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歩き慣れた通学路でも、街灯の無い道へ行くと足元がよく見えない。ショルダーバッグに懐中電灯を入れてきたので、慧太郎は試しにライトを点けてみた。空き地になっている草むらに向かってぐるぐる光を振り回してみる。リリリ……と涼やかな虫の鳴き声が止まった。突然周りがまぶしくなったので驚いたのかもしれない。
無為の暇つぶしを終えた慧太郎は明かりを消して先へ進んだ。一組の親子連れが同じ星空観察の目的で外に出てきたのだろう、手をつないで歩いていくのが見えた。
ふと思いついて近くのコンビニへ寄った。ペットボトルの飲み物を二本、飴ヶ崎の分も買っていった。奴の好みはわからないので無難な麦茶にしておいた。自分は炭酸カルピスだ。
夜回りのパトカーなどもなく、慧太郎は無事に学校へ着いた。正門に誰かがひっそりたたずんでいる。街灯がスポットライトのように彼のオレンジ色の髪を輝かせていた。淡い色のシャツを着た飴ヶ崎は慧太郎に気が付いて手を振った。
ほんの二、三週間ほど見ない間に、飴ヶ崎は少しだけ背が伸びたように感じる。いや、今夜はオシャレして髪をツンツンに立てているせいだろう。小柄な彼の心意気を慧太郎はおおらかな気持ちで見守ってやった。
「尾道君、久しぶり」
「おう。本物の星を見に来たぜ」
挨拶代わりにお互いの目を覗き込む。声を聞くのも久しぶりだった。
慧太郎は買ってきたペットボトルを飴ヶ崎に差し出した。まずはグイッと二人で一杯。
「で、こっそり校庭に入るのか? 門は閉まってるだろ」
星空観察への気合いが高まったところで、慧太郎は正門をにらんだ。飴ヶ崎は得意そうな顔で、行く手を阻む真っ黒な門に手をかける。
「魔法の呪文が必要なんだよ。ナマムギ・ナマゴメ・ナマタマゴ~」
「ヒラケゴマじゃないのか」
軽い口調で飴ヶ崎は観音開きの鉄製の門扉を力を込めて押した。ギィ、と重々しく音を響かせて、門は人一人分の隙間を開けた。
「マジか……」
慧太郎が学校のセキュリティをあやぶんでいるうちに、飴ヶ崎はさっさと敷地内に入ってしまう。
「尾道君! あと三秒で閉まっちゃうよ」
「なんのゲームだよ」
つられて慧太郎もいそいそと隙間をくぐり抜けた。やっぱり飴ヶ崎はおもしろい奴だなと思う。門を元通りに閉めると、二人は昇降口までの並木道を歩いていった。
夜の陰にそびえ立つ校舎は、眠りにつく要塞のようだった。薄暗くなった白壁が不気味に浮き上がる。
飴ヶ崎は校庭の方へ回らず、真っ直ぐ校舎へ向かっていった。
「?」と思いながら慧太郎がついていく。飴ヶ崎は昇降口の扉の前で止まった。
「さあ、君もどうぞ」
気取ったふうに手を差し出して、飴ヶ崎は慧太郎へ魔法の呪文を唱えるようにすすめたのである。
慧太郎は一瞬ためらったのだが、飴ヶ崎の前例を見てしまうと、ちょっと試してみたくなった。
コノ暗闇ナラ誰モ見テイナイ
好奇心が慧太郎の背中を押す。
扉の取っ手をグッと握った。
「……よし。ナマムギナマゴメナマタマゴ」
……しん。扉は閉ざされている。
「……おい!」
「あっはっは、魔力が足りないんだよ」
慧太郎が真っ赤になって飴ヶ崎を振り返ると、彼は背中を折り曲げて爆笑していた。
いひひ、と笑いを引きずりながら、魔法使い飴ヶ崎は慧太郎の手に自分の手を重ねて、力強く取っ手を引いた。やはり扉はガチャリと開いてしまう。
理不尽に恥をかいた慧太郎は飴ヶ崎のツンツン頭を拳で軽く小突くと、下駄箱の前までズンズン歩いていった。
飴ヶ崎に重ねられた手の温かさが妙に記憶に残る。
「屋上へ行こう」
飴ヶ崎は先に靴を脱いでそのまま奥へ進んだ。慧太郎もひんやりした床に靴下のまま上がって無人の廊下を歩いていった。
念のため見回りの教師などがいないことをよく確認して、慧太郎はショルダーバッグから懐中電灯を取り出した。パッと白い光が二人の空気を包みこんだ。窓に近づいた時は明かりを消して手探りで進む。
「夜の学校で肝だめしなんて、テレビでしか見たことないぞ」
下校時刻を過ぎてから勝手に校内に入ることへの不安はあったが、飴ヶ崎がいればなんとかなる、そんな根拠のない自信が慧太郎の足を前へ進ませた。
暗い廊下をあぶなげなく進んでいく飴ヶ崎は、ときおり両手をくっつけて鳥の影絵をつくりながら遊んでいた。慧太郎が持つ懐中電灯によって壁に写し出された黒いシルエットは、大きく翼を広げて天地左右自由にはばたいていく。
屋上までの道行き、二人はこれまで通りあまり話をしなかった。しゃべる必要はないとすら思うのだった。
窓の外を見てみると、三日月が空の向こうで小さく光っていた。
最後の階段を昇りきり、飴ヶ崎は呪文無しで屋上への扉を開ける。
再び夜空を見上げた瞬間、すうっ、と蒼白い光が遠くの闇へ流れていった。心の準備ができていなかった慧太郎は彼方へ消えていった光の一糸をぽかんとした顔で見送ってしまった。
「飴ヶ崎、」
「うん。綺麗だね」
コンクリートの床はほとんど小石など転がっておらず、履き物がなくても歩いていけそうだ。慧太郎は懐中電灯を消してバッグにしまうと、暗くなった周囲に気を付けながらフェンスまで近寄った。
四階建ての校舎の屋上からは、市内の遠い所まで見渡すことができた。建物の明かりが密集して、道路のうねりと、どこで道がつながっているのかがわかる。
二人とも双眼鏡の類いは持っていないため、流星群は肉眼での観察となる。まあ星が見えた時に素早く双眼鏡を装備したとしても、一瞬で消えてしまう光には追いつけないだろう。
慧太郎と飴ヶ崎はフェンスに寄りかかって地面に座り、ひたすら夜空を見上げていた。ぬるい風が髪を撫でていく。
余計な雑音が聞こえない、静かな夜だった。
流れ星の第二弾を待ちながら、飴ヶ崎が空高く指差して夏の大三角を教えてくれた。暗くてお互いの表情は見えないが、五官をひとつ閉ざされると他の感覚が鋭くなるようだ。慧太郎は耳元で聞こえてくる飴ヶ崎の穏やかな声を、息継ぎさえとらえて記憶に残せるような気持ちがした。
自分のためだけにしゃべってくれる彼の声は、どうしてだか胸の内が震えるような、そんな気さえした。
ある程度しゃべってしまうと、飴ヶ崎の話のネタが尽きたのか、辺りに静けさが戻ってきた。一呼吸置いて、今度は慧太郎が口を開く。
「なんで今日誘ってくれたんだ?」
「ん? ……うん、君の眼が見たかったから、かな」
謎の告白に、なぜか慧太郎は照れくさくて首が痛いとごまかした。飴ヶ崎のくすりと笑う声がする。
「寝転がった方が、空一面見渡せるよ」
「あ~、そうする……」
アドバイスされて、慧太郎はずりずりとお尻を移動させて仰向けに寝転んだ。枕代わりに両手を頭で組もうとしたところで、急に重たい物が体にのしかかってきた。
飴ヶ崎が上から抱きついてきたのだ。
「あま……」
「…………」
それ以上何も言えなかった。薄着から伝わってくる飴ヶ崎の体温がとてつもなく心地好かった。両手をもて余していた慧太郎は衝動的に飴ヶ崎を抱きすくめた。ふわふわの髪。心臓の上で彼の呼吸を感じる。鼓動が速くなるのを隠せなかった。
無為の暇つぶしを終えた慧太郎は明かりを消して先へ進んだ。一組の親子連れが同じ星空観察の目的で外に出てきたのだろう、手をつないで歩いていくのが見えた。
ふと思いついて近くのコンビニへ寄った。ペットボトルの飲み物を二本、飴ヶ崎の分も買っていった。奴の好みはわからないので無難な麦茶にしておいた。自分は炭酸カルピスだ。
夜回りのパトカーなどもなく、慧太郎は無事に学校へ着いた。正門に誰かがひっそりたたずんでいる。街灯がスポットライトのように彼のオレンジ色の髪を輝かせていた。淡い色のシャツを着た飴ヶ崎は慧太郎に気が付いて手を振った。
ほんの二、三週間ほど見ない間に、飴ヶ崎は少しだけ背が伸びたように感じる。いや、今夜はオシャレして髪をツンツンに立てているせいだろう。小柄な彼の心意気を慧太郎はおおらかな気持ちで見守ってやった。
「尾道君、久しぶり」
「おう。本物の星を見に来たぜ」
挨拶代わりにお互いの目を覗き込む。声を聞くのも久しぶりだった。
慧太郎は買ってきたペットボトルを飴ヶ崎に差し出した。まずはグイッと二人で一杯。
「で、こっそり校庭に入るのか? 門は閉まってるだろ」
星空観察への気合いが高まったところで、慧太郎は正門をにらんだ。飴ヶ崎は得意そうな顔で、行く手を阻む真っ黒な門に手をかける。
「魔法の呪文が必要なんだよ。ナマムギ・ナマゴメ・ナマタマゴ~」
「ヒラケゴマじゃないのか」
軽い口調で飴ヶ崎は観音開きの鉄製の門扉を力を込めて押した。ギィ、と重々しく音を響かせて、門は人一人分の隙間を開けた。
「マジか……」
慧太郎が学校のセキュリティをあやぶんでいるうちに、飴ヶ崎はさっさと敷地内に入ってしまう。
「尾道君! あと三秒で閉まっちゃうよ」
「なんのゲームだよ」
つられて慧太郎もいそいそと隙間をくぐり抜けた。やっぱり飴ヶ崎はおもしろい奴だなと思う。門を元通りに閉めると、二人は昇降口までの並木道を歩いていった。
夜の陰にそびえ立つ校舎は、眠りにつく要塞のようだった。薄暗くなった白壁が不気味に浮き上がる。
飴ヶ崎は校庭の方へ回らず、真っ直ぐ校舎へ向かっていった。
「?」と思いながら慧太郎がついていく。飴ヶ崎は昇降口の扉の前で止まった。
「さあ、君もどうぞ」
気取ったふうに手を差し出して、飴ヶ崎は慧太郎へ魔法の呪文を唱えるようにすすめたのである。
慧太郎は一瞬ためらったのだが、飴ヶ崎の前例を見てしまうと、ちょっと試してみたくなった。
コノ暗闇ナラ誰モ見テイナイ
好奇心が慧太郎の背中を押す。
扉の取っ手をグッと握った。
「……よし。ナマムギナマゴメナマタマゴ」
……しん。扉は閉ざされている。
「……おい!」
「あっはっは、魔力が足りないんだよ」
慧太郎が真っ赤になって飴ヶ崎を振り返ると、彼は背中を折り曲げて爆笑していた。
いひひ、と笑いを引きずりながら、魔法使い飴ヶ崎は慧太郎の手に自分の手を重ねて、力強く取っ手を引いた。やはり扉はガチャリと開いてしまう。
理不尽に恥をかいた慧太郎は飴ヶ崎のツンツン頭を拳で軽く小突くと、下駄箱の前までズンズン歩いていった。
飴ヶ崎に重ねられた手の温かさが妙に記憶に残る。
「屋上へ行こう」
飴ヶ崎は先に靴を脱いでそのまま奥へ進んだ。慧太郎もひんやりした床に靴下のまま上がって無人の廊下を歩いていった。
念のため見回りの教師などがいないことをよく確認して、慧太郎はショルダーバッグから懐中電灯を取り出した。パッと白い光が二人の空気を包みこんだ。窓に近づいた時は明かりを消して手探りで進む。
「夜の学校で肝だめしなんて、テレビでしか見たことないぞ」
下校時刻を過ぎてから勝手に校内に入ることへの不安はあったが、飴ヶ崎がいればなんとかなる、そんな根拠のない自信が慧太郎の足を前へ進ませた。
暗い廊下をあぶなげなく進んでいく飴ヶ崎は、ときおり両手をくっつけて鳥の影絵をつくりながら遊んでいた。慧太郎が持つ懐中電灯によって壁に写し出された黒いシルエットは、大きく翼を広げて天地左右自由にはばたいていく。
屋上までの道行き、二人はこれまで通りあまり話をしなかった。しゃべる必要はないとすら思うのだった。
窓の外を見てみると、三日月が空の向こうで小さく光っていた。
最後の階段を昇りきり、飴ヶ崎は呪文無しで屋上への扉を開ける。
再び夜空を見上げた瞬間、すうっ、と蒼白い光が遠くの闇へ流れていった。心の準備ができていなかった慧太郎は彼方へ消えていった光の一糸をぽかんとした顔で見送ってしまった。
「飴ヶ崎、」
「うん。綺麗だね」
コンクリートの床はほとんど小石など転がっておらず、履き物がなくても歩いていけそうだ。慧太郎は懐中電灯を消してバッグにしまうと、暗くなった周囲に気を付けながらフェンスまで近寄った。
四階建ての校舎の屋上からは、市内の遠い所まで見渡すことができた。建物の明かりが密集して、道路のうねりと、どこで道がつながっているのかがわかる。
二人とも双眼鏡の類いは持っていないため、流星群は肉眼での観察となる。まあ星が見えた時に素早く双眼鏡を装備したとしても、一瞬で消えてしまう光には追いつけないだろう。
慧太郎と飴ヶ崎はフェンスに寄りかかって地面に座り、ひたすら夜空を見上げていた。ぬるい風が髪を撫でていく。
余計な雑音が聞こえない、静かな夜だった。
流れ星の第二弾を待ちながら、飴ヶ崎が空高く指差して夏の大三角を教えてくれた。暗くてお互いの表情は見えないが、五官をひとつ閉ざされると他の感覚が鋭くなるようだ。慧太郎は耳元で聞こえてくる飴ヶ崎の穏やかな声を、息継ぎさえとらえて記憶に残せるような気持ちがした。
自分のためだけにしゃべってくれる彼の声は、どうしてだか胸の内が震えるような、そんな気さえした。
ある程度しゃべってしまうと、飴ヶ崎の話のネタが尽きたのか、辺りに静けさが戻ってきた。一呼吸置いて、今度は慧太郎が口を開く。
「なんで今日誘ってくれたんだ?」
「ん? ……うん、君の眼が見たかったから、かな」
謎の告白に、なぜか慧太郎は照れくさくて首が痛いとごまかした。飴ヶ崎のくすりと笑う声がする。
「寝転がった方が、空一面見渡せるよ」
「あ~、そうする……」
アドバイスされて、慧太郎はずりずりとお尻を移動させて仰向けに寝転んだ。枕代わりに両手を頭で組もうとしたところで、急に重たい物が体にのしかかってきた。
飴ヶ崎が上から抱きついてきたのだ。
「あま……」
「…………」
それ以上何も言えなかった。薄着から伝わってくる飴ヶ崎の体温がとてつもなく心地好かった。両手をもて余していた慧太郎は衝動的に飴ヶ崎を抱きすくめた。ふわふわの髪。心臓の上で彼の呼吸を感じる。鼓動が速くなるのを隠せなかった。
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