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17 ユーリ4
しおりを挟む「アリサ様に素敵なドレスをお贈りしてくださいませ」
アリサの支度を手伝ったノラが俺の部屋へ来てそう言うのを、ギルバートが手にしているジャケットに袖を通しながら聞いて思わず苦笑した。
「もちろんそのつもりだよ」
「せっかくお美しい方だというのに、あまりご自身を着飾ろうという気持ちはないようですわ」
「それでも彼女は十分魅力的だよ」
「それはわかっております!」
でもそうじゃないのだと、ノラは女性のドレスやアクセサリーがいかに大切かを語る。
「俺じゃなくてアリサに言いなよ」
「私が言うよりもユーリ様からお贈りになった方が効果がありますわ」
「効果? なんの?」
「ご自分でお考え下さい」
「なにそれ」
ギルバートに差し出されたトレーからクラバットのピンを一つ選ぶ。選んだのは緑色の石が付いたものだ。
「ユーリ様、昨日捕らえた者のうち一名の身元が判明しました」
ギルバートはクラバットにピンを刺しながら淡々と報告をする。
「やっぱりゲオルグ派だった?」
「傍系です」
「よく口を割ったね」
クラバットと同じ色のハンカチーフを胸もとに入れながら、珍しくギルバートは口端をわずかに上げた。
「直系から差別されていた不満もあるのでしょう。所詮汚れ仕事を負わされるのは自分たちだと」
「切られたか」
別に珍しくもない。血の繋がりなどなんの助けにも、保障にもならないのだから。
「今は食事を与え、少しずつ聴取を進めています」
「わかった。ある程度まとまったら教えて。殿下にもアポイントを」
「承知しました」
ギルバートは眼鏡の奥の灰色の瞳をうっすらと細め俺を見た。そのもの言いたげな目つきに、思わず身を引く。
「なに?」
「お似合いですよ、坊ちゃま」
「!」
「あらあら」
そばで聞いていたノラが声を上げて笑う横を通り過ぎ、ギルバートは静かに退室した。
「坊ちゃまはやめてほしいな」
「あら、でも楽しそうにしているのを見るのは久しぶりですもの。私もなんだか嬉しくなりますわ」
「楽しそうにって」
子供のころから側にいる二人は時々こうして俺を坊ちゃまと呼ぶ。恥ずかしくなるからやめてほしい。
「頼むからアリサの前でそう呼ばないでよ」
「あらあら」
ノラはおかしそうに声を上げて笑うと、俺の正面に立った。
普段は気がつかないが、彼女もギルバートも歳を取った。そろそろ引退し、田舎に引っ込んでもいいくらいだというのに俺に付き合ってまだ危険な中に身を置いている。
「アリサ様には何とご説明されるのですか?」
「そのまま」
「すべて?」
「そう。すべて」
俺のこと、仕事のこと、すべて。
彼女がそれを受け入れるか拒否をするか、選ぶのは彼女だ。
でも、絶対に手離したくない。
そう思う俺はあの男と何ら変わりないのだろう。
「きっとそれは問題ではありませんわ」
「言い切るの?」
ノラは困ったように眉尻を下げ、クラバットを直しながら俺を見た。
「お気持ちはお伝えしましたか?」
「……い、や、まだ」
「だというのに昨夜は無理を強いたのですか?」
「いや、強いたというか、ええと……」
当然だがバレている。
何を言っていいのか分からずウロウロと視線をさまよわせると、ノラは大きくため息をつき俺の胸をトン、と指で突いた。
「ユーリ様は相応の覚悟をもってアリサ様を連れてこられたのでしょう。だというのに、何も知らないまま巻き込まれるのはアリサ様の本意ではないはずですわ」
「彼女を巻き込まないようにも、」
「また同じように狙われます」
その言葉にぐっと息をのむ。
昨夜は彼女が誰なのか、何者なのか探りに来た者たちがいた。そしてもうすでに調べがついているだろう。
こうなることはわかっていた。巻き込むべきじゃないことも、けれどもう遅いことも。
「巻き込まないことなど無理な話ですわ。ですから早く終わらせてくださいませ。そして、その胸の内を早くアリサ様にお見せになるといいのです。あの方は決して、ユーリ様のすべてを知って離れるような方ではありませんわ」
「言い切るね」
「あらあら」
ほほほ、とおかしそうに笑うとノラは腰に手を当て胸を張った。
「私はあなた様の乳母ですからね。なんでもわかっているのですよ」
そう言って、目尻の笑い皺を深く刻み高らかに笑った。
*
アリサとの買い物は想像以上に楽しかった。
彼女をよく観察して視線を追い、見ているものを見る。気になるものを見た時の少し目を見開く姿も、何も言わなくても頬を染める姿も、言葉はなくても彼女の気持ちが分かり、嬉しかった。
小さな楽器屋のウィンドウに並んでいた硝子のオルゴールを見つけた時の彼女は、本当にかわいかった。
「――これが気になる?」
ウィンドウに張りつき、じっと隅に置かれたガラスの箱を見つめる彼女の横顔に声を掛けると、ぱっと顔を上げ頬を赤くした。
「気になるというか、きれいだなって思って」
「見せてもらおうか」
「でも」
「見るだけだよ。ね」
彼女の手を引いて店に入る。扉のベルがカランとひとつ鳴ると、店の奥から年老いた姿勢のいい店主が出てきた。
「あのウィンドウにある硝子の箱を見せてもらいたいんだ」
「かしこまりました」
店主はウィンドウから小さなガラスの箱を取り出した。
「これは、小物入れ?」
「オルゴールですよ」
「オルゴール?」
アリサの声が弾む。
「ええ。何年か前に発表された曲の一部ですがね、美しいフレーズを切り取ったものです」
店主はそう説明しながらオルゴールの裏にある巻ネジをアリサに見せた。
「この巻ネジが止まるまで回してから蓋を開けてみてください」
「これね」
アリサは箱を受け取ると裏の小さなネジをキリキリと回し、そっと蓋を開けた。
「まあ、これ……」
それは十年前、王太子の立太子を祝って作られた音楽だった。
「懐かしいわ! 私この曲が好きだったの」
「聞いたことがあるの?」
「ええ、十年前にね、立太子を祝う祝賀会があった時に両親と王都へ来たことがあるの。私はまだ子供だったから昼のお茶会にしか出席しなかったんだけど、この曲をオーケストラが演奏しているのを一度聞いたことがあって。とても素敵だったわ」
アリサの言葉に、身体の内側から感情が溢れそうになった。
(そう、あの時俺は君と会ったんだ)
これは一体どんな感情だろう。何という名の感情だろう。
澄んだ音色に耳を傾けながら、アリサがふと顔を上げ俺を見た。緑の瞳がキラキラと美しく輝いている。
「あなたもお茶会に参加した?」
その言葉に胸が高鳴る。口元を片手で覆うが、平静を装えているだろうか。
「――うん、参加したよ」
「まあ! それならその時に同じ場所にいたかもしれないわ。会えたらよかったのに」
「俺に? どうして?」
「十年前ってユーリは十六歳でしょう? 少年のあなたはきっとかわいらしいと思うの」
「じゃあ十二歳の君は、大人っぽくて美しかっただろうね」
「それはどうかしら!」
頬を染め楽しそうに声を上げて笑う彼女は、この上なく美しくて、かわいい。
(かわいい。かわいいな)
音楽がゆっくりと鳴りやむと、アリサはほうっと小さく息を吐き出した。
嬉しそうにほほ笑んだまま手の中のオルゴールを見つめる彼女を、人目も憚らず抱きしめたかった。
そんな気持ちをごまかすように、彼女の手からオルゴールを取り店主に渡す。
「これをもらおうかな」
「ありがとうございます。お包みするので少々お待ちください」
店主がにこやかにオルゴールを手にカウンターへ向かう。アリサが慌てて俺の腕に触れた。
「ユーリ、私自分で……」
「だめ。アリサの好きなもの第一号だろ? 俺に贈らせてよ」
「でも」
「俺が贈ったものを部屋に置いてほしいんだ。だめ?」
「だ、ダメじゃないわ」
「ふふ、よかった」
アリサは顔を赤らめて視線をさまよわせると、そっと俺の手を掴んだ。長いまつげが瞳を隠し、白い肌がほんのりピンク色に染まる。
ああ、食べてしまいたい。
「ありがとう、ユーリ」
そんなふうにかわいらしく言うものだから。
店主が背を向けている隙にさっとその唇に口付けをした俺は、多分悪くない。
それだけで済んだことをむしろ褒めて欲しい。
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