上 下
80 / 129

78 フィリッポ

しおりを挟む


「はっ、はっ、はっ、はっ……」

 だるまのような体をした男が、ひたすら走る。
 贅沢な暮らしにどっぷりと浸かっていたフィリッポは、五年ぶりに全力疾走していた――。

「待て、コノヤロウッ!!」

「今日こそは、絶対逃がさねぇからな!!」

「ヒィィッ!!」

 鬼の形相をした男たちに追いかけ回される。
 情けない声を出すフィリッポは、今しがた妻の額に焼印を押した野蛮な男には見えなかった――。

(なんでこんなことに……っ!! 全部、ミランダのせいだッ!!!!)

 愛する妻、ミランダの浮気が発覚した。
 いくらミランダがだったとしても、浮気だけは許せない。
 しかも相手は、使用人だ。
 何年も前から不貞を働いていたのだろう、と想像しただけで、フィリッポは気が狂いそうだった。
 心からミランダを愛していたからこそ、憎しみは倍増していたのだ。

 フィリッポが女性を殴ったことも、焼印を押すという暴挙に出たことも、今価値のない領民たちに追いかけ回されているのも、全てはミランダせいだ。

 本気でそう思っているフィリッポは、領民が怒り狂っている理由に気付いていなかった――。

「ミゲルッ!! 助けてくれッ!!」

 愛する息子に手を伸ばすも、フィリッポの右手は虚しく空を切る。
 フラヴィオに寄り添われ、馬車に乗り込むミゲルは、フィリッポを見ようともしなかった。

(っ……自分だけ助かろうと必死なのかッ!! やはりあいつは、ミランダの息子だなッ!!)

 なんと狡賢い男なのだ。
 無様に膝をついたフィリッポは、初めて最愛の息子を睨みつける。
 しかし、ミゲルはますます美しくなった兄に心を奪われており、父親など眼中になかった――。

「ようやく捕まえたぞ、クズがっ。毎度毎度、逃げ足だけは速いよな?」

「っ、クソッ!!」

 息切れを起こすフィリッポは、怒り狂う領民に追い詰められていた。
 かつてフローラの遺した金の大半が、フィリッポの贅肉へと変わっていたのだ。
 毎日せっせと働いている領民の足に敵うはずがなかった。
 相手が見下している領民ではあるが、大勢に囲まれたフィリッポの背に冷や汗が噴き出る。

「っ、き、貴様らッ!! 私は伯爵だっ、貴族だぞ!?」

「はははっ。そんなこと、レオーネ領で暮らしていた奴らは、全員知ってるって」

 フィリッポが唯一誇れる『身分』という武器を振り翳したが、鼻で笑われてしまった。
 元々赤らんでいたフィリッポの顔は、羞恥で真っ赤に染まる。

は、閣下の……英雄の妻だッ!! ゆ、指一本でも触れてみろっ!! 私に手を出したら、ここにいる全員処刑されるぞッ!!」

「「「…………」」」

 今まさにフィリッポをとっ捕まえようと、縄を手にしていた男が動きを止める。
 顔を見合わせる領民を見たフィリッポは、ようやく安堵の息を吐く。

「はっ! 馬鹿共めッ! だから平民は嫌いなんだ。黙って敬っていればいいものを……」

 助かったと思った瞬間、怯えていたフィリッポの態度は太々しいものに変わっていた。
 舌打ちをするフィリッポは、無礼者め、と吐き捨てた。

 一方、無言の領民たちは、こんな時だけは、フラヴィオを息子だと宣うフィリッポに、呆れ果てているだけだった――。

「ハァ、まったく。私は閣下と同じく、器の大きい男なんだ。今回のことは、特別に許してやっても――」

「だからなんだよ?」

 はっと鼻で笑った男が、さっさとフィリッポを縄で縛り上げる。

「っ、やめろッ!! お前たちッ!! 私の話を聞いていたのか!?」

「はいはい、聞いてるよ。もし、お前が偉いなら、なんで無視されてるんだ?」

「っ、」

 ジラルディ公爵家一行が、領地を後にする。

 なぜか罪人であるミランダまで馬車に丁重に運び込まれる光景を、間抜けな顔で見ていることしかできないフィリッポを、助ける者は誰もいなかった――。



「よくもフラヴィオ様を悪に仕立て上げたな」

「っ!!」


 無数の殺意のこもった目に見下ろされたフィリッポは、恐怖で声が出ない。
 ここでようやく、領民の怒りの原因に気付く。

(っ……フラヴィオのせいだったのかッ!!)

 最後まで人のせいにしていたフィリッポは、ミランダ同様身ぐるみ剥がされる。
 罪状が記された張り紙が用意され、公衆の面前で素っ裸で放置されるフィリッポは、見下していた領民たちの見せ物に成り下がっていた。











しおりを挟む
感想 156

あなたにおすすめの小説

【奨励賞】恋愛感情抹消魔法で元夫への恋を消去する

SKYTRICK
BL
☆11/28完結しました。 ☆第11回BL小説大賞奨励賞受賞しました。ありがとうございます! 冷酷大元帥×元娼夫の忘れられた夫 ——「また俺を好きになるって言ったのに、嘘つき」 元娼夫で現魔術師であるエディことサラは五年ぶりに祖国・ファルンに帰国した。しかし暫しの帰郷を味わう間も無く、直後、ファルン王国軍の大元帥であるロイ・オークランスの使者が元帥命令を掲げてサラの元へやってくる。 ロイ・オークランスの名を知らぬ者は世界でもそうそういない。魔族の血を引くロイは人間から畏怖を大いに集めながらも、大将として国防戦争に打ち勝ち、たった二十九歳で大元帥として全軍のトップに立っている。 その元帥命令の内容というのは、五年前に最愛の妻を亡くしたロイを、魔族への本能的な恐怖を感じないサラが慰めろというものだった。 ロイは妻であるリネ・オークランスを亡くし、悲しみに苛まれている。あまりの辛さで『奥様』に関する記憶すら忘却してしまったらしい。半ば強引にロイの元へ連れていかれるサラは、彼に己を『サラ』と名乗る。だが、 ——「失せろ。お前のような娼夫など必要としていない」 噂通り冷酷なロイの口からは罵詈雑言が放たれた。ロイは穢らわしい娼夫を睨みつけ去ってしまう。使者らは最愛の妻を亡くしたロイを憐れむばかりで、まるでサラの様子を気にしていない。 誰も、サラこそが五年前に亡くなった『奥様』であり、最愛のその人であるとは気付いていないようだった。 しかし、最大の問題は元夫に存在を忘れられていることではない。 サラが未だにロイを愛しているという事実だ。 仕方なく、『恋愛感情抹消魔法』を己にかけることにするサラだが——…… ☆描写はありませんが、受けがモブに抱かれている示唆はあります(男娼なので) ☆お読みくださりありがとうございます。良ければ感想などいただけるとパワーになります!

公爵家の次男は北の辺境に帰りたい

あおい林檎
BL
北の辺境騎士団で田舎暮らしをしていた公爵家次男のジェイデン・ロンデナートは15歳になったある日、王都にいる父親から帰還命令を受ける。 8歳で王都から追い出された薄幸の美少年が、ハイスペイケメンになって出戻って来る話です。 序盤はBL要素薄め。

死に戻り騎士は、今こそ駆け落ち王子を護ります!

時雨
BL
「駆け落ちの供をしてほしい」 すべては真面目な王子エリアスの、この一言から始まった。 王子に”国を捨てても一緒になりたい人がいる”と打ち明けられた、護衛騎士ランベルト。 発表されたばかりの公爵家令嬢との婚約はなんだったのか!?混乱する騎士の気持ちなど関係ない。 国境へ向かう二人を追う影……騎士ランベルトは追手の剣に倒れた。 後悔と共に途切れた騎士の意識は、死亡した時から三年も前の騎士団の寮で目覚める。 ――二人に追手を放った犯人は、一体誰だったのか? 容疑者が浮かんでは消える。そもそも犯人が三年先まで何もしてこない保証はない。 怪しいのは、王位を争う第一王子?裏切られた公爵令嬢?…正体不明の駆け落ち相手? 今度こそ王子エリアスを護るため、過去の記憶よりも積極的に王子に関わるランベルト。 急に距離を縮める騎士を、はじめは警戒するエリアス。ランベルトの昔と変わらぬ態度に、徐々にその警戒も解けていって…? 過去にない行動で変わっていく事象。動き出す影。 ランベルトは今度こそエリアスを護りきれるのか!? 負けず嫌いで頑固で堅実、第二王子(年下) × 面倒見の良い、気の長い一途騎士(年上)のお話です。 ------------------------------------------------------------------- 主人公は頑な、王子も頑固なので、ゆるい気持ちで見守っていただけると幸いです。

魔法学園の悪役令息ー替え玉を務めさせていただきます

オカメ颯記
BL
田舎の王国出身のランドルフ・コンラートは、小さいころに自分を養子に出した実家に呼び戻される。行方不明になった兄弟の身代わりとなって、魔道学園に通ってほしいというのだ。 魔法なんて全く使えない抗議したものの、丸め込まれたランドルフはデリン大公家の公子ローレンスとして学園に復学することになる。無口でおとなしいという触れ込みの兄弟は、学園では悪役令息としてわがままにふるまっていた。顔も名前も知らない知人たちに囲まれて、因縁をつけられたり、王族を殴り倒したり。同室の相棒には偽物であることをすぐに看破されてしまうし、どうやって学園生活をおくればいいのか。混乱の中で、何の情報もないまま、王子たちの勢力争いに巻き込まれていく。

嫌われ公式愛妾役ですが夫だけはただの僕のガチ勢でした

ナイトウ
BL
BL小説大賞にご協力ありがとうございました!! CP:不器用受ガチ勢伯爵夫攻め、女形役者受け 相手役は第11話から出てきます。  ロストリア帝国の首都セレンで女形の売れっ子役者をしていたルネは、皇帝エルドヴァルの為に公式愛妾を装い王宮に出仕し、王妃マリーズの代わりに貴族の反感を一手に受ける役割を引き受けた。  役目は無事終わり追放されたルネ。所属していた劇団に戻りまた役者業を再開しようとするも公式愛妾になるために偽装結婚したリリック伯爵に阻まれる。  そこで仕方なく、顔もろくに知らない夫と離婚し役者に戻るために彼の屋敷に向かうのだった。

前世が俺の友人で、いまだに俺のことが好きだって本当ですか

Bee
BL
半年前に別れた元恋人だった男の結婚式で、ユウジはそこではじめて二股をかけられていたことを知る。8年も一緒にいた相手に裏切られていたことを知り、ショックを受けたユウジは式場を飛び出してしまう。 無我夢中で車を走らせて、気がつくとユウジは見知らぬ場所にいることに気がつく。そこはまるで天国のようで、そばには7年前に死んだ友人の黒木が。黒木はユウジのことが好きだったと言い出して―― 最初は主人公が別れた男の結婚式に参加しているところから始まります。 死んだ友人との再会と、その友人の生まれ変わりと思われる青年との出会いへと話が続きます。 生まれ変わり(?)21歳大学生×きれいめな48歳おっさんの話です。 ※軽い性的表現あり 短編から長編に変更しています

無能の騎士~退職させられたいので典型的な無能で最低最悪な騎士を演じます~

紫鶴
BL
早く退職させられたい!! 俺は労働が嫌いだ。玉の輿で稼ぎの良い婚約者をゲットできたのに、家族に俺には勿体なさ過ぎる!というので騎士団に入団させられて働いている。くそう、ヴィがいるから楽できると思ったのになんでだよ!!でも家族の圧力が怖いから自主退職できない! はっ!そうだ!退職させた方が良いと思わせればいいんだ!! なので俺は無能で最悪最低な悪徳貴族(騎士)を演じることにした。 「ベルちゃん、大好き」 「まっ!準備してないから!!ちょっとヴィ!服脱がせないでよ!!」 でろでろに主人公を溺愛している婚約者と早く退職させられたい主人公のらぶあまな話。 ーーー ムーンライトノベルズでも連載中。

BLR15【完結】ある日指輪を拾ったら、国を救った英雄の強面騎士団長と一緒に暮らすことになりました

厘/りん
BL
 ナルン王国の下町に暮らす ルカ。 この国は一部の人だけに使える魔法が神様から贈られる。ルカはその一人で武器や防具、アクセサリーに『加護』を付けて売って生活をしていた。 ある日、配達の為に下町を歩いていたら指輪が落ちていた。見覚えのある指輪だったので届けに行くと…。 国を救った英雄(強面の可愛い物好き)と出生に秘密ありの痩せた青年のお話。 ☆英雄騎士 現在28歳    ルカ 現在18歳 ☆第11回BL小説大賞 21位   皆様のおかげで、奨励賞をいただきました。ありがとう御座いました。    

処理中です...