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12.カイル・ロカーシュの受難②

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「あの強靭さと魔力量を思えば、彼女はやはり竜種ではないかと思うんだが」
「ブレスは? 吐いたところを見ましたか?」
「人型を取っている間は、ブレスは吐かないのでは?」
「いえ、人型でも、上位種の竜人ならばブレスを吐けるらしいという情報がありまして」
「そうなのか……思えば、炎を放つ前に口元に手を当てる動作をしていたな」

 会話は、アルジェインの正体についての話題に移っていた。

 王子と魔術師は、当たり前のような顔をして「竜」だの「ブレス」だのと語り合っている。

(竜?)

 カイルは首を傾げた。

「それって、子供向けのおとぎ話じゃないんですかね?」

 大きな声で言ったつもりはなかった。そもそも、今の今までカイルは完全に置いてけぼりになっていたのだ。本人も、二人の会話に割り込むつもりはなかった。だから、これはただの独り言だ。

 独り言だったのに、二人は黙り込んで、じっとカイルの方を見た。

「…………」
「な、何ですか。一体」
「……あなたは」

 口を開いたのは王宮魔術師だった。

 心なしか、目がきらきらと輝いている気がする。

「竜について、まるでご存知ないのですか?」
「いや、その……つまり、でっかい爬虫類みたいなやつでしょう。宝を溜め込んだりお姫様を攫ったり、それで勇者に退治されたりするような……子供向け絵本に出てくる……」
「ほう。これはこれは……」

 ずいっと、バルサムが近付いてきた。

 バルサムは痩せた男だ。だが上背はあり、近付かれると威圧感がある。大きな骸骨に詰め寄られたかのような感覚だ。何もされないと分かっていても、背筋に冷たいものが走る。

 切れ長の、濃い隈のある目で、舐めるように見つめ回される。新しい実験道具か、これから解剖しようとする獲物を見るような目だ、とカイルは思った。

「無知ですね、あなた?」

(……嬉しそうだな、この人)

「……お、俺は別に……ただの兵ですし」
「どうぞご謙遜なさらず! スッカスカの無知というのは羨ましい、さぞかし頭が軽くて歩きやすいことでしょう。実際に知識を詰め込んだら、どこまで重くなるのでしょうか……是非、実験してみたい……穴の空いたチーズのような脳に、どれだけ記憶させられるか……あぁ、これは心が踊りますねぇ!」
「…………」

 駄目だ、意味が不明だ。カイルは途方に暮れて、フィオルゼルの方を見た。フィオルゼルは何か考え深げな顔をして、相変わらず額に貼り付いている前髪をいじっていたが、カイルの視線に気が付くと言った。

「頑張ってくれ、カイル」
「…………」

「…………」

「…………」

(………いや、何を?!)


「何を頑張ればいいんですか?!」

 カイルが悲鳴のような声を上げたのも、いたしかたない。

 何もかもが理解できないが、魔術師の玩具にされそうな予兆だけは感じ取ったのだ。こわい。

「カイル……。バルサムは、無知な人間に大量の知識を詰め込むのが大好きなんだ。大量の、だよ。しかも最短で、効率のいいやり方を試行錯誤したがる。今にも崩れそうな橋の上で学習すれば能率が上がるかとか、眠っている間に繰り返し同じ文言を聞かせれば暗記するかとか、そういうことばかり考えている」
「き、危険な橋……?」

 フィオルゼルの解説を受けて、カイルは恐る恐る魔術師の方を見た。

 バルサムは不吉な骸骨のように微笑んだ。

「棘だらけの床とか、ぐらぐらした飛び石が並ぶ池とか、この辺りにはありませんかね、殿下?」
「私の知る限り、この辺りに最新の拷問施設は無いようだね」

 フィオルゼルの声は淡々としている。

 まさか、この王子様も同じ拷問を受けたのか?

 カイルが衝撃を受けた顔をしていると、フィオルゼルは苦笑いした。

「最短で覚え切れば大丈夫だ。ただ、抜き打ちテストもあるから気を抜かないようにね」
「大丈夫? 大丈夫とは……」

 もちろん、全く大丈夫ではなかった。







「人代の記録が始まって以来、人前に姿を現した竜の数は?」
「十三頭!」
「竜人についての記載が、初めて公式文書上に表れたのは?」
「王国暦258年、イスカリア文書!」
「現在推測されている竜の巣の位置は?」
「バーサルド海域の北、九千メートル上空と推測されます、サー!」
「竜人の言語は?」
「パスキア古代語、しかし人界に現れた竜人は皆大陸共通語を流暢に操っていたとの記録があります、サー!」

「……凄いね、バルサム。よくぞここまでカイルを調教……いや洗脳……いや、こほん、教育したね」

 文机の上に屈み込んで、何かを一心不乱に書き綴っていたフィオルゼルは、手を止めて感心したように言った。

 バルサムが微笑む。彼の場合、青白い吸血鬼が啜ったばかりの血を堪能して唇を歪ませているようにしか見えなかったが、それでも笑いは笑いである。

 カイルは笑わなかった。気のいいお兄さんみたい、と近所の子どもたちに好評だった、快活で磊落らいらくな笑みは微塵の面影もなく消え去っている。残ったのは表情など無い、たぶん感情も無い、正解だけを繰り出す機械のような人間だけである。生き残るためにはどうしても必要だったのだ……そうすることが……

「やはり、人間、死の危険を目の当たりにしているときの方が、物覚えが良いようですねぇ」

 バルサムは満足げだ。

「……そうか」

 少し間を置いて、フィオルゼルは相槌を打った。

 自分の見ていないところで、乳兄弟がどんな目に遭ったかは想像するまい、とフィオルゼルは思った。薄情なようだが、案じたところで仕方がない。もはや彼の力の及ぶところではないのだ。

 面と向かって力ある者に立ち向かうのは彼のやり方ではないし、そうするだけの力は彼には無い。出来ることといえば、王都の出版社に話を通して、王宮魔術師バルサムによる教育論の本を出版差し止めにすることぐらいだろう。もともと、内容が刺激的すぎて物議を醸し、世間の一般常識を破壊するとして半分以上が黒塗りにされているブツである。差し止めは常識的な判断で間違いないね、と、フィオルゼルは軽く現実逃避しながら考えた。
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