流星

つらつらつらら

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 しばらく身を寄せ合っていると、飴ヶ崎あまがさきがわずかに頭を上げる気配があった。ふわ、と慧太郎けいたろうの鼻先に何かが当たる。

「……流れ星は……」
尾道おのみち君の眼の中で光ってる」

 すでに飴ヶ崎の唇は慧太郎に触れていたのだが、くすぐるような声とともにやがて深く重ねられた。
 やわらかな感触に思考が吹っ飛びそうになりながら、慧太郎はうっすら目を開けて夜空を見た。星を探す前に飴ヶ崎のせいで集中できなくなり、もうどうでもよくなってぎゅっと目を閉じ闇の中で少年のぬくもりを求めた。

 飴ヶ崎がわずかに唇をずらした隙間から吐息をらして、さらに慧太郎に吸い付いた。温かいものが入ってくる。最初に見た流れ星が閉じたまぶたの裏で煌煌きらきらと流れていく。

 地上のわずかな照明は遠くに見えるだけだ。暗闇に溶けた二人の輪郭線はひとつになっている。

 飴ヶ崎は一時の感情におぼれて重ねたものをようやく解放した。慧太郎は彼の二の腕をつかんで組み敷こうとしたが、なぜか腰が抜けたように力が入らず叶わなかった。
 飴ヶ崎は器用にすり抜けて立ち上がると、まだ仰向けに倒れている慧太郎を残して、近くで何かガチャガチャと音をさせた。

 ようやく半身を起こした慧太郎が見たのは、真夏のイベントにしては肝が冷える光景だった。
 飴ヶ崎少年がフェンスの上によじ登っている。

「飴ヶ崎!」

 呼んでも彼は振り向かず、フェンスの上に仁王立ちになるとやっと慧太郎へ顔を向けた。驚異のバランス感覚だった。
 吹き上げるぬるい風が飴ヶ崎の髪をもてあそぶ。街の明かりが彼の存在を暗がりに映し出した。
 慧太郎はさっきのやさしい時間なんて全部忘れてもう一度少年の名を呼んだ。走り寄ろうとするところへ、あの穏やかな声がかけられる。

「慧太郎」

 はじめて下の名前で呼ばれた。反応が遅れた慧太郎はつい足を止めてしまった。飴ヶ崎はふわりとほほえむ。

「ありがとう。いい土産ができた」
「おい……やめろ……」
「大丈夫だよ」

 なにが大丈夫なのか。鍵のついた扉も難なく開けてしまう魔法使いなら、慧太郎の想像する未来もくつがえしてしまえるというのか。

「また逢おう」

 勝手に話を進めて、飴ヶ崎は両腕をいっぱいに広げた。鳥の翼のように見えたのは錯覚か。
 空の向こうで飴ヶ崎の横顔を二つ目の流れ星が通りすぎていった。慧太郎がアッと叫ぶ瞬間、少年は前のめりになって、消えかかる光の尾に導かれるようにフェンスの先へ身を投じた。

 金縛りから解けるとすぐに慧太郎は飴ヶ崎が居た所へ駆けつけた。フェンスに登って半分身を乗り出したが、下方は暗がりでわからない。
 頭の中が氷付けになる直前、階下から細い光の糸が現れた。

「……?」

 やわらかな光は学校の屋上へとゆっくり昇ってくる。誰かが懐中電灯で照らしているわけではなかった。ほのかなオレンジ色の光は慧太郎のすぐ近くを通り過ぎて垂直に空へ向かっていった。

 慧太郎は言葉も出ず見上げている。光はだんだんスピードを増していき、大地に降る流れ星とは反対に濃藍こあいの天頂へ昇っていった。
 慧太郎は首が痛くなってもずっと光を追いかけていた。彼の眼には一筋ひとすじの星が映っている。


 いくら時間が経ったのかわからない。
「ああ帰らなければ」と人の心を取り戻したのはずいぶん後になってからだった。

 慧太郎は懐中電灯を取り出す気力もなく、ふらふらと屋上から再び校舎へ入った。飲みかけのペットボトルを二本忘れずに拾ってきたのは我ながらよくやったと思う。

 暗闇の中で階段を順調に降りていくことができたのがふしぎだった。目をつむっていてもいつのまにか正しい道を選んでいる。慧太郎はずっとまぶたを閉じて歩き続けていた。頭上から流れ星が降ってくる。いくつも、いくつも。

 昇降口へたどり着き、慧太郎はようやく目を開けた。幻の光は静かに消える。靴を履いた。飴ヶ崎の靴は見えなかった。扉へ向かう。呪文は必要ない。外へ出た。


 そこから記憶がない。もう一度目を開けた時、慧太郎はベッドで横になっていた。

「うぅ……ん」

 だらりと伸ばした腕を引き寄せると、手の内に白い玉を握っていた。

「たまご……?」

 卵だ。慧太郎はゆっくり起き上がった。寝ぼけた頭でさまざまなことを思い出そうとした。服は昨日のままだった。
 卵の存在理由は思い当たるところがない。冷蔵庫からかっぱらってきたのだろうか。慧太郎はベッドから下りた。窓のカーテンを開けて、卵を朝の光にかざしてみる。さらっとした白い玉の中身は透けては見えない。

 しばらく考えてみたが、卵を冷蔵庫に戻すのも、捨ててしまうのも、なんだか違う気がした。慧太郎はまたベッドに戻って、卵を枕の真ん中に置いてみた。
 もしも何かのひなかえったら?

 スマホを取って飴ヶ崎にメッセージを送った。おはようの四文字だけなのに緊張している。返事はない。


 慧太郎は朝ご飯ができる前に、居間でテレビを見ている祖父に卵の話をした。

「鳥かな……。さぎの卵かなんかじゃないかなぁ」
「鳥かぁ」

 感心する慧太郎と反対に祖父はみるみる顔色が変わり、生きものを勝手に盗ってきたらいかんとたいそう怒られた。慧太郎は夏休みの自由研究などととりつくろうすきもなく、平謝りであとで返してくるよと約束した。けれどどこに行けばいいかわからなかったし、一度人の手に触れた卵を自然に返していいかも疑問があった。

 飴ヶ崎から連絡が来るのを待っている間、スマホで鷺を検索した。白くて首の長い鳥の写真が並ぶ中、ふと「飴鷺あまさぎ」の名前が目に留まり画面をタップする。
 アマサギは夏になると頭部の羽が飴色になる。慧太郎は飴ヶ崎少年の髪の色を思い出した。


 なんの音沙汰もなく二学期に入り、飴ヶ崎は両親の急な都合で別の地方へ転校したと聞かされた。名残惜しくなるからクラスの人には言いたくなかったらしい。
 慧太郎は机に頬杖をついて窓の外を眺めた。青空だ。昼に流れ星は見えない。
 今度の誕生日に望遠鏡を頼んでみようかと考えた。卵は空き箱に入れて部屋に置いてある。


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