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2.魔術師の巣
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「バルサム! いるかい?」
第五王子の元を退出したフィオルゼルは、急ぎ足で王宮の地下へ降りた。
王宮は何度も増改築を繰り返しているので、過去の建築をそのまま取り込んで「旧王宮」と呼ばれる区域が存在する。繋ぎ合わせられた壁の煉瓦の色がより深く、緻密になる辺りがそれだ。摩耗した石床から擦れて毀れた石粉がそのまま、掃き清められることもなく放置されて、大股に歩むフィオルゼルの靴底で軋んだ音を立てる。
しかし、実は、旧王宮を建てた棟梁たちは、今よりもよっぽど優れた建築技術を持っていたらしい。多少の地震ではびくともしない。雨漏りもせず、数百年の歳月をひっそりと耐えている。
その地下に、かつて水道橋の入り口として造られた丸穴があり、その奥の空間を部屋として改造して、王宮魔術師バルサムが棲み着いていた。生活するのに良い環境、とはとても言えないが、魔術師心をくすぐる何かがあるのだろう。それとも、地下深くに封じられたとはいえ、未だに地中を流れ続けているという水に、こっそり怪しい実験結果を流してでもいるのかもしれない。
(彼に用事があるたびに、私が使い走りをさせられて面倒なんだが……)
それでも、気まぐれな魔術師とそれなりにお近付きになれたのだ。有り難いことだ、と言っておくべきかもしれない。
王宮魔術師だというのに、気に入らない使者であれば固く扉を閉ざして開かないバルサムだが、フィオルゼルが来たときは大抵開いている。今も、扉の前に怪しすぎる道具一式を持ち出して、もうもうと煙を立てながら何かを網で焼いていた。
これが普通の中年男であったら、イワシか、イカか、それとも鹿肉と茸でも網焼きしているのか? と思うところだが、残念ながらバルサムは普通の中年男ではない。
(そもそも、王宮内で何かを網焼きする時点で駄目だが)
誰かが告げ口すれば、王宮警吏が飛んでくるだろう。それで、王宮魔術師がとっ捕まるかというと、そんなことにはならないだろうが……そんなことをぼんやりと考えながら、フィオルゼルは網の前に近付いた。
「……何だ、これ」
エメラルドグリーンの色をした何かだ。何? 生き物? 固形物? 妙にぬめっとした艶があり、ぴくりとも動かず、形は巻いていたり直線状だったりそれぞれだ。
何だかさっぱり分からない。
フィオルゼルが眉間に皺を寄せて考え込んでいると、バルサムがこちらを向いた。
普段は目深にフードを被って、人の視線を避けているバルサムだが、フィオルゼル相手には遠慮を感じないらしく、今はその顔をあらわにしている。その顔がまた、奇妙に苛立たしいことに、美しいのだ。年齢からすればもう三十の後半、中年と言ってよく、不摂生ゆえ目の周りに浮腫と皺が出来ているが、それでも骨ばった顔には彫刻のように先鋭的な美が宿っている。黒い睫毛もやけに長い。完全に宝の持ち腐れだが。
「おやおや王子様、いらしていたのですねぇ」
「……うん」
とっくに気付いていただろうが! とは、思っているが言わない。
「何を焼いているんだい?」
「お恥ずかしい。失敗作ゆえ、あまり見ないでいただけますかな」
「失敗作……」
何の失敗作なのか、逆に言えば何だったら成功作なのかな? さっぱり分からないが、これ以上追及しても無意味だと判断した。
フィオルゼルは網の上から視線を引き剥がして、背中を丸めた魔術師に向かい合った。
この魔術師相手に、言葉を飾る必要はない。むしろ、だらだらと貴族めいた修飾語を垂れ流す人間の方が嫌われるだろう。
「魔王が復活した、と第五王子が仰っている。本当なのかい?」
「おやおや、それはまあ……」
バルサムは左右の肩を揺らした。もしかしたら、笑ったのかもしれない。
「強大な魔、という意味ではそうかもしれませんが。西の果てオリグヴィルの洞窟に、人型を取る強力なモノが現れた、と魔術師たちの間で評判になっております。ですが、まだ魔物の一大軍勢を率いるまでにはなっていませんので、魔王、というには少々物足りないかもしれませんねぇ」
「今すぐこちらに攻め入って来る予兆はないと?」
「むしろ、何かを待っているような雰囲気だそうですよ」
「……」
待っている? 何を?
少なくとも、第五王子の仕込みだという線はなさそうだ。もともと、それほど大掛かりな陰謀を巡らすだけの資力はないだろう、というのがフィオルゼルの見立てだったが。
「聖女を中心として、魔王撃退のために組まれるパーティに同行せよと命じられたんだ」
「おやおや、それはそれはお気の毒なことで」
バルサムは眉を下げて、本当に気の毒そうな顔をしていた。
ということは、この魔術師から見ても、これは無謀な賭けだということだろう。
「……ポーションと魔道具をありったけ買いたい。私の個人資産の許す限りで」
「そうですねぇ、あった方がいいでしょうね」
「あの聖女の力を無理矢理目覚めさせるような薬はないのか?」
「ありませんが、伝承を読み解く限り、一つだけ。聖女の神聖魔法は、『愛』によって強化されるそうです」
「『愛』か……」
「『愛』です」
「そうか……」
終わったな。
フィオルゼルは真剣にそう思った。
第五王子の元を退出したフィオルゼルは、急ぎ足で王宮の地下へ降りた。
王宮は何度も増改築を繰り返しているので、過去の建築をそのまま取り込んで「旧王宮」と呼ばれる区域が存在する。繋ぎ合わせられた壁の煉瓦の色がより深く、緻密になる辺りがそれだ。摩耗した石床から擦れて毀れた石粉がそのまま、掃き清められることもなく放置されて、大股に歩むフィオルゼルの靴底で軋んだ音を立てる。
しかし、実は、旧王宮を建てた棟梁たちは、今よりもよっぽど優れた建築技術を持っていたらしい。多少の地震ではびくともしない。雨漏りもせず、数百年の歳月をひっそりと耐えている。
その地下に、かつて水道橋の入り口として造られた丸穴があり、その奥の空間を部屋として改造して、王宮魔術師バルサムが棲み着いていた。生活するのに良い環境、とはとても言えないが、魔術師心をくすぐる何かがあるのだろう。それとも、地下深くに封じられたとはいえ、未だに地中を流れ続けているという水に、こっそり怪しい実験結果を流してでもいるのかもしれない。
(彼に用事があるたびに、私が使い走りをさせられて面倒なんだが……)
それでも、気まぐれな魔術師とそれなりにお近付きになれたのだ。有り難いことだ、と言っておくべきかもしれない。
王宮魔術師だというのに、気に入らない使者であれば固く扉を閉ざして開かないバルサムだが、フィオルゼルが来たときは大抵開いている。今も、扉の前に怪しすぎる道具一式を持ち出して、もうもうと煙を立てながら何かを網で焼いていた。
これが普通の中年男であったら、イワシか、イカか、それとも鹿肉と茸でも網焼きしているのか? と思うところだが、残念ながらバルサムは普通の中年男ではない。
(そもそも、王宮内で何かを網焼きする時点で駄目だが)
誰かが告げ口すれば、王宮警吏が飛んでくるだろう。それで、王宮魔術師がとっ捕まるかというと、そんなことにはならないだろうが……そんなことをぼんやりと考えながら、フィオルゼルは網の前に近付いた。
「……何だ、これ」
エメラルドグリーンの色をした何かだ。何? 生き物? 固形物? 妙にぬめっとした艶があり、ぴくりとも動かず、形は巻いていたり直線状だったりそれぞれだ。
何だかさっぱり分からない。
フィオルゼルが眉間に皺を寄せて考え込んでいると、バルサムがこちらを向いた。
普段は目深にフードを被って、人の視線を避けているバルサムだが、フィオルゼル相手には遠慮を感じないらしく、今はその顔をあらわにしている。その顔がまた、奇妙に苛立たしいことに、美しいのだ。年齢からすればもう三十の後半、中年と言ってよく、不摂生ゆえ目の周りに浮腫と皺が出来ているが、それでも骨ばった顔には彫刻のように先鋭的な美が宿っている。黒い睫毛もやけに長い。完全に宝の持ち腐れだが。
「おやおや王子様、いらしていたのですねぇ」
「……うん」
とっくに気付いていただろうが! とは、思っているが言わない。
「何を焼いているんだい?」
「お恥ずかしい。失敗作ゆえ、あまり見ないでいただけますかな」
「失敗作……」
何の失敗作なのか、逆に言えば何だったら成功作なのかな? さっぱり分からないが、これ以上追及しても無意味だと判断した。
フィオルゼルは網の上から視線を引き剥がして、背中を丸めた魔術師に向かい合った。
この魔術師相手に、言葉を飾る必要はない。むしろ、だらだらと貴族めいた修飾語を垂れ流す人間の方が嫌われるだろう。
「魔王が復活した、と第五王子が仰っている。本当なのかい?」
「おやおや、それはまあ……」
バルサムは左右の肩を揺らした。もしかしたら、笑ったのかもしれない。
「強大な魔、という意味ではそうかもしれませんが。西の果てオリグヴィルの洞窟に、人型を取る強力なモノが現れた、と魔術師たちの間で評判になっております。ですが、まだ魔物の一大軍勢を率いるまでにはなっていませんので、魔王、というには少々物足りないかもしれませんねぇ」
「今すぐこちらに攻め入って来る予兆はないと?」
「むしろ、何かを待っているような雰囲気だそうですよ」
「……」
待っている? 何を?
少なくとも、第五王子の仕込みだという線はなさそうだ。もともと、それほど大掛かりな陰謀を巡らすだけの資力はないだろう、というのがフィオルゼルの見立てだったが。
「聖女を中心として、魔王撃退のために組まれるパーティに同行せよと命じられたんだ」
「おやおや、それはそれはお気の毒なことで」
バルサムは眉を下げて、本当に気の毒そうな顔をしていた。
ということは、この魔術師から見ても、これは無謀な賭けだということだろう。
「……ポーションと魔道具をありったけ買いたい。私の個人資産の許す限りで」
「そうですねぇ、あった方がいいでしょうね」
「あの聖女の力を無理矢理目覚めさせるような薬はないのか?」
「ありませんが、伝承を読み解く限り、一つだけ。聖女の神聖魔法は、『愛』によって強化されるそうです」
「『愛』か……」
「『愛』です」
「そうか……」
終わったな。
フィオルゼルは真剣にそう思った。
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