずに行けるのでしょうか……」
「それなら案内が来るから大丈夫だよ」
「案内?」
 天藍の言葉に、蝶が首を傾げたとき。
「お久しぶりで~す!天藍さん」
 二人の前に、ひとりの男が現れた。
 年は天藍とそう変わらなく見える。薄く色のついた洒落た眼鏡をかけており、少し胡散臭い雰囲気が漂っていた。
 天藍は、その飄々とした男に微笑む。
「元気そうだね、瑪瑙(メノウ)」
「あはは、おかげさまでー。……その子は?」
 瑪瑙、と呼ばれたその男は、天藍の隣の蝶へ目を移す。
「僕の秘書の蝶っていうんだ」
「へえ。さすが、賢そうですねー」
 瑪瑙は蝶ににやっと微笑みかける。蝶は無言で一礼した。
 そして瑪瑙は二人の先頭に立ち、
「では、早速繁華街をご案内します」
 そう言って歩き出す瑪瑙に、蝶は怪訝な顔をして、天藍を見上げた。
「どういうことですか?」
「瑪瑙は、今日商談へ行く会社の一員だよ」
「いえ、そうではなく……」


「……仕事、と言ってませんでしたか?」
 ここは、首都中心の繁華街。
 テラス席に座らせれた蝶は、隣の天藍にそう確かめた。
「仕事だよ。取引先との接待も仕事だろう?」
「お待たせー、持ってきたよ」
 瑪瑙はそう言って、お盆に乗せたアイスクリームを二人に差し出す。
「この店限定の杏仁うさぎアイス。雑誌にも特集されてるんだ」
「ふふ、可愛いね。こういう見栄えがする料理、うちの旅館でも取り入れたら面白いかもしれない」
「……………………」
 微笑む天藍の横で、蝶は無感情でそのうさぎの形のアイスクリームを見つめている。
「飲み物も戻ってくるねー。ここ、ジャスミンティーが無料で飲めてお得なんだよ」
 瑪瑙はそう楽しそうに言って、再び店の中に入っていく。
 その姿が見えなくなったのを確認して、蝶は天藍に小声で言った。
「接待というより、旦那様の友人と行く繁華街観光と食べ歩きじゃないですか」
「まあそう見えるかもね。けれど気楽な仕事だろう?」
 瑪瑙に連れられ、これまで蝶たちは街中の色々な飲食店を回ってきていた。それは確かに、彼が勧めた通りどれも美味しいのだが。
 天藍は肘をついて、蝶に甘く微笑んだ。
「何がいけないの? 蝶の会計は僕が持っているのだし」
「………………」
 そう返され、蝶は目を逸らす。テーブルの下で、足を組み替えた。


「今日は朝から夕方まで、首都へ商談に行くよ」
 船に乗る前の今朝、天藍は出勤した蝶にそう宣言した。
「けれど、その間蝶と二人になる時間が取れなさそうなんだよね。そこでこれを使おうと思う」
 天藍はそう言いながら、机に置いてあった白い紙のようなものを蝶に見せた。
 蝶は首を傾げる。
「何ですか?それ」
「おむつ」
「おむ…………?!」
 予想外の単語に、蝶は目を見開く。そしてすぐに嫌な予感がした。
 天藍は目を細めて笑い、
「今日は一日これをつけてもらう。今回の取引先では、万が一蝶が漏らしてしまったら困るからね」
「漏らしませんし、したくなってもそんなのにしません」
「まあまあ、念のためだよ」
 ふいと顔を背ける蝶。しかし天藍は近づいて言った。
「僕がつけてあげるから、こっちの部屋にきて」
「は……?!」


 ……朝からとんでもない恥をかいた。
 今朝の出来事を思い出すたび、蝶は恥ずかしさで叫び出したくなる。
 天藍は蝶に顔を近づかせ、くすりと笑った。
「ひょっとして、もう限界になっちゃった?」
 その言葉に、蝶は顔を赤くする。
「あ……あんなに飲み食いして、したくならない方がおかしいと思うんですけれど?!」
 そう小声で言って、テーブルの下で太ももをぎゅっとくっつけた。
「ずるいですよ。取引先から勧められたら、断れるわけないじゃないですか……!」
 定時まで、あと三時間。しかしすでに蝶の膀胱は限界に近かった。
 天藍は顔を離し、少し困ったように笑う。
「まあ、僕もこんなにたくさんお店に行くとは思わなかったけどね」
「何の話?」
 二人がそう話してところで、瑪瑙が飲み物を三人分持って戻ってきた。
 天藍は何事もなかったように微笑み、
「瑪瑙って、いろんなお店を知ってるんだねって話」
「あは。まあこの街は、うちの庭みたいなもんだからね」
 瑪瑙はそう笑って、そしてふっと真剣な眼差しになった。
「……食べ終わったら、そろそろ会社の方に戻ろうか」


「話はボスから聞いてるよ。そっちの『情報』の提供と引き換えに、うちのカジノ運営のノウハウ貸し出しでしょ?」
 瑪瑙に案内され辿り着いたのは、繁華街の一番奥。
 その大きな屋敷の入り口を開けると、煌びやかな大部屋に多くのテーブルが並び、カジノのゲームが行われていた。
 大勢の客と露出の多い服を着たディーラーが行き交う中、瑪瑙は天藍を振り返り、ニヤリと笑った。
「値段交渉は、ボクとのゲームの後だよ」
 瑪瑙は奥の部屋へと進み、二人をVIPルームへと案内する。
 そこには台を挟んで向かい合わせになるように椅子が置かれ、蝶は天藍の膝の間に座らされた。
「……どうしてあの方は普通に商談をなさらないんですか?」
 意気揚々とボードゲームの道具を準備する瑪瑙を見て、蝶は天藍に小声で聞いた。
 天藍はくすりと笑い、
「遊んであげないと、そのあと機嫌も羽振りも悪くなるんだよ。それに瑪瑙はここの組織の幹部だから、多少好き勝手しても許されてしまう立場なんだ」
「ふーん。旅館での旦那様と同じですね」
「何?」
「…ッ、なんでも……」
 突然下腹を触られて、蝶はビクリと背筋を震わせた。
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