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78 フィリッポ
しおりを挟む「はっ、はっ、はっ、はっ……」
だるまのような体をした男が、ひたすら走る。
贅沢な暮らしにどっぷりと浸かっていたフィリッポは、五年ぶりに全力疾走していた――。
「待て、コノヤロウッ!!」
「今日こそは、絶対逃がさねぇからな!!」
「ヒィィッ!!」
鬼の形相をした男たちに追いかけ回される。
情けない声を出すフィリッポは、今しがた妻の額に焼印を押した野蛮な男には見えなかった――。
(なんでこんなことに……っ!! 全部、ミランダのせいだッ!!!!)
愛する妻、ミランダの浮気が発覚した。
いくらミランダが絶世の美女だったとしても、浮気だけは許せない。
しかも相手は、使用人だ。
何年も前から不貞を働いていたのだろう、と想像しただけで、フィリッポは気が狂いそうだった。
心からミランダを愛していたからこそ、憎しみは倍増していたのだ。
フィリッポが女性を殴ったことも、焼印を押すという暴挙に出たことも、今価値のない領民たちに追いかけ回されているのも、全てはミランダせいだ。
本気でそう思っているフィリッポは、領民が怒り狂っている理由に気付いていなかった――。
「ミゲルッ!! 助けてくれッ!!」
愛する息子に手を伸ばすも、フィリッポの右手は虚しく空を切る。
フラヴィオに寄り添われ、馬車に乗り込むミゲルは、フィリッポを見ようともしなかった。
(っ……自分だけ助かろうと必死なのかッ!! やはりあいつは、ミランダの息子だなッ!!)
なんと狡賢い男なのだ。
無様に膝をついたフィリッポは、初めて最愛の息子を睨みつける。
しかし、ミゲルはますます美しくなった兄に心を奪われており、父親など眼中になかった――。
「ようやく捕まえたぞ、クズがっ。毎度毎度、逃げ足だけは速いよな?」
「っ、クソッ!!」
息切れを起こすフィリッポは、怒り狂う領民に追い詰められていた。
かつてフローラの遺した金の大半が、フィリッポの贅肉へと変わっていたのだ。
毎日せっせと働いている領民の足に敵うはずがなかった。
相手が見下している領民ではあるが、大勢に囲まれたフィリッポの背に冷や汗が噴き出る。
「っ、き、貴様らッ!! 私は伯爵だっ、貴族だぞ!?」
「はははっ。そんなこと、レオーネ領で暮らしていた奴らは、全員知ってるって」
フィリッポが唯一誇れる『身分』という武器を振り翳したが、鼻で笑われてしまった。
元々赤らんでいたフィリッポの顔は、羞恥で真っ赤に染まる。
「私の息子は、閣下の……英雄の妻だッ!! ゆ、指一本でも触れてみろっ!! 私に手を出したら、ここにいる全員処刑されるぞッ!!」
「「「…………」」」
今まさにフィリッポをとっ捕まえようと、縄を手にしていた男が動きを止める。
顔を見合わせる領民を見たフィリッポは、ようやく安堵の息を吐く。
「はっ! 馬鹿共めッ! だから平民は嫌いなんだ。黙って敬っていればいいものを……」
助かったと思った瞬間、怯えていたフィリッポの態度は太々しいものに変わっていた。
舌打ちをするフィリッポは、無礼者め、と吐き捨てた。
一方、無言の領民たちは、こんな時だけは、フラヴィオを息子だと宣うフィリッポに、呆れ果てているだけだった――。
「ハァ、まったく。私は閣下と同じく、器の大きい男なんだ。今回のことは、特別に許してやっても――」
「だからなんだよ?」
はっと鼻で笑った男が、さっさとフィリッポを縄で縛り上げる。
「っ、やめろッ!! お前たちッ!! 私の話を聞いていたのか!?」
「はいはい、聞いてるよ。もし、お前が偉いなら、なんで無視されてるんだ?」
「っ、」
ジラルディ公爵家一行が、領地を後にする。
なぜか罪人であるミランダまで馬車に丁重に運び込まれる光景を、間抜けな顔で見ていることしかできないフィリッポを、助ける者は誰もいなかった――。
「よくもフラヴィオ様を悪に仕立て上げたな」
「っ!!」
無数の殺意のこもった目に見下ろされたフィリッポは、恐怖で声が出ない。
ここでようやく、領民の怒りの原因に気付く。
(っ……フラヴィオのせいだったのかッ!!)
最後まで人のせいにしていたフィリッポは、ミランダ同様身ぐるみ剥がされる。
罪状が記された張り紙が用意され、公衆の面前で素っ裸で放置されるフィリッポは、見下していた領民たちの見せ物に成り下がっていた。
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