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16 ユーリ3
しおりを挟む「エヴァレット様」
闇に溶けるような黒い外套を纏った男が音もなく背後に立ち、声を落として囁く。
暗い室内でじっと窓の外を見つめていた俺は、その声に思考の海から現実に戻った。眼下には、家々の窓から漏れるオレンジ色の光が、闇に浮かぶように広がっていた。
「捕らえたか」
「はい。三名」
「意識は」
「一名だけあります」
その言葉に、そちらを見ないまま踵を返し地下へと降りる。
螺旋階段を降り地下に辿り着き、幾重もの扉を開けて奥へと進むと、やがて何もない空間が現れる。
中央に置かれた椅子で、びしょ濡れの男が一人俯いて座っていた。ピクリとも動かない男の足元は水浸しで、揺れる松明に照らされ艶々と光っている。
近くにいた外套を纏った人物が俺に気がつくと、手にしていた紙を俺に差し出した。受け取り検めると、それは暗号化された指示書だった。
「解読は」
「できました」
もう一枚渡されたその紙には、王太子殿下の公務日程、そして警備の詳細が書かれていた。
「――なるほど。やはり殿下の動きが漏れているね」
「この時間は警備にあたる小隊名と配置、動線まで詳細に書かれています」
「この時を狙っているということだな。至急小隊長に連絡を。行程の見直しと護衛を変更するよう伝えて」
「はっ」
俺の言葉に数名がすぐに動き出す。
「それで、自分の名前は名乗った?」
「いえ、まだです」
「ふうん」
足元に転がっていたバケツを拾い、部屋の隅の樽から水を汲む。地下水は触れるだけでも指が痛くなるほど冷たい。その水を、椅子に座ったままの男に頭からかけた。
「――っ!」
声にならない悲鳴を上げた男が顔を上げる。
「起きろ。いつまで寝ているつもりだ」
男は血走った眼をぎろりと俺に向けると、俺を知っているのか掠れた声で不敵に笑った。
「――ユーリ・エヴァレット・アッカーソン、まさかお前だったとはな」
「あは、よく言われる」
バケツを床に置き、部屋の隅にあった椅子を男から距離を取った位置に置き腰かける。男は喉をゼイゼイと鳴らしながら、それでも笑った。
「俺を捕まえたところでもう遅い」
「無駄口を聞いている暇があるなら答えて。簡単な質問だろう? 誰の指示か言えばいいだけだよ」
「……」
男は頭を起こすと背もたれに背を預け見下ろすように俺を見た。
「お前の屋敷にいるのは誰だ?」
「お前に質問する権利はないよ」
男はクツクツと喉を鳴らし笑った。黄ばんだ歯が松明に光るのを見て、ぞわりと腹の底に不快なものを感じた。
「別にいいさ。もう誰かが確かめに行ってる」
その言葉に、弾けるように立ち上がり男の椅子を思いきり蹴り倒す。椅子が壊れ、男が床に倒れる音、呻き声が狭い石の部屋に響き渡り木霊する。
「連れて行け! 俺は戻る」
男が何か呪詛を唱えたが、俺にはどうでもいいことだった。
*
夜の街を移動し屋敷へ到着すると、そこにはすでに人の気配があった。裏へ回るとドスンと重たい何かがぶつかる音、くぐもった声。
「ギルバート」
素早く名を呼べば、庭木の陰からギルバートが現れた。
「何人」
「あと二名です」
「そっちは任せた」
「はい」
素早くその場から離れ視線を巡らすと、不自然に明かりの消えた街灯がひとつ。
近づき闇に目を凝らせば、男が一人飛び出してきた。
男の剣戟を薙ぎ払い腰の剣を素早く抜いて、腰を低くし地を這うように剣を振るう。剣を避けようと身体を逸らした男の背後に素早く回り込み口を塞ぐと、小剣を男の喉元に滑らせた。
腕の中で男の体がガクガクと震え、やがてぐったりと力を失った。
(もう一人は?)
動かなくなった男を地面に横たわらせて、俺はもう一度屋敷の周辺へと神経を張り巡らせた――。
*
(思ったより早かったな)
もう一人の男を捉え侵入を防ぐと、事後処理はギルバートに任せ、もう一度屋敷周辺を見回り屋敷へと戻った。昂った神経がピリピリと周囲を警戒し、覚醒した頭ではとてもじゃないが眠れる気がしない。
急いで階段を上り、ふと二階の彼女の部屋へと視線を向ける。腹の底にたまる熱を急に感じ、慌てて三階の自室へと向かった。
アリサのことがばれるのはわかりきっていたことだ。
実際こうして彼女に目を付けた者が刺客を送り込んできたのだ。騎士団で散々公言したのだから、リスクを理解した上での行動であることは俺自身も周囲も重々承知している。
(それでも、やっぱり側にいないと心配だ)
彼女に対して護衛を増やし、上にも報告した。俺の行動に軽率だと非難してこないところを見ると、決して気軽な気持ちで屋敷に呼んだのではないことは理解してくれたのだろう。
こんな生活ももうすぐ終わる。そうしたら、彼女に話したい。すべてを話して、どう思うか。俺をどんな目で見るのか。
『……俺はお前であることが許せない』
お前じゃない、ザック。
選ぶのはアリサだ。
その時、コンコン、と控えめに扉をノックする音が響いた。その気配はアリサのものだ。漏れそうになっていた自分の殺意に気がつき、慌てて深呼吸をする。
「アリサ」
急いで扉を開けると、厚手のガウンを着た彼女が少し目を丸くしたように俺を見た。
「ごめんなさい、こんな時間に。……おかえりなさい」
「ただいま。どうしたの、何かあった?」
身を乗り出し素早く廊下を確認すると、アリサは慌てたように両手を小さく上げた。
「違うの、何もないわ。ただ、こんな時間に帰ってきたからちょっと心配になって」
その言葉にまた、腹の底がギュッと熱を帯びる。
労わりの声を掛けてくれる彼女を抱きしめたい衝動を奥歯をかみしめ堪える。
言ったじゃないか、変なことはしないって。
彼女はそんなつもりじゃない。俺たちの関係を「形だけ」だと信じて、こうして俺の部屋へやってきたんだ。そこに、俺のずるくて卑怯な思惑があることなんて知らない。
「――あの、明日なんだけど、無理して出かける必要はないわ。あなたにも休息は必要でしょう? 私のことは気にせず……」
「一人で出かけるの?」
アリサの言葉につい強めに聞き返し、思わず口元を片手で覆う。違う、落ち着け。
驚いてこちらを見る彼女に、にこりと笑ってみせるがうまくできているか不安だ。
「いや、大丈夫、俺が一緒に出掛けたいんだ。昼前くらいでいいかな」
「でも」
アリサが心配そうに俺の顔を見上げるとカタン、と階下で物音がした。ギルバートだろう。彼女はびくりと肩を揺らすと俺に身を寄せた。
ふわりと香る、彼女の匂い。甘くて、けれどしっとりとした花の香り。その匂いがアリサの香りだとわかると、理性を揺さぶられグラグラと眩暈がした。触れそうな距離にいる彼女の体温が、俺に熱を移してくる。
「……あ、ごめんなさい、驚いてしまって」
寄せられていた彼女の身体がふわりと離れる。
(駄目だ、逃げないで)
俺はかすかに残る理性を手放し、その細くて柔らかな甘い香りの身体を腕の中に閉じ込めた。
驚き身を固くする彼女を離さなければいけないと頭の片隅で思いながら、その肩に顔を埋め深く香りを吸い込む。
「……アリサ」
ああ、欲しい。
彼女が欲しい。
なめらかな白い肌に口付けをし、そのまま滑るように肌を唇でなぞる。触れる肌の陶器のようなきめの細かさ、柔らかな甘い香りに頭が痺れる。
そのまま首を舐め上げ、小さな顎、柔らかな頬を食み、貝殻のような少しひんやりした耳朶に舌を這わせた。
腕の中で彼女が小さく震える。
腕を回した腰の細さにゾクゾクと腰が痺れた。厚手とは言え、コルセットをつけていないその身体を堪能したくて掌を腰や背中に這わせ背骨や腰のくぼみを指先で強く撫でると彼女の身体がビクリと揺れる。
唇で触れる彼女の耳が熱くなった。
(今すぐ……)
今すぐ彼女を暴いてその中に己を埋めたい。
そんな衝動に駆られた。
彼女の首筋を舐め上げ香りを吸い込み、腕の中にある柔らかな身体を存分に堪能したい。
アリサが欲しい。
「……娼館には行かなかったの?」
その言葉は、突然冷水を浴びたかのように俺を現実に引き戻した。
「ごっ、ごめん……!」
慌てて彼女から離れるが、顔が熱くなるのが自分でもわかった。
何をしているんだ俺は!
「変なことはしないって言ったのに、俺!」
「待って」
彼女から早く離れようと背を向けるとすぐに腕を掴まれ引き止められる。その手に触れられて、まだ冷めない情欲がすぐに灯り、細い手首を掴み扉に押し付けた。
離れたほうがいい。だが、離したくない。
「アリサ、頼む……、今日はだめだ。俺に、近づかないで」
彼女に赤くなっているであろう顔を見られ、恥ずかしさと情けなさに顔を見ることができない。今すぐにでも襲い掛かりそうな自分の欲望に気がつき、自分にもこんなに激しい部分があったことに驚いた。こんなにも強く、彼女に執着している。
「ユーリ、こっちを見て」
優しく囁くようなアリサの声に、恐る恐る視線だけを向ける。
緑色の瞳がじっと俺を静かに見つめるのを、あの日の美しいと思った瞳を思い出し見入っていると、彼女は突然俺の唇に噛みつくように口付けをした。思わず後ろに身を引きそうになるのを、彼女の唇が阻むように下唇を噛む。
(もう駄目だ)
抗えない。彼女の香りと唇の柔らかさを知ってしまったから。
貪るように口付けを交わし、彼女を抱き上げてベッドへと移動する。
『――私、そういうの嫌なのよ』
彼女の言葉が蘇る。
溺愛が嫌だと言っていた。そういうことに疲れたんだと。だからお互いに「形だけ」の交際をしようと約束を交わし、こうして今一緒にいる。
(俺の下心を知ったら、離れるだろうか)
『――私たちのあいだに恋愛感情がないから』
俺の、こんな欲望だらけの気持ちを知ったら彼女はどう思うのだろう。下心があって近づいたと知ったら、彼女はこの関係を終わらせるのだろうか。
ベッドに横たわるアリサを見下ろすと、俺に手を伸ばしふわりと笑った。
「ユーリ」
名前を呼ばれ、思考が霧散する。
終わりになんてしない。
俺は絶対に彼女を手に入れる、そう決めたんだ。
それがなんて名前の感情かなんて、そんなのは知らない。
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