百夜の秘書

No.26

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一縷の記憶

三、

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「っ、…」
 すぐに荒い手つきで下を脱いで、その出口を盃に向けた。
 盃に跳ね返る、控えめな水音。
 我慢のし過ぎで、中々少しずつしか出ない。
 それが十数秒続いた後、ようやく勢いよく出始めた。
「はあぁ……」
 熱い液体が尿道を通って、強い水流で外に排出されていく。蝶はようやく開放感に浸った。

 けれど、それはほんの二、三秒の束の間だった。

 ーーガシャン、バン!
 扉の向こうで、何か物が割れた音と、銃声が立て続けに響いた。
「?!」
 蝶は思わず後ろを振り返る。
「ーーな、なんだ!!」
「一体この場所をどうやって……?!」
 ドアの向こうで、さっきの男たちの困惑する声と、立て続けに物騒な物音がし始める。
 そして、
「蝶、その部屋にいる?」
 聞こえたその男性の声は、もう聞き飽きるくらい聞き覚えのある声だった。
「え……?! だ、旦那様?!」
 反射的に答えるが、しかしまだ蝶は排泄を止めることができなかった。
「南京錠か……無理やり開けるから、ドアから離れていて」
「い、いいです、そんなに焦らなくても……!!」
 蝶は慌ててそう叫ぶが、ドアがきしきしと音を立て始める。
(っ…まだ、全然してないのに……!!)
 蝶は必死に出口を抑えて排泄を止め、衣服を着直した。
 しかしすぐに、我慢できなかったものがジワッと溢れて、その布の上から前をぎゅっと強く押さえ込む。
「っ、く…」
 まだ八割以上の液体が下腹部に残っていて、全然出した気がしない。
 むしろ中途半端に出してしまったせいで、蝶は先ほどよりも我慢が効かなくなった。
 蝶がベッドの上に座り直したとき、外でドアの鍵が壊れた音がし、ドアが開いた。
「蝶」
「だ、旦那様……!」
 蝶はモジモジと控えめに足を擦り合わせながら、上司の彼の方を見た。
 そこには天藍と、味方らしき男が数人いる。
 しかしその手には銃を持っていて、蝶は目を見開いた。
「そ…そんなものどちらで……?!」
 天藍は微笑み、手持ちの銃を味方の一人に預け、
「無事でよかった。話はあとだ」
 そう言いながら蝶に近づく。そして、驚いて固まっている蝶の背中と足を支え、持ち上げた。
「……は?!」
 それは、いわゆるお姫様抱っこというものだった。
「何を?!」
「暴れないで。ここから逃げるよ」
 そう言って天藍は蝶を抱えたまま、部屋の外に出た。

 蝶の思った通り、どうやらこの場所は見知らぬ旅館らしい。天藍は、そのまま客室を抜け、廊下へと飛び出した。
 廊下では、先ほどの仮面の男たちと、天藍の味方と思われる者たちが数人乱闘を続けている。
 他に客や従業員と思われる者たちの姿はなく、道は所々が廃れており、どうやら閉業した旅館らしいと蝶は考えた。
「蝶、僕の肩に捕まって」
 天藍は蝶の持ち方を変え、自分を捕まるように促す。
 しかし、蝶は前を両手で押さえ込んだまま、首を横に振った。
「さ…先に、お手洗いに行かせてください……!」
 そう天藍に言うと、彼は淡々と言う。
「こんなときに何を言っているんだ。外まで我慢しなさい」
「っ、む、むりです、お願いします……!」
 そう話している間にも、じゅわっとまた下着の中が熱くなり、蝶は前を押さえ込みながら足をばたつかせた。
「限界なんです、昨日からずっと行けてないんです……!」
 そう訴えると、天藍は蝶を見て言った。
「そんなこと僕に言っても、興奮させるだけだけど?」
「っ……へ、変態……!」
 その言葉に、天藍はニヤリと笑う。
 天藍は真っ直ぐ突き当たりの出口まで行く。そのドアを開くと外の非常階段につながっていた。
 天藍は階段を駆け降り始め、蝶は振り落とされないよう彼の肩を掴んだ。
 しかしそうすると、片手でしか抑えられなくなった出口は緩み、蝶は下着と太ももがじゅわりと熱く濡れる感覚がした。
「あっ…?! ゆ、揺らさないでください……ッ!」
「無理」
「ほ、本当に、だめ…出ちゃう…あ、ああっ……!!」
 蝶は必死に片手で前を押さえながら、天藍の首元に顔を埋めた。
「なにこれ、助けにきた僕へのご褒美?」
「そんなわけないでしょう?!」
 嬉しそうな天藍に、蝶は叫ぶ。
 しかしそれも虚しく、その液体は蝶の服を生温かく濡らしていった。

 そうして階段を降り切り、裏口から外に出たときには、蝶と天藍の服は派手に濡れていた。
「………………」
「全部出ちゃった?」
 天藍が立ち止まってそう聞くと、蝶は顔を真っ赤にして俯く。
「……も…申し訳、ありません…」
「……後でお仕置きしないとだね」
 そう二人が話していると、川の方から声が聞こえた。
「旦那様、ご無事ですかー!」
「こちらです!!」
 目の前の川には、百夜の旅館の印がついた小船が浮いている。そこに乗った旅館の従業員の寧と柳は、天藍たちに振っていた。
 しかし、天藍が蝶を抱えていること、そして二人の服が不自然に濡れていることに気がつき、寧と柳は目を丸くする。
「ちょ……蝶?!」
「あら、大丈夫ですの……?」
「怖い思いをしたみたいなんだ、そっとしてあげて。……このことは、誰にも話したらダメだよ」
 そう言って、天藍は蝶を船に乗せたあと、彼の頭を撫でた。
「…………?」
 その手の温もりと、青い双眸を、なぜか蝶は知っている気がした。
 けれどそれを思い出す前に、緊張から解き放たれた蝶の意識は、ふつりと途切れた。
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