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3章 罪

罪と言う枷 それでも天秤は揺るがない

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 「ハァ‥‥‥ハァ‥‥‥‥」

 ボトリ。
 俺が切り落としたアルゴスの腕が地面に落ちる音がする。
 何故か異様に喉が渇く。
 
 「やった‥‥‥‥俺がファナエルを守ったんだ‥‥‥ハハ」

 俺は自分の大好きな人を守った。
 世界に喧嘩を売って、神と呼ばれる存在との戦いに勝った。

 嬉しい。
 またファナエルの笑顔が見れる。
 また彼女と一緒にいられる。

 「ハハ‥‥‥‥オェ」

 こんなに嬉しい気持ちでいっぱいなはずなのに……どうして俺は形容しがたい不安を抱えているんだ?

 「ボーッとしていて良いのですか?私を殺すせっかくのチャンスですよ」

 不意に声をかけられて後ろを振り返る。
 俺の触手に抑えられていたアルゴスは苦しそうながらも冷静に努めた顔を作り上げている。

 『ファナエル・ユピテルを守っているあの光の結界は外の情報をシャットアウトしているようですね。まぁ死ぬ前に今の私が出来る事をしましょうか』

 「その状況じゃロクに体も動かせないだろ。これ以上何をする気だ」
 「さぁ‥‥‥もうすでに桜薬市の人間全員から貴方に関する記憶を消去済みですし。私に出来る事はもはやありませんよ」

 さっきの戦いで疲弊したせいで体も脳も上手く働いてくれない。
 でも明確に脳が訴えかけている事こが一つ‥‥‥こいつは生きている限りファナエルをずっと追いかけ回すってことだ。

 俺がファナエルを助けるのなら、ここでこいつを殺さないといけないんだ。

 ノイズに飲まれたチェレクスを振り上げる。
 今からこいつを振り落とせば‥‥‥‥全部終わってー

 「そんなに震えた手で斧を持っていては危険ですよ」
 「‥‥‥‥何を、余計なお世話だ!」

 思わず声を荒らげてしまう。
 彼女の放つ言葉を聞いては駄目だと、その言葉で何かを自覚したら終わりだと、俺の心が警鐘を鳴らしている。

 「さっきは意気揚々と宣言していましたけど、実際どうですか?想像以上に苦しく辛いものでしょう?恋人の為に何かを殺した罪を背負うと言うのは」

 チェレクスを持っていた両腕の力がさっきとは比べ物にならないほどに震え始める。
 彼女の言葉を聞いた俺の脳は今更にもなって気づいてしまったのだろう。
 今俺がしている事の本質はただの殺人と何も変わらなくて、人間の理性は普通それを受け入れられないって事に。

 「今までまで貴方が自分の意志と人間社会的な倫理観の不和を感じなかったのは貴方と殺し合いをしていた私が神と言う超常的な存在だったから。神を殺して恋人を助けたいと言う意志が今になって少し揺らいでいるのは自分が神を殺すという非現実的だった状況が現実味を帯びてしまったから‥‥‥そうではありませんか?」

 「‥‥‥‥‥」

 「浮気相手を殺す、恋人を虐待していた人間を殺す、恋人の罪を隠蔽するために目撃者を殺す、人質に取られた恋人を守るために見知らぬ誰かを殺す。愛ゆえに殺しの罪を人間が背負うことは特段珍しい事でもありません。しかしながらそういう人間の末路は決まって破滅。今貴方が感じているよりももっと苦しい罪悪感に飲まれて壊れてしまいますからね」

 「‥‥‥‥‥ッ」

 呼吸が乱れる。
 少しでも油断していると息の吸い方すら忘れてしまいそうだ。
 体は嘘みたいに冷たくなって、肌の上を滑る大量の汗が氷のように感じられた。

 「貴方はまだ引き返せますよ。ここでファナエル・ユピテルを諦めて私を開放すれば貴方の罪は『遠い昔に神に怪我を負わせた』なんてリアリティの無いものになって罪悪感も薄くなっていきます」

 「ハァ‥‥‥‥ハァ‥‥‥ッ、そんな口車に乗るわけ無いだろ」

 「別に、貴方と彼女の関係がここで終わったって痛手にはならないでしょう。人間は何度も何度も恋人と言う存在を作りますし、最終的なつがいを結婚と言う形で得ても浮気する生命体。こと恋人を作るという行動は何度失敗してもリカバリーが効くものです。しかしながら貴方が私に向かって斧を振り下ろすという行為は一度行ったら最後、もう取り返しはつかなくなりますよ」

 「神ともあろうものがこの期に及んで命乞いか?」

 「私はただ、種族を問わず幾万人の罪人と向き合ってきた神として自分のやるべきことをしているだけですよ。」

 彼女の心から聞こえてくる声は次から次へと罪を背負って壊れた人間の話を繰り返している。

 ここで諦める事が出来たのならこんな悲惨な結果にはならなかっただろう。
 ここで引き返せば貴方を支えてくれる別の人間が現れてくれたのに。

 丁寧なその口調は解説動画を流し聞きしているんじゃないかと錯覚するほどだった。
 そんな彼女の声につられて俺の脳内で一つの情景が浮かび上がっている。

 『まぁ秋にぃ、次があるよ次が。今度はもっと優しい女の子を探そう?』
 『ファナエルさんってそんなにヤバい人だったのか‥‥‥まっ、また彼女いない友人同士で仲良くやろうぜ』
 『お兄さんに宿ってしまった力の対処は私達シンガンに任せるのです。手厚くサポートするのですよ』
 『そう落ち込むなよ。ナンパのやり方ぐらい教えてやるから、次にトライしていけ』

 それは俺がファナエルを諦めた場合に訪れるであろう情景だった。
 心に重くのしかかる罪悪感もない、誰も俺を攻めることもない。
 その光景は全てが暖かく包み込まれていて‥‥‥‥ただただ空虚だった。

 「‥‥‥‥っ」
 「それだけ災厄としての力を得たとしても、体が堕天使になったとしても、貴方の心は所詮普通の人間。大罪人の堕天使と一生を添い遂げるための精神力なんてなくて当たり前なんでー」
 「違う!!!」

 耐えきれずに叫びながら振り下ろした斧はアルゴスの左腕を切り飛ばした。
 腕と体が離れていく光景が脳に焼き付いて今にも心は発狂してしまいそうだ。
 
 ああそうさ、確かに俺はアルゴスを殺す事に対する恐怖を抱いている。
 ずっと法を侵さずに生きてきて、ニュースで映る殺人犯に『何を考えてるんだ』と罵声を放っていた頃の自分が警鐘を鳴らしている。

 それでも‥‥‥俺の隣にファナエルのいない生活はそれ以上に耐えられなかった。

 彼女と付き合うことがなければ、妹に引っ張っられながら外見を磨くことなんか無かった。
 今まで適当にこなしていた宿題も、彼女と通話しながらするだけで楽しかった。
 ファナエルの過去を聞いてからは、少しでも彼女の寂しさを埋めれるようにってずっと考えていた。

 ファナエルという存在が俺の人生に起こした革命はあまりにも強すぎた。
 現代人が電気なしの生活に戻れないように、俺もすでにファナエルがそばに居ない生活には戻れない。

 震える手に力を入れ直す。
 チェレクスを頭上へと大きく上げ、スゥッと息を吸った。

 「‥‥‥‥アンタのお陰で決心がついたよ」
 「罪を背負うことの重さと苦しさを理解した上で、それでも彼女を選ぶのですね。なるほど、このザマは貴方が秘めていた愛の強さと大きさに気づけなかった私の落ち度ですか。長いこと神をしているはずなのに、最後にとんだヘマをしたものです」

 アルゴスはそう言って自嘲気味に笑った。
 そんな彼女の姿が死ぬ間際に辛い本音を漏らしてしまった人間の様に見えてしまって仕方がない。
 ジクリ、ジクリと罪悪感が刺激され、俺の体がどんどんと重くなる。

 「‥‥‥‥最後に言い残す事はあるか?」

 その罪悪感を少しでも軽くしようと思ってそんなセリフを吐き出した。

 「それでは二つだけ」

 アルゴスはそう言うと、俺の背中から生えている触手と血のたれている光輪を見つめて口を開いた。
 
 「まず1つ。貴方が感じているその罪悪感を貴方のノイズで消してはいけませんよ。それは貴方のファナエル・ユピテルへの愛情が世界の倫理観に屈した事の証明になりますから」

 「そして2つ目」と言って彼女が視線を向けたのはファナエルが保護されている光のドームだ。

 「彼女は貴方と違って自分の罪の重さを自覚できない存在です。彼女の過去にある悲しい記憶が倫理観を壊し、自分の罪を正義に変えてしまう、わりとタチが悪いタイプですから。貴方が彼女の為に背負った罪の重さもその覚悟も、彼女は一生理解出来ませんよ」

 「それでいいさ。こんな思いをするのは俺一人で十分だ」
 
 バクバクと鳴る心臓を落ち着かせるために大きく大きく呼吸をする。
 今度は外さない。
 
 「それじゃぁ、サヨナラだ」
 「ええ。あなた達二人の罪人にどんな罰が下るのか、冥府の世界から監視し続けています」

 グシャリ。
 ベドリ。
 デロリ。
 ゴキリ。

 俺の精神をグズグズにする音が聞こえる。
 俺の倫理観をデロデロに溶かす音が聞こえる。

 ズズ、ズズ。
 ガギャギャ。
 ズシャー。

 今までに感じたことも無いような疲労感が俺を襲う。
 脳の思考回路が焼き切れたみたいにもう何も考えられない。

 「アキラ」

 背中から俺の名前を呼ぶ声がする。
 くるりと後ろを振り返った先。
 そこにいたのはー

 「もう全部終わったよ。これであの鳥頭の化け物に怯えることも無い」

 俺が守った銀髪緑目の美少女だった。
 
 「うん。アキラの光のお陰で私何も怖くなかったよ」
 
 彼女はトトトトと足音を鳴らしてこちらに走ってくる。
 いい匂いがする彼女の体が俺の体をそっと抱きしめた。

 「もうこれでアルゴスから逃げることも、孤独な自分を想像して絶望する必要も無いんだね」
 「ああ。また天界からファナエルを狙うやつが来たら俺が追い払ってやるし、俺はずっとファナエルのそばにいるよ」

 ああ、本当に俺って奴は単純だな。
 さっきまであんなに思考が錯乱していたというのに、ファナエルに伝えたい言葉はこんなにもスラスラと出てくる。

 「私、アキラの彼女で良かった」

 そう言って彼女は俺の唇にキスをする。

 『大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き』

 それは彼女の心を表すような長い長いキスだった。

 未だに罪の意識は消えない。
 手の震えは止まっていない。

 それでも目の前の彼女を見るたびに自分の中にあるどうしようもない彼女への恋心を自覚して、俺は自分の罪を心の中でそっと肯定してしまった。

 もう昔の生活には戻れない。
 
 始とくだらない話をすることももうないだろう。
 お前、良い奴なんだからちゃんと幸せになれよ。

 斬琉きるにからかわれる事も無くなるだろう。
 結局お前の秘密は分からないことだらけだったけど、まぁ楽しく過ごして欲しい。

 プハァと音を立ててファナエルの唇が離れる。
 まじかで見た彼女の顔は今までに見た事がないほどにとろけていた。

 衝動に駆られたように俺の触手は彼女を優しく包む。
 神を殺した汚れた手で彼女を抱き寄せる。

 「ああ、俺も大好きだ」

 気づけば俺は自分から彼女の唇を奪っていた。
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