一途彼女と誘惑の彼

山の端さっど

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∽2∽[笑顔]の裏側

§12[迷惑]

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 ダイエット生活二日目。次のお祈りスキャンまであと二日。
 珍しく雨が止んでいたから、私は早起きして寮の近くを軽く歩いていた。三十分くらいのゆるいお散歩だ。昨日は連絡があってからの午後だけ、実質一日目の朝から甘いと言われるかもしれないけど、運動不足にいきなり走りこみは無理だ。それに、今回の体重増加は食べ過ぎが主な原因。あくまでも運動は、この期に習慣付いたら良いなあ、くらいの気持ちだ。
 都会でも朝の空気はどこか清々しい。もちろん学校の敷地には緑も多く植えられてるから、癒し効果もある。雨の匂いが自然に近い。
 それでも、少し田舎が懐かしくはなる。

「……うっすら残る星空とか、雑草の蜜とか、朝露の香りとか、判子蝶とかは無いよね」

 私の実家は田舎にしても随分と自然の残っている所だったらしい。自然公園の近くだったり、地表を使った畑の残っている珍しい場所なんだとか。初めて都会に来た時は、いっぱい調べてはいたのに、あまりの違いにカルチャーショックを起こしてしまった。今思えば、自然にあふれていたことよりも、敵対アンドロイドの襲撃が少なかった事の方が凄いことだと思うけれど……。
 校庭を囲むように作られた低い土の丘の上をぐるっと回る。さくさくと土の地面、時々雑草を踏む感触を確かめていると、木々の間から、私よりもこの音を楽しんでいるかのような足音が聞こえてきた。

 黒を基調とした姿、急に現れるこの感じは、間違いない。どこか世界をはすに見ている風なのに、爽やかな風に吹かれる姿がいやに似合う。ふと足を止めて、青々とした葉を繁らせる木の一本に、手を伸ばす。思い返せば、ずいぶん高身長だ。優馬ゆうまさんと並ぶくらいは、あるかもしれない。
 その指先が触れたのは目立たない、小さな星型をした薄黄緑の花。たしかなつめの木の花は、今月が盛りだった。

「やあ」
「おはようございます、円居まどい先輩」

 相変わらず、飄々ひょうひょうとした人だった。



「今のうちに言っておくと、この出会いは偶然だよ」
「……そう、ですか」
「そもそも、僕が今朝、こんな早くから散歩なんかしてるのは事故だからね」
「事故?」

 円居先輩はポケットから紙切れを取り出した。一見すると、ただ点があちこちに打ってあるだけの紙だ。

「暗号。『6 3 アサコウテイ』と読めたかな」
「! それって」

 六月三日、朝の校庭?

「まあ、誰も現れなかったけど」

 円居先輩は紙をヒラヒラと揺らした。

「暗号の解読法や解釈が間違ってるか、紙が誰かの手に渡ったから計画を変えたか。どっちだろうね。そもそも、この紙が誰かの悪巧みに関係してるのかも分からない」
「……悪巧みって、例えば、……ど、」
精神性麻薬ドラッグの取引かもね。手渡しの可能性は高いし」

 私が言うか躊躇った言葉を、軽々と言う。

「……」
「別に、ここで取引すると決まったわけじゃない。人がここを散歩するって事を勘付かれて中止になったのかもしれないし」
「……」
「ああ、この紙のことは一応、他言無用で。まだ第三者に出回ったって情報を確定させたくないからね」
「……そうですか」
「?」

 多分、この時の私は、ずいぶんと冷えた目をしていたのだと思う。緊張が一回り空回って、妙に落ち着いていた。

「それで、どうして先輩がここに?」

 彼は首をかしげた。

「説明は今したと思うけど」
「どうして先輩が、取引現場かもしれないここにお一人でいらっしゃるんですか?」
「事故みたいな偶然で、この紙が手に入ったから」
「どうして先輩が、取引現場かもしれない場所に、、刺されても身を守れないような格好で、いらっしゃるんですか」
「……」
「では、これから、私を黙らせてみてください」

 私には、立体ラテアートのクリームを先に食べるのと同じくらい不思議で、腹立たしい事に思えた。

「もしこれが、[お仕事ゆうわく]の範疇はんちゅうだとでも仰るなら、もう何も言いません。そこに口出しは出来ませんから」
「……」
「もし先輩が取引を終えた密売人かドラッグの買い手なら、私の口封じをなさるでしょう。ですが、それならヒントを出したりしないと思います。つまり先輩は取引現場にいたら邪魔な側の存在ではありませんか?」
「……」
「それとも先輩が、今ここに居る唯一の人である私がドラッグに関わっているとお思いで鎌を掛けたのなら、もう何も文句なんて言いません。身の潔白を証明できると信じる事にします」
「……」
「もし先輩が、ありもしない暗号の話で私をからかっているなら、できれば今そうだと言ってください。そうしたら、怒るよりも安心が先に出るので、私はこれ以上何も言いません」
「……」
「何か、私を黙らせる手立てはありましたか?」
「……参ったな。降参だよ、降参」

 彼は苦笑いして手を挙げた。

「確かに僕はこの紙を見つけた時、何か危険な可能性を考えた。考えておきながら自己判断で独りで動いた、それは認めるよ」
「っ……」
「だから幾らでも喋るといい」

 ヒラヒラと揺らぐ指先が、とても私を不快にさせていた。

「一つ、良いですか?」
「何?」
「先輩は、私を疑っていないんですね」

 私が彼を疑っていない理由は、もう言ってる。でも彼から見た私は、待ち合わせ場所にぴったりの日時に来た容疑者のはずだ。

「きみは単純そうだからね」
「単純?」
「自分で『悪巧みってドラッグの事ですか』なんて言える子が、関わってるとは思えないな。そもそも寮を出てから誰とも会ってないし不自然な動きもしてない」

 悪口だった。しかも、聞き捨てられないことを言っていた。

「私を見てたんですか?」
「そうなるね。行動原理としては『寮棟から早朝に出入りする人を注視観察する』って意図だけど。校庭を集まる場所にするとか、寮生の考えそうな事だから」
「寮生の中に、いると思ってるんですね」

 勿論、と、先輩の言葉が口から流れて風に千切れた。私はぐっと口をつぐむ。

「……そんなにドラッグが怖い?」
「怖いです。だって、脳に作用して人格を変えたり、依存性があるんですよね?」
「きみ、もしかして、昨今出回ってるドラッグの特徴知らない?」
「知っている方が問題では」

 麻薬なんて普通に生きてたら出会う機会なんてない。授業で軽く聞く程度だ。精神性麻薬の方は検出が難しいとは聞いたことがある。

「いや、一般的にさ。精神性麻薬は依存性しかないよ。煙草や覚せい剤とは違う。それに、ものによるけど、一回のスキャンで引っかからないなら、人格を変えるような強力なものじゃ無いだろうね」
「えっ? それって……」
「だからって服用にリスクが無い訳じゃない。精神的依存だって十分依存性は高いし、長期的には影響が出てくる」
「肉体性とは仕組みが違うんですか?」
「大違い。精神性麻薬は、ここ二十年くらいで流行った違法薬物。まあ名前通り、精神……心の研究の負の遺産だから」

 円居先輩は額に指を当てる。脳の前半分、思考をつかさどる前頭葉が心の生まれるところだ(胸に心がある、という学派もまだあるらしい)。

「覚せい剤は、脳の報酬ほうしゅう系って場所に働く。側坐核や腹側被蓋野……中脳に近い所だったかな? 本能に作用する効果が強い。それに対して、精神性は思考領域や海馬のみに作用する。効果は様々、おおむね感情のコントロールや本能によらない快感情を得るものが多い」
「そうなんですか……」
「要は、『気分』を変える。だから検出しにくい。当然、続ければ心の負担が大きいから、バイオリズムや感情が乱れてバレるようにはなるだろうけど」
「でも、脳に作用する物質を摂るのは同じなんですよね? 検査で分からないものなんですか?」
「体内に入ると分解が進むとか、天然物質との比較が困難とか、事情があるんだよ。そういう奴ばかりが規制の波から生き残ったとも言うけど」

 まるで生き物の進化だ。どれだけ規制しても次々新しいものが作られて、ふるいを潜り抜けたものだけが残る。そして寄生する場所を見つけて蔓延はびこるんだ。

「それでも……怖いです。思考が自分のものでなくなるとか、制御を外れるって考えたら……」
大袈裟おおげさだとは言わない。ドラッグなんか手を出すものじゃないし、危険だと思ってて損はない」
「はい」

 私は息をいた。

「きみの経歴データを見るに、そこまで怖がりそうな気はしなかったんだけど」
「どういう意味ですか」
「聞きたい?」

 まだらに光を切り取った木陰が揺れて、円居先輩の色を切り取る。多分私の色も、いくつもの木の葉型の薄い影に切り取られてる。光と陰のコントラストに紛れたこの人の表情が、何なのか分からない。

「……っ、話がずれてます。それよりも私は、危ないことをしないと約束してほしいです」
「何が?」
「お仕事じゃないなら、もう怪しい事を調べたりしないでください」

 私は先輩の持つ紙を指した。

「まだ、これがドラッグの取引の手引きと決まったわけじゃない」
「それでも、先輩が動く必要はないでしょう? 危険なことになってからでは遅いと思います」

 余裕そうだった顔が、歪んだ。

「わざわざ[誘惑]なんかを心配してくれるとは、どうも。それじゃ言わせてもらうけど、余計なお世話だ」
「! 勝手かもしれませんけど、余計じゃありません! 危険な目に遭うのは貴方です!」

 急に態度が変わったことに戸惑いながらも、私はつい、声を荒らげる。



「それが余計なんだよ。いや、迷惑だ。きみに心配されると、迷惑で迷惑でしょうがない」



 木々の立てる葉擦れの音は心地良く、爽やかなのに、空気が重い。なぜ重いのかも分からないし、この人の笑みが、何を意味しているのかも分からない。

「どう……いう、」
「きみは[友人]と[彼氏]の心配だけしておいたら?」

 その言葉に、何故か、胸がざわついた。



「そもそも、[誘惑]と話をしようだなんて、とんだ物好きだよね。そんなに今の自分に余裕がある? そうは見えないけど。中途半端なんだよ、きみの態度は。[一途]なくせに。いや、一途だから性質たちが悪い」

 彼は、花開くような笑顔を浮かべる。友達の表情に慣れている私にはすぐに、作り笑いだと分かった。こんなに綺麗な笑みなのに、つくりものだ。

「きみに中途半端に心配される奴らの事を、気に掛けたことはあるのかい? いや、気に掛けてはいたのかな。中途半端を嫌って、自信がないから距離を取る。それが、結果として中途半端になってることに、気づかない振りをしている」

 つくりものの笑顔なのに、苦しそうな顔なのに、それでもその花は目を引いてしまう。

「きみは根っからの一途だろうさ、誠実になれない奴とは線を引くくせに、そうやって筋を通そうとする。その中途半端さが迷惑だ。嫌いだ。拘束力を与えるつもりもない約束なんて口にするなよ。きみの視界に入らないなら、いっそ放っておいてくれ」
「円居せんぱーー」

 い、と言い終える前に、彼は大きく後ろに退いて、私に背を向けた。
 彼が去っていく間、私は動けなかったし、何も言えなかった。



「……わたし、は」

 私は中途半端だ。

 空が曇って、雨季らしくまた小雨が降り出した。
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