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1.始まりは聖女だった
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事の起こりは、異世界からやって来た聖女だった。
「……私に、聖女様の取り巻きになれと?」
取り巻きなどと、いかにも世俗めいた言い方だ。俗に染まらぬ(はずの)聖女様には、全く相応しくない言葉だと思ったのだが。
フィオルゼルは若干の鬱憤が溜まっていたので、その不満をうっすらと声音に乗せずにはいられなかった。といっても、ほとんど人には気付かれぬ程度だ。その整った象牙色の顔はぴくりとも動かず、いつもどおり、穏やかな気性の王子らしい静謐な表情を湛えている。
鮮やかなエメラルドの瞳で、フィオルゼルは対面に座る人物を見つめた。フィオルゼルより五歳程度の年長者で、行儀悪く脚を大きく開いて投げ出し、品のない緩んだ薄笑いを浮かべた男だ。髪の色と目の色はフィオルゼルとよく似ている。明るい金糸の髪、エメラルドの瞳。よく見れば、顔もところどころ似通ったところがある。表情と態度はまるで真逆ゆえ、それ以上の相似点は見いだせないのだが。
(異母兄だからね……)
他人より遠く感じられる異母兄だ。
血が繋がっている兄弟として扱われることはまずない。
「なんだ、不満か? 伝説の聖女様の傍に侍ることができるんだぞ、涙にむせんで喜んだらどうだ」
異母兄は、なにより人の気持ちを逆撫ですることに喜びを見出す男だ。
フィオルゼルが不満をあらわにすればするほど、機嫌が良くなる。しかしあいにくと、フィオルゼルはろくな扱いを受けないことに慣れているので、微かに眉を顰めただけで、生真面目な態度を崩さなかった。
「私が世話係として適任であるとは思えません」
「適任だろう。お前は何でもこなすからな。そうだろう、『下働き王子』?」
(それは事実だけどね。流石に男娼まがいのことをしたことはないんだが)
「下働き王子」とは、王子であるのに日々せっせと勤労に励んでいるフィオルゼルに対し、口さがない連中がヒソヒソと囁いている呼び名だ。
だが、フィオルゼルが伝え聞く限り、「聖女様」が望んでいるのは気の利く世話係などではない。現に、優秀な侍女や女官たちを次々と首にして、若い護衛兵士ばかりを身の回りに置いているのだ。
身持ちの堅さを重要視する貴族の令嬢ではとても考えられないことで、流石は聖女様、超越した価値観を持っていらっしゃる──とは、いかに温和なフィオルゼルでも思わない。
(次は「王子」と名の付く玩具を欲しがられたと。確かに、王子など掃いて捨てるほど居るからな)
王子は掃いて捨てるほど居ない。
それが普通の感覚である。
だが、この国には居るのである。
フィオルゼルは第十八王子。現在生存している王子の数は二十九人で、王女の数はおよそその倍。公式に認められた王の妾妃は二十人で、一度手を付けられただけの女性や、非公式の愛人はこの中に含まれない。
王位継承権を与えられているのは第三王子までで、目の前にいる異母兄は第五王子ゆえ継承権がない。だが、それを狙える立場にある──と思い込んでいるのは本人とその周辺の連中ばかりで、巻き込まれているフィオルゼルにとっては迷惑きわまりない話だ。
(第十王子までは、皆、野心満々で権勢欲の塊ばかりだ)
それ以下の王子たちは、身を低くして静かに、おとなしく過ごす──内心はどうであれ。実際に低く見積もられているので、王族として支度金が貰えるわけでもなく、公式の場で王子らしく扱われることもない。母親の身分が高ければ、さっさと王宮から離脱して、王の血が混じっていることを少しばかりの誇りに、一貴族として生きていった方がましな位だ。
だが、フィオルゼルの母はもういない。彼が十になる頃までは頑張って生きていたが、元々身体の弱い佳人だったためか、すうっと、影が薄くなるようにこの世から去っていった。残されたフィオルゼルは、他に行き場もなく、この王宮の中で今日も右から左に忙しく立ち働いていた、のだが。
「……それで、聖女様が満足なさるでしょうか」
胡乱な感情が目の色に表れかけたところで、フィオルゼルは少し目を伏せて表情を隠した。
(大体、あなたが喚んだ聖女だろう)
本当は、そう言ってやりたいのだが。
言えるはずがない。そういう力関係だ。
目の前でにやにやしている異母兄、もとい第五王子。こいつが全ての元凶だ。伝説の聖女召喚を成し遂げ、国王に認められて、喉から手が出るほど欲しがっていた王位継承権を得る……それが、彼の思い描いた薔薇色の未来図だったらしい。随分と杜撰な皮算用である。今のところ、第五王子が王位継承権を与えられる様子はなく、異世界から来た聖女は何の役にも立っていない。世話係にされた護衛兵士たちが右往左往し、フィオルゼルの仕事が増えるばかりだ。
だが、そんな状況で、酷く機嫌が悪くなるはずの第五王子が、なぜか上機嫌だ。
これは、ろくな話にはならないだろう。
フィオルゼルの警戒心は高まった。警戒したところで、今の彼の立場では何を言われても受け入れるしかないのだが。
「……」
フィオルゼルが目を伏せたまま待っていると、異母兄はわざとらしく両手を広げ、肩を竦めてみせた。
「全く、向上心というものがない奴だ。物陰に隠れて過ごすネズミにしたところで、もう少し冒険心というものがあるぞ? だがそんな臆病者のお前に、思い切った仕事を与えてやろうというのだ」
「……と、申されますと」
「魔王が復活したそうだ。聖女といえば、魔王退治と道理が決まっておろう?」
(……そうだったかな?)
魔王といえば勇者ではないのか? そもそも、魔王などというものは子供騙しのおとぎ話ではなかったのか。だが、伝説の聖女が実際に存在したのだから──いや、聖女召喚が呼び水となって、同じく伝説の魔王が復活した、ということはありえるのか?
だとしたら、事態はもはや、第五王子一人に任せられる範囲を超えている。
「お前には、聖女の伴として、魔王退治の旅に出てもらう」
「……は」
肯定とも否定ともつかない、息のような音が漏れ出た。
(嘘だろう? 自分の権勢欲のためだけに、馬鹿馬鹿しい伝説を実現してみせるつもりなのか)
そう簡単に、第五王子の思い通りに進むとも思えない。聖女召喚ですら、この「ハズレ」っぷりだ。むしろ国王陛下のご不興を買う可能性の方が高いのではないか。だがフィオルゼルは、表向き、ここで逆らうだけの力を持っていなかった。
「……畏まりました」
用済みだ、と言わんばかりに手を振って追い出され、うやうやしく頭を下げて退場する。表情を消して歩み去りながら、フィオルゼルの脳裏は今後起きるであろうことを忙しく計算して、ふつふつと沸き立っていた。
「……私に、聖女様の取り巻きになれと?」
取り巻きなどと、いかにも世俗めいた言い方だ。俗に染まらぬ(はずの)聖女様には、全く相応しくない言葉だと思ったのだが。
フィオルゼルは若干の鬱憤が溜まっていたので、その不満をうっすらと声音に乗せずにはいられなかった。といっても、ほとんど人には気付かれぬ程度だ。その整った象牙色の顔はぴくりとも動かず、いつもどおり、穏やかな気性の王子らしい静謐な表情を湛えている。
鮮やかなエメラルドの瞳で、フィオルゼルは対面に座る人物を見つめた。フィオルゼルより五歳程度の年長者で、行儀悪く脚を大きく開いて投げ出し、品のない緩んだ薄笑いを浮かべた男だ。髪の色と目の色はフィオルゼルとよく似ている。明るい金糸の髪、エメラルドの瞳。よく見れば、顔もところどころ似通ったところがある。表情と態度はまるで真逆ゆえ、それ以上の相似点は見いだせないのだが。
(異母兄だからね……)
他人より遠く感じられる異母兄だ。
血が繋がっている兄弟として扱われることはまずない。
「なんだ、不満か? 伝説の聖女様の傍に侍ることができるんだぞ、涙にむせんで喜んだらどうだ」
異母兄は、なにより人の気持ちを逆撫ですることに喜びを見出す男だ。
フィオルゼルが不満をあらわにすればするほど、機嫌が良くなる。しかしあいにくと、フィオルゼルはろくな扱いを受けないことに慣れているので、微かに眉を顰めただけで、生真面目な態度を崩さなかった。
「私が世話係として適任であるとは思えません」
「適任だろう。お前は何でもこなすからな。そうだろう、『下働き王子』?」
(それは事実だけどね。流石に男娼まがいのことをしたことはないんだが)
「下働き王子」とは、王子であるのに日々せっせと勤労に励んでいるフィオルゼルに対し、口さがない連中がヒソヒソと囁いている呼び名だ。
だが、フィオルゼルが伝え聞く限り、「聖女様」が望んでいるのは気の利く世話係などではない。現に、優秀な侍女や女官たちを次々と首にして、若い護衛兵士ばかりを身の回りに置いているのだ。
身持ちの堅さを重要視する貴族の令嬢ではとても考えられないことで、流石は聖女様、超越した価値観を持っていらっしゃる──とは、いかに温和なフィオルゼルでも思わない。
(次は「王子」と名の付く玩具を欲しがられたと。確かに、王子など掃いて捨てるほど居るからな)
王子は掃いて捨てるほど居ない。
それが普通の感覚である。
だが、この国には居るのである。
フィオルゼルは第十八王子。現在生存している王子の数は二十九人で、王女の数はおよそその倍。公式に認められた王の妾妃は二十人で、一度手を付けられただけの女性や、非公式の愛人はこの中に含まれない。
王位継承権を与えられているのは第三王子までで、目の前にいる異母兄は第五王子ゆえ継承権がない。だが、それを狙える立場にある──と思い込んでいるのは本人とその周辺の連中ばかりで、巻き込まれているフィオルゼルにとっては迷惑きわまりない話だ。
(第十王子までは、皆、野心満々で権勢欲の塊ばかりだ)
それ以下の王子たちは、身を低くして静かに、おとなしく過ごす──内心はどうであれ。実際に低く見積もられているので、王族として支度金が貰えるわけでもなく、公式の場で王子らしく扱われることもない。母親の身分が高ければ、さっさと王宮から離脱して、王の血が混じっていることを少しばかりの誇りに、一貴族として生きていった方がましな位だ。
だが、フィオルゼルの母はもういない。彼が十になる頃までは頑張って生きていたが、元々身体の弱い佳人だったためか、すうっと、影が薄くなるようにこの世から去っていった。残されたフィオルゼルは、他に行き場もなく、この王宮の中で今日も右から左に忙しく立ち働いていた、のだが。
「……それで、聖女様が満足なさるでしょうか」
胡乱な感情が目の色に表れかけたところで、フィオルゼルは少し目を伏せて表情を隠した。
(大体、あなたが喚んだ聖女だろう)
本当は、そう言ってやりたいのだが。
言えるはずがない。そういう力関係だ。
目の前でにやにやしている異母兄、もとい第五王子。こいつが全ての元凶だ。伝説の聖女召喚を成し遂げ、国王に認められて、喉から手が出るほど欲しがっていた王位継承権を得る……それが、彼の思い描いた薔薇色の未来図だったらしい。随分と杜撰な皮算用である。今のところ、第五王子が王位継承権を与えられる様子はなく、異世界から来た聖女は何の役にも立っていない。世話係にされた護衛兵士たちが右往左往し、フィオルゼルの仕事が増えるばかりだ。
だが、そんな状況で、酷く機嫌が悪くなるはずの第五王子が、なぜか上機嫌だ。
これは、ろくな話にはならないだろう。
フィオルゼルの警戒心は高まった。警戒したところで、今の彼の立場では何を言われても受け入れるしかないのだが。
「……」
フィオルゼルが目を伏せたまま待っていると、異母兄はわざとらしく両手を広げ、肩を竦めてみせた。
「全く、向上心というものがない奴だ。物陰に隠れて過ごすネズミにしたところで、もう少し冒険心というものがあるぞ? だがそんな臆病者のお前に、思い切った仕事を与えてやろうというのだ」
「……と、申されますと」
「魔王が復活したそうだ。聖女といえば、魔王退治と道理が決まっておろう?」
(……そうだったかな?)
魔王といえば勇者ではないのか? そもそも、魔王などというものは子供騙しのおとぎ話ではなかったのか。だが、伝説の聖女が実際に存在したのだから──いや、聖女召喚が呼び水となって、同じく伝説の魔王が復活した、ということはありえるのか?
だとしたら、事態はもはや、第五王子一人に任せられる範囲を超えている。
「お前には、聖女の伴として、魔王退治の旅に出てもらう」
「……は」
肯定とも否定ともつかない、息のような音が漏れ出た。
(嘘だろう? 自分の権勢欲のためだけに、馬鹿馬鹿しい伝説を実現してみせるつもりなのか)
そう簡単に、第五王子の思い通りに進むとも思えない。聖女召喚ですら、この「ハズレ」っぷりだ。むしろ国王陛下のご不興を買う可能性の方が高いのではないか。だがフィオルゼルは、表向き、ここで逆らうだけの力を持っていなかった。
「……畏まりました」
用済みだ、と言わんばかりに手を振って追い出され、うやうやしく頭を下げて退場する。表情を消して歩み去りながら、フィオルゼルの脳裏は今後起きるであろうことを忙しく計算して、ふつふつと沸き立っていた。
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