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ランコは少年と遭遇する
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その『ヒガン考』は、多くの人が思い描いている此岸と彼岸を武雄なりに考察した事柄が記されていた。釈迦の説いた此岸や彼岸と区別する意図で、シガンやヒガンと表記されていた。ふたつの世の関係、死せる者の生態など、サキに教えたことはすべて武雄の受け売りだ。
武雄は考察と言ったが、ただ観察して辻褄の合う理由をつけているだけであって、『ヒガン考』に書かれていることが正しいとは限らない。研究ではなく創作に近いのかもしれない。ただランコには納得できる内容だった。
それを改めて読みたい。読んでからかなりの時が経っていて、ランコの記憶は薄れていた。武雄は、サキのような例について書いてあったかどうかも記憶にない。
武雄がいてくれたら。そう思わずにはいられない。直接、考えを聞きたかった。だが、その願いは叶わない。だからこそ『ヒガン考』を手に入れたかったのに。
ランコは暗い室内を見渡した。
完全なる闇ではないが、光は硝子格子戸から差し込むはかない月明りだけだ。そのことは死せる者であるランコの視覚に支障はない。むしろ都合がいい。月光にまで弱いサキほどではないが、ランコやほかの死せる者も光に対する耐性は低い。
ふと、押入れの天袋が目についた。内装や家具は変わっているが、押入れと天袋は変わらずそこにあった。扉が合板のものに変わっているだけだ。遺族が処分しきれなかったものが天袋に残されているのではないか。そんな気がした。
まずは押入れを開けた。片側には寝具がしまわれていたが、もう片方は洋服箪笥として使われていた。中段に足をかけ、天袋の引手に触れた、その時。かちりと音がして光が溢れた。
突然の眩しさに足を滑らせ落下したが、片膝立ちで着地した。
次の間に少年が立っていた。右手の指が、まだ六畳間の入り口にある照明スイッチに残っている。
少年は寝巻姿だ。髪は濡れ、頬が上気している。首にはタオルをかけており、どうやら風呂上りのようだ。
明かりもなく人も不在だったから、てっきり普段は使われていないのかと思い込んでしまった。
無理もない、と自らに言い訳をする。生活感のない殺風景な部屋だし、第一、生ける者が暮らしている気配すらしなかった。
それでも実際に寛いだ様子で部屋に入ってくる者があるということは、現在、ここは少年の部屋で、たまたま入浴中でいなかっただけなのだ。
どうにも腑に落ちない気分で少年の様子を窺う。ランコの外見と同じくらいの年頃だろう。となると、中学生か。
少年が明かりのついた部屋に足を踏み入れた。と同時に、びくりと肩が跳ね上がった。目が合った気がした。しかし、少年はすぐに首にかけたタオルでごしごしと髪を吹き始めたため、顔が見えなくなった。
目が合ったように感じたのは気のせいだろう。見ず知らずの者が自室いると気づいたなら、のんびり髪を乾かしてなどいられないはずだ。
だとしても、長居は無用だ。とはいえ、出ていくには硝子格子戸を開けなければならず、そんなことをすれば、少年の目には戸が勝手に開閉しているように見えてしまう。どうしたものかと悩みかけ、少年にどのように見えようと不都合はないではないかと思い直した。
だが、その迷っていたわずかな間に、少年が硝子格子戸をカラカラと音を立てて開けた。換気のつもりなのか、しばし冷たい夜風を浴び、戸を開け放したまま部屋の奥へと戻っていく。
ランコは、折よく開かれた出口から、夜の中へと飛び出した。
武雄は考察と言ったが、ただ観察して辻褄の合う理由をつけているだけであって、『ヒガン考』に書かれていることが正しいとは限らない。研究ではなく創作に近いのかもしれない。ただランコには納得できる内容だった。
それを改めて読みたい。読んでからかなりの時が経っていて、ランコの記憶は薄れていた。武雄は、サキのような例について書いてあったかどうかも記憶にない。
武雄がいてくれたら。そう思わずにはいられない。直接、考えを聞きたかった。だが、その願いは叶わない。だからこそ『ヒガン考』を手に入れたかったのに。
ランコは暗い室内を見渡した。
完全なる闇ではないが、光は硝子格子戸から差し込むはかない月明りだけだ。そのことは死せる者であるランコの視覚に支障はない。むしろ都合がいい。月光にまで弱いサキほどではないが、ランコやほかの死せる者も光に対する耐性は低い。
ふと、押入れの天袋が目についた。内装や家具は変わっているが、押入れと天袋は変わらずそこにあった。扉が合板のものに変わっているだけだ。遺族が処分しきれなかったものが天袋に残されているのではないか。そんな気がした。
まずは押入れを開けた。片側には寝具がしまわれていたが、もう片方は洋服箪笥として使われていた。中段に足をかけ、天袋の引手に触れた、その時。かちりと音がして光が溢れた。
突然の眩しさに足を滑らせ落下したが、片膝立ちで着地した。
次の間に少年が立っていた。右手の指が、まだ六畳間の入り口にある照明スイッチに残っている。
少年は寝巻姿だ。髪は濡れ、頬が上気している。首にはタオルをかけており、どうやら風呂上りのようだ。
明かりもなく人も不在だったから、てっきり普段は使われていないのかと思い込んでしまった。
無理もない、と自らに言い訳をする。生活感のない殺風景な部屋だし、第一、生ける者が暮らしている気配すらしなかった。
それでも実際に寛いだ様子で部屋に入ってくる者があるということは、現在、ここは少年の部屋で、たまたま入浴中でいなかっただけなのだ。
どうにも腑に落ちない気分で少年の様子を窺う。ランコの外見と同じくらいの年頃だろう。となると、中学生か。
少年が明かりのついた部屋に足を踏み入れた。と同時に、びくりと肩が跳ね上がった。目が合った気がした。しかし、少年はすぐに首にかけたタオルでごしごしと髪を吹き始めたため、顔が見えなくなった。
目が合ったように感じたのは気のせいだろう。見ず知らずの者が自室いると気づいたなら、のんびり髪を乾かしてなどいられないはずだ。
だとしても、長居は無用だ。とはいえ、出ていくには硝子格子戸を開けなければならず、そんなことをすれば、少年の目には戸が勝手に開閉しているように見えてしまう。どうしたものかと悩みかけ、少年にどのように見えようと不都合はないではないかと思い直した。
だが、その迷っていたわずかな間に、少年が硝子格子戸をカラカラと音を立てて開けた。換気のつもりなのか、しばし冷たい夜風を浴び、戸を開け放したまま部屋の奥へと戻っていく。
ランコは、折よく開かれた出口から、夜の中へと飛び出した。
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