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第四幕・魔鏡伝説(前編-05)

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【コミエンゾ・シウダッド】、【テオティワカン】の近くにある村――


「着いたな。先ず病院へ」
「確かこっちの方に診療施設が有った筈」
未羽のジープが先導して、街の中へと入って行く。

「おかしいな。随分、閑散としている。もっと人が溢れていたのに」
ジープを停めて、街中を見回すが、殆ど人の姿が見当たらない。

「まるで、ゴーストタウンだ。本当にここなのか?」
紅蘭もバイクを止めて辺りを見回す。

「どうした? ヤミ?」
バイクを降りたヤミが普段からは想像もつかない真剣な表情で周囲を伺いブツブツと独り言をつぶやいている。

(絵瑠夢、これは? そっかぁ、最悪の事態になっちゃったのかぁ)
「おい! ヤミ!」
「うわっ! びっくりしたぁ」
急に紅蘭から呼ばれ驚くヤミ。

「最近、独り言が多いみたいだぞ?」
「んーと、まぁ。色々とねぇ・・・。ところでさぁ、コレが病院?」
「【コミエンゾ・シウダッド】唯一の診療機関だった。以前は、な」
未羽も2階建ての建物を見上げる。

正面玄関らしき所に【赤十字】のマークがあるところを見ると、医療機関である事は間違い無い――


「済みませーん! 誰か居ませんかぁっ? 怪我人が居るんですけどぉ!」
声を張り上げて呼んでみるが返事は無い。

<ギイィィィィッ>
軋むドアを開けて、ヤミは中に足を踏み入れる。

「取り敢えず、ファナを中へ運ぶ」
「手伝おう」
ヤミが施設内を見て回っている間に、未羽と紅蘭はファナを2人でそっと抱き上げ、静かにストレッチャーに移動させる。

「今は何とか、保っているが・・・」
「体温の低下も著しい。輸血も必要だろう」
2人がファナを気遣っていると、ヤミが戻って来た。

「どうだった?」
「残念だけど、医師も看護師も誰も居ないね。ラッキーなのは電気が通っていて、必要な器具もそれなりに揃ってるってとこかなぁ」
「天才薬剤師のお前が言うならそうなのだろうが」
紅蘭は遠慮がちに言葉を濁した。

「ファナは肺近くに被弾している。今は紅蘭のお蔭で何とか持ちこたえているに過ぎない」
未羽は眠っているファナの額を優しく撫でる。

「弾を早く取り出さないと鉛毒が広がる。出血もかなり多い」
紅蘭も心配そうにその横に立った。

「私が、やる。ファナを殺す訳には行かない」
「無茶だ。戦場で手足の弾を取り出すのとは訳が違う!」
「分かってる。だが、今やらなければ!」
「ストーップッ!」
血気に逸る未羽の眼前に両手を広げてヤミが立ちはだかった。

「ヤミ?」
「お前?」
「まったく、2人共ぉ。ボクを誰だと思ってるのさぁ、10の顔を持つ魔女だよぉ」
「それじゃ?」
「出来るのか?」
「滅多に出てこない娘なんだけどさぁ。こんな時は素直に出て来てくれるんだよねぇ」
そう言ってヤミは眼鏡のレンズに自らの瞳を反射させた。


「ふうっ」
改めて眼鏡のツルを持ち上げる仕草は、ヤミの動きでは無い。
他の誰か、知性と絶対的な自信を感じさせる表情が見えて来る。


「患者は、この娘か・・・。肺部至近に被弾。他、外傷多数。顔面蒼白、チアノーゼ症状も有り、呼吸も浅い。一刻を争うな」
「お前は・・・」
「一体・・・」
唖然とする未羽と紅蘭に向き直った人影が口を開いた。

「私は、雫(しずく)・ミュレール。エクスマルセイユ大学に席を置く外科医だ」
「聞いた事がある、フランスの最高医学府に【Reine blanche(レーヌ・ブランシュ)】と呼ばれる天才外科医が居ると・・・」
「白の女王・・・」
「悪いが、私に失敗は無い。 さぁ、私の患者を直ぐにオペ室に運んで貰おうか」

新たなヤミの一面が姿を現した瞬間であった。



「紅蘭は【器械出し】、未羽は【外回り】に入れ。意味は分かるな?」
知っていて当然と言う態度に、思わず未羽と紅蘭は頷く。

※【器械出し】とは、手術室内で医師の近くでメスなどの器具を渡す役目を果たし、【外回り】とは手術中に器械を操作したり、患者の容態を確認する役目を果たす。

「今の状態では、2時間以内に手術を終えなければならない」
「そんな短時間に?」
「ワタシ達はプロじゃないぞ」
雫の言葉に動揺する未羽と紅蘭。

「並の医者なら、恐らく2時間を切れるかどうかだろう」
「設備と人員が揃っていてだろっ」
「・・・」
不安気な視線の2人を見た雫が、無表情に言い放つ。
「1時間以内に全てを完了させる。いいなっ!」
雫の指示の下もとにストレッチャーが手術室に入り、<イチ・ニッ・サンッ・・・>の掛け声と共にファナが手術台へと移された。
その後、雫は必要な器具を滅菌台の上に並べながら、立て続けに指示を出す。

「未羽、患者の衣服をシザーで切れ。紅蘭は心電図を装着、ぼやぼやするなっ!」
未羽と紅蘭は黙ってその指示に従う。

「今から全身麻酔をする」
雫はファナの様子を観察しながら、テキパキと手術前の準備を進めていく。

「先にルートキープするか」
薬剤を点滴ボトルに詰め、あっと言う間にファナの片手に点滴の処置をし、次の行動に移る。

「未羽、紅蘭。手指の洗浄をするぞ、来い」
手術台に乗せられたファナを心配そうに振り返る2人――

「心配するな。患者は麻酔で眠っている。今は痛みも感じない、行くぞ」
3人は手術準備室で手指の消毒・洗浄を済ませ、術衣と手袋を着用すると手術室へ戻る。

「BP(血圧)96/40mmHg、HR(心拍数)55回、BT(体温)32.3℃か。RR(呼吸数)7回・・・。かなり弱いな。急ぐぞ」
手術室が緊迫したムードに包まれる。

<Pi Pi Pi>
シーンと静まり返った手術室内にモニターの音だけが聞こえていた。


「これより、肺部の弾頭摘出及び大腿部・側腕部裂傷の縫合術を行う」
無表情のまま、雫が淡々と術式を口にした。

「皆、宜しく」
「宜しくお願い致します」
「请指教(宜しくお願い致しますの意)」

ファナの命を救うべく手術が開始された。


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