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∽2∽[笑顔]の裏側
§11[噂火]
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「やばい……」
「どっ、どうしたの、すみれ……」
「こんな危機は初めてかもしれない……もう手遅れだけど……」
昨日優馬さんからメッセージビデオを貰った喜びは何処へやら。お祈りでの衝撃の結果に、私は抜け殻となっていた。同じくスキャンを終えて合流した友達が、思わず近づくのをためらう雰囲気らしい。
心当たりはいくつもあった。
「誘惑に負けたの……」
「えっ、[誘惑]に?!」
友達が反応して飛び込んできた。うっ、百メートル十三秒台の俊足が今は憎い。どちらかと言えば、速さよりその引き締まった脚が。
「うん……」
「だっ、大丈夫? あいつに何酷いことされた? 仇取ろうか?!」
「ううん……何もできず薬に頼った結果でもあるよ……」
「ま、まさか精神性麻薬に手を出したの……?!」
「ううん……」
友達が、私の言葉から勘違いしてることは分かったけれど、力強く否定する気力も起きない。
「◼︎キロ……太っちゃった……」
「はあっ?!」
友達の呆れた視線も声もよく分かる。[誘惑]のこととか、噂とか、心配なことは他にも色々ある。それに何より、[誘惑]の円居 レン先輩は関係ないけど、きっかけを作った人ではある。
熱でとはいえ、寝込んでいたらカロリーは消費しない。強力な風邪薬で早々に治ってしまったし、皆のお見舞いのお菓子なんかが沢山ある。お返しのクッキーの試食もしたし、おまけに、マンホール下のカフェのタルトの誘惑……。
「驚かせてごめんね……でも、私にとっては大きな問題なの……私チビだから、かなり太ってることになるんだ……」
「……だ、大丈夫だよぉ、すみれ元からガリガリなんだから少しくらい。それにすぐ痩せるって」
「違うの、昨日戦場さんにビデオ送っちゃったの! ……太った私を……見られたの……」
「ああ~、そういう? 大丈夫だよ。肥満とかまでは言われてないんでしょ?」
「だって普通体型って幅広いんだよ? 太り気味のラインに近いかも……」
「いや、この体型でそれは無いと思うけどなー」
私はぷるぷると首を振った。
「ま、気持ちは分かるけどね。顔メインで写ってりゃ分かんないって、戦場先輩に実際に会う前に痩せればいいよ」
「うん…………」
痩せよう。
決意したその時、ぽん、と通知がタブレットに現れた。やけに大きい通知音だと思ったら、友達や近くにいる他の生徒にも来たみたいだ。メッセージ程度の一斉送信データは、ラグなく全員同時に届く。
『六月二日 学内連絡【重要】
精神性麻薬への注意喚起と対応』
ごくり、と喉が鳴った。
また、この話だ。
『皆さん、今はスキャンを終えたところかと思いますが、重要なお知らせがあります。本日、学内に精神性麻薬が出回っていることが確認されました。当然、麻薬の許可ない販売、譲渡、使用、所持は重大な法律違反です』
周囲の生徒のざわめきが聞こえてくる。
『つきましては、公正な検査の為に、本日のスキャンは検査レベルを引き上げて実施しました。連絡が遅れたことはご理解下さい』
……つまり、対策されないように抜き打ちで検査したんだろう。
でも、今日のスキャンで発見できなかったら? どうなるんだろう。来月のスキャンまでの間に、誰か私の知っている人が手にしたら、と思うと、腕に鳥肌が立った。まだ連絡は続いているので、ひとまずスクロールする。
『しかし、麻薬使用の痕跡の検出には、持続したデータが必要になることがあります。そこで、早期発見のため、これからしばらくの間、三日ごとにスキャンを実施します』
少し意外だった。
『非常事態としてご理解下さい。スキャンレベルも低から中に上げますが、心身のバイオリズムに絞った条件での検査なので所要時間はほとんど変わりません。ただ、これに従って、日程を変更してーー』
今後のスケジュールが並べられ、その他細々した授業変更などの連絡が続いていた。
「毎週かあ」
顔を上げると、友達がちょっと渋い顔をしていた。
「どうしたの、絵美里」
「めんどくさいなー、って。今でもけっこう、早くに並ぶの大変じゃん。これが三日ごとになるとね」
「スタートダッシュの速い絵美里さんが何を仰いますか」
「すみれの移動が遅いんだよねー。今日もゆっくりだったし」
「うっ……頑張る……」
「私一人ならそりゃファースト・スキャナー獲れるけどさ」
「ファースト・スキャナーって何?! まさか並ぶまでもなく一番早くカプセルに入るってこと?」
「狭義ファーストは全カプセル内で一番最初に入った人に与えられるよ。自称俊足家たちは毎回この座を競ってるわけだ」
「え、それ、嘘だよね?」
「嘘だよ。そもそも廊下は走っちゃダメでしょ」
「あ、そっか」
友達は笑って私の背を叩いた。
「すみれは大丈夫だよ。もしグズグズしてても私が引っ張っていくから」
「む……お母さんだ」
「私みたいなお母さんからすみれみたいな子供は生まれないかな」
「それはそうだね」
「私たちの血がぶつかったらどっちが勝つのか」
「失礼だなぁ」
友達も私も女一人っ子だから結果は分かり得ない。
「うーん、でも、悪いことじゃないかもね、これ」
「何が?」
「ダイエットの経過が分かりやすくなる」
私は手を打った。
「そっか。自分一人だとついつい量らなくなっちゃうけど、スキャンは必ず受けるもんね」
「うんうん。この頻度なら、三日坊主でも頑張れそうだし。私も最近頑張ってることがあるから、この期間ちゃんとやってみようかな」
友達はニコッと笑った。
「うん! 頑張る!」
私はこの日、少しだけ不安を忘れて、志に胸を燃やした。否、必ずや胸以外の脂肪を燃やしてやると誓った。
「こ、こんにちは……」
『おっ、ハナさんじゃないですか! 聞きましたよ、風邪で寝込んでたって。もう大丈夫なんですか?』
コミュニティに入ってすぐに、見知らぬアバターが話しかけてきた。
「あっ、はい、えっと」
『この間とアバター違いますけど、ウーですよ、[美食]の一年の』
「あっ、モネさんとお友達のウー君」
『……モネさんとは知り合い未満の関係ですけど、まあ。アバターに猫耳付いてるのが特徴なんで、良かったら覚えてて下さい』
「うん、分かった。風邪はすっかり治ったよ、ありがとう」
「知り合い未満」ってどういう関係なのかは分からないけど、確かにウー君の白髪ロングのウルフヘアには白い猫耳が生えている。
ここは[役割]持ちが集まるコミュニティだ。今日、勇気を出して一人でログインしてみた。前回は「ハナ」というHNを決めてもらっただけで、ほとんど話はしていないから、実質今日が初めてみたいなものだ。
もう一人、大きな箱に座って脚を揺らしているアバターに挨拶しようとしたら、ウー君のアバターが腕をつまんできた。
『あれは放っておいて良いっすよ。さっきから暇すぎてゲームやってるんで』
「え?」
『……だい』
『喋った! え、ゲームしながら?!』
『じょぶ……』
『いやー、大丈夫に聞こえないね』
『よろ……』
「あ……こちらこそよろしくお願いします、ハナです」
『ドナ……』
「ドナさん、ですね」
返事は無かった。ゲームの方に集中してるんだろうな。ウー君の口調からして、一年生らしい。アバターの見た目からだと女子か男子か判断がつかなかった。
『ここ、結構フリーダムなんですよ、まあ。にしても、また来てくれて嬉しいっす、ハナさん』
「結構勇気が要ったけど」
『そんなカチコチになることないですって! なんせゲームしてる人が居るくらいですよ』
『……ひどい』
『だってドナ、ゲームするならログアウトするでしょ普通』
『めんど……』
『ゲームやりながら喋る方が面倒だと思うけどね』
『縛り……』
「難しいゲームなんですか?」
『一回のミスで即ゲームオーバーになるような奴らしいですよ』
『ろまん……』
ゲームのことはよく分からないけれど、大変みたいだ。
『全く、誰も彼もアバター放置するの止めた方が良いと思うんですけどね』
「誰も彼も?」
『実は今、もう一人ログインしてるんですよ。どこに居ると思います?』
仮想空間を見渡してみる。対面会議ができそうな十人用の大テーブルにチェア、細長い木が一本に小さな花壇、大小様々な無機質な立方体がいくつか。本棚が一つに背もたれのない椅子が一つ。色々な物が混在しているけど、それほど人が隠れられそうなところはない。
「本棚の裏、とか?」
『残念! ハズレです』
「じゃああそこに並んだ立方体の裏あたり?」
『まあそうなんですけど、その答え方だとハズレになるんですよね、ふっふ』
ウー君は何故か笑顔で言うと、ドナさん?君? に近づいた。
そして、彼(彼女)が座っていた箱を、アバターごと蹴り飛ばした。
『ぅえ?』
もちろん仮想空間に普通の物理法則は働かない。端に追い詰められて動けないと困るから、人間アバターを動かすのも楽にできる。
その結果、ドナさん? は、カーブを描いて飛んで行ってしまった……。
『許……さ……』
そのまま、奥の立方体の山に埋もれる。
「う、ウー君?」
『ここ、あえて底にしてたんですけど』
ウー君は蹴って転がした箱を私に見せた。さっきまで地面に付いていた面が、観音開きになっている。大きいから段ボールというより小さな扉だ。
開くと、中に見覚えのあるアバターが丸まって入っていた。
「……ミロさん?」
確か、養護教諭の……。
「……ミロさんが動かないのを良いことに、閉じ込めて上に座ってたんですか……?」
『違……』
『ミロさんから、「しばらく抜けるけど、アバターは置いてくね~。面白いからどこかに隠してみてよ、ウー君^_^」って言われて、箱に入れてみたんですよ。そしたらこいつ、気づかずに座りました』
『きづ……く……わけ……』
「でも黙ってたの?」
『来てすぐゲーム始めましたからね、ミロさんに怒られちゃえ、と思って』
『ころ……す……』
どっちもどっちな気がした。
「アバターをここに置いたままにするのって何か良い事あるの?」
『うーん、ドナはコミュニティの話聞いたり何人かで通話協力しながらプレイするためによく置いてますけどね』
「……まさかミロさんも」
『ちがう……』
『だったら面白いですけどね。通話するのに繋いでて、一言も喋ってないどころかアバターの場所すら教えてないとか』
「あとは……かくれんぼ?」
『かくれんぼ……するかな、ミロさん……いやでも、忙しそうな割に授業中居ることがあるし、自由人だし……本当に三年生なのかも怪しいですね』
ウー君は、ミロさんの正体を知らないらしい。私も、あえて言わないことにした。
『そういえば、ウー君は[美食]? だったよね?』
『はい! 三月半ばに報せが来て四月一日に貰いたての[役割]なんですけど、まあ、食に拘るって感じですね。そのまんまです』
「そのままなんだね」
拘る、は本来悪い意味で使うものだけど、ウー君の口調からすると、誤用じゃないのかもしれない。
『親が張り切っちゃって嫌ってほど干渉してくるんですよ。ネットで人気の美味い店がどこだとか、自炊してんのかとか。食材費として多めに振り込まれてるのは嬉しいんですけど、正直男の自炊より店の方が美味いんで。あと遠くまで食うためだけに行くの大変で』
ウー君はウー君で、苦労しているみたいだった。
『しかも一度職質に遭ったんですよね。あっちこっち出掛けるの怪しいって。荷物見られましたよ、はあ。さっさと全部の店ネットで注文できるようになれば良いのに』
「そんなこともあるんだ」
『ありますよ、郵便物のチェックって結構厳重だから、場所を変えつつ手渡しが主流らしいですね、ドラッグ』
びくっと体が震えた。もちろんリアルの私で、アバターは動いてない。
「そっ……か」
『そういえば噂になってましたね、スキャン正直面倒なんですけど』
「何か……やだね、ああいうの」
『雰囲気も悪いですよね。学内でもそのうち抜き打ちの荷物検査とかあるんじゃないですか?』
「その……一年の間では、そういうの、なさそう?」
どうしても、曖昧な聞き方をしてしまう。
『噂は、少し前からありましたね。残念ですけど、一年でも誰かやっててもおかしくないです』
「そっか」
ウー君の答えに、ちょっと気が重くなる。
『でも、僕はやってないんで安心してくださいよ。その噂によると、ドラッグやると舌が麻痺って飯が不味くなるらしいんで』
「そうなの?」
『[役割]はランダムで選ばれるとはいえ、って奴ですよ。もともと僕、舌は肥えてるんで』
今度良い店リスト作ってきます、と言った彼はとても若く清く見えて、それだけに、心配になった。
友達が要らないなんて言ったところで、知り合ってしまった人たちを知らん振りなんて今さらできない。だったら少しでも知って、安心したいと思っていた。
(一年生にも流行ってるかもしれないんだ、ドラッグ)
せっかく勇気を出して訪ねたコミュニティで新たに得られたのは、結局それだけだった。
火のないところに煙は立たず。いくら文明が進んでも、こういう火事は防げない。
「どっ、どうしたの、すみれ……」
「こんな危機は初めてかもしれない……もう手遅れだけど……」
昨日優馬さんからメッセージビデオを貰った喜びは何処へやら。お祈りでの衝撃の結果に、私は抜け殻となっていた。同じくスキャンを終えて合流した友達が、思わず近づくのをためらう雰囲気らしい。
心当たりはいくつもあった。
「誘惑に負けたの……」
「えっ、[誘惑]に?!」
友達が反応して飛び込んできた。うっ、百メートル十三秒台の俊足が今は憎い。どちらかと言えば、速さよりその引き締まった脚が。
「うん……」
「だっ、大丈夫? あいつに何酷いことされた? 仇取ろうか?!」
「ううん……何もできず薬に頼った結果でもあるよ……」
「ま、まさか精神性麻薬に手を出したの……?!」
「ううん……」
友達が、私の言葉から勘違いしてることは分かったけれど、力強く否定する気力も起きない。
「◼︎キロ……太っちゃった……」
「はあっ?!」
友達の呆れた視線も声もよく分かる。[誘惑]のこととか、噂とか、心配なことは他にも色々ある。それに何より、[誘惑]の円居 レン先輩は関係ないけど、きっかけを作った人ではある。
熱でとはいえ、寝込んでいたらカロリーは消費しない。強力な風邪薬で早々に治ってしまったし、皆のお見舞いのお菓子なんかが沢山ある。お返しのクッキーの試食もしたし、おまけに、マンホール下のカフェのタルトの誘惑……。
「驚かせてごめんね……でも、私にとっては大きな問題なの……私チビだから、かなり太ってることになるんだ……」
「……だ、大丈夫だよぉ、すみれ元からガリガリなんだから少しくらい。それにすぐ痩せるって」
「違うの、昨日戦場さんにビデオ送っちゃったの! ……太った私を……見られたの……」
「ああ~、そういう? 大丈夫だよ。肥満とかまでは言われてないんでしょ?」
「だって普通体型って幅広いんだよ? 太り気味のラインに近いかも……」
「いや、この体型でそれは無いと思うけどなー」
私はぷるぷると首を振った。
「ま、気持ちは分かるけどね。顔メインで写ってりゃ分かんないって、戦場先輩に実際に会う前に痩せればいいよ」
「うん…………」
痩せよう。
決意したその時、ぽん、と通知がタブレットに現れた。やけに大きい通知音だと思ったら、友達や近くにいる他の生徒にも来たみたいだ。メッセージ程度の一斉送信データは、ラグなく全員同時に届く。
『六月二日 学内連絡【重要】
精神性麻薬への注意喚起と対応』
ごくり、と喉が鳴った。
また、この話だ。
『皆さん、今はスキャンを終えたところかと思いますが、重要なお知らせがあります。本日、学内に精神性麻薬が出回っていることが確認されました。当然、麻薬の許可ない販売、譲渡、使用、所持は重大な法律違反です』
周囲の生徒のざわめきが聞こえてくる。
『つきましては、公正な検査の為に、本日のスキャンは検査レベルを引き上げて実施しました。連絡が遅れたことはご理解下さい』
……つまり、対策されないように抜き打ちで検査したんだろう。
でも、今日のスキャンで発見できなかったら? どうなるんだろう。来月のスキャンまでの間に、誰か私の知っている人が手にしたら、と思うと、腕に鳥肌が立った。まだ連絡は続いているので、ひとまずスクロールする。
『しかし、麻薬使用の痕跡の検出には、持続したデータが必要になることがあります。そこで、早期発見のため、これからしばらくの間、三日ごとにスキャンを実施します』
少し意外だった。
『非常事態としてご理解下さい。スキャンレベルも低から中に上げますが、心身のバイオリズムに絞った条件での検査なので所要時間はほとんど変わりません。ただ、これに従って、日程を変更してーー』
今後のスケジュールが並べられ、その他細々した授業変更などの連絡が続いていた。
「毎週かあ」
顔を上げると、友達がちょっと渋い顔をしていた。
「どうしたの、絵美里」
「めんどくさいなー、って。今でもけっこう、早くに並ぶの大変じゃん。これが三日ごとになるとね」
「スタートダッシュの速い絵美里さんが何を仰いますか」
「すみれの移動が遅いんだよねー。今日もゆっくりだったし」
「うっ……頑張る……」
「私一人ならそりゃファースト・スキャナー獲れるけどさ」
「ファースト・スキャナーって何?! まさか並ぶまでもなく一番早くカプセルに入るってこと?」
「狭義ファーストは全カプセル内で一番最初に入った人に与えられるよ。自称俊足家たちは毎回この座を競ってるわけだ」
「え、それ、嘘だよね?」
「嘘だよ。そもそも廊下は走っちゃダメでしょ」
「あ、そっか」
友達は笑って私の背を叩いた。
「すみれは大丈夫だよ。もしグズグズしてても私が引っ張っていくから」
「む……お母さんだ」
「私みたいなお母さんからすみれみたいな子供は生まれないかな」
「それはそうだね」
「私たちの血がぶつかったらどっちが勝つのか」
「失礼だなぁ」
友達も私も女一人っ子だから結果は分かり得ない。
「うーん、でも、悪いことじゃないかもね、これ」
「何が?」
「ダイエットの経過が分かりやすくなる」
私は手を打った。
「そっか。自分一人だとついつい量らなくなっちゃうけど、スキャンは必ず受けるもんね」
「うんうん。この頻度なら、三日坊主でも頑張れそうだし。私も最近頑張ってることがあるから、この期間ちゃんとやってみようかな」
友達はニコッと笑った。
「うん! 頑張る!」
私はこの日、少しだけ不安を忘れて、志に胸を燃やした。否、必ずや胸以外の脂肪を燃やしてやると誓った。
「こ、こんにちは……」
『おっ、ハナさんじゃないですか! 聞きましたよ、風邪で寝込んでたって。もう大丈夫なんですか?』
コミュニティに入ってすぐに、見知らぬアバターが話しかけてきた。
「あっ、はい、えっと」
『この間とアバター違いますけど、ウーですよ、[美食]の一年の』
「あっ、モネさんとお友達のウー君」
『……モネさんとは知り合い未満の関係ですけど、まあ。アバターに猫耳付いてるのが特徴なんで、良かったら覚えてて下さい』
「うん、分かった。風邪はすっかり治ったよ、ありがとう」
「知り合い未満」ってどういう関係なのかは分からないけど、確かにウー君の白髪ロングのウルフヘアには白い猫耳が生えている。
ここは[役割]持ちが集まるコミュニティだ。今日、勇気を出して一人でログインしてみた。前回は「ハナ」というHNを決めてもらっただけで、ほとんど話はしていないから、実質今日が初めてみたいなものだ。
もう一人、大きな箱に座って脚を揺らしているアバターに挨拶しようとしたら、ウー君のアバターが腕をつまんできた。
『あれは放っておいて良いっすよ。さっきから暇すぎてゲームやってるんで』
「え?」
『……だい』
『喋った! え、ゲームしながら?!』
『じょぶ……』
『いやー、大丈夫に聞こえないね』
『よろ……』
「あ……こちらこそよろしくお願いします、ハナです」
『ドナ……』
「ドナさん、ですね」
返事は無かった。ゲームの方に集中してるんだろうな。ウー君の口調からして、一年生らしい。アバターの見た目からだと女子か男子か判断がつかなかった。
『ここ、結構フリーダムなんですよ、まあ。にしても、また来てくれて嬉しいっす、ハナさん』
「結構勇気が要ったけど」
『そんなカチコチになることないですって! なんせゲームしてる人が居るくらいですよ』
『……ひどい』
『だってドナ、ゲームするならログアウトするでしょ普通』
『めんど……』
『ゲームやりながら喋る方が面倒だと思うけどね』
『縛り……』
「難しいゲームなんですか?」
『一回のミスで即ゲームオーバーになるような奴らしいですよ』
『ろまん……』
ゲームのことはよく分からないけれど、大変みたいだ。
『全く、誰も彼もアバター放置するの止めた方が良いと思うんですけどね』
「誰も彼も?」
『実は今、もう一人ログインしてるんですよ。どこに居ると思います?』
仮想空間を見渡してみる。対面会議ができそうな十人用の大テーブルにチェア、細長い木が一本に小さな花壇、大小様々な無機質な立方体がいくつか。本棚が一つに背もたれのない椅子が一つ。色々な物が混在しているけど、それほど人が隠れられそうなところはない。
「本棚の裏、とか?」
『残念! ハズレです』
「じゃああそこに並んだ立方体の裏あたり?」
『まあそうなんですけど、その答え方だとハズレになるんですよね、ふっふ』
ウー君は何故か笑顔で言うと、ドナさん?君? に近づいた。
そして、彼(彼女)が座っていた箱を、アバターごと蹴り飛ばした。
『ぅえ?』
もちろん仮想空間に普通の物理法則は働かない。端に追い詰められて動けないと困るから、人間アバターを動かすのも楽にできる。
その結果、ドナさん? は、カーブを描いて飛んで行ってしまった……。
『許……さ……』
そのまま、奥の立方体の山に埋もれる。
「う、ウー君?」
『ここ、あえて底にしてたんですけど』
ウー君は蹴って転がした箱を私に見せた。さっきまで地面に付いていた面が、観音開きになっている。大きいから段ボールというより小さな扉だ。
開くと、中に見覚えのあるアバターが丸まって入っていた。
「……ミロさん?」
確か、養護教諭の……。
「……ミロさんが動かないのを良いことに、閉じ込めて上に座ってたんですか……?」
『違……』
『ミロさんから、「しばらく抜けるけど、アバターは置いてくね~。面白いからどこかに隠してみてよ、ウー君^_^」って言われて、箱に入れてみたんですよ。そしたらこいつ、気づかずに座りました』
『きづ……く……わけ……』
「でも黙ってたの?」
『来てすぐゲーム始めましたからね、ミロさんに怒られちゃえ、と思って』
『ころ……す……』
どっちもどっちな気がした。
「アバターをここに置いたままにするのって何か良い事あるの?」
『うーん、ドナはコミュニティの話聞いたり何人かで通話協力しながらプレイするためによく置いてますけどね』
「……まさかミロさんも」
『ちがう……』
『だったら面白いですけどね。通話するのに繋いでて、一言も喋ってないどころかアバターの場所すら教えてないとか』
「あとは……かくれんぼ?」
『かくれんぼ……するかな、ミロさん……いやでも、忙しそうな割に授業中居ることがあるし、自由人だし……本当に三年生なのかも怪しいですね』
ウー君は、ミロさんの正体を知らないらしい。私も、あえて言わないことにした。
『そういえば、ウー君は[美食]? だったよね?』
『はい! 三月半ばに報せが来て四月一日に貰いたての[役割]なんですけど、まあ、食に拘るって感じですね。そのまんまです』
「そのままなんだね」
拘る、は本来悪い意味で使うものだけど、ウー君の口調からすると、誤用じゃないのかもしれない。
『親が張り切っちゃって嫌ってほど干渉してくるんですよ。ネットで人気の美味い店がどこだとか、自炊してんのかとか。食材費として多めに振り込まれてるのは嬉しいんですけど、正直男の自炊より店の方が美味いんで。あと遠くまで食うためだけに行くの大変で』
ウー君はウー君で、苦労しているみたいだった。
『しかも一度職質に遭ったんですよね。あっちこっち出掛けるの怪しいって。荷物見られましたよ、はあ。さっさと全部の店ネットで注文できるようになれば良いのに』
「そんなこともあるんだ」
『ありますよ、郵便物のチェックって結構厳重だから、場所を変えつつ手渡しが主流らしいですね、ドラッグ』
びくっと体が震えた。もちろんリアルの私で、アバターは動いてない。
「そっ……か」
『そういえば噂になってましたね、スキャン正直面倒なんですけど』
「何か……やだね、ああいうの」
『雰囲気も悪いですよね。学内でもそのうち抜き打ちの荷物検査とかあるんじゃないですか?』
「その……一年の間では、そういうの、なさそう?」
どうしても、曖昧な聞き方をしてしまう。
『噂は、少し前からありましたね。残念ですけど、一年でも誰かやっててもおかしくないです』
「そっか」
ウー君の答えに、ちょっと気が重くなる。
『でも、僕はやってないんで安心してくださいよ。その噂によると、ドラッグやると舌が麻痺って飯が不味くなるらしいんで』
「そうなの?」
『[役割]はランダムで選ばれるとはいえ、って奴ですよ。もともと僕、舌は肥えてるんで』
今度良い店リスト作ってきます、と言った彼はとても若く清く見えて、それだけに、心配になった。
友達が要らないなんて言ったところで、知り合ってしまった人たちを知らん振りなんて今さらできない。だったら少しでも知って、安心したいと思っていた。
(一年生にも流行ってるかもしれないんだ、ドラッグ)
せっかく勇気を出して訪ねたコミュニティで新たに得られたのは、結局それだけだった。
火のないところに煙は立たず。いくら文明が進んでも、こういう火事は防げない。
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