ファントムガール ~白銀の守護女神~

草宗

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「第三話 新戦士推参 ~破壊の螺旋~ 」

14章

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 「西条先生って、どんなキャラなの?」
 
 「いや、ホントはメチャメチャ凄い人なんだけど・・・。オレの師匠と仲いいから、よく出稽古やったんだよ。エリやユリともな。悪い人じゃないんだが、お祭り好きなとこがな・・・」
 
 「こんな遅くまで・・・ホントにごめんなさい」
 
 姉妹が揃って頭を下げる。だが、その表情は随分と明るい。酔い潰れた父親を道場の畳に寝かせたまま、ふたりは客人を見送るために、古めかしい門構えまで出てきていた。
 
 「でも、今日はとっても楽しかったです・・・トランプなんてやったの、何年ぶりだろ・・・」
 
 エリは自らの声が弾んでいるのを、認めないわけにはいかなかった。友達と呼べる人は、道場にも、学校にもいるけれど・・・気をおかずに付き合える他人には、初めて会った気がした。
 
 「私達も、今日は楽しかったわ。いつもはナナちゃんとふたりだけで御飯食べてるから・・・」
 
 「いいお父さんだね」
 
 左腕を吊った七菜江が、里美の横で笑いかける。
 
 「そんなこと、ないですよ・・・・うるさいし、わがままだし・・・とっても世話が焼けて困ってます」
 
 「羨ましいな。私、お父さんの顔、見たことないんだもん」
 
 その言葉の意味が、双子の顔に軽い緊張を走らせる。無邪気という単語が似合う年頃のふたりには、己の軽率さに後悔する色が濃く出ていた。
 
 「あ、ゴメン! 気にしないで。変な意味で言ったんじゃないから。ホントにいいお父さんだと思うよ。ふたりのこと、大事にしてるのが、よくわかるもん」
 
 「私もそう思うわ」
 
 夜風に里美の長い髪が揺れる。
 気を遣っているのか、女のコの会話に入るのが苦手なのか、距離を置いている吼介を確認して、里美は少し声を潜める。
 
 「ところで・・・私、『新ファントムガール』に会ったら言いたいことがあるの」
 
 あどけなさを残した双子の瞳に、緊張感がいや増す。隣を覗く七菜江の瞳にも、同じ模様が浮んでいる。
 
 「仲間になって欲しいというのも、もちろんあるんだけど、単独で闘いを挑むのだけはやめて欲しいの。エリちゃんは、ちゆりに襲われたからわかるだろうけど、敵は思った以上に強力な組織よ。だから、私達も団結しようとしている。単独で闘えば、命の保障はないわ。仲間になりたいというのは、そういう意味もあるのよ」
 
 「・・・・・・・・」
 
 「それだけは、やめて欲しいの。『新ファントムガール』にあったら、そう言おうと思ってる。・・・・・・・・遅くまでお邪魔してごめんね。そろそろ帰るわ」
 
 踵を返す里美。寂しげにふたりを見つめていた七菜江は、未練を振り切る勢いで、里美の後に続く。
 
 「あ、あの!・・・・・」
 
 背中を叩いたのは、妹・ユリの呼び掛けだった。
 
 「・・・あの・・・また、遊びに来てくれますか?」
 
 青いセーラー服姿の、ふたりの美少女は、百合とひまわりの笑顔を咲き誇らせて振り返る。
 
 「もちろんよ」
 
 「私達、友達じゃん! まったねェ~~!」
 
 木造の門の前で、華奢で儚げなふたつの影は、いつまでも去りゆく客人を見送っていた。3つの影が消え失せても、しばらくはそのままで。いつまでも。
 
 「七菜江、日曜は暇か?」
 
 帰路の途中、工藤吼介はショートカットの少女に声を掛ける。
 5mほど前を里美が歩いている。ふたりに気を遣ったのか、どうかは定かではないが、吼介と七菜江が並んで歩く格好になったのは、里美のおかげだ。
 
 「うん、まあ・・・特に予定はないけど」
 
 チラチラと里美の動きを見ながら、七菜江は答える。
 里美の前で、吼介と話すのは、正直疲れることだった。尊敬する人への気配りといった点でもそうだし、複雑な自分の気持ちが暴れ出してしまうためでもある。
 そういえば、里美は吼介との関係を教えてくれると約束したが、いまだにその機会はない。里美に限って忘れているわけはないが、こちらから催促するわけにもいかない。待つ辛さが、一日ごとに募っていた。
 
 「じゃあ、たまにはふたりで、街にでも行くか」
 
 「えッッ?!」
 
 頬が蒸気する。俯きながら、前方の長い髪を覗き見る。気品溢れる背中は、なんらの変化も見せていない。
 
 “これって・・・デートってこと、だよね・・・・”
 
 デートは二回、したことがある。中学生時代にだが、そのときは、ただ映画を見て、ファーストフード店に入って、それだけだった。つまらなくはなかったが、面白くもなかった。甘美な幻想と、シビアな現実のギャップに、戸惑いを覚えた青い日々。
 
 「べ、別にいいけど・・・」
 
 「よし、んじゃあ決まりな」
 
 夜でよかった。桜色に染まった肌を、誰にも気付かれずに済むから。
 俯いたまま、ウブな少女は歩いていく。鼓動の早まりと、歩くテンポとのズレが、奇妙な酔いを思わせた。
 左肩の痛みは、忘れかけていた。
 
 
 
 「エリ、本当にこれで、良かったの?」
 
 西条家の2階の和室。そこが、エリとユリ、双子の姉妹に与えられた部屋だった。8畳の部屋は、ふたりで使うには程よい。敷地面積で言えば、ひとりずつに個室を与えることは可能だが、そうしないのは父・剛史の教育論によってだ。
 酔いつぶれた父を運ぶことも含めて、宴の後片付けを済ませた姉妹は、自室で寝支度をしていた。ピンクのパジャマがエリ、黄色がユリ。背中を向けて寝た振りをするエリに、布団の上に座ったユリが問う。
 
 「ファントムガールだってこと、言わなくて良かったの?」
 
 「・・・仕方ないじゃない。言えなかったんだもの」
 
 「あの人たち、とってもいい人たちだよ」
 
 「わかってるよ、そんなこと・・・」
 
 普段は喋るのが苦手なふたりだが、互いが相手の時だけは別だった。秋の虫の音のような、涼やかで透き通るハイトーンボイスが、深夜の空間を行き来する。
 表情を見せようとしない姉に、ユリはさらに話し掛ける。
 
 「力に、なりたいよ。あの人たちの力に、なろうよ」
 
 布団が跳ね上がる。起き上がったエリは、真正面から同じ顔の妹の瞳を見据える。漆黒の瞳には、ジレンマという名の炎が、仄かに燃えていた。
 
 「そう簡単に言うけどッ!! 死ぬかもしれないんだよッ?! 今日だって、私、殺されかけた。そのことをちゃんとわかってるのッ?!」
 
 怒りとは無縁に見える少女の、激しい憤り。死に直面した少女は、その深遠なる恐怖を垣間見たため、認識の甘い妹を、叱らずにはいられなかったのだ。
 
 「ご・・・ごめん・・・・・・」
 
 「私だって、里美さんたちを助けたいよ! でも、それがどれほど危険か、わかってるでしょ?!」
 
 たしなめるエリの前で、ユリの瞳からポロポロと無垢な水晶が零れ落ちる。ユリの小さな胸は、無力な己への責めでいっぱいになっていた。
 
 「・・・でもね、私だって武道家のはしくれ。里美さんに受けた恩義は、どんなに危険でも、返さなくちゃと思ってる」
 
 「・・・どういう・・・こと?」
 
 すすり泣きながら、ユリは姉に、言葉の真意を尋ねた。同じ顔の少女は、包帯の巻かれた己の太股に、宝石が散りばめられた瞳を落す。
 
 「やられたら、やり返さなくっちゃね。ユリ、手伝ってくれる?」
 
 
 
 日曜日―――
 初夏の日差しが、緑の大地に広がっていく。地球が自転し、その速度と同じスピードで、この星を照らす万物の創造主はやって来た。いつもと変わらぬ顔で、あらゆる生物に光を与える様子からは、この日が特別な一日であることを、思いも寄らせない。
 単なる安息日ではない日曜日が、長い長い日曜日が、始まりを告げようとしていた。
 
 藤木七菜江は、豪華な鏡台に備え付けられた、金細工の縁取りが鮮やかな丸鏡に、芸術的ラインを誇る己の肢体を写していた。
 濃紫のキャミソールワンピースは、胸元のカットが際どく、双房の谷間が濃い翳りを見せている。17歳の弾ける肌は、水に濡れたように光り輝いている。親友の亜希子には、牛乳風呂に入ってるのかと、揶揄された肌だ。純白のシースルーのブラウスを上に着て、露出を抑える。身の丈ほどもある巨大な鏡の中の少女は、随分と大人びて映った。頬に射した恥じらいのピンク色だけが、やけに少女らしい純情さを演出している。
 
 鏡に歩み寄る、七菜江。それに合わせて、鏡の中の少女も近寄ってくる。
 そっと両手をあげてみる。鏡の少女が、掌を見せる。
 大切なものに触れるように、ゆっくりと、幼さの残る丸い指先を伸ばす。
 ふたりの美少女の指が、触れる。
 伝わってくるのは、鏡の冷たい感触。
 ふぅ・・・と溜め息をつく、鏡合わせの少女たち。
 お互いに、じっと相手を見つめる。瞳が、潤んだように揺れているのがわかる。熱病に罹ったように、顔が赤い。
 
 “これが、等身大の私・・・。藤木七菜江の、ありのままの姿・・・”
 
 キュッという音がして、少女の拳は握られる。
 七菜江は、今日の自分の服装が、五十嵐里美が普段好む格好であることに気付いていた。
 どんなに足掻いても、尊敬する学園のマドンナには追いつけないことを、七菜江は悟っていた。それ故に、この衣装を選んだ自分が、悲しかった。
 
 その五十嵐里美は、隣室で眠っているはずだった。
 怪我が治って以来、七菜江は里美の部屋の隣に、個室を与えられて生活していた。20畳近くある、広大な部屋は、時々親元を離れた少女を、寂しく感じさせる時がある。そんな時は、隣にすぐに飛びこんで、世間話で紛らわせるのが常だった。
 しかし、里美の私生活は、お嬢様という響きからは、想像しにくいほどのハードさだった。
 新体操の練習から帰れば、忍びとしての修行を独自でこなし、戦闘に関する知識を深め、学業も疎かにしない。それ以外にも調べ物をしたり、五十嵐家の令嬢としてのパーティーに出たりと、寝る暇もないほどの忙しさなのだ。それを不平ひとつ言わずに、里美は次々とこなしていく。
 
 昨夜は1時ごろに帰ってきて、その後に地下の訓練場で、新体操の練習をしていたようだった。さすがに隠しきれない、疲れ切った足取りが、里美の部屋に入っていったのは、午前3時を回っていた。
 
 “里美さんのことは、今日一日は、とにかく忘れよう・・・気にしたって、どうしようもないじゃん・・・”
 
 里美と吼介との関係とか。
 里美は吼介を、吼介は里美を、どう思っているのかとか。
 里美は今日のことを、どう思っているのかとか。
 気にしない。気にしちゃダメだ。
 今日はとにかく、楽しもう。楽しみたい。
 
 柱に掛かった、古い鳩時計を見上げる。午前7時12分。吼介との約束の時間までは、まだ3時間近くもある。
 それでも七菜江は、早めに家を出ようと考えていた。里美にわからないように、したかったからだ。西条家からの帰り道、五感の研ぎ澄まされた里美が、吼介との会話を聞き漏らしたわけはない。そうわかっているからこそ、里美の目の前を通って家を出るのは、少なからぬ負担だった。
 
 コンコンという、厚い木造の扉をノックする音が響いたのは、その時だった。
 
 “安藤さん、日曜なのに平日と間違えたのかな?”
 
 寝起きの悪い七菜江は、小学生のように執事の安藤に叩き起こされるのが日課だった。運動会など特別な日だけ、早く起きられるタイプ。早朝の訪問者に、七菜江は声を掛ける。
 
 「はい、どうぞォ。開いてますよ」
 
 重々しく扉を開けて入ってきたのは、黒のTシャツとロングスカートに身を包んだ、落ち着きのある影だった。
 
 「里美・・・さん・・・・」
 
 「ごめんね、朝早くから」
 
 部屋着と呼んでいい、ラフな格好でも、その纏った雰囲気からは、気品が損なわれることはない。柳眉がゆるいカーブの八の字を描いているのは、非礼に対する申し訳なさから来るようだ。さざなみのような穏やかな微笑みのまま、美しき令嬢は正面から七菜江に近付き、純粋な女子高生の肩に両手をかける。
 
 「とっても綺麗よ、ナナちゃん。吼介も、きっと気にいるわ」
 
 動転と羞恥と負い目と。桜貝の唇が、言葉を紡ごうとして、震える。だが、七菜江には、言うべき台詞が思い浮かばなかった。
 
 「あの・・・私、あの・・・・・」
 
 「座って」
 
 心に染みる優しい声に従い、七菜江は鏡台に向かって樫の木の椅子に座る。背後に立った里美が、右肩越しに鏡を覗き込む。大きな丸い鏡には、ふたりの美少女の顔が並んで写っている。
 
 「見て、ナナちゃん。あなたはこんなに可愛いのよ。とってもチャーミングで、純粋で、女のコらしい女のコ。こんなに可愛いコは、滅多にいないわ。もっと、自信を持って」
 
 鏡の中の少女は、奥二重の眼を丸くして、真っ直ぐこちらを覗いている。ほんのり頬を染めた桜色は、いまや無邪気さの残った顔中に広がりつつあり、少女が本来隠し持っていた、甘い艶やかさを醸し出そうとしていた。少女の幼さに含まれた、女性としての魅力。“可愛らしさ”が光リ輝いていた。七菜江には、天使のあどけなさと、女神の艶やかさ、その両方が微妙なバランスで共生していた。桃色のオーラを纏った今、鏡に映った少女の顔は、どんな芸術家にも表せ得ぬ、美の傑作と生まれ変わっていた。
 七菜江の鼓動が躍動する。
 ゴクリと唾を飲みこむと、白い喉が、かすかに上下した。
 少女は、今の自分の変化に、ようやく気付いたようだった。
 
 「ナナちゃんは、なんでお化粧しないの?」
 
 「なんでって・・・やり方とか、知らないから・・・・・・」
 
 「じゃあ、今日教えてあげるね。吼介を驚かせちゃおうよ・・・って、私もあまり、得意じゃないんだけれど」
 
 クスクスと笑う里美は、あまりにも無邪気だった。鏡台から備え付けてある、いくつかの化粧道具を取り出すと、七菜江の正面に向かい合って座る。
 突然の申し出に、慌てた七菜江だったが、里美の素早い行動によって、拒否する間もなかった。髪をセットするか、眉を整えるくらししか、オシャレしたことのない七菜江にとって、化粧するという行為自体が恥ずかしかった。もちろん女のコである以上、興味がないといったら、嘘になるが。
 
 ファンデーションを取り出した里美は、少し考えてそれを元に戻す。する必要を感じなかったからだ。代わりに20本ほどの口紅から、ひとつを選び出す。ピンクのカラーは、七菜江の唇の色と、よく似た色合いだった。
 
 「少し、口を開けてみて」
 
 塗りやすいように、唇を半開きにしてもらう。白い歯が、チラリと覗くその唇の形は、同性の里美から見ても、ドキリとするほど魅惑的だ。
 
 「どうかな?」
 
 「・・・なんか、変な感じ・・・」
 
 マシュマロの唇を覆う塗料の感覚が、七菜江を戸惑わせる。里美の言葉に従って、口をパクパクと開閉してみると、やや馴染んだような気がした。
 
 「うふふ。初めはそんなものよ。・・・ラインも少し、入れよっか?」
 
 「も、もういいですよ・・・」
 
 「大丈夫よ、すぐ終わるから」
 
 アイラインを引くために、道具を整える里美。筆を用意し、両目を閉じるように言う。
 
 「動いちゃダメよ? そのまま、しばらく我慢してね」
 
 透き通ったふたつの瞳を閉じ、口も閉じて、じっと、まだ朱色のままの顔を預ける七菜江。
 その弓張りの眉と、濃いめの睫毛の間に、わずかに色を付けていく。
 
 「私と吼介の関係を、まだ言ってなかったよね」
 
 里美の台詞は、七菜江の身体をビクリと硬直させるのに、十分だった。
 だが、目蓋の上を通る、筆の感触がそれ以上の動作を許さない。開きかけた口が、閉じる。
 
 「姉弟よ」
 
 筆は丁寧に、薄い紺色を着色していく。
 ワナワナと震える七菜江のルージュに濡れた唇は、音を出すことが出来なかった。
 
 「私と吼介は、腹違いの姉弟なの。だから、お互いを好きになることなど、ないの。ナナちゃんが、私に気を遣う必要なんて、全くないのよ」
 
 里美さんは今、どんな表情をしているのだろう?
 閉じられた瞳では、見ることは出来なかった。
 尖った顎に、光る汗が落ちていく。激しい動悸を抑えるため、七菜江は、右手を胸の隆起にあてた。
 ゆっくりと、眼を開ける。
 化粧を終えた美しき令嬢の長い髪は、跡形もなく部屋から消え去っていた。
 朝の陽光に照らされた部屋の風景だけが、全細胞を脈動させる少女の視界を迎えるのだった。
 
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