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第四幕・魔鏡伝説(前編-06)

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「未羽、無影灯を術野に合わせろ」
未羽は無影灯を調節する。

「もう少し上、そのまま右だ・・・。よしっ」
雫の目が無影灯に照らされたファナの肺部を見定める。

「ペアン、イソジン。術野を消毒する」
ファナの肺部が広範囲に茶色く染まった。

「紅蘭、メス。真ん中だ」
<パシッ>
紅蘭から受け取った雫は、ファナの皮膚にメスを入れて行く。

(出血が少ない・・・。切り口が鮮やかだからなのか)
紅蘭の目が釘付けになる。

(医療関係者では無いワタシでも分る。この雫と言う外科医、腕は確かだ。正に、天才・・・)

「鉤(こう)、コッヘル。左から3番目とその隣だ。グズグズするな」
雫の声に紅蘭の反応が一瞬遅れた。

 次々と指示を出しながらも雫の手は止まる事無く、繊細な指捌きを見せている。

「未羽、汗!」
慌ててガーゼを持った未羽が雫の額の汗を拭う。


 雫のメスが筋膜下層まで届き、肺部に達した時――

「あった! 紅蘭、膿盆を寄こせ」
弾丸が摘出される。

<カラン>
血塗れの銃弾が膿盆の上に転がった。

「未羽、ガーゼ。大目にだ。紅蘭、持針器と縫合糸。その黒糸と隣のヤツだ。ナートする」
横目で紅蘭が取った器械を確認して、それを受け取る雫。

(女の子だからな。少しでも傷跡が少なく・・・。目立たない様に・・・)
雫はそう思いながら、細かく丁寧に縫合を続けて行く――


「バイタルは?」
「BP100/60mmHg、HR66回、BT34.9℃か。RR10回!」
手術を開始した時よりも数値が上昇したのを見て、未羽の声のトーンが上がる。

「安定しているな。よし、このまま続けて大腿部のナートに移る」
正に、目にも止まらぬ早業であった。
瞬く間に縫合は終了し、患部はテープで固定される。

(レベルが違う・・・。これは、そう・・・。ゴッドハンドだ)
未羽も戦場で野戦病院に運ばれた仲間の手術を介護した経験もある、ナイフ1本で弾丸を摘出した経験もある。
だが、雫の手の俊敏さは常軌を逸していた。

(ワタシも人体構造は学んだ・・・。しかし、これ程の大手術だというのに何故だ? この出血量の少なさは・・・)
紅蘭は雫の横顔を食い入る様に見つめていた。


 凡そ40分後――

「FIN!」
雫の手により、1人の少女の命が救われた瞬間であった。


これまでに見た事が無い程に優しい笑みを浮かべて――


「雫。有難う、ファナを助けてくれて。改めて、礼を言う」
涙目になって雫を見上げ、その手を取る未羽。

「未羽に礼を言われる筋合いは無い。私は医者だ、目の前にある命の炎は絶対に消さない」
「雫も疲れただろう?」
紅蘭の目にも涙の跡が見えた。

「紅蘭、悪いが脳が限界だ。何か甘いモノ・・・。そうだな、角砂糖と水があれば有難い」
「探して来よう。何か有るだろう」
「待て、私も行く」
走り出した紅蘭の後を未羽も追って行った。


 手術室に残った雫は、麻酔が効いて眠っているファナの傍らに立ち、頭を撫でて柔らかな髪に触れる。

(よく頑張ったな。偉かったぞ)

そう心の中で呟いた雫の顔は、これまでに見た事の無い優しさに満ちていたのであった。



「雫、有ったぞ。これで良いのか?」
紅蘭が角砂糖の入ったシュガーポットとガラスの瓶に入ったミネラルウォーターをトレイに載せて持って来た。

「他にも、こんなのが有った」
未羽の持ったトレイには、フルーツジュースの缶が載っている。

「私はこれで良い。そっちはお前達で飲むといい」
そう言った雫はツカツカと紅蘭に近づくと、シュガーポットを取り、テーブルに置くと蓋を開け角砂糖を摘まみ出す。

「よしっ」
1人でそう頷くと、雫は角砂糖をヒョイと口の中へと放り込んだ。

「なっ!」
「不敢相信!(信じられないの意味)」

驚く未羽と紅蘭を尻目に雫はバリバリと角砂糖を噛み砕き、ミネラルウォーターを口に含むとゴクリと飲み干す。

「どうした? お前達も欲しいのか? ほら、遠慮するな」
「いや」
「いらん」
「なんだ? 脳の疲れには最適だぞ」
呆気にとられる未羽と紅蘭の横で、雫は角砂糖を口に入れ・噛み砕き・ミネラルウォーターで飲み込むという動作を何度も繰り返した。

 それが5、6回も続いたであろうか――

「そろそろ、私の脳も満足した。では、帰る」
そう言った雫は眼鏡のフチを持って、軽くレンズを持ち上げる。


「うわっちやぁぁぁぁっ! ペッペッペッ!」
大声を上げて騒ぐ姿は、ヤミに戻っている証拠である。


「また、雫のヤツめぇぇぇっ。糖質ばっかり取ると太るから止めてくれって言ってるのにぃ。あの角砂糖オタクがっ!」
ヤミが如何に騒ごうと、飲み込まれたモノは――


「全くぅ、アレさえ無ければ、良いヤツなのにぃ」
「ヤミ」
神妙な面持ちの未羽がヤミに近づく。

「ん? どしたの、未羽ちゃん?」
「その・・・、有難う。ファナを救ってくれて」
「何の事ぉ? 雫が勝手にやった事じゃん。ボクは知んない。ねぇ、紅蘭ちゃん?」
ニッコリと笑ったヤミが紅蘭へと目線を移す。

「全くだな」
紅蘭も満足そうに微笑み返す。

こうして、ファナの手術は無事に終わったのである。



「さて・・・」
「そろそろ」
「頃合いだな」
ヤミが言い出し、紅蘭が同調して未羽が頷いた。


「このファナって娘の事、聞かせて貰おっかぁ。未羽ちゃん」
「何から話せば良いのか、分からないが・・・」
未羽は遠くを見ながら、1つ1つを思い出す様に語り出したのであった。

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