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∽2∽[笑顔]の裏側
§18[違和]
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カップにお湯を注いでいたら、ぽん、と軽やかな通知音がした。
「! 戦場さん、今度こっちに来れるって!」
優馬さんからのメッセージだ! 私は一瞬で舞い上がって、それから火傷をしないよう慎重に紅茶を二人分淹れる。
「良かったね、次はいつだって?」
「四日後!」
「十一日か。良かったね」
「うん!」
「狐音先輩との、この違いよ」
あれから友達は九祖狐音先輩への熱を隠さなくなったと思う。悪いことじゃない。
今日は六月七日、休日、といっても雨。私と友達は、私の寮室で大人しくお喋りしていた。明日にチェックポイントを控えたダイエット六日目でもある。
「そうだ、早急に痩せなきゃ……!」
「あと四日あるし、元々そんな太ってなかったし、大丈夫だと思うけどなあ。どれどれ」
友達が私のお腹に抱きついてきた。
「ご、ご勘弁を女王様ぁ……」
「へっへっへ、良いではないか」
「それ女王様じゃなくてお殿様とか悪代官だよ……どうしよう、ほんと」
「こんなに細ければ大丈夫だって」
「絵美里はそういうところ甘いから信用ならないよ。ただの体重とかお腹周りだけじゃなくて体脂肪率とかも見なきゃだし」
「明日スキャンあるし、まだ軌道修正効くでしょ」
私はほんのり温めたミルクを注ぐ。
「そういえば、どうするの、それ」
友達が指差したのは、クッキーの缶だ。古町 綺羅という一年生の子に貰った事になっている。
「どうするって、ダイエット中に開けたりしないけど」
「そうじゃなくてさ、いずれ」
「多分ちゃんとしたものだろうし、頂くつもりだよ」
嫌な疑惑が掛かっているけど、私は、ただのお詫びのクッキーなんだろうなと思っている。缶が可愛い、どこかのマイナーなブランドのものだ。
「心配なら、本人に確かめてみても良いし」
言ってはみたけど、綺羅ちゃんに確かめに行く気はない。あんなに丁寧に申し訳なさそうに差し出されたものを疑うなんてできなかった。
「絵美里は、どうするの?」
「どうしよっかな」
話を総合すると、どうも友達も、私と状況は同じだったみたいだ。つまり、綺羅ちゃんにお詫びの品を渡されてもおかしくはない。
「わざわざ貰いに行く気はないよ。お詫びっていっても、本人からの謝罪は無いんだし」
「そうなんだよね」
正直なところ、今の私には、あの三つ編みの子、沙羅ちゃんから謝罪してもらう気は無かった。円居先輩のお陰でほとんど害を受けていないこともあるけど、どこか底知れない言動から、近づきたくない気持ちが大きい。
でも友達はどうだろう? しっかり害を受けてるし、謝ってもらっただけでは済まないような気さえするけど……。
「それでも、本人からでもない謝罪とか受けても困るだけだし」
友達はため息をついた。
「……じゃあ、これあげるよ」
私はクッキー缶を友達の膝の上に置いた。
「え?」
「ダイエット中の私の部屋から誘惑を取り除くと思ってさ。ね?」
手を合わせてお願いする風に言ってみる。
「そこまでその顔で言われたら断れないなあ」
苦笑しながら友達は膝の上に手を乗せた。
「ま、可愛いしね」
「可愛いよね、小物入れとかに使えそう」
「すみれってこういうの好きだよね」
「うん、好き。実家にはいっぱい置いてたな」
「……貰ったからには缶まで貰うよ?」
「だ、大丈夫持ってって。絵美里の方が似合ってるよ」
ちょっと名残惜しかったけど、私は誘惑を振り切った。
『お似合いだと思います、私は』
「っ……と、あ、ぶない」
ふわりと耳に綺羅ちゃんの言葉がよみがえってきて、私はカップを落としてしまいそうになった。
『姉などに負けずに、頑張ってください』
……なんで、あんな事を綺羅ちゃんは言ったんだろう。
「円居レン、なぁ」
「えっ?」
「いや、この前の話、結局どうしようかなってまだ迷ってて」
友達はカモミールの煙に鼻を埋めた。
「今まで不当なことで嫌ってたのは認めるよ、でもさ、それ以外にもアイツに苛立ってたのは事実で」
「うん」
「笑顔が不細工みたいな意味のこと言われたし」
「あー……」
「不自然で気持ち悪い笑い方だとか言うし。人前で挑発してくるし。仕事なのは分かるけどさ? あそこまで言わなくても良かったよね?!」
私は友達のカップにそっとミルクを追加した。別にカルシウム不足だとか思った訳じゃない。
「それは……言い過ぎかもね」
「ほんっとあの時は、すみれがいなくて辛かったよ。いたら毎晩押しかけて今の百倍くらい愚痴るマシーンになってただろうけど」
「そっか……」
病室では、ぜんぜんそんな雰囲気を見せなかったから、気づかなかった。
(絵美里が大変な時、私は何も出来なかったんだな)
「でも今は居るからいいの」
もう一度友達がお腹に突進してきた。
「わわっ」
「どーんっ」
「重いよ~。いや、軽いけど」
「喰らえ、恨みのアタック」
アタックというより、ドリルだ。
「……今度は、何かあったらいくらでも話聞くよ。力になれるか分からないけど」
膝の上に潜り込んだ頭を撫でてみたら、「うん」と、少し小さい声がした。
「ねえ、すみれ、戦場先輩のこと好き?」
「うん」
「私のことは?」
「好きだよ、もちろん」
「じゃあ、円居レンは?」
「えっ」
友達は私に後頭部を向けて、すっかり横になる。
「あの人は……良い人だと、思うよ」
「そういう事を聞いてるんじゃなくてさ。好き?」
「……」
舌を火傷した訳でもないのに、紅茶の味が一瞬分からなくなる。ゆっくりと嗅いだら、いつも通りの甘い香りだし、良い味だ。
「こら、人が寝てるときに頭の上でものを飲まない。膝枕マナー違反だよ」
「膝枕マナーって……」
「溢れたら熱いじゃん、私が」
「なるほど……?」
話題が変わったことにほっとしつつカップを机の上に押しやったら、友達がもぞもぞと動いた。少し拗ねて、完全にお昼寝モードに入ってる。
「絵美里? このまま寝ると風邪引くよ」
「うん……ううん……」
「その返事、どっち? ほら、足しびれるから」
ベッドには高さがあるから、私はちょっと力を入れて友達を支え、寝かせた。
「ぬいぐるみ柔らかい……」
「それ、戦場さんに貰ったの。大事にしてね」
「他のは?」
「実家から持ってきた子。ハシビロコウとボルボックスとネズミの国のアリスは、中学の時に修学旅行で衝動買いしちゃって。写真送ったことなかったっけ?」
「たぶん初耳。このサイズを修学旅行で買ったんだ……」
「学割で配達してもらえたし……ほとんど初めての都会で浮かれてて……」
「田舎でも通販はあるよね?」
「直接もふもふ感を確かめないと、下手したら返品することにもなっちゃうから……」
私は友達の隣に寝転がった。
「って、すみれも寝るの、結局」
「絵美里が眠気増幅物質を出すから」
「あー……なんで人が寝てるの見ると眠くなってくるんだろうね……ふぁ」
バクは友達に譲って、近くのボルボックスをぎゅっとする。
「……すみれは、[友達]想いだよね」
バクの向こうから、くぐもった声が聞こえた。
「[先生]には素直だし、[先輩]にはかしこまるけど慣れるとくだけてる。[後輩]にも密かに人気があるけど気づいてない」
「……どうしたの、絵美里?」
「『優馬さん』は違った。[先輩]でも[優馬さん]でも[一途]でもない。だから羨ましかったけど、応援しようと思えたの」
友達の言うことが、全く私には分からなかった。
「でもね、最近、[円居レン]もなんだよ」
「絵美里?」
「すみれの中で、固有名詞になってるように思えるんだ、あいつが」
バクのお腹に顔を沈めて、友達はため息をついたみたいだった。
「すみれにとってただの[友達]でも、私はすみれが大事だから。だから、なんとか気持ちに区切りをつけることにする。アイツのことは気にくわないけどさ、応援するよ、私は」
「どうしたの、絵美里。絵美里は『ただの友達』なんかじゃないよ?」
「分かってる。分かってるよ。時々、心配になるだけなの」
友達は無理に引き伸ばしたような声で笑った。
私はそんな[友達]に声を掛けようとして、
「あれ?」
とても間抜けな声が出てしまった。
「すみれ?」
[友達]?
……違う、友達]が、[友達、友達が、
友達の、絵美里が、心配そうに私を見ていた。
「ううん、ちょっとぼうっとしてたみたい」
何かが、とてつもなく引っかかる。これを無視しちゃいけない気がする。するのに……。
(分からない)
私は首を振って、[友達]の頭をポンポンと叩いた。後で考えよう。今は、少し、疲れてるみたい……。
そのうち、私も隣で安らかな寝息を立て始めた。
「! 戦場さん、今度こっちに来れるって!」
優馬さんからのメッセージだ! 私は一瞬で舞い上がって、それから火傷をしないよう慎重に紅茶を二人分淹れる。
「良かったね、次はいつだって?」
「四日後!」
「十一日か。良かったね」
「うん!」
「狐音先輩との、この違いよ」
あれから友達は九祖狐音先輩への熱を隠さなくなったと思う。悪いことじゃない。
今日は六月七日、休日、といっても雨。私と友達は、私の寮室で大人しくお喋りしていた。明日にチェックポイントを控えたダイエット六日目でもある。
「そうだ、早急に痩せなきゃ……!」
「あと四日あるし、元々そんな太ってなかったし、大丈夫だと思うけどなあ。どれどれ」
友達が私のお腹に抱きついてきた。
「ご、ご勘弁を女王様ぁ……」
「へっへっへ、良いではないか」
「それ女王様じゃなくてお殿様とか悪代官だよ……どうしよう、ほんと」
「こんなに細ければ大丈夫だって」
「絵美里はそういうところ甘いから信用ならないよ。ただの体重とかお腹周りだけじゃなくて体脂肪率とかも見なきゃだし」
「明日スキャンあるし、まだ軌道修正効くでしょ」
私はほんのり温めたミルクを注ぐ。
「そういえば、どうするの、それ」
友達が指差したのは、クッキーの缶だ。古町 綺羅という一年生の子に貰った事になっている。
「どうするって、ダイエット中に開けたりしないけど」
「そうじゃなくてさ、いずれ」
「多分ちゃんとしたものだろうし、頂くつもりだよ」
嫌な疑惑が掛かっているけど、私は、ただのお詫びのクッキーなんだろうなと思っている。缶が可愛い、どこかのマイナーなブランドのものだ。
「心配なら、本人に確かめてみても良いし」
言ってはみたけど、綺羅ちゃんに確かめに行く気はない。あんなに丁寧に申し訳なさそうに差し出されたものを疑うなんてできなかった。
「絵美里は、どうするの?」
「どうしよっかな」
話を総合すると、どうも友達も、私と状況は同じだったみたいだ。つまり、綺羅ちゃんにお詫びの品を渡されてもおかしくはない。
「わざわざ貰いに行く気はないよ。お詫びっていっても、本人からの謝罪は無いんだし」
「そうなんだよね」
正直なところ、今の私には、あの三つ編みの子、沙羅ちゃんから謝罪してもらう気は無かった。円居先輩のお陰でほとんど害を受けていないこともあるけど、どこか底知れない言動から、近づきたくない気持ちが大きい。
でも友達はどうだろう? しっかり害を受けてるし、謝ってもらっただけでは済まないような気さえするけど……。
「それでも、本人からでもない謝罪とか受けても困るだけだし」
友達はため息をついた。
「……じゃあ、これあげるよ」
私はクッキー缶を友達の膝の上に置いた。
「え?」
「ダイエット中の私の部屋から誘惑を取り除くと思ってさ。ね?」
手を合わせてお願いする風に言ってみる。
「そこまでその顔で言われたら断れないなあ」
苦笑しながら友達は膝の上に手を乗せた。
「ま、可愛いしね」
「可愛いよね、小物入れとかに使えそう」
「すみれってこういうの好きだよね」
「うん、好き。実家にはいっぱい置いてたな」
「……貰ったからには缶まで貰うよ?」
「だ、大丈夫持ってって。絵美里の方が似合ってるよ」
ちょっと名残惜しかったけど、私は誘惑を振り切った。
『お似合いだと思います、私は』
「っ……と、あ、ぶない」
ふわりと耳に綺羅ちゃんの言葉がよみがえってきて、私はカップを落としてしまいそうになった。
『姉などに負けずに、頑張ってください』
……なんで、あんな事を綺羅ちゃんは言ったんだろう。
「円居レン、なぁ」
「えっ?」
「いや、この前の話、結局どうしようかなってまだ迷ってて」
友達はカモミールの煙に鼻を埋めた。
「今まで不当なことで嫌ってたのは認めるよ、でもさ、それ以外にもアイツに苛立ってたのは事実で」
「うん」
「笑顔が不細工みたいな意味のこと言われたし」
「あー……」
「不自然で気持ち悪い笑い方だとか言うし。人前で挑発してくるし。仕事なのは分かるけどさ? あそこまで言わなくても良かったよね?!」
私は友達のカップにそっとミルクを追加した。別にカルシウム不足だとか思った訳じゃない。
「それは……言い過ぎかもね」
「ほんっとあの時は、すみれがいなくて辛かったよ。いたら毎晩押しかけて今の百倍くらい愚痴るマシーンになってただろうけど」
「そっか……」
病室では、ぜんぜんそんな雰囲気を見せなかったから、気づかなかった。
(絵美里が大変な時、私は何も出来なかったんだな)
「でも今は居るからいいの」
もう一度友達がお腹に突進してきた。
「わわっ」
「どーんっ」
「重いよ~。いや、軽いけど」
「喰らえ、恨みのアタック」
アタックというより、ドリルだ。
「……今度は、何かあったらいくらでも話聞くよ。力になれるか分からないけど」
膝の上に潜り込んだ頭を撫でてみたら、「うん」と、少し小さい声がした。
「ねえ、すみれ、戦場先輩のこと好き?」
「うん」
「私のことは?」
「好きだよ、もちろん」
「じゃあ、円居レンは?」
「えっ」
友達は私に後頭部を向けて、すっかり横になる。
「あの人は……良い人だと、思うよ」
「そういう事を聞いてるんじゃなくてさ。好き?」
「……」
舌を火傷した訳でもないのに、紅茶の味が一瞬分からなくなる。ゆっくりと嗅いだら、いつも通りの甘い香りだし、良い味だ。
「こら、人が寝てるときに頭の上でものを飲まない。膝枕マナー違反だよ」
「膝枕マナーって……」
「溢れたら熱いじゃん、私が」
「なるほど……?」
話題が変わったことにほっとしつつカップを机の上に押しやったら、友達がもぞもぞと動いた。少し拗ねて、完全にお昼寝モードに入ってる。
「絵美里? このまま寝ると風邪引くよ」
「うん……ううん……」
「その返事、どっち? ほら、足しびれるから」
ベッドには高さがあるから、私はちょっと力を入れて友達を支え、寝かせた。
「ぬいぐるみ柔らかい……」
「それ、戦場さんに貰ったの。大事にしてね」
「他のは?」
「実家から持ってきた子。ハシビロコウとボルボックスとネズミの国のアリスは、中学の時に修学旅行で衝動買いしちゃって。写真送ったことなかったっけ?」
「たぶん初耳。このサイズを修学旅行で買ったんだ……」
「学割で配達してもらえたし……ほとんど初めての都会で浮かれてて……」
「田舎でも通販はあるよね?」
「直接もふもふ感を確かめないと、下手したら返品することにもなっちゃうから……」
私は友達の隣に寝転がった。
「って、すみれも寝るの、結局」
「絵美里が眠気増幅物質を出すから」
「あー……なんで人が寝てるの見ると眠くなってくるんだろうね……ふぁ」
バクは友達に譲って、近くのボルボックスをぎゅっとする。
「……すみれは、[友達]想いだよね」
バクの向こうから、くぐもった声が聞こえた。
「[先生]には素直だし、[先輩]にはかしこまるけど慣れるとくだけてる。[後輩]にも密かに人気があるけど気づいてない」
「……どうしたの、絵美里?」
「『優馬さん』は違った。[先輩]でも[優馬さん]でも[一途]でもない。だから羨ましかったけど、応援しようと思えたの」
友達の言うことが、全く私には分からなかった。
「でもね、最近、[円居レン]もなんだよ」
「絵美里?」
「すみれの中で、固有名詞になってるように思えるんだ、あいつが」
バクのお腹に顔を沈めて、友達はため息をついたみたいだった。
「すみれにとってただの[友達]でも、私はすみれが大事だから。だから、なんとか気持ちに区切りをつけることにする。アイツのことは気にくわないけどさ、応援するよ、私は」
「どうしたの、絵美里。絵美里は『ただの友達』なんかじゃないよ?」
「分かってる。分かってるよ。時々、心配になるだけなの」
友達は無理に引き伸ばしたような声で笑った。
私はそんな[友達]に声を掛けようとして、
「あれ?」
とても間抜けな声が出てしまった。
「すみれ?」
[友達]?
……違う、友達]が、[友達、友達が、
友達の、絵美里が、心配そうに私を見ていた。
「ううん、ちょっとぼうっとしてたみたい」
何かが、とてつもなく引っかかる。これを無視しちゃいけない気がする。するのに……。
(分からない)
私は首を振って、[友達]の頭をポンポンと叩いた。後で考えよう。今は、少し、疲れてるみたい……。
そのうち、私も隣で安らかな寝息を立て始めた。
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