砂姫の冒険記録──白き魔女と黒の使い魔は砂姫のために──

夜兎

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剛力のトログ

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「……ねぇ、なんで動かないの」

 吹き飛んだ大男は動く様子もなく、まるで死んでいるかのようなその姿に、オネも少々焦っているようです。
 しかしあれだけ頑丈な男なので、そもそも痛手を負っているのかすら怪しいのですが……。

「……なんで殴りかかってこねぇんだよ」

 仰向けのまま喋る男の声に、オネが安堵のため息をつきました。どんな相手であれ、命は奪いたくないのでしょう。

「無抵抗の相手を殴るほど、私は堕ちたくない」
「……甘いな」

 一体彼は何を思い、何を考えているのでしょうか。

「こんな甘いやつに飛ばされるとは、俺もまだまだ甘い」

 男が体を起こしオネを睨んで見せ、オネもお返しと言わんばかりに睨み返します。

「はぁ……仕方ない。ここで黒龍も魔女も見逃したんじゃ、面子がないんでな。……本気でやらせてもらう」
「今まで本気じゃなかった、て言いたいの?」
「笑止だな小娘──いや、オネとか言ったか」
  
 自分の名前を言われたためか、彼女の警戒心が高まっているようですね。身構えて彼の言動を観察しています。

「いやぁ、覚えやすくて助かるよ。俺は名前を覚えるのが苦手でね。ウィリアムの名前を覚えるのだって、中々苦労したんだぜ?」
「なんの話?」

 あまりに取り止めのない話ですね。何の意図があるのでしょうか……?
 男は不敵な笑みを浮かべながら言葉を続けるようですね。その手元からは、わずかに金属のぶつかり合う音が聞こえてきます。

「俺の記憶力があまり良くないって話だよ。さっきの──魔女の兄貴か? なんつったか──」
「マシューがなに!」

 明らかな挑発ですが、今のオネに耐えられるはずもなく、正面から男へとぶつかります。
 直線的な攻撃ですが、先ほどの打ち込みから考えれば、勝てる可能性は十分にあるとは思いますが……。

「やっぱり分かりやすいな、お前は」

 男が悪態を吐くと、オネの拳が彼の鳩尾にもう一度入りました。
 ──しかし、彼女が打ち込んだ時点で既に、鎧の中には男の姿がありません。

「どこに──」
「相変わらず詰めが甘いんだよ、オネ」

 右から聞こえる声にオネが反応しますが、直後には弾かれ、宙を飛んで地面を転がっていきます。先ほどまでの一撃とは明らかに違いますね。

「さすが伝説の黒龍だな。いい反応だ」

 体勢を整えながらも、息を荒くするオネの表情は歪んでいますが、鎧からの一撃の時と比べればまだ余裕があるように感じますね。
 その脇腹に厚く纏われている砂が守ってくれたのでしょう。

「今のは、なに……?」
「俺はなぁ」

 困惑するオネの視線の先、余裕の笑みで彼女を見据える男の姿があります。
 先ほどの脱ぎ捨てた鎧を片手で持ち上げ、高く掲げて見せました。

「剛力のトログって呼ばれてるんだ。……力だけなら、誰にも負けん」

 驚嘆するオネに向かって、その鎧を放り投げてきます。

「なにそれ!」

 勢いも凄まじく、彼の力の度合いが分かりますね。

「舐めないで!」

 オネは体勢を整えると、その場を駆け出し鎧を避けながらトログとの距離を詰めていきます。
 その間、蛇の砂を徐々に周囲へと纏っているようです。
 
「その程度で俺の拳を止めれるとでも思っているのか? 力、てのは重さだけじゃない……速度も載せることで真価が発揮する!」
「何を──」

 足と腕に力を込めているようですね。しかしオネも止まれない。彼女を覆う砂は二人に明確な隔たりを作り出しました。
 そして、オネを包んだ砂の塊が、彼にたどり着くまで残り数歩といったところに足を踏み込んだ瞬間──。

「今度こそさよならだ、オネ!」

 貧民街に響く轟音、そして振動と共に彼の姿は、砂の隔たりから顔を覗かせるオネ──の砂像の眼前に拳を向けていました。

「あ?」

 彼の困惑の声から一息置くと、その眼前の砂の壁が、砂粒へと霧散していきます。
 拳圧から発生する猛風と共に晴れた、貧民街の凄惨な景色の中には、オネの姿はありません。どこへ行ってしまったのでしょう?

「今のは──」
「やっぱり目もいいね、君」

 トログの側面、高密度の砂で創られた、鉤爪を備える竜の巨腕を構えたオネの姿……その表情はとても爽快になっています。

「でも遅い」

 トログが反応し、体勢を整えるよりも早く、オネはその巨腕を彼へと叩きつけました。
 いくら巨体で頑丈な彼の体も、その砂の腕には逆らえないようです。抵抗虚しく叩きつけられ、息を詰まらせむせんでいます。

「君は間違いなく強い。私一人じゃ手も足も出なかった。──でも、ジンの力の前ではあなたも無力。これが伝説の黒龍の力だよ」

 疲弊しきった表情ではありますが、トログを力強く睨みつけています。

「本当に……そいつが……」
「そう。……まあ、本人──本蛇? は全然認めてないみたいだけどね」

 オネは解いた髪をもう一度、左側に結っていきます。彼女的にはもう終わりみたいですね。

「──たく、こんな小娘に負けるなんて考えもしなかったぜ……さっさととどめを刺せ」
「やだ」

 オネの単刀直入な返しに、トログが間抜けな顔になっています。……ちょっと良い気味ですね。

「なんだ──」
「私は人を殺さない。例え、あなたが今までに何人の人間を殺していようと……例えマシューのことがあったとしても」

 唇を噛みしめ、声を震わせながらも気丈に振る舞っています。彼女なりの矜恃きょうじというものがあるのでしょう。

「オネおねえちゃん! 大丈夫なの?」

 一層静かになった現状から、ハンナが戦闘が終わったことを理解したようですね。前も見えないのに、何度も転びながらオネに近づいてきます。

「ハンナ、待ってて。すぐそっち行くから」

 オネの声を聞いてもハンナは止まろうとはしません。呆れながらもどこか嬉しそうに微笑み、オネが歩き出しました。

「……あいつ、目が見えていないのか?」
「それが何か?」

 オネの回答に満足したのでしょう。トログは掠れたで高笑いを上げ、勝手に咽せています。

「何がおかしいの」
「いや、気にしなくていい。──どちらにしろ、お別れのようだからな」
「へ──」

 トログの謎の発言の後から、オネの表情が蕩け、直後には地面に倒れ込んでいました。
 ハンナもいつのまにか立ち上がらずに横たわっています。

「──あなたがここまでやられるなんて──何があったの?」
「少し厄介な戦闘だっただけだ。──それより、はずれだったな。ここには魔女も黒龍もいやしない」
「──だ、れ……?」

 意識が朦朧とするオネの耳に届く、上品な女性の声とトログの声。……でも、彼の発言には矛盾点が……彼女が誰なのか特定することもできず、疑問を抱いたままオネは意識を失ってしまいました。
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