つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました

樹里

文字の大きさ
295 / 315

第295話 未熟な二人だから

しおりを挟む
 私は笑顔を貼り付けて殿下の前に姿を現すと丁寧に礼を取る。

「ごきげんよう、エルベルト王太子で――っ」

 最後まで言い切る前に私は殿下の腕の中にいた。強く、とても力強く抱きしめられていた。

「ロザンヌ嬢。つらい思いをさせて悪かった。君一人に抱え込ませて悪かった」

 殿下に何を言われても反論するか、上手く受け流すつもりでいたのに、殿下の熱に包まれて戦意が溶かされてしまう。

「……殿下」

 すると。

 ――ゴホッ。
 ――ゴホンッ。
 ――ゴホホン。

 複数の咳払いで合唱し、今の状況に気付いた殿下ははっとして腕を解く。
 どうやら咳払いしたのは父と兄様方のようである。
 アシル兄様に左手を、シモン兄様に右手を引っ張られ、有無を言わせず殿下から引き離される。

「ロザンヌ。君はもう子供ではないのだから、たやすく人前で抱きついてはだめだよ」
「そうそう。俺たちにはいいけどね」

 あの。抱きついたのは私ではなく、殿下であり……。
 アシル兄様を見上げると、微笑みの中にも静かな圧を感じたので素直にごめんなさいと謝ると、良い子だねと頭を撫でてくれた。

 両親は苦笑しながら私たちの様子を見守っていたけれど、父が当主の威厳で話を切り出す。

「とりあえずロザンヌは会話が足りなかったようだね。ちゃんと殿下とお話ししなさい。それとアシル、シモン。ロザンヌをそろそろ離そうか……」

 兄様たちからがっしり抱え込まれた私を見て、父は再び苦笑いした。


 応接間に殿下と私、そしてジェラルドさんとユリアが同席することになった。ただし、彼らは視界に入ると会話の邪魔になるので壁際に立って状況を見守りたいと言う。

 というわけで、テーブルを挟んで向かい合わせになっているのは殿下と私のみだ。ユリアも私の側に付いてくれないので心細い。
 あらためて顔を突き合わせると何から話せば良いのか分からず、私は口を噤む。

「ロザンヌ嬢。こちらを見てくれないか」

 いつの間にかうつむいていたらしく、殿下からの呼びかけで私はおもむろに顔を上げた。
 まずは謝罪のお言葉を述べよう。

「……はい、殿下。この度はこんなに遠い場所までご足労いただき、誠に申し訳ありませんでした」
「先ほども言った通り、謝るのはこちらの方だ。君を追い詰めてしまったのは私の方だ」
「ありがとう存じます。そのお言葉を頂けただけで十分でございます」
「十分とは? 何が十分だ!?」

 ソファーから立ち上がる殿下が何やら殺気を感じたらしく、はっと壁際を見る。

「分かった分かった。座って冷静に話すから、今にも短剣を投げつけてきそうな視線を寄越さないでくれ」

 どうやらユリアは殿下に狙いを付けているようだ。
 殿下は顔を引きつらせながら、ソファーに腰を下ろした。

「ロザンヌ嬢、私のことが嫌になったか?」
「え?」
「君の思いつめた気持ちを察することもできず、悠長に構えていた私が。不甲斐ない私が」
「そんなことは……」

 私が殿下を責める所なんてない。私は私の立場を考え、行動したにすぎないのだから。そこに殿下のお気持ちを入れなかったのは私の、そう……弱さだ。
 殿下が私との未来を語ってくれなかったのではない。私自身が語ろうと、お尋ねしようとしなかった。殿下との未来を描こうとしなかった。

 エスメラルダ様のように高潔に身を引いたのではない。私がしたことは身分差を理由に何に対しても抗おうともせず、ただ一人逃げ出しただけだった。

「不甲斐ないのはわたくしの方です」
「え?」
「わたくしは自信も勇気もなく、聞き分けの良い貴族の娘を演じるしかなかったのです」

 殿下は重く息を吐く。

「それは私を信じきれていなかったからということだな」

 私はその問いには答えることができなかった。はいと答えれば、殿下に責任を押し付けてしまうからだ。
 けれど殿下は。

「……悪かった」

 半ば目を伏せて私に謝罪の言葉を告げる。

「なぜ殿下が謝罪なさるのです」
「そうさせてしまったのも全て私のせいだからだ。私が君に自分の気持を伝えなかったから。だから私を信じてもらえなかった」

 殿下だけが悪いのではない。私もまた確かめる勇気がなかったからだ。私たちは何も話してこなかった。

「君はまだ学生で、言えば君に負担をかけるだけだと思っていた。だから言えなかった。昨日から少し様子がおかしいと気付いていたのに、情けないな。それでも楽観的にこれまでの生活が君の卒業まで続くと信じていたんだ」

 私はいつか終わるものだと思っていた。頭の片隅にはいつもその考えがあった。殿下よりずっと現実を見つめていて冷静だと信じていた。それでも本当は心構えなんてできてはいなかったんだと思う。

「日常は過ぎ去った後に平凡な日々だったと気付くものだ。人はいつだってある日突然現れる非日常に対して覚悟はできていない。だから対処を間違えることだってある」

 私もまた間違ったのだろうか。こんな表情をさせるなんて、私は殿下を傷つけたのだろうか。

「しかし間違えたと気付いたのならば、気付いたその時にやり直せばいい」

 ソファーから立ち上がり、テーブルを回って殿下が私の元へと近付いてくる。

「ロザンヌ・ダングルベール子爵令嬢」

 殿下は艶と深みのある低い声で私の名前を呼ぶ。そして片膝をついた殿下は熱っぽい瞳で私を見上げた。

「これから先もずっと私の側にいて人生を共にしてほしい」
「っ」

 私たちの未来を語り、手を差し伸べてくる殿下に胸が一杯になる。けれどやはり……手を取ることにためらいがある。

「君にとって重要なのは、私が君を想う気持ちよりも父の、陛下の言葉なのか?」
「違っ……あ」

 すぐさま否定しようとして私は慌てて口をつぐむ。

「これからの人生も試練がいくつも待ち受けているだろう。つらいことも多いだろう。互いに傷つけ合うこともあると思う。けれど私は君と一緒にそれらを乗り越えたい。君を愛している。――結婚してほしい」

 きっと愛と言うには成熟していない二人だ。共に言葉足らずで、力足らずで相手を守るどころか傷つけてしまう。けれど……私はこの方の側にいたいと思った。一緒に生きたいと思った。未熟な二人だからこそ手を取り合って生きていきたいと、そう思った。だから。

「……はい。喜んでお受けいたします」

 私は胸に抑えきれない熱を抱きながら、殿下の手に震えた自分の手をそっと重ねた。
しおりを挟む
感想 262

あなたにおすすめの小説

身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~

椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」 私を脅して、別れを決断させた彼の両親。 彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。 私とは住む世界が違った…… 別れを命じられ、私の恋が終わった。 叶わない身分差の恋だったはずが―― ※R-15くらいなので※マークはありません。 ※視点切り替えあり。 ※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。

牢で死ぬはずだった公爵令嬢

鈴元 香奈
恋愛
婚約していた王子に裏切られ無実の罪で牢に入れられてしまった公爵令嬢リーゼは、牢番に助け出されて見知らぬ男に託された。 表紙女性イラストはしろ様(SKIMA)、背景はくらうど職人様(イラストAC)、馬上の人物はシルエットACさんよりお借りしています。 小説家になろうさんにも投稿しています。

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!

夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。 しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。 ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。 愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。 いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。 一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ! 世界観はゆるいです! カクヨム様にも投稿しております。 ※10万文字を超えたので長編に変更しました。

アンジェリーヌは一人じゃない

れもんぴーる
恋愛
義母からひどい扱いされても我慢をしているアンジェリーヌ。 メイドにも冷遇され、昔は仲が良かった婚約者にも冷たい態度をとられ居場所も逃げ場所もなくしていた。 そんな時、アルコール入りのチョコレートを口にしたアンジェリーヌの性格が激変した。 まるで別人になったように、言いたいことを言い、これまで自分に冷たかった家族や婚約者をこぎみよく切り捨てていく。 実は、アンジェリーヌの中にずっといた魂と入れ替わったのだ。 それはアンジェリーヌと一緒に生まれたが、この世に誕生できなかったアンジェリーヌの双子の魂だった。 新生アンジェリーヌはアンジェリーヌのため自由を求め、家を出る。 アンジェリーヌは満ち足りた生活を送り、愛する人にも出会うが、この身体は自分の物ではない。出来る事なら消えてしまった可哀そうな自分の半身に幸せになってもらいたい。でもそれは自分が消え、愛する人との別れの時。 果たしてアンジェリーヌの魂は戻ってくるのか。そしてその時もう一人の魂は・・・。 *タグに「平成の歌もあります」を追加しました。思っていたより歌に注目していただいたので(*´▽`*) (なろうさま、カクヨムさまにも投稿予定です)

【完結】地味な私と公爵様

ベル
恋愛
ラエル公爵。この学園でこの名を知らない人はいないでしょう。 端正な顔立ちに甘く低い声、時折見せる少年のような笑顔。誰もがその美しさに魅了され、女性なら誰もがラエル様との結婚を夢見てしまう。 そんな方が、平凡...いや、かなり地味で目立たない伯爵令嬢である私の婚約者だなんて一体誰が信じるでしょうか。 ...正直私も信じていません。 ラエル様が、私を溺愛しているなんて。 きっと、きっと、夢に違いありません。 お読みいただきありがとうございます。短編のつもりで書き始めましたが、意外と話が増えて長編に変更し、無事完結しました(*´-`)

0歳児に戻った私。今度は少し口を出したいと思います。

アズやっこ
恋愛
 ❈ 追記 長編に変更します。 16歳の時、私は第一王子と婚姻した。 いとこの第一王子の事は好き。でもこの好きはお兄様を思う好きと同じ。だから第二王子の事も好き。 私の好きは家族愛として。 第一王子と婚約し婚姻し家族愛とはいえ愛はある。だから何とかなる、そう思った。 でも人の心は何とかならなかった。 この国はもう終わる… 兄弟の対立、公爵の裏切り、まるでボタンの掛け違い。 だから歪み取り返しのつかない事になった。 そして私は暗殺され… 次に目が覚めた時0歳児に戻っていた。  ❈ 作者独自の世界観です。  ❈ 作者独自の設定です。こういう設定だとご了承頂けると幸いです。

【完結】一番腹黒いのはだあれ?

やまぐちこはる
恋愛
■□■ 貧しいコイント子爵家のソンドールは、貴族学院には進学せず、騎士学校に通って若くして正騎士となった有望株である。 三歳でコイント家に養子に来たソンドールの生家はパートルム公爵家。 しかし、関わりを持たずに生きてきたため、自分が公爵家生まれだったことなどすっかり忘れていた。 ある日、実の父がソンドールに会いに来て、自分の出自を改めて知り、勝手なことを言う実父に憤りながらも、生家の騒動に巻き込まれていく。

辺境伯へ嫁ぎます。

アズやっこ
恋愛
私の父、国王陛下から、辺境伯へ嫁げと言われました。 隣国の王子の次は辺境伯ですか… 分かりました。 私は第二王女。所詮国の為の駒でしかないのです。 例え父であっても国王陛下には逆らえません。 辺境伯様… 若くして家督を継がれ、辺境の地を護っています。 本来ならば第一王女のお姉様が嫁ぐはずでした。 辺境伯様も10歳も年下の私を妻として娶らなければいけないなんて可哀想です。 辺境伯様、大丈夫です。私はご迷惑はおかけしません。 それでも、もし、私でも良いのなら…こんな小娘でも良いのなら…貴方を愛しても良いですか?貴方も私を愛してくれますか? そんな望みを抱いてしまいます。  ❈ 作者独自の世界観です。  ❈ 設定はゆるいです。  (言葉使いなど、優しい目で読んで頂けると幸いです)  ❈ 誤字脱字等教えて頂けると幸いです。  (出来れば望ましいと思う字、文章を教えて頂けると嬉しいです)

処理中です...