一途彼女と誘惑の彼

山の端さっど

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∽3∽[一途]の役割

§28[通心]

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 絵美里えみりを背負ってどこか都会を歩いていた。やけに霧がかかって少し先も見えない。近くを人がすれ違ったりするけど、身長も男女も年齢も分からなかった。都会でも悪天候にはなるんだね、と思っていたら、絵美里が「都会には光化学スモッグがよく降るんだよー」なんて言うから、じっとりと肌に湿った空気が貼りついて気持ち悪い、とは言わないでおいた。確か絵美里は何かウイルスに感染してしまっていて、ずっと宇宙服みたいなものを着ているんだ。外の空気も中の空気も混じり合わないから、霧も分からないはず。
「次はどっちに行くんだっけ」
 先の道が見えないから誰かの後を追ってみたら、「合ってるよ」と絵美里が言った。
 ウイルス? インフルエンザも流行るまえに収束するこの時代に、何に絵美里は感染してるの? 何のために、隔離されてるの?
「絵美里は死なないよね?」
 ふいに言ったら、背負っているのに絵美里が笑ったのが分かった。
「すみれ、大好きだよ」
「私も大好きだよ」
「戦場先輩よりも?」
「え……」
「嘘でもいいからさ、うんって言ってよ……わた……」
「絵美里?!」
 喉に詰まったものを吐き出すような音がして、私は後ろを振り返る。背負っているから見えないはずなのに、宇宙服の顔を覆う透明なドームが血で真っ黒に染まった。
「メイドの土産にさ、一度だけ聞かせてよ。誰よりも好きって、言って」
「絵美里っ」
「ほら、すみれ、立ち止まっちゃダメだよ。逃げないと、メードだよ。すみれ生きるんだから」
 首が落ちたみたいな音がして、重たい宇宙服の頭がポロリと私の手に収まった。そして、その中から銃口が……。
「そっちじゃない、よ」
 銃じゃなくて、ナイフだ。どうして見間違えたんだろう、ナイフなら、急いで逃げれば助かったのに。
 痛いのは私じゃない。血を流してるのも、私じゃなくて……!



「……すみれさん?」
「えっあ、はいっ」
「次の授業、指定席だからそこ私の席だと思うんだけど」
「あ……ごめん」

 私は作り笑いをしてクラスの女の子に席を譲った。

「その、ちゃんと寝てる? 体、大事にしなよ」

 クラスの子が気遣うような目をしてくれたのが申し訳ない。
 私は自分の指定席に着いて、ゆるゆると頭を振る。少し寝てしまったのか、白昼夢なんだろうか。教室の中は涼しいのに、熱でぼうっとしたみたいに頭がおかしかった。タブレットを準備しようとして、普段と手触りが違うのに少しドキッとする。

(タブレット、修理中なんだった)



『未知の電波による新種の電子ウイルスの危険性あり。修理と調査の間、代替タブレットを使用してください。こちらの紛失・破損時には修理費を請求する場合があります』

 今朝一番に修理センターでタブレットを診てもらった結果がこれだ。幾つか質問を受けたけど、どうやら私の扱い方に問題があった訳ではないらしい。未知のウイルスというのもよく分からないし、前例もこれまで聞いたことはなかった。代替タブレット(データは丸ごと移してあるから使用に問題はない)で調べてみても検索にはウイルス系のものはヒットしない。あれこれキーワードを変えていたら、代わりに「電磁波テレパス」という単語がちらっと出てきた。

「?」

 さらに調べてみようとした時、教室に先生が入ってきて、私はネットを落とした。そして、授業が終わる頃には、その単語の事はすっかり忘れていた。





 その後は時間が飛ぶように過ぎた気がする。放課後、例の獣医室に行くと、獣医の五月雨さみだれさんが珍しく机から目を離して私の方を向いた。

「こんにちは……」
「何だ、元気無いな。腹でも下したか」

 答え辛くて、早速猫ちゃんの方に行く。尻尾まで丸めて、すぅすぅと寝息を立てていた。可愛い。猫には無条件で人を癒す力があると思う。私は写真を撮ろうとタブレットを取り出した。

「それ色違うな」
「タブレットがウイルス感染したみたいなんです」
「ほう、この学校のでか」
「はい、それで……」
「猫に近づけんな。有害電波で生体の調子を崩すタイプかもしれないだろ」
「このタブレットじゃ無いです。これは代替品なので」
「そうか。しかしこの学校のセキュリティーを破るウイルスとは面倒だな」
「はい……変な所にアクセスしたり通信したり、あと端末繋いだりはしてないはずなんですけど」
「ふん、どんな症状だ? 人体や動物に影響する物だと無関係じゃ無いからな」
「えっと……」

 聞かれるがままに、所々ぼかしながら話をすると、「知り合いとしか思えない声が聞こえて……」の辺りで、五月雨さんが眉をしかめた。

「混線? タブレット内のデータからランダムに音声を構築? どれもこのセキュリティじゃ聞いたことがないな。そいつのタブレットは感染してないのか?」
「それは……分かりませんけど、最近会っていない人で、近くにいたとも思えなくて」
「となると、気のせいじゃないか?」
「気のせい」
「テレパシーって知ってるか」

 どこかで最近見たような単語に、私は首を傾げる。

「歴史の授業で習った事があった、ような気がします」
「うん。感受性において高い値を示す、特に青年期において発生しやすい幻覚症状だ。実際には起きえない現象だと科学的に証明されている」
「……幻覚」
「電波の悪影響で脳波が乱れる事で起きやすいらしいな。若い脳には無駄な神経回路が多いらしいから誤作動もしやすいんだろう。おそらく脳波に近い電磁波を流すウイルスだろうな。したのは間違いない。感染経路が分からないが、蔓延するかもしれないなら警戒に越した事はないか」

 五月雨さんはカルテを取り出すと何か書き込み始めた。

(あれが幻聴? 本当に?)
「……お前本当におかしいな。今日は保健室行くかさっさと帰って寝ろ」

 ぼんやり思い返していると、また心配されてしまう。どうも調子が狂う。奇妙な不安とともに、今朝の夢がふと蘇ってきた。

「猫ちゃん、死にませんよね?」
「は? 何を言ってる。この程度で死なせるか」
「でも、いつも寝てて動かなくて」
「いつも寝てるのはコイツの気質。元気になってる証拠だ。安心しろ、元気で資格持ちの飼い主まで届けてやるから」
「……はい」
「……動物も人間も、そう簡単に死んだりしない。お前たちが無駄に悩んで馬鹿な事をしているうちにも、医療は発達してるからな」
「はい」
「じゃあ帰れ」

 そして私は獣医室を追い出された。

「私……おかしいのかな」

 その日は図書館にも寄らずそのまま帰った。室内にいても、ずっと違和感が収まらなかった。
 ベッドの上でぼんやりと過ごして、いつのまにかうとうとと寝て、夜に少し寒くて目を覚まし、タオルケットに包まって寝る。
 その晩は夢を見なかった。次の日も、その次の日も。先に言ってしまえば一週間ほども先まで、二度寝してもうたた寝しても、何も頭に残る事はなかった。





「どうしたの? ソワソワしてるけど」
「えっあ、円居先輩」
「呼び方」
「……円居さん、ソワソワはしてません」

 お昼を裏庭のベンチで食べていたら、神出鬼没の円居……さんがどこからか来て隣に座った。といっても、一人分くらいスペースを空けている。プラの弁当箱を持っていたけど、中身はご飯じゃなくてベーグルサンドだった。また野菜ばっかりぎっしりと挟んである。

「そんなに気になる? 具」
「いえっ、その……お弁当作ってるんですね」
「食いたい物食えるからね。きみは購買か学食派?」
「その、奨学制度で購買学食でも安く済むので、つい……って、円居さんも[役割]だからそうですよね」
「ああ、そんなのもあったね」

 崩さずに食べるのが難しそうなベーグルサンドを、円居さんは一口ずつ綺麗に平らげていく。

「今日、猫ちゃんが退院なんです。聞いてませんか?」
「ああ、それで。結局、あのカフェ営業中に預ける所見つけたって言ってたっけ」
「その、たまになら会いに行っても良いんでしょうか?」
「あの猫ストーカーが異常なだけだから。普通に接するだけなら良いハズ。まあ、きみも時々猫の事になるとおかしいけど」
「おかしいって……」
「ラテアート」
「……おかしい、ですか」
「?」

 私はおにぎりを飲み込んで、ピーチティーを手に取る。

「円居さんは、電波……テレパシーってどう思いますか」
「……それ、どういう意味」
「どう、思いますか?」

 ピーチティーは美味しい。果汁0%なのに果物感があったり美味しいのは、渇きを満たすためだけの飲料に好き嫌いや満足の差があるのは、おかしい事じゃないんだろうか。喉にちょっぴり突っかかっていたお米が奥に流されていく。でも、一度口に出した言葉は流せない。

「……考えなくていい」
「え?」

 私の顔をじっと、暗い目が見た。

「そんな事、きみは考えなくていい」

 がたりと円居さんが立ち上がって、去っていく。いつの間に食べ終わっていたのか、片付けたのかも気づけなかった。最近見なかったけれど、最初出会った時、あの図書委員会で、円居さんはこんな目をしていたような気もした。

(自分一人だけで、世界にいるような目)





 その日の放課後、すっかり習慣となった獣医室に行くと、もう猫ちゃんは引き取られた後で、九祖先輩が泣きそうなわんこみたいな顔で五月雨さんと話をしていた。

「お、来たか」
「うわあああん、何で教えてくれなかったんすかー! 五月雨さん酷い、最後に会わせてくれるって言ってたじゃないですか!!」
「あ、と……失礼します」
「あっすみれちゃん、聞いてくれよ! 五月雨さんマジで酷いんだぜ? もうあの子引き取られていったって……せめてそのタイミングで連絡くれたって良いよな?」

 すぐ目の前に美形わんこさんがやって来て、肩なんて掴んで悲しそうに力説するものだから、私はフリーズしてしまう。

「お前はそろそろ黙れ。授業中のお前達を呼び出す訳ないだろう」

 五月雨さんが九祖先輩を(文字通り)引き剥がしてくれて、ようやく私は一息つくことができた。

「放課後腐るほど時間があっていくらでも会いに行けるんだから良いだろう。喚くんじゃない」
「あれ、もしかして五月雨さん俺らと違って休日少ないから会いに行けないの寂しがってたり?」
「あ?」
「なんだー、五月雨さんも同じじゃないすか」
「気持ち悪い。さっさと帰れ」

 仲が良いのか悪いのか、五月雨さんは九祖先輩をあしらいながら私に一枚のカードを渡した。油絵のようなものが全体に描かれているお洒落なカードだった。

「これは?」
「何とかっていう画廊だか教室の案内。そこに居るから会いたきゃ来いだと」

 ひっくり返してみたら、あの地下カフェのある通りの地図が描かれていた。近くどころか、カフェは描かれていないけど接しているようにも思える。

(同じ系列のお店、なのかな)

 私はカードをもう一回ひっくり返して、そっとしまった。

「ってか、ワンチャンこれから行かね?」

 思いついたように言って今度はキラキラした笑顔を見せる九祖先輩は、目まぐるしくて眩しい。太陽みたいな人とはこの人の事を言うんだろう。

(絵美里が憧れるのも分かるかも)

 分かるだけだけれど。

「行くわけがないだろう。学生と違って暇じゃない」
「五月雨さんには言ってないし。遊びに行くなら絶対可愛い女子でしょ」
「……え」
「行かない?」

 喉の少し下あたりがギュッと鳴った。太陽を直視した私は、目が眩んで何も見えなくなって、イカロスみたいに真っ逆さまに落ちていく。ありもしない翼じゃなくて、全身が溶けたような気持ちになった。喉が落ちた。口だけがぱくぱくと動く。唇があるのかどうかも自信がない。

「あ、あの、その」
「……おい?」

 五月雨さんの声に、目の前が見える。藁を掴むような気持ちで手を握ったら、爪がちゃんと掌に当たる。四爪がしっかりと食い込むまで握って、私は息をした。大丈夫。私はちゃんと溶け落ちずにここにいる。

「ごめんなさい。ちょっとこの後用事があるんです」

 そのまま、何とか取り戻した体の主導権を今度は失わないよう、荷物を取って駆けるように部屋を出る。退室の時にちゃんと礼ができていたかどうか自信がない。でたらめに歩いて少し走って、気づけばいつかの、カメラの死角になるベンチに着いていた。背もたれを掴むと走った直後のように体が脈打つ感覚が広がる。すぐには座れない。本当は溶け落ちてしまいたくて、膝を畳んでしゃがみ込んだ。

 直接見ては危険だけれど、だからといって太陽の暴力的な光を恐れる人はあまりいない。人工照明が明るくても、雨が続けば光を見たいと思う。太陽光が無くても生きられる時代になっても、信じられるようなかみさまがいなくとも、「お天道様」って言葉は残ってる。

(罪悪感)

 お天道様の光が怖くなる理由は、簡単だ。

「人が太陽って、おかしいよね……」

 ともかく、あの公園の近くに行く気にはなれなかった私は、思考が落ち着くのを待って立ち上がる。宿題を思い出して、やはり図書館には行かずに寮室に帰った。







『……ス……ケース32……アンドロイドハ、ユメヲミル……コレハユメダ……ワレラスベテノ、ユメ……』
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