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リア充48

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 小梅が「チクショー」と叫ぶゼミ室。

 電話を終えてゼミ室に戻って来ても、柏木は、薫の言葉に口元が緩むのを止められない。突然、モドキから電話してやれと連絡が入って、合言葉を教えられたが、こんなに可愛いらしい薫のリアクションをもらえて、モドキに感謝しかない。

「リア充だ」

 ゼミ生の一人。西島さつきが、そう言って柏木を睨む。
データをまとめる作業が遅れている。ほんわかした柏木の雰囲気は、普段は癒しでも、今は他人の幸せ全てを呪いたい程度に心は殺伐として、迫りくる国家試験の恐怖でイラついている。

「ごめんなさい。頑張りますから。勘弁ください」

 柏木は、パソコンに向き合い直して、作業を進める。
 動画を確認して、必要な箇所を切り取る。その日の天候、気温、動画に映っている個体の識別。行動の分析、採取した糞の分析結果……。

 やることは山積み。この時期のまだこんなことをしていて大丈夫なのかと心配になるレベル。

「柏木君の彼女、年上でしょ?」
鴨川ひかりが、作業しながら話し掛けてくる。

「ええ。もう社会人です」
柏木はひかりに手を止めずに答える。

「大丈夫なのか? こんなほとんど会えないような付き合い方していて」

 そう聞くのは、最近別学部の彼女にフラれたばかりの綾瀬卓也。こんな課題ばかりで会えないのはおかしい。きっと浮気している。なんて一方的に責められて、別れを告げられてしまった。

「どうでしょう。ヤバイかもしれません。僕なりに努力はしていますが、それが伝わっているかどうか。……足りないでしょうかね?」

 足りないとしても、どうしようもない。この一年は、勝負所だ。今後の人生にも関わるし、もし失敗すれば、もっと長い時間、本田薫に待ってもらわなければならない。

「いくつ?」
西島が、ぶしつけに聞いてくる。

 答えて良いものかと一瞬迷うが、薫と会う時間を作るために、フィールドワークのシフトを調整してもらったりと、協力してくれている仲間だ。

「二十九歳とおっしゃっていました。」
柏木は、正直に答えた。

「「二十九歳」」
綾瀬と鴨川の声が合わさる。

「え、駄目でしょ。こんな……」
綾瀬が絶句している。

「何がですか?」

 柏木には、心底分からない。
 二十九歳だと、何がどう駄目なのだろう? 何か他の年齢と違うのだろうか?

「だって、次の誕生日には、三十でしょ??」

「そうだ。こんな汚いゼミ室で収入もなくフラフラしている奴。お父さんは許さん」
綾瀬と鴨川が、口々に柏木に抗議する。

 あ……。なるほど。節目の年の薫に、こんな先も分からない人間が付き合っては駄目なのではないかと言いたいのだろう。

 昨今の流れでは、それほど三十歳なんて、大きな節目にならないはずなのだが、本田薫自身にどう考えているかを聞いた事はないし、聞けるはずもない。

「でも、どうしようもありませんし」

 これから、院試を受けて、国家試験を受けて。柏木に収入という物が出来る日は、まだまだ遠い。

 前向きに考えたいし、将来的には、薫さんと///なんて、事を妄想してはいるが、こんな自分が、薫にそういう話をするのは、薫に失礼なのではないだろうか?
 ついそう思ってしまう。

 もし、薫の前に、もっと自分よりもしっかりした男が現れたら、自分は、我慢してひくべきなのだろうか?
 でも、どんな相手なら、堪えることができるだろう?
 しっかり安定した職についていて、優しくて、誠実で……。見たこともない架空の相手に嫉妬してしまいそうだ。

「プロポーズしかないな」

 西島が、全くパソコンから目を挙げることもなく言い切る。
 一瞬静まり返った部屋に、

「チクショー」
という小梅の絶叫が響き渡る。

「ぷ?」
えっと何だって?

「婚約だよ。柏木君」

 エンターキーをバンと勢いよく押しながら、西島が言う。

「あ~、おめでとう」

「良かった。良かった。これで解決だ」

 綾瀬と鴨川が、西島に賛同する。
 皆、手は高速でキーボードを打ちながら、無表情。徹夜続きで頭がおかしくなっているのかもしれない。
 待て、鴨川。お父さんは許さん、とか言っていなかったか?
 てか、二浪の柏木だ。この部屋のゼミ生は、皆年下。

 なんで、僕はこうも弄ばれるのだろう。

「そんなの、こんな状況で考えられませんから」

 からかって遊ぶ友人達に、否定はなんとか返したが、聞いてくれているかは、定かではなかった。

 皆の夕食を買い出しに行っていた小松伸之が買い物袋を提げてゼミ室に戻った時、柏木はいつもの彼女にもらったのだという毛布を頭にかぶってカオナシのようになって作業を続けているし、他のメンバーは、それを全く気にしないで作業をしていた。

「あれ、どうしたの? なんかあった?」
小松が聞いても、誰も何も答えない。

ただ、小梅だけが時々「チクショー」と絶叫していた。
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