百夜の秘書

No.26

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一縷の記憶

四、

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 舟は脇道を通り、四人は敵に追われることなく、無事百夜に着いた。
 目を覚ました蝶は、自室で着替えたあと、自ら天藍の書斎へ向かった。


「どうして私の居る場所がわかったのですか?」
「その耳飾りだよ」
 天藍はそう言って蝶に近づき、自分があげた青い宝石の耳飾りを触った。
「発信器がついてるんだ。君が借金を返済した途端にこの旅館から逃げるのが惜しいと思ってつけさせたものだったんだけどね」
「は……?!」
「まさかこんな風に役に立つなんて。しばらく外したらだめだよ。またあんな集団に攫われたときに困るからね」
 驚いて身を引く蝶に、天藍は微笑んで、物騒なことを立て続けに言ってのける。
 蝶は気を取り直し、質問を続けた。
「ちなみに、あの旦那様に協力してくれた方々は?」
「うちはいろんなところに『取引先』があるからね」
「………………」
 その言葉に、蝶はため息で返した。
 蝶は秘書を務めているめ、もちろん旅館の取引先リストなどの書類を確認している。
 この旅館が少々裏稼業をしているような団体とも繋がりがあることを文面では知っていたが……まさか、天藍の声かけ一つで協力までしてくれるなんて。
 あまり深くは追求しないことに決め、蝶は質問を変えた。
「旦那様が持っていた銃も、その取引先から借りられたのですか?」
「いや、私物だよ。護身用に持ってるんだ。見たいなら持ってこようか?」
「結構です」
 そうキッパリと断ると、天藍はいつも通り澄ました顔で口角を上げる。
 そんな飄々とした上司を、蝶は見つめ直して、こう言った。
「……旦那様、もう一つ聞きたいことがあるのですが」
「おや、今日は質問が多いね」
「これが最後です」
 微笑む天藍に、蝶は口を開く。
「『一縷(いちる)』、という宿をご存知ありませんか?」
 蝶は、初めて……いや、十年ぶりに、天藍の驚いた表情を見た。



 ーー激しい雨音で、十歳の蝶は目を覚ました。
 ここは、旅館『一縷』の、蝶が遊び部屋にしているいつもの客室。窓の外は雨で昼間なのに暗く、庭の地面や紫陽花の葉に滴が跳ね返り音を立てていた。
 そして蝶は、自分の下着の中も濡れていることに気付いた。
「……え?」
 おねしょ、という嫌な予感がしたが、触れてみるとそうではない。
 下着の中に手を入れると、何か粘り気のある白い液体が指にまとわりついていた。
「……な、なに、これ」
 『病気』。その単語が頭をよぎり、そして少し前に祖父が『病気』で死んだことを思い出す。
 もしかして、自分も『病気』で死んでしまう?
 蝶はそう想像して、途端に涙が止まらなくなった。
「う、ううっ…父上、母上…!!」
 部屋を出て、父か母の姿を探しながら、廊下を泣きながら歩く。
 しかしその廊下には、家族ではなく、一人の見知らぬ人間がいた。
 その人は、美しい顔立ちをした銀髪の少年で、羽織っている衣服には何か紋様が描いてあった。
 少年は泣いている蝶に気がついて、心配そうに駆け寄った。
「君、たしかこの旅館の子だね。どうしたの?」
「う、ううっ…」
「大丈夫、泣かないで、話してごらんよ」
 蝶がうまく離せず泣き続けていると、頭の上に温もりを感じた。
 目を開けると、少年はしゃがんで視線を合わせ、自分の頭を撫でていた。
 優しそうな青い目と表情。蝶は初対面でありながら、その少年を信用することにした。
「蝶…びょ、病気で、死んじゃうかもしれないんです…っ」
 蝶はそう言って、少年に指についた白い液体を見せた。
「し、下着の中が、これで濡れてて…っ」
 少年はそれを見て、ぽかんとした顔をする。
 その表情に一層蝶が不安になっていると、そして彼は、蝶に聞いた。
「……君、男の子なの?」
「? はい」
 蝶が首を傾げて肯定すると、少年は困ったように笑った。

 そうして蝶は少年から、それは病気が原因ではなく夢精というもので、男性に起きる生理現象なのだと詳しく説明された。
 しかしまだ性知識がない蝶には、あまり実感が湧かない。
 その様子を見かねた少年は、少し考えた後、蝶にこう言った。
「試しに、僕がやって見せようか?」
「お願いします」
 蝶は、素直に頷いた。

 空いた客室。その少年は蝶を自分の膝の上に乗せた。
 彼に服を脱がされても、蝶は不思議と抵抗がなかった。そのまま下着を脱がされ、少年にその性器を撫でられる。
「驚いた……本当に男の子なんだね」
 少年は独り言のように呟く。
 感覚にびくりと震える蝶に、少年は「大丈夫だよ」と囁き、その行為を続けた。
 そうして、しばらく性器を扱かれていると、次第に蝶にとある感覚が迫ってきた。
「…あ、あの…、一度止めてください…っ」
「うん?」
 蝶は顔を赤らめながら、少年に小さな声で言った。
「お…おしっこ、出ちゃいそう…」
「ああ、射精はそういう感覚に似てるかもね」
「ち、違うんです、本当に……!」
 そう蝶は訴えるが、少年は手を止めなかった。
「ッ、やだ、待って、」
「けれど、きっともう少しで、」
「あ、あぁっ…!!」
 蝶は一際大きな声を上げる。
 そして、ぷしゃ、と透明な液体があふれ出た。
「……え?」
「だ、だめ…!」
 蝶は止めようとするが、しかし放尿はおさまらない。
 少年は慌てて、自分の上着で押さえ、液体を布に吸わせた。

 そうして、全てを彼の衣服に出し切ってしまった後。
「っ……ご、ごめんなさい!!」
 蝶は、そう叫び、逃げるようにその場を去った。



「…………」
 天藍ーーあのときの銀髪の少年は、蝶に微笑んだ。
「やっと思い出してくれたんだね」
「あまりにも恥ずかしく嫌な思い出で、無理やり忘れていたのですが、今日思い出してしまいました」
 蝶がそう言うと、天藍は蝶の頭を撫でた。
「ちなみに、僕はあのときの君せいで性癖がおかしくなったんだよ」
「はい? 責任転換はやめてください」
 蝶は手を振り払い、天藍を睨みつけた。
「旦那様は元々おかしかったのですよ」
「ふふ、じゃあそれが君の手によって目覚めさせられたってところかな」
 天藍はそう言って笑って、蝶から離れて窓際に立った。
「僕があの場にいたのは、当時旅館の社長だった祖父が、蝶のご両親の旅館『一縷』を買収する件についての付き添いだったんだ」
「そうだったのですか」
「旅館の経営が良くないと聞いて、うちのグループに入らないかと勧めたんだ。ご両親に断られたけどね」
 初めて知った真実に、蝶が驚いていると、天藍は窓の外を見つめたままこう呟いた。
「……あのとき僕が話し合いに参加してたら、少し変わってたのかな」
「え?」
「未だに思うんだ。もし買収の契約が成立していたら、君のご両親も死ななくて済んだかもしれない」
 そう言って地上の景色に視線を落とす天藍の服を、蝶はつかんだ。
 振り返った天藍に、蝶ははっきりと言った。
「旦那様のせいではありません。私の親が馬鹿だったのが悪いんですよ」
 その言葉に、天藍は目を瞬かせ、そして柔らかく笑った。
「君が好きだよ」
 蝶は思わず目を見開く。どくんと、心臓の音が強まった。
「……それは、」
「そういえば、君が汚した僕の服、結構高いんだよね」
「え?」
 天藍は口角を吊り上げ、蝶に言葉を続けた。
「それに、蝶を奪還するための取引先との交渉代もかなり高額だった。しばらく給料から引いておく。借金の完済日が伸びちゃったね」
「は……」
「けれど……もし今夜、蝶が僕の言うことを聞いてくれるんだったら、少しは僕で持ってあげようかな」
 そう言って天藍は、蝶の腰に手を回わす。
 蝶は、そんな上司に声を張った。

「私は、旦那様のことが嫌いです……!!」

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