上 下
79 / 129

77

しおりを挟む


 ――順調に領地を回って五日目。
 フラヴィオは、ジラルディ公爵夫人として母の愛した地に向かっていた。
 領地に行くのは何年ぶりのことだろう。
 母と過ごした日々を思い出すフラヴィオは、無意識のうちに繋いでいる手をぎゅっと握りしめた。

(もう二度と、外に出ることは叶わないかもしれないと、思ったこともあったというのに……)

 いたるところに青い花が咲き乱れており、フラヴィオの胸は熱くなっていた。

「これだけ咲いていれば、いくつか摘んでも平気だろう?」

 馬車の窓から外の景色を見ようと、クレメントがフラヴィオの肩を抱く。
 冷静を保っているものの、さりげないスキンシップに喜ぶフラヴィオは、クレメントを見上げた。
 天下を取ったかのような、得意げな顔だ。

「花冠を作って、プレゼントしますね」

「っ、私にか?」

「ふふっ、他に誰が?」

 フラヴィオの愛する人はクレメントだけである。
 かなり遠回しだったが、フラヴィオの気持ちが伝わったのかもしれない。
 日に焼けた頬は赤らんでいた。

(もしかすると、戦場の鬼神と呼ばれる男に、花冠は似合わないだろうと、想像して恥ずかしくなっただけかもしれないが……)

「クレム様の髪は、どんな花でも似合う色だと思います」

「…………ヴィオの方が似合うだろう」

 クレメントが金色の髪に触れ、まるで王子様のように、髪に口付けを落とした。
 ドキッとしてしまうフラヴィオは、表情に出すまいと必死である。
 だが、顔は熱い。


 漆黒色の瞳にじっと観察されるフラヴィオは、気付けばそっと抱き寄せられていた――。


 人前ではいつも通り、フラヴィオを後妻として丁重に扱ってくれている。
 クレメントが後妻を大切に扱えば、周囲の人間もフラヴィオを認めてくれる。
 だからこそ、クレメントは丁重な対応を徹底しているのだと、フラヴィオは思っていた。

 ――しかし、フラヴィオが勇気を出したあの夜以降。

 ふたりきりになった途端に、クレメントに抱き寄せられたり、ただ名を呼ばれることが増えていた。

(最初は、私が舐められないようにと、敢えて丁重に扱っていたのだと思う。でも……今は、違うのかもしれない……)

 大きな手で頭を撫でられるフラヴィオは、想い人に身を委ねていた――。





 馬車を下りれば、大勢の領民がふたりを歓迎してくれていた。
 正確に言えば、クレメントを、だ。
 短期間の間に領民の心を掴んだクレメントは、それだけの仕事をしたのだろう。
 領民想いのフローラを最も尊敬していたフラヴィオは、志の高い夫に惚れ直していた。

「閣下ッ! うちの使用人が全員犯罪者って、一体どういうことですのッ!?」
 
 耳障りな声が響く。
 どう見ても領地を視察するような格好ではない、ふくよかな女性が喚いている。
 とても貴族とは思えないミランダが暴れ出し、フラヴィオは一旦馬車で待機することとなった。

 厳重体制のため、馬車からはなにも見えない。
 ただ、おぞましい男女の叫び声が聞こえてくるだけだった。
 ひ弱なフラヴィオに出来ることはないだろう。
 だが、このまま隠れていていいのだろうか。

(共に剣を握れずとも、私は……クレム様の隣に立ちたい)

 なにが起ころうとも、平常心で乗り切ってみせる。
 そう決意して馬車をおりれば、身ぐるみ剥がされたミランダが転がっていたのだ――。

 それも額に焼印を押した相手は、ミランダを盲目的に愛していたフィリッポである。
 話を聞いた当初、フラヴィオはどうしても信じられなかった。

 それでも、フラヴィオがやることは決まっている――。

 まず、迅速に混乱した場を収めること。
 そして、大切な異母弟ミゲルのために、神官を呼んでほしいとクレメントに頭を下げていた。

「ミゲル、大丈夫か?」

 ぼんやりとするミゲルに声をかければ、迷子の子供のような目をして突っ立っていた。

 実際には、ミゲルはミランダがどうなろうとかまわない。
 最愛の兄を失う未来を想像し、絶望しているだけだったが、フラヴィオの目には悲しみに暮れているように映っていた――。

「神官に来てもらうようお願いしたから、安心していい。死ぬことはないと思う」

「兄様ッ! ありがとうございますッ」

 感動したように茶色の瞳を潤ませたミゲルが、フラヴィオに抱きつく。
 いつものように優しく頭を撫でてやれば、ミゲルはすんと鼻を啜っていた。

 ミランダは最低な人間だが、あれでもミゲルの母親なのだ。
 幼い頃に母親を亡くしているフラヴィオは、母親がいなくなることの悲しみを知っている。
 どんな母親であれ、ミゲルには必要な存在だと思っていた――。


 フラヴィオは五年前からなにも変わっていない。


 だが、明らかに仲の良い兄弟が抱き合っている姿は、なにも知らない領民からしてみれば、異様な光景に映っていた――。





















しおりを挟む
感想 156

あなたにおすすめの小説

僕がハーブティーを淹れたら、筆頭魔術師様(♂)にプロポーズされました

楠結衣
BL
貴族学園の中庭で、婚約破棄を告げられたエリオット伯爵令息。可愛らしい見た目に加え、ハーブと刺繍を愛する彼は、女よりも女の子らしいと言われていた。女騎士を目指す婚約者に「妹みたい」とバッサリ切り捨てられ、婚約解消されてしまう。 ショックのあまり実家のハーブガーデンに引きこもっていたところ、王宮魔術塔で働く兄から助手に誘われる。 喜ぶ家族を見たら断れなくなったエリオットは筆頭魔術師のジェラール様の執務室へ向かう。そこでエリオットがいつものようにハーブティーを淹れたところ、なぜかプロポーズされてしまい……。   「エリオット・ハワード――俺と結婚しよう」 契約結婚の打診からはじまる男同士の恋模様。 エリオットのハーブティーと刺繍に特別な力があることは、まだ秘密──。

【第2部開始】悪役令息ですが、家族のため精一杯生きているので邪魔しないでください~僕の執事は僕にだけイケすぎたオジイです~

ちくわぱん
BL
【第2部開始 更新は少々ゆっくりです】ハルトライアは前世を思い出した。自分が物語の当て馬兼悪役で、王子と婚約するがのちに魔王になって結局王子と物語の主役に殺される未来を。死にたくないから婚約を回避しようと王子から逃げようとするが、なぜか好かれてしまう。とにかく悪役にならぬように魔法も武術も頑張って、自分のそばにいてくれる執事とメイドを守るんだ!と奮闘する日々。そんな毎日の中、困難は色々振ってくる。やはり当て馬として死ぬしかないのかと苦しみながらも少しずつ味方を増やし成長していくハルトライア。そして執事のカシルもまた、ハルトライアを守ろうと陰ながら行動する。そんな二人の努力と愛の記録。両片思い。じれじれ展開ですが、ハピエン。

無能の騎士~退職させられたいので典型的な無能で最低最悪な騎士を演じます~

紫鶴
BL
早く退職させられたい!! 俺は労働が嫌いだ。玉の輿で稼ぎの良い婚約者をゲットできたのに、家族に俺には勿体なさ過ぎる!というので騎士団に入団させられて働いている。くそう、ヴィがいるから楽できると思ったのになんでだよ!!でも家族の圧力が怖いから自主退職できない! はっ!そうだ!退職させた方が良いと思わせればいいんだ!! なので俺は無能で最悪最低な悪徳貴族(騎士)を演じることにした。 「ベルちゃん、大好き」 「まっ!準備してないから!!ちょっとヴィ!服脱がせないでよ!!」 でろでろに主人公を溺愛している婚約者と早く退職させられたい主人公のらぶあまな話。 ーーー ムーンライトノベルズでも連載中。

田舎育ちの天然令息、姉様の嫌がった婚約を押し付けられるも同性との婚約に困惑。その上性別は絶対バレちゃいけないのに、即行でバレた!?

下菊みこと
BL
髪色が呪われた黒であったことから両親から疎まれ、隠居した父方の祖父母のいる田舎で育ったアリスティア・ベレニス・カサンドル。カサンドル侯爵家のご令息として恥ずかしくない教養を祖父母の教えの元身につけた…のだが、農作業の手伝いの方が貴族として過ごすより好き。 そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。 アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。 公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。 アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。 一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。 これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。 小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。

そばかす糸目はのんびりしたい

楢山幕府
BL
由緒ある名家の末っ子として生まれたユージン。 母親が後妻で、眉目秀麗な直系の遺伝を受け継がなかったことから、一族からは空気として扱われていた。 ただ一人、溺愛してくる老いた父親を除いて。 ユージンは、のんびりするのが好きだった。 いつでも、のんびりしたいと思っている。 でも何故か忙しい。 ひとたび出張へ出れば、冒険者に囲まれる始末。 いつになったら、のんびりできるのか。もう開き直って、のんびりしていいのか。 果たして、そばかす糸目はのんびりできるのか。 懐かれ体質が好きな方向けです。今のところ主人公は、のんびり重視の恋愛未満です。 全17話、約6万文字。

【完結】選ばれない僕の生きる道

谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。 選ばれない僕が幸せを選ぶ話。 ※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです ※設定は独自のものです

嫌われ公式愛妾役ですが夫だけはただの僕のガチ勢でした

ナイトウ
BL
BL小説大賞にご協力ありがとうございました!! CP:不器用受ガチ勢伯爵夫攻め、女形役者受け 相手役は第11話から出てきます。  ロストリア帝国の首都セレンで女形の売れっ子役者をしていたルネは、皇帝エルドヴァルの為に公式愛妾を装い王宮に出仕し、王妃マリーズの代わりに貴族の反感を一手に受ける役割を引き受けた。  役目は無事終わり追放されたルネ。所属していた劇団に戻りまた役者業を再開しようとするも公式愛妾になるために偽装結婚したリリック伯爵に阻まれる。  そこで仕方なく、顔もろくに知らない夫と離婚し役者に戻るために彼の屋敷に向かうのだった。

婚約破棄される悪役令嬢ですが実はワタクシ…男なんだわ

秋空花林
BL
「ヴィラトリア嬢、僕はこの場で君との婚約破棄を宣言する!」  ワタクシ、フラれてしまいました。  でも、これで良かったのです。  どのみち、結婚は無理でしたもの。  だってー。  実はワタクシ…男なんだわ。  だからオレは逃げ出した。  貴族令嬢の名を捨てて、1人の平民の男として生きると決めた。  なのにー。 「ずっと、君の事が好きだったんだ」  数年後。何故かオレは元婚約者に執着され、溺愛されていた…!?  この物語は、乙女ゲームの不憫な悪役令嬢(男)が元婚約者(もちろん男)に一途に追いかけられ、最後に幸せになる物語です。  幼少期からスタートするので、R 18まで長めです。

処理中です...