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「第三話 新戦士推参 ~破壊の螺旋~ 」
13章
しおりを挟む濃紺のハイソックスが、畳の上を滑るように進んでいく。
五十嵐里美のバービー人形のように細く、長い脚に、紺のハイソックスはよく似合った。この地域の洋服店では、他の地域よりも紺のハイソックスが3倍ほど売れるが、原因はたったひとりのお嬢様にある。
里美の左腕には真新しい包帯が、きつく結ばれていた。つい先程、西条ユリにきちんとした手当てをしてもらったのだ。武道家の娘に生まれただけあって、包帯を巻くユリの手順は、手慣れたものだった。
道場の真ん中ほどまで進んだ里美は、そこでスカートの裾を折り込んで正座する。
「派手にやられたわね、ナナちゃん」
里美の膝先に、仰向けで寝る藤木七菜江がいた。額から眼の部分にかけて、白い濡れタオルが顔を隠している。首には氷枕。両手首・足首に塗られた軟膏のツンとする匂いが、鼻腔の奥を刺激する。脱臼した左肩は、エリによって元通りにしてもらったが、負担をかけないよう、三角巾で首から吊ってある。
「ごめ~~ん、里美さん。全然敵わなかったよ」
横になったまま、七菜江が応える。半分しか表情は見えないが、意外にサバサバとしているのはわかる。
「当たり前でしょ。勝負って、何をやるかと思ったら、柔術で闘うなんて・・・。相手はスペシャリストなのよ、いくら運動神経がいいからって、勝てるわけないじゃない」
「だって・・・無茶言ってるの、こっちだもん。相手の得意分野で闘わないと、納得してくれないと思って」
打撃なしのルールで闘った七菜江とエリだが、組み合っては七菜江が宙を舞い、関節を折られる寸前まで極められて悲鳴を挙げる、という繰り返しが続いただけだった。
吼介に教えてもらって1週間の七菜江では、いかに『エデン』との融合者であろうと、生まれた時から柔術家のエリの敵ではない。関節を捻られ、頭から畳に落ちる七菜江の姿に、見守っていたユリは思わず眼を逸らした。
だが、どんなに痛めつけられても、七菜江は立ち上がってくる。体力は底を尽き、四肢は動かなくなり、意識は朦朧としても、何度も何度も立ち上がる。その度に、エリは容赦なく七菜江を叩き伏せた。立合いでは、手は抜かないというのは、父に教え込まれた最初の“常識”だった。
最後は、四肢をダラリとさげ、フラフラとやられるために立ち向かってきたような七菜江を、後頭部から落して決着をつけたのだった。
「全く・・・エリちゃんはファントムガールじゃないって言ってるのよ。たとえ勝ったとしても、仲間にはなってもらえないの。あれだけファントムガールであることは、誰にも言うなって注意したのに、正体を簡単にバラしちゃうし・・・もし、あのコが悪いコだったら、どうするの?!」
「大丈夫ですよォ。あのコたち、悪い人間なわけないじゃないですか」
「そういう問題じゃないのッ!」
「里美さん・・・怒ってる?」
「怒ってます!」
「許してくれる?」
「許してあげる。ナナちゃんらしいからね」
タオルの下で、青春真っ只中の前歯が、白く輝く。そんな七菜江を見て、里美は嬉しそうな苦笑で、軽い溜め息をつく。
「でも、大したものね」
「ホントですよォ、結構練習したのになぁ・・・ちっとも歯が立ちませんでした」
「ナナちゃんが、よ。あのコ、途中から本気だったわ。もちろん、初めから手を抜いてないけど、必死さが変わってた。たった1週間でここまで強くなるなんてね。1ヵ月後を期待しちゃうナ」
里美の言葉は、七菜江には意外だった。己の成長が、自分自身で気付いていなかったのだ。実感は湧かないながらも、尊敬する人物からの褒め言葉は、モチベーションを高めるのに、これ以上のものはない。
「あとは必殺技を開発することね」
「そういや、そんなこと言ってましたっけ」
「・・・もしかして、忘れてたの?」
「う、ううんッ! 覚えてた! 覚えてました! ホントですよ、ホント・・・あは、あはははは」
口と鼻だけでも、嘘がわかっちゃうのね・・・・・・
ガラガラと人が入ってくる気配がしたのは、そのときだった。
白い道衣と黒袴姿の西条エリと、ジーンズと紫のトレーナーに着替えてきた妹のユリが、視線を下に落して近付いてくる。まるで、対のお人形のような愛くるしい顔は、ふたつとも、今にも泣き出しそうに歪んでいる。気配に気付いて顔をほころばせている七菜江とは、どちらが勝者かわからない。
横たわった少女の側で、双子の姉妹は里美の反対側に、同じタイミングで正座する。
「・・・・・大丈夫・・・・ですか?」
消え入りそうに、エリが尋ねる。眉の近くの産毛が、フルフルと小刻みに揺れている。黒目がちな瞳は、水をたたえたように光を乱反射している。
「ここんとこ、よく痛い目みてるから、これぐらいはへっちゃら・・・って言いたいけどね。効いたぁ~~! これだけやられたら、逆に気持ちいいよ」
「七菜江さん・・・・・・」
「カンッペキにあたしの負けだね。とっても残念だけど、『新ファントムガール』のことは、諦める」
ハッキリとした口調が、七菜江の決断の強さと、その底にある深い無念さを窺わせる。隣に座る里美は、ただ、七菜江の眼を隠したタオルを、じっと見つめて動かない。
空手衣の少女の言葉は、姉妹にとって、少なからず意外であった。曇った顔を、互いに見合す。何事か、決意を秘めたような双子は、瞳で意志を確認しあい、先程決めてきた事項に変更がないことを了解する。口を開いたのは、いつも決定権を持つ、エリの方だった。
「あの・・・そのことなんですが・・・・実は新ファントムガールは、わた――」
「あなたはファントムガールではないわ。そうでしょ?」
エリの台詞は、里美によって防がれていた。
「いいのよ、それで。あなたたちは、ファントムガールとは一切関係がない、普通の女のコたちよ」
「で、でもッ!」
「私達、さっきふたりで決めたの。エリちゃんとユリちゃんには、迷惑が掛からないようにしようって。ふたりには、幸せになってもらおうって。ファントムガールになるってことは、死ぬかもしれないってことなの。あなたたちは、この道場を守らなくちゃ、『想気流』の看板を守らなくちゃいけない。そんなあなたたちの小さな背中に、この星の運命まで背負わせるわけには、いかないわ。この国と星のために死ぬのは、私達で十分。幸い私達ふたりとも、悲しんでくれる人が、少なくて済むからね」
七菜江がスラリと伸びた指で、ピースサインをエリに向ける。
その手は震えていた。さんざんひねり、ねじったため、手首の靭帯は伸びきる寸前の手だった。持ち上げるだけで、激痛が七菜江を襲っているはずだった。
エリは両手でピースを握る。強く強く。七菜江の暖かさが、じっくりと沁みこんでくるようだった。こんなに辛い暖かさが、世の中にあることを、生まれて15年でエリは知った。
闘いを通じることで、エリは七菜江という快活な少女が、いかに自分たちの力を欲しているかを悟っていた。
なぜなら、七菜江は、柔術の技をほとんど知らなかったから。
工藤吼介が教えたのは、打撃技ばかりだったのだ。それが七菜江に向いてるとの判断からだ。関節技はひとつしか、教えていなかった。
そのひとつを、懸命に掛けようと、少女は何度も立ち上がった。エリにはそれが、組み合ってすぐにわかってしまった。
勝てないとわかっていて、立てば痛い目に遭うだけだと知っていて、それでも七菜江は闘い続けた。エリが仲間になってくれることを願って。その純粋な気持ちが、肉体は壊れていっているのに、技が上手くなっていく奇跡を生んだ。
だが、それでもエリには遠く及ばない。
エリは泣きたかった。辛かった。しかし、立ち向かって来るものには、容赦できない。最後、立ちあがってきた七菜江の意識は、すでに飛んでいた。手加減せずに頭から落し、トドメをさした。
それほどの想いで立ち向かってきた七菜江が、あっさり諦めるなんて。
“なんで? どうして? 私達の・・・ため? なぜ、そんな・・・”
言葉が出ない。ただ、エリは七菜江の意外なまでに小さな手を、ギュッと握り締める。
「・・・・・・嘘です・・・・・」
ずっと俯いていたユリの口から、言葉が洩れる。ジーンズの太股の部分には、紺色の沁みが、ポタポタと点描画を作っている。
「悲しむ人が少ないなんて、嘘です・・・・・・私が、私達が悲しいです・・・」
足の付け根に置かれた拳にも、点描画が現れる。透き通った白さの拳は、グッと握られたまま、少女の心を教えるようにわなないている。
「ありがとう、ユリちゃん」
四人の少女による、無言の交流。それぞれの胸に去来する様々な想いが、大切な時間を刻んでいく。
その暖かな奔流をぶち壊す、無法な乱入者は、突然に格子戸からドヤドヤと侵入してきた。
「おお~い! いつまで経っても来ないから、待ちくたびれちまったぞ」
「お、お父さん! なに、持ってきてるの?!」
双子の父にして、『想気流柔術』の現後継者である、西条剛史が大きなテーブルとともに道場に入ってくる。
「こ、吼介! あなた、なんでここにいるのよ?!」
「いやあ~、七菜江が道わかんないって言うから、連れてきてやったら、西条先生に捕まっちまって・・・・って、里美こそ、なんでいるんだ?」
テーブルの反対側を持っていたのは、工藤吼介だった。
娘ふたりの抵抗など、どこ吹く風の父親は、テーブルを道場の真ん中ほどで降ろすと、倒れたままの七菜江を覗き込む。
「ほほ~~、君がエリに挑戦したいっていうお転婆かあ! 感心、感心。そういう無鉄砲なバカが、最近はいなくてなあ~」
「ハハ、こっぴどくやられたな、七菜江。だから言ったろ? 勝てるわけないって。ま、そこまでやられたら、バカでもちっとは懲りただろ」
倒れていた七菜江の上半身が、ムクリと起き上がる。
「バカバカって、ふたりして言うな!」
「なんだ、元気じゃん」
「よ~~し、お前たち、みんな夕飯まだだろ! 今日はウチは手巻き寿司だ、パア~~ッと盛り上がろうじゃないか!」
「お父さん! 神聖な道場に、手巻き寿司なんて持ってきて・・・」
「固いこというな。ほら、吼介、早く酒持ってこい」
即席で開かれた「手巻きパーテイー」は、酒気も入っての大騒ぎとなり、日付が変わるころ、ようやくお開きになったのだった。
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