愛して、哀して、胎を満たして

白亜依炉

文字の大きさ
上 下
5 / 19
監禁前夜

二話・忘れられないモノ②

しおりを挟む
 昼食時のカフェテリアには人がごった返していた。
 どこを見ても人の林、留まることの知らない濁流の中をするする渡っていく。どうにか注文カウンターへと辿りつき昼食の注文自体は出来たけれど、この分だと席が空いているかどうかの方が怪しい。昼食代わりのケーキセットが出来るまでには確保しておかなければ……、そう思い周囲を隅々まで見渡してみる。
 ぐるりと一望したカフェの店内、和気あいあいと談笑する姿が多く見受けられる。友人同士の中身もないような穏やかな会話、研究者同士の実が詰まりに詰まった熱い話、外国語学科の生徒はカフェ専属の英語担当者と英会話を楽しんでいる。平和、平凡、そう表記するのが正しい世界がそこにはあった。

 そんな世界の片隅で、アイネの瞳は奪われた。

 大きくあいた窓の向こう、カフェテラスになっている席に座る一つのシルエット。机の上には何らかの資料が広げられ、いくつもの白地プリントが陽光をまばゆく反射している。その傍らには、隅に追いやられるようにしてサンドイッチセットが居心地悪く存在していた。対面の席は彼のものだろう鞄が占領し、二人掛けの席を彼はゆったり一人で独占している。陽の光に、艶やかな濡れ羽色が煌めいていた。
 ドクンと、強く心臓が脈を打った。

「…………メ、ア……?」

 居る筈がない。だって、彼は今海外に居るはずだ。
 彼が引っ越して以来、一切連絡を取っていなかったから現在なんてまったく知らないが。
 中学時代、家の事情で彼が引っ越した。その数ヵ月後に『父のこと』があり、アイネは意図的に彼への干渉や交流を行わないようにしていた。知られたくなかった、彼との思い出まで汚らわしい白に染めたくなかった。

  だから、今彼がどこにいて、何に興味があって、どんな容姿をしているかは何も分からない。だというのに、不思議とカフェテラスに座る人物を見ていると幼いころの彼の姿が頭に浮かび上がった。確かに、すくすくと育ったのなら今はあんな風に成長していてもおかしくはないだろう。

 女の子のように愛らしかった顔はその名残をいまだ醸し出しつつもしっかりと男らしい顔つきへ変化していき、小さくもわんぱくだった子どもの手は大きく落ち着きのある骨ばった指へと変化する。当時は自分の方がわずかに高かったはずの背丈はすっかり抜かされた。
 そんな想像がいとも容易く出来て、確証もないのに足は知らぬ間にテラスへと向かっていた。これで人違いだったら恥ずかしい話だ。



 カランカラン、ドアを開くと澄んだ音色が耳を癒す。春の陽気を携えた青空はアイネの赤茶色の髪を優しく見下ろしている。柔らかな風が吹くテラスでは、向かいにある桜並木からふわりと花々の香りが漂ってくる。それがまた、あの楽しかった日々を彷彿とさせてきゅうっとアイネの胸を締め付けた。

「……あの、相席、いいですか?」

 彼の席までおずおずと歩み寄り、怪しくないだろう言葉をどうにか選び取った。どこも席が埋まっていて空席が見当たらないのは本当だ。これならば断わられたとしても「そっか」で済む。互いに損害と呼べるようなものは生まれないだろう。

「相席?」

 手元のプリントに目を通していた彼の顔がすっと上がる。初めて間近で見た彼の相貌に、またアイネは言葉を失った。やはり、似ている。
 少しクセのある整えられた黒いショートヘアも、薄く水色がかった灰色の瞳も、瞳を覆う大きくぱっちりとしたアイラインも。すべてよく知る彼に似ていて、自ずと心臓は足早に脈を打った。

「……アイネ?」
「っ、」

 彼によく似たその人は、彼によく似た声音で名を呼ぶ。
 それは、成人らしく低くはなっているものの、
 とても懐かしい優しい音色で。
 不思議と胸の奥がぎゅっとなって、目頭はツンと痛んだ。

「……わぁ! もしかしてアイネ?! 相馬 逢音!?」
「お、まえ……よく分かったな……」

 不覚だ。泣きそうになるなんて。彼によく似た、もとい張本人たる芽木 藍那はそんなアイネの心境など気付かずにきゃっきゃと無邪気に喜び跳ねるように席を立った。そして、勢いを殺すことなくそのまま力いっぱい抱きしめられる。

 白昼堂々、人の多いカフェテラスで。

 アイネの予想通り、成長したメアはアイネよりも背が高かった。運動部にでも所属していたのか体つきもしっかりとしていて、服越しでも筋肉をはっきりと感じ取れる。そのくせ、幼い頃から備わっていた愛嬌はそのまま健在なのだからズルいと言うべきか何というか。見る人が見れば彼への形容詞はきっと「小悪魔」だろう。

「そりゃ分かるよ、……見てたもん」
「……え?」

 低音で囁くように、こっそりと流し込まれた言葉に声が震えた。
しおりを挟む
一言メモ(更新:2024/06/24)更新が一年振りと気付いて自分でドン引きました……申し訳ない……。ゆっくり更新にもほどがある!
感想 0

あなたにおすすめの小説

中華マフィア若頭の寵愛が重すぎて頭を抱えています

橋本しら子
BL
あの時、あの場所に近づかなければ、変わらない日常の中にいることができたのかもしれない。居酒屋でアルバイトをしながら学費を稼ぐ苦学生の桃瀬朱兎(ももせあやと)は、バイト終わりに自宅近くの裏路地で怪我をしていた一人の男を助けた。その男こそ、朱龍会日本支部を取り仕切っている中華マフィアの若頭【鼬瓏(ゆうろん)】その人。彼に関わったことから事件に巻き込まれてしまい、気づけば闇オークションで人身売買に掛けられていた。偶然居合わせた鼬瓏に買われたことにより普通の日常から一変、非日常へ身を置くことになってしまったが…… 想像していたような酷い扱いなどなく、ただ鼬瓏に甘やかされながら何時も通りの生活を送っていた。 ※付きのお話は18指定になります。ご注意ください。 更新は不定期です。

身体検査

RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、 選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?

名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。 そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________ ※ ・非王道気味 ・固定カプ予定は無い ・悲しい過去🐜のたまにシリアス ・話の流れが遅い

普通の男の子がヤンデレや変態に愛されるだけの短編集、はじめました。

山田ハメ太郎
BL
タイトル通りです。 お話ごとに章分けしており、ひとつの章が大体1万文字以下のショート詰め合わせです。 サクッと読めますので、お好きなお話からどうぞ。

頭の上に現れた数字が平凡な俺で抜いた数って冗談ですよね?

いぶぷろふぇ
BL
 ある日突然頭の上に謎の数字が見えるようになったごくごく普通の高校生、佐藤栄司。何やら規則性があるらしい数字だが、その意味は分からないまま。  ところが、数字が頭上にある事にも慣れたある日、クラス替えによって隣の席になった学年一のイケメン白田慶は数字に何やら心当たりがあるようで……?   頭上の数字を発端に、普通のはずの高校生がヤンデレ達の愛に巻き込まれていく!? 「白田君!? っていうか、和真も!? 慎吾まで!? ちょ、やめて! そんな目で見つめてこないで!」 美形ヤンデレ攻め×平凡受け ※この作品は以前ぷらいべったーに載せた作品を改題・改稿したものです ※物語は高校生から始まりますが、主人公が成人する後半まで性描写はありません

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

処理中です...