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「第四話 邪悪哄笑 ~魔呪の虜囚~

18章

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 「ようやく目が覚めたかね」
 
 ズキズキと絞めつけるような痛みに頭を抱えた藤木七菜江は、傍らに立つ白衣の男性に視線を飛ばす。
 ベッドから跳ね起きたとき、七菜江はそこがどこだか、理解できなかった。
 4つの簡易ベッドがあるだけで、無機質な灰色の壁にはなにも装飾品はない。記憶を遡って、三星重工の支社ビルを訪れたことを思い出した少女は、ようやくそこが仮眠室であるらしいという結論を導き出した。
 
 どれだけ眠っていたか、わからないが、身体がとても重い。恐らくマリーの呪術の後遺症だろう。表面的なダメージは、神崎ちゆりにつけられた太股の傷くらいだが、肉体に刻まれた疲れは、予想以上に積み重なっているらしい。
 
 立ちあがろうとして眩暈を覚えた少女は、弾力のあるベッドにそのまま腰掛ける。見上げる形で白衣の中年男性に言う。
 
 「あの・・・あなたは・・・?」
 
 「有栖川邦彦だ」
 
 霧澤夕子の、父親。
 三星重工の研究室で、密かな実験を担当していると言われる機械工学の天才は、落ちついた口調で応えた。
 七三分けの、眼鏡をした真面目タイプを予想していた七菜江は、本物の意外な姿に多少驚いていた。オールバックの髪型に、鋭い視線。痩せているが、その骨格からは強靭さが窺える。肌は褐色に焼け、男のダンディズムの臭いが、プンプンと薫ってくるようだ。機械は機械でも、ハーレー・ダビッドソンをいじるのが似合いそうな感じ。
 夕子の顔立ちを思えば、父親の格好良さは寧ろ当然かもしれない。クールな雰囲気も、どうやら父親譲りらしかった。
 
 「夕子を連れてきてくれたことには、礼をいわねばならんな。しかし、あの姿を公衆に晒したことには、苦言を呈さねばなるまい」
 
 「ご、ごめんなさい」
 
 己の身体の半分が機械であることに、誰よりも不快感を持っていたのは夕子自身だ。彼女のことを思えば、あの姿を混乱のなかといえ人目に晒したことは、反省すべきであるのは確かだった。
 
 「もし、我々の研究が世間に知れたら大変なことになる。巨大生物が現れてくれたおかげで、注目されなかったのは幸いだったが」
 
 淡々とした言い方に、ムッとすると同時に七菜江は悲しくなる。やはり、この人は研究第一のひとなんだ・・・。実験体として扱われた夕子を思うと、やりきれない気持ちが少女の心を重くする。
 七菜江の気持ちを暗くするのは、それだけではない。ミュータントが出現したことを、戦士でもある少女は知っていた。しかし、いくら人類を守るのがファントムガールの使命とはいえ、目の前で死にかけている友達を放っておくことなどできない。薄れゆく意識の中で、なんとかここまでやってきたが、夕子を届けてから、闘いに赴くまでの体力は残されていなかった。
 
 戦況はどうなっているのか、里美は、ユリは、闘っているのだろうか。気にならないわけはないが、今は夕子のことが先決だ。
 
 「あ、あの・・・夕子は大丈夫なんですか?」
 
 「君には関係ないことだ。いいか、今日のことは全て忘れるんだ。夕子という存在自体、忘れてしまいなさい。それなりの報酬は約束しよう」
 
 冷淡を通り越して、有栖川の言葉は冷酷に聞こえた。
 いまや夕子は、七菜江にとってかけがえのない存在のひとりになりつつある。二人はともに死線をくぐっているのだ。有栖川は夕子を自分の“モノ”として見ているようだが、それを許すほど七菜江は大人しくなかった。
 
 「関係ないって・・・あたしたち、友達ですよ! 忘れるなんて、絶対しません!」
 
 「夕子に友達など不要だ。帰りなさい。部外者をいつまでもここに置くわけにはいかん。すぐに出ていくんだ」
 
 「イヤです! 夕子がどうなったか、教えてくれるまでは帰りません! どうしても出てけって言うなら・・・夕子の秘密を皆にバラしますよ!」
 
 必死の少女は、実際にはやるわけがない行動を、有栖川への脅しとして使った。
 こういう駆け引きは、純朴に育った七菜江としては最も苦手としていたが、白衣の研究者の一向に引きそうにない態度の前に、やらざるを得なかったのだ。七菜江の言った言葉は、冷静を装う男に、相当な威力を発揮しているはずだった。
 
 しばしの沈黙。その後の有栖川の行動は早かった。
 右手を懐にしのばせるや、次の瞬間には黒く光る鋼鉄の塊を、ベッドに座る少女の額に押し当てていた。
 装填式の小型拳銃。
 その口径がピタリと己の額につけられるのを、上目遣いで七菜江は見ていた。
 
 「身元不明の死体がひとつ、ふたつ増えたところで、いまや大した騒ぎにもならん。巨大生物のおかげでな」
 
 「・・・殺すんですか、あたしを」
 
 「学生の君にはわからんだろうが、大人になると、ひとの命よりも重要な秘密というのにでくわすようになる。大義のために地獄に落ちる覚悟はしているつもりだ」
 
 ゴリ・・・と冷たい鋼が少女の額をこする。
 汗ひとつ浮べずに、ショートカットの少女は、鷹を思わす鋭い視線を見つめている。
 
 「もう一度だけ、チャンスをやろう。夕子のことを忘れるか?」
 
 「・・・あたしは夕子の友達です」
 
 「そうか・・・」
 
 ググッッとトリガーにかける人差し指に、力が入っていく。
 ベッドに腰掛けたままの少女は、澄んだ視線を真っ直ぐに見据え、男を視界にとらえている。
 
 「・・・・・・・・・君、年はいくつだ?」
 
 「??・・・・・・・・・・17・・・・・」
 
 「・・・どういう人生を送ってきたのか、知らないが、死の覚悟はできているようだな」
 
 カチャリという音を残して、有栖川は黒い鉄の塊を再び懐にしまった。
 
 「殺さないんですか?」
 
 「君が夕子の友達というなら、あの子の秘密を漏らすわけがない」
 
 くるりと背中を向けた白衣の男性は、2,3歩進んで、少女から距離を取った。痩せているのに広い背中を見せたまま、父であり、研究者である男は言った。
 
 「それは、あの子がいなくなったとしても、同じことだろう」
 
 「?!!!」
 
 淡々とした口調はそのままに、有栖川のセリフは、七菜江の心を激しく動揺させた。
 
 「そッッ・・・それはどういう・・・・・・」
 
 「夕子は、もう、助からない」
 
 再び向き直ったオールバックは、極力感情を押し殺した声で語る。
 
 「機械部分の修復は成功だ。切断された腕も、もぎ取られた足も、時間さえあれば元通りにできる。だが、夕子の生身部分、つまり夕子自身の生命力が尽きようとしている。それはもはや、外科手術などではどうしようもないほどに、だ」
 
 重い鈍器で殴られた衝撃が、したたかに七菜江の脳を揺らした。心臓が鷲掴まれたように痛み、視界が暗闇に覆われていく。
 夕子が・・・死ぬ。
 まだ知り合って間がないのに、旧知の間柄であるように思っていた少女が、死んでしまう。間もなく。
 クールで、冷静で、どこか突き放したようで、でも、ホントは情熱的な少女。孤独をふるまい、その孤独から解放されたがっている少女。研究のために身体を失い、それを憎んでいるのに、誰かのためになることをどこかで望んでいる少女。
 運命に翻弄される少女に、運命はまた、過酷な決断を下そうとしている。
 
 「そんな・・・ひどいよ・・・そんな・・・・・・・なんとかならないのッ?!」
 
 「どうしようもない。これが天罰というものだろう・・・・・・娘を道具にした、愚かな男へのね」
 
 再び有栖川の右手に収まった拳銃は、彼自身のこめかみへと照準を合わせていた。日に焼けた精悍な顔は、神仏のように穏やかだった。
 
 「な、なにをッッ?!!」
 
 有栖川の瞳に浮んだ、先程とは比べ物にならないほどの真剣な光に、七菜江はうろたえる。
 
 「止めないで欲しい。あの子が死んだら、私も後を追う」
 
 「なんでッ?! そんなことしても、意味ないじゃんッ!!」
 
 「私は、あの子を生かせるために、生きている。夕子が死ねば、私が生きる意味はない」
 
 相変わらず淡々とした男の声。しかし、そこに娘と似たような、熱い感情を七菜江は感じずにはいられない。
 
 「少し、想い出話を聞いてくれるか」
 
 ダンディズムを絵に描いたような男は、こめかみに銃をつきつけたまま、静かに語る。
 
 「あの子があの事故にあった時・・・私は核が使えないこの国の、軍事的な切り札として、期待されている機械兵士の研究に毎日追われていた。大学病院の集中治療室の中で、あの子に会ったのは2ヵ月ぶりだ。トラックに跳ねられた彼女は、皮膚の大部分が剥がれ、右腕と左足を完全に失っていた。医師からは見捨てられ、あとは静かな死を待つばかりの状態だった。この年で・・・泣いたよ。君らぐらいの年代の子には、信じられないかもしれないが、父親というのはいくつになっても娘がカワイイものだ。たとえ、毎日会えなくてもね」
 
 七菜江は横に首を振る。そのたびに、ショートカットが柔らかく揺れた。その動きは「信じられるよ」という意味だ。
 
 「あの子の手を握ったとき、彼女は握り返してきた。死の淵をさ迷う身体で。私はそれを、彼女の生きる意志だと解釈した。半分機械になった肉体を悲しみ、実験体として利用した私を恨むことはわかっていた。それでも私は彼女に生きて欲しかった。研究中だった機械の身体を彼女に与えることで、夕子は生き返った。思った通り、あの子は私を恨んでいたが、それでも良かった。たとえ、実験体としてでも、あの子が生きてくれるなら、私は悪魔と蔑まれても構わない。・・・そして、あの子が苦しみながら生き続ける限り、私も生きることを決意したのだ」
 
 ひとりの父親の独白は、七菜江の心を強く捕えた。
 夕子を生かすためには、父は恨まれるしかなかったのだ。
 一方で、父を恨む夕子の気持ちを、責めることはできない。夕子にすれば、それは当たり前の感情かもしれない。
 夕子を機械人間として蘇らせる、その決断が正しかったかどうかは誰にもわからない。ただ、その運命が襲った父と娘に、今、ひとつの終末が迫ろうとしている。
 
 「有栖川博士・・・・・・」
 
 青い制服の少女が立ち上がる。ある決意に燃えた揺らめきが、その純粋な瞳に立ち昇る。
 
 「夕子に恨まれるのは、辛かったですか?」
 
 突然の質問は、白衣の男には予想外のものだった。
 少女の意図がなにかわからぬまま、男は正直な気持ちを打ち明ける。
 
 「辛かった。しかし、覚悟はできていたので、耐えられたよ」
 
 「・・・今度はその辛さ、あたしが半分、背負います」
 
 言うなり少女は、青いプリーツスカートの中に自分の右手を突っ込んだ。
 呆気に取られる男の前で、七菜江は顔を歪めながら、スカートの内部で手を動かす。やがて届いてくるゴボゴボという音。あるモノを、少女が体内から抜き出そうとしていることに、有栖川は気付いた。
 里美の眼を盗んで持ってきたそのモノは、ひとつの生命体にひとつしか合体しない。その特性を生かして、七菜江は己の子宮内に、もうひとつのそのモノを、隠し持ってきたのだ。
 
 ズボリ・・・・・・・
 粘着質な音が響き、真っ赤な顔をした少女が、スカートの中からあるモノを取り出す。それは白く、卵大の大きさで、表面にはびっしりと襞のようなものが蠢いている。
 
 「――!! こ、これはッッ?!!」
 
 「『エデン』・・・これを使って、夕子を生き返らせてください――」
 
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