12 / 20
剛力のトログ
しおりを挟む
「……ねぇ、なんで動かないの」
吹き飛んだ大男は動く様子もなく、まるで死んでいるかのようなその姿に、オネも少々焦っているようです。
しかしあれだけ頑丈な男なので、そもそも痛手を負っているのかすら怪しいのですが……。
「……なんで殴りかかってこねぇんだよ」
仰向けのまま喋る男の声に、オネが安堵のため息をつきました。どんな相手であれ、命は奪いたくないのでしょう。
「無抵抗の相手を殴るほど、私は堕ちたくない」
「……甘いな」
一体彼は何を思い、何を考えているのでしょうか。
「こんな甘いやつに飛ばされるとは、俺もまだまだ甘い」
男が体を起こしオネを睨んで見せ、オネもお返しと言わんばかりに睨み返します。
「はぁ……仕方ない。ここで黒龍も魔女も見逃したんじゃ、面子がないんでな。……本気でやらせてもらう」
「今まで本気じゃなかった、て言いたいの?」
「笑止だな小娘──いや、オネとか言ったか」
自分の名前を言われたためか、彼女の警戒心が高まっているようですね。身構えて彼の言動を観察しています。
「いやぁ、覚えやすくて助かるよ。俺は名前を覚えるのが苦手でね。ウィリアムの名前を覚えるのだって、中々苦労したんだぜ?」
「なんの話?」
あまりに取り止めのない話ですね。何の意図があるのでしょうか……?
男は不敵な笑みを浮かべながら言葉を続けるようですね。その手元からは、わずかに金属のぶつかり合う音が聞こえてきます。
「俺の記憶力があまり良くないって話だよ。さっきの──魔女の兄貴か? なんつったか──」
「マシューがなに!」
明らかな挑発ですが、今のオネに耐えられるはずもなく、正面から男へとぶつかります。
直線的な攻撃ですが、先ほどの打ち込みから考えれば、勝てる可能性は十分にあるとは思いますが……。
「やっぱり分かりやすいな、お前は」
男が悪態を吐くと、オネの拳が彼の鳩尾にもう一度入りました。
──しかし、彼女が打ち込んだ時点で既に、鎧の中には男の姿がありません。
「どこに──」
「相変わらず詰めが甘いんだよ、オネ」
右から聞こえる声にオネが反応しますが、直後には弾かれ、宙を飛んで地面を転がっていきます。先ほどまでの一撃とは明らかに違いますね。
「さすが伝説の黒龍だな。いい反応だ」
体勢を整えながらも、息を荒くするオネの表情は歪んでいますが、鎧からの一撃の時と比べればまだ余裕があるように感じますね。
その脇腹に厚く纏われている砂が守ってくれたのでしょう。
「今のは、なに……?」
「俺はなぁ」
困惑するオネの視線の先、余裕の笑みで彼女を見据える男の姿があります。
先ほどの脱ぎ捨てた鎧を片手で持ち上げ、高く掲げて見せました。
「剛力のトログって呼ばれてるんだ。……力だけなら、誰にも負けん」
驚嘆するオネに向かって、その鎧を放り投げてきます。
「なにそれ!」
勢いも凄まじく、彼の力の度合いが分かりますね。
「舐めないで!」
オネは体勢を整えると、その場を駆け出し鎧を避けながらトログとの距離を詰めていきます。
その間、蛇の砂を徐々に周囲へと纏っているようです。
「その程度で俺の拳を止めれるとでも思っているのか? 力、てのは重さだけじゃない……速度も載せることで真価が発揮する!」
「何を──」
足と腕に力を込めているようですね。しかしオネも止まれない。彼女を覆う砂は二人に明確な隔たりを作り出しました。
そして、オネを包んだ砂の塊が、彼にたどり着くまで残り数歩といったところに足を踏み込んだ瞬間──。
「今度こそさよならだ、オネ!」
貧民街に響く轟音、そして振動と共に彼の姿は、砂の隔たりから顔を覗かせるオネ──の砂像の眼前に拳を向けていました。
「あ?」
彼の困惑の声から一息置くと、その眼前の砂の壁が、砂粒へと霧散していきます。
拳圧から発生する猛風と共に晴れた、貧民街の凄惨な景色の中には、オネの姿はありません。どこへ行ってしまったのでしょう?
「今のは──」
「やっぱり目もいいね、君」
トログの側面、高密度の砂で創られた、鉤爪を備える竜の巨腕を構えたオネの姿……その表情はとても爽快になっています。
「でも遅い」
トログが反応し、体勢を整えるよりも早く、オネはその巨腕を彼へと叩きつけました。
いくら巨体で頑丈な彼の体も、その砂の腕には逆らえないようです。抵抗虚しく叩きつけられ、息を詰まらせ咽んでいます。
「君は間違いなく強い。私一人じゃ手も足も出なかった。──でも、ジンの力の前ではあなたも無力。これが伝説の黒龍の力だよ」
疲弊しきった表情ではありますが、トログを力強く睨みつけています。
「本当に……そいつが……」
「そう。……まあ、本人──本蛇? は全然認めてないみたいだけどね」
オネは解いた髪をもう一度、左側に結っていきます。彼女的にはもう終わりみたいですね。
「──たく、こんな小娘に負けるなんて考えもしなかったぜ……さっさととどめを刺せ」
「やだ」
オネの単刀直入な返しに、トログが間抜けな顔になっています。……ちょっと良い気味ですね。
「なんだ──」
「私は人を殺さない。例え、あなたが今までに何人の人間を殺していようと……例えマシューのことがあったとしても」
唇を噛みしめ、声を震わせながらも気丈に振る舞っています。彼女なりの矜恃というものがあるのでしょう。
「オネおねえちゃん! 大丈夫なの?」
一層静かになった現状から、ハンナが戦闘が終わったことを理解したようですね。前も見えないのに、何度も転びながらオネに近づいてきます。
「ハンナ、待ってて。すぐそっち行くから」
オネの声を聞いてもハンナは止まろうとはしません。呆れながらもどこか嬉しそうに微笑み、オネが歩き出しました。
「……あいつ、目が見えていないのか?」
「それが何か?」
オネの回答に満足したのでしょう。トログは掠れたで高笑いを上げ、勝手に咽せています。
「何がおかしいの」
「いや、気にしなくていい。──どちらにしろ、お別れのようだからな」
「へ──」
トログの謎の発言の後から、オネの表情が蕩け、直後には地面に倒れ込んでいました。
ハンナもいつのまにか立ち上がらずに横たわっています。
「──あなたがここまでやられるなんて──何があったの?」
「少し厄介な戦闘だっただけだ。──それより、はずれだったな。ここには魔女も黒龍もいやしない」
「──だ、れ……?」
意識が朦朧とするオネの耳に届く、上品な女性の声とトログの声。……でも、彼の発言には矛盾点が……彼女が誰なのか特定することもできず、疑問を抱いたままオネは意識を失ってしまいました。
吹き飛んだ大男は動く様子もなく、まるで死んでいるかのようなその姿に、オネも少々焦っているようです。
しかしあれだけ頑丈な男なので、そもそも痛手を負っているのかすら怪しいのですが……。
「……なんで殴りかかってこねぇんだよ」
仰向けのまま喋る男の声に、オネが安堵のため息をつきました。どんな相手であれ、命は奪いたくないのでしょう。
「無抵抗の相手を殴るほど、私は堕ちたくない」
「……甘いな」
一体彼は何を思い、何を考えているのでしょうか。
「こんな甘いやつに飛ばされるとは、俺もまだまだ甘い」
男が体を起こしオネを睨んで見せ、オネもお返しと言わんばかりに睨み返します。
「はぁ……仕方ない。ここで黒龍も魔女も見逃したんじゃ、面子がないんでな。……本気でやらせてもらう」
「今まで本気じゃなかった、て言いたいの?」
「笑止だな小娘──いや、オネとか言ったか」
自分の名前を言われたためか、彼女の警戒心が高まっているようですね。身構えて彼の言動を観察しています。
「いやぁ、覚えやすくて助かるよ。俺は名前を覚えるのが苦手でね。ウィリアムの名前を覚えるのだって、中々苦労したんだぜ?」
「なんの話?」
あまりに取り止めのない話ですね。何の意図があるのでしょうか……?
男は不敵な笑みを浮かべながら言葉を続けるようですね。その手元からは、わずかに金属のぶつかり合う音が聞こえてきます。
「俺の記憶力があまり良くないって話だよ。さっきの──魔女の兄貴か? なんつったか──」
「マシューがなに!」
明らかな挑発ですが、今のオネに耐えられるはずもなく、正面から男へとぶつかります。
直線的な攻撃ですが、先ほどの打ち込みから考えれば、勝てる可能性は十分にあるとは思いますが……。
「やっぱり分かりやすいな、お前は」
男が悪態を吐くと、オネの拳が彼の鳩尾にもう一度入りました。
──しかし、彼女が打ち込んだ時点で既に、鎧の中には男の姿がありません。
「どこに──」
「相変わらず詰めが甘いんだよ、オネ」
右から聞こえる声にオネが反応しますが、直後には弾かれ、宙を飛んで地面を転がっていきます。先ほどまでの一撃とは明らかに違いますね。
「さすが伝説の黒龍だな。いい反応だ」
体勢を整えながらも、息を荒くするオネの表情は歪んでいますが、鎧からの一撃の時と比べればまだ余裕があるように感じますね。
その脇腹に厚く纏われている砂が守ってくれたのでしょう。
「今のは、なに……?」
「俺はなぁ」
困惑するオネの視線の先、余裕の笑みで彼女を見据える男の姿があります。
先ほどの脱ぎ捨てた鎧を片手で持ち上げ、高く掲げて見せました。
「剛力のトログって呼ばれてるんだ。……力だけなら、誰にも負けん」
驚嘆するオネに向かって、その鎧を放り投げてきます。
「なにそれ!」
勢いも凄まじく、彼の力の度合いが分かりますね。
「舐めないで!」
オネは体勢を整えると、その場を駆け出し鎧を避けながらトログとの距離を詰めていきます。
その間、蛇の砂を徐々に周囲へと纏っているようです。
「その程度で俺の拳を止めれるとでも思っているのか? 力、てのは重さだけじゃない……速度も載せることで真価が発揮する!」
「何を──」
足と腕に力を込めているようですね。しかしオネも止まれない。彼女を覆う砂は二人に明確な隔たりを作り出しました。
そして、オネを包んだ砂の塊が、彼にたどり着くまで残り数歩といったところに足を踏み込んだ瞬間──。
「今度こそさよならだ、オネ!」
貧民街に響く轟音、そして振動と共に彼の姿は、砂の隔たりから顔を覗かせるオネ──の砂像の眼前に拳を向けていました。
「あ?」
彼の困惑の声から一息置くと、その眼前の砂の壁が、砂粒へと霧散していきます。
拳圧から発生する猛風と共に晴れた、貧民街の凄惨な景色の中には、オネの姿はありません。どこへ行ってしまったのでしょう?
「今のは──」
「やっぱり目もいいね、君」
トログの側面、高密度の砂で創られた、鉤爪を備える竜の巨腕を構えたオネの姿……その表情はとても爽快になっています。
「でも遅い」
トログが反応し、体勢を整えるよりも早く、オネはその巨腕を彼へと叩きつけました。
いくら巨体で頑丈な彼の体も、その砂の腕には逆らえないようです。抵抗虚しく叩きつけられ、息を詰まらせ咽んでいます。
「君は間違いなく強い。私一人じゃ手も足も出なかった。──でも、ジンの力の前ではあなたも無力。これが伝説の黒龍の力だよ」
疲弊しきった表情ではありますが、トログを力強く睨みつけています。
「本当に……そいつが……」
「そう。……まあ、本人──本蛇? は全然認めてないみたいだけどね」
オネは解いた髪をもう一度、左側に結っていきます。彼女的にはもう終わりみたいですね。
「──たく、こんな小娘に負けるなんて考えもしなかったぜ……さっさととどめを刺せ」
「やだ」
オネの単刀直入な返しに、トログが間抜けな顔になっています。……ちょっと良い気味ですね。
「なんだ──」
「私は人を殺さない。例え、あなたが今までに何人の人間を殺していようと……例えマシューのことがあったとしても」
唇を噛みしめ、声を震わせながらも気丈に振る舞っています。彼女なりの矜恃というものがあるのでしょう。
「オネおねえちゃん! 大丈夫なの?」
一層静かになった現状から、ハンナが戦闘が終わったことを理解したようですね。前も見えないのに、何度も転びながらオネに近づいてきます。
「ハンナ、待ってて。すぐそっち行くから」
オネの声を聞いてもハンナは止まろうとはしません。呆れながらもどこか嬉しそうに微笑み、オネが歩き出しました。
「……あいつ、目が見えていないのか?」
「それが何か?」
オネの回答に満足したのでしょう。トログは掠れたで高笑いを上げ、勝手に咽せています。
「何がおかしいの」
「いや、気にしなくていい。──どちらにしろ、お別れのようだからな」
「へ──」
トログの謎の発言の後から、オネの表情が蕩け、直後には地面に倒れ込んでいました。
ハンナもいつのまにか立ち上がらずに横たわっています。
「──あなたがここまでやられるなんて──何があったの?」
「少し厄介な戦闘だっただけだ。──それより、はずれだったな。ここには魔女も黒龍もいやしない」
「──だ、れ……?」
意識が朦朧とするオネの耳に届く、上品な女性の声とトログの声。……でも、彼の発言には矛盾点が……彼女が誰なのか特定することもできず、疑問を抱いたままオネは意識を失ってしまいました。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
勝手にサインしろと仰いましたので、廃嫡書類に国璽を押して差し上げました
鷹 綾
恋愛
「確認? 面倒だ。適当にサインして国璽を押しておけ」
そう言ったのは、王太子アレス。
そう言われたのは、公爵令嬢レイナ・アルヴェルト。
外交も財政も軍備も――
すべてを裏で処理してきたのは彼女だった。
けれど功績はすべて王太子のもの。
感謝も敬意も、ただの一度もない。
そして迎えた舞踏会の夜。
「便利だったが、飾りには向かん」
公開婚約破棄。
それならば、とレイナは微笑む。
「では業務も終了でよろしいですね?」
王太子が望んだ通り、
彼女は“確認”をやめた。
保証を外し、責任を返し、
そして最後に――
「ご確認を」と差し出した書類に、
彼は何も読まずに署名した。
国は契約で成り立っている。
確認しない者に、王の資格はない。
働きたくない公爵令嬢と、
責任を理解しなかった王太子。
静かな契約ざまぁ劇、開幕。
---
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ガネット・フォルンは愛されたい
アズやっこ
恋愛
私はガネット・フォルンと申します。
子供も産めない役立たずの私は愛しておりました元旦那様の嫁を他の方へお譲りし、友との約束の為、辺境へ侍女としてやって参りました。
元旦那様と離縁し、傷物になった私が一人で生きていく為には侍女になるしかありませんでした。
それでも時々思うのです。私も愛されたかったと。私だけを愛してくれる男性が現れる事を夢に見るのです。
私も誰かに一途に愛されたかった。
❈ 旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。の作品のガネットの話です。
❈ ガネットにも幸せを…と、作者の自己満足作品です。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる