6 / 18
監禁前夜
二話・忘れられないモノ③
しおりを挟む
ゾクッと嫌な気配は背を駆け上り、たらりと冷や汗が滑り落ちる。
わかっている。どうせ冗談だ。だって、彼は確かに海外に居たのだから。
それでも、彼に『あの日々』を見られていたかもしれないと思うと恐怖で体が強張った。父に、血のつながらない義父に身を暴かれ、受け入れたくもない肉棒を突き立てられたあの日々を。
「……アイネ? え、ごめん。冗談だよ…?」
「あ、あぁ。……悪い。ちょっとビビった」
「あははっ、出来るわけないでしょ。俺アメリカ居たんだから。正解は、日本に残ってたうちの使用人が教えてくれたんだよ。『逢音くん、イメチェンしてかっこよくなってたよ~』って」
腑に落ちる返答が聞けたことで、ようやく体のこわばりが解けた。彼にはバレぬよう、ほっと小さく吐息を零す。そりゃそうか、確かに彼の家のことを考えれば使用人が近所に残っていて状況を伝えていてもおかしくはない。
芽木 藍那。彼の家は少々、いや大層名のある家柄で近所では知らぬ人は居ないほど有名だった。時代が時代だったなら貴族とでも呼ばれていたかもしれない。そんな上流階級に生まれながらも、幼少期の彼はすくすく健やかにわんぱく坊主だったとアイネは記憶している。なにせ桜の木に登った仲なのだから。
昔はその意味をたいして考えはしなかったが、今となっては「随分とすごい幼馴染を持っていたんだな」と思ったりしない訳ではない。世の中が見えれば見えるほど、知れば知るほど、彼と自分の差は天と地よりも深く高いのだと理解できてしまう。
そんな名家の生まれなのだから使用人の一人や二人、いまだアイネの実家近くにある彼の屋敷に出入りしていてもおかしくはない。アイネがこの色に髪を染めたのは実家から通学していた高校時代だ。だとすれば、髪色の変化に気づいた使用人が彼に幼馴染の近況報告をしていたとしても納得は出来る。
「オレの行ってた高校、髪とか結構自由でさ」
「良いじゃん。黒髪お揃いなのも良いけどその色も似合ってるよ」
体を離したメアがアイネの髪をひと房摘まむ。数年ぶりの再会に喜び顔を綻ばせる様を見ていると、どうにも胸の奥が痒くなってくる。彼だってもう二十歳になる成人男性だというのに愛くるしさは消えていないのだから罪作りだ。
メアが机の上を整理し、対面の椅子を空けてくれたので有難くその場を借りる。すでに出来上がっていたケーキセットを急いで取りに戻って、二人でゆっくりと昼食をとった。
「アイネ、また甘いもの食べてる」
「糖分摂取できれば頭も回るし別にいいだろ」
「駄目だよ。ほら、俺のサンドイッチあげるから」
不思議なものだ。あれほど緊張していたというのに、実際に言葉を交わせばするりと二の句がどんどん紡がれていく。軋んでいたはずの糸車はくるりくるりと回りつづけ、あの日に停止したはずの関係はスムーズに再開を始めた。
「単位互換制度……あー……あったな、そんなの」
「そ。それで週に何日かだけこっちに来ることになってさ」
メアが先ほどまで見ていたプリントを何枚か見せてくれる。単位互換制度。簡単に言えば、他の大学に所属している者でも講義を受けることができ、その講義で取得した単位をそのまま所属大学でも単位認定してもらえるという制度のことだ。メアはその制度を利用し、この大学に来ていたらしい。
「受けたい講義があったから参加してみたんだけど……とんだ副産物を得られたよ。ラッキー!」
サンドイッチを頬張りながらメアはくふくふ笑う。その様が愛らしくて、自然とアイネも笑っていた。彼が勝手に皿に乗せたサンドイッチに手を伸ばし、同じように頬張った。
久しぶりに食べた気がする野菜の味が、なぜだか特別美味しく感じた。
わかっている。どうせ冗談だ。だって、彼は確かに海外に居たのだから。
それでも、彼に『あの日々』を見られていたかもしれないと思うと恐怖で体が強張った。父に、血のつながらない義父に身を暴かれ、受け入れたくもない肉棒を突き立てられたあの日々を。
「……アイネ? え、ごめん。冗談だよ…?」
「あ、あぁ。……悪い。ちょっとビビった」
「あははっ、出来るわけないでしょ。俺アメリカ居たんだから。正解は、日本に残ってたうちの使用人が教えてくれたんだよ。『逢音くん、イメチェンしてかっこよくなってたよ~』って」
腑に落ちる返答が聞けたことで、ようやく体のこわばりが解けた。彼にはバレぬよう、ほっと小さく吐息を零す。そりゃそうか、確かに彼の家のことを考えれば使用人が近所に残っていて状況を伝えていてもおかしくはない。
芽木 藍那。彼の家は少々、いや大層名のある家柄で近所では知らぬ人は居ないほど有名だった。時代が時代だったなら貴族とでも呼ばれていたかもしれない。そんな上流階級に生まれながらも、幼少期の彼はすくすく健やかにわんぱく坊主だったとアイネは記憶している。なにせ桜の木に登った仲なのだから。
昔はその意味をたいして考えはしなかったが、今となっては「随分とすごい幼馴染を持っていたんだな」と思ったりしない訳ではない。世の中が見えれば見えるほど、知れば知るほど、彼と自分の差は天と地よりも深く高いのだと理解できてしまう。
そんな名家の生まれなのだから使用人の一人や二人、いまだアイネの実家近くにある彼の屋敷に出入りしていてもおかしくはない。アイネがこの色に髪を染めたのは実家から通学していた高校時代だ。だとすれば、髪色の変化に気づいた使用人が彼に幼馴染の近況報告をしていたとしても納得は出来る。
「オレの行ってた高校、髪とか結構自由でさ」
「良いじゃん。黒髪お揃いなのも良いけどその色も似合ってるよ」
体を離したメアがアイネの髪をひと房摘まむ。数年ぶりの再会に喜び顔を綻ばせる様を見ていると、どうにも胸の奥が痒くなってくる。彼だってもう二十歳になる成人男性だというのに愛くるしさは消えていないのだから罪作りだ。
メアが机の上を整理し、対面の椅子を空けてくれたので有難くその場を借りる。すでに出来上がっていたケーキセットを急いで取りに戻って、二人でゆっくりと昼食をとった。
「アイネ、また甘いもの食べてる」
「糖分摂取できれば頭も回るし別にいいだろ」
「駄目だよ。ほら、俺のサンドイッチあげるから」
不思議なものだ。あれほど緊張していたというのに、実際に言葉を交わせばするりと二の句がどんどん紡がれていく。軋んでいたはずの糸車はくるりくるりと回りつづけ、あの日に停止したはずの関係はスムーズに再開を始めた。
「単位互換制度……あー……あったな、そんなの」
「そ。それで週に何日かだけこっちに来ることになってさ」
メアが先ほどまで見ていたプリントを何枚か見せてくれる。単位互換制度。簡単に言えば、他の大学に所属している者でも講義を受けることができ、その講義で取得した単位をそのまま所属大学でも単位認定してもらえるという制度のことだ。メアはその制度を利用し、この大学に来ていたらしい。
「受けたい講義があったから参加してみたんだけど……とんだ副産物を得られたよ。ラッキー!」
サンドイッチを頬張りながらメアはくふくふ笑う。その様が愛らしくて、自然とアイネも笑っていた。彼が勝手に皿に乗せたサンドイッチに手を伸ばし、同じように頬張った。
久しぶりに食べた気がする野菜の味が、なぜだか特別美味しく感じた。
応援ありがとうございます!
1
お気に入りに追加
146
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる