地球を殺すと決めた、地球で恋に落ちた

松藤かるり

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 図書委員の仕事がはじまって一時間ほど。耀くんは図書室の隅で黙々と本を読んでいた。あまり小説は読まないらしく、手にとったのはスポーツに関する本だった。私がいる図書カウンターからはユニフォームを着た選手とサッカーボールの表紙がぼんやりと見えていた。あれはサッカーの本、なのかもしれない。最初はちらちらとこちらを見ていたのが今は読書に夢中だ。その姿が面白くて、頬を緩ませながら耀くんを観察する。

 今日は雨だからか図書室を利用する生徒は少なく、本の貸し出しもあまりなかった。カウンター内の整頓も早々に終わってしまってやることがない。あと一時間をどう過ごすか、今は図書室に耀くんと私しかいないし、気になる本を持ってきてカウンター内で読んでいても――そう考えて立ち上がった時だった。

 図書室の扉が開き、現れる生徒。その姿を確認しようと目で追うより早く、声がした。

「あれー、池田ちゃんがいる」

 陽気な声音からすぐに察した。芽室先輩だ。

「今日、当番だっけ?」
「いえ。当番の子が風邪で休んでいるので代わりに私が。芽室先輩は?」
「オレは忘れ物を取りにきてさー……カウンターの下にあるはずなんだけど、」

 言葉を交わしながら芽室先輩が図書室内を見渡す。カウンターそれから書棚、テーブル、そして。

「――っ、」

 遠くから聞こえたのは、がたんと椅子の揺れる音。芽室先輩は息を呑み、体を強張らせて、その方向を見つめていた。

 そこにいるのは、耀くんだった。芽室先輩の方を見て立ち上がり、あれほど夢中になって読んでいた本は虚しく伏せられている。

「……耀」

 芽室先輩の言葉は普段よりもひどく落ちついたトーンで、壊れそうなものに恐る恐る触れているようなものだった。
 けれどその名を呼ばれても耀くんは答えない。視線を外し、本とかばんを手にして歩き出す。

 つかつかと私たちのところまできて、そして――こちらを一瞥もせず、私に本を差し出した。

「悪い。先に帰る」
「え、こ、この本って……」
「戻しといて。俺、帰るから」

 芽室先輩がきたから急に態度を変えたのだとしたら。それはあまりにもひどすぎる。
 芽室先輩は耀くんのことを嫌ってなどいない。いじめられている現場を目撃すれば先生を呼びにいったりと、むしろ耀くんのことを心配しているのに。

「待って、耀」

 本を受け取れずにいる私の代わりに、芽室先輩がそれを掴む。その瞳はしっかりと耀くんに向けられていた。

「……あの、さ、オレ……その、」
「…………」

 引き止めたまではよかったものの次の言葉が出ない。口ごもる芽室先輩に対し、耀くんはうつむいたまま。そしてついに図書室を出て行った。

 言葉を交わしたくないとばかりに、ぴしりと冷たく扉の閉まる音がする。その音が静かな図書室に響いて、余韻も消えてしまってようやく芽室先輩が息を深く吐いた。

「……やっぱ、だめなんだな」

 カウンターに背を預けてずるずると座りこむ。その力ない姿には、芽室先輩の虚しさが表れているようだった。

「池田ちゃん、ごめんね。変なとこ見せちゃって」
「それは大丈夫です……けど、二人は仲がよかったんじゃ……」
「仲がよかったよ。それは本当だ。オレにとってあいつは一番の友達だった」

 だけど、と続けて芽室先輩は手で顔を覆う。泣いているのではなく、落ち込んでいる顔を私に見られたくなかったのかもしれない。

「オレと耀の二人でサッカーして、妹はそれを応援してて……小さい時から仲がよかった。オレはサッカー選手になりたいって夢があったけど、あいつは違ってて。お互い夢を叶えようなって約束もしてたのに」
「……夢、ですか?」
「耀は、消防士になりたかったんだ」

 糸が繋がる。耀くんが消防士になるという夢を持っていたのなら、そのはじまりはもしかすると父親、なのだろうか。

「妹も耀の大事なものもいなくなってしまったから、せめて耀の夢ぐらいは守りたかったのに。これじゃ何もできてない」
「……芽室先輩、」
「あいつがいじめられてても助けることもできない。あいつに話しかけることすらうまくできない。オレ、あいつの友達だったのに、何でこんな……」

 そこで芽室先輩は顔をあげた。泣いているわけではないし瞳は潤んでもいないのに、どうしてか芽室先輩が泣いている気がした。たぶん、心が泣いている。その顔にずきりと胸が苦しくなる。

「聞いたことあるかもしれないけど、オレに妹がいるんだ」
「貴音さん、ですよね。図書カードを見つけたことがあります」
「……本当は片付けなきゃいけないんだけど、ごめんね、まだ捨てられない……」

 あの図書カードは芽室先輩が残していたものだったのか、と合点がいく。一年のボックスに入れたままだったのはそこで貴音さんの時間が止まっていたからなのだろう。

「兄貴のオレが言うのもあれだけど貴音は可愛くって、相手がどんな生徒でも物怖じせずに話しかける子だったから、クラスの人気者だったんだ。でも色々あって、去年の十月に死んでしまったんだ」

 上級生たちのことを思いだす。『芽室の代わりにお前が死ねばよかったのに』と言わせるほどだ、素行のよろしくない不良生徒たちも彼女を慕っていたのかもしれない。たとえ不良生徒だとしても臆さずに声をかけるような子。会ったことはないけれど、勇気のある人だと思った。

「クラスのみんなは貴音が死んだことが悲しくて、その責任を耀に押し付けてる。耀は何も悪くない。むしろ耀だって大切なものを失っているのに」

 これがいじめの理由だとするのなら、耀くんは何も悪くない。私は立ち上がって叫んでいた。

「そんなの、ひどすぎます!」

 その声は人気のない図書室に響く。外の雨音さえ聞こえなくなるぐらいに。

「私は、二人に何があったのかもよく知らないけど。でもだからって耀くんがいじめられていいはずがない! こんなの、いじめの理由にならない!」

 芽室先輩は私を見上げて、それから笑った。

「池田ちゃん、すごいや。はっきり言うんだね」
「……す、すみません。つい熱くなってしまって」
「ううん。すごいよ。池田ちゃんのそういうところ、尊敬してる」

 その表情から悲しみは消えていた。芽室先輩も立ち上がり、それから私の肩を叩く。

「図書当番変わるよ。だから池田ちゃん……耀のこと、頼んでもいい?」
「私よりも芽室先輩から耀くんと話した方がいいと思います」
「オレ、あいつにどんな顔をして声をかければいいのかわからない。もう仲良くなるなんて難しいんだ。だから、池田ちゃんにしか頼めない」

 託されても、私に何ができるのかわからない。部外者の私が耀くんの隣にいたところで、抱えている痛みをわけてもらえることすらできないのだろう。

 けれど。頷いていた。芽室先輩と同じように、私も耀くんを守りたいから。
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