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袖振り合うも他生の縁
16:南凛太朗 1月7日15時25分 ①
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「すみません、せっかく来てもらったのに。たぶん、あいつ、無理だと思うんで」
今日は中止で、と高校生の少年に頭を下げられ、大学生だった南は苦笑ひとつで了承を返した。
バンドの練習にサポートで参加していただけだったので、実際にべつに構わなかったのだ。
そうと決まれば帰ろう、と。荷物を片づけていると、おろおろと諍いを見守っていた少女が、少年をスタジオの隅に引っ張った。
ひそひそとふたりで話しているが、やたらと距離が近い。付き合っているのかもしれないな、と他人ごとで南は思った。よくあることだ。メンバー内での色恋沙汰も、喧嘩別れも。
とにもかくにも練習がなくなった以上、長居は無用。「お先」と告げて、南はスタジオをあとにした。地上に向かう階段を上る。
若い人間が集まっているのだ。喧嘩など、どこのバンドでもあるだろう。だが、しかし。
――あんな漫画みたいに飛び出さなくてもいいのにな。
十数分前。メンバー内で揉め、スタジオを飛び出した少年の顔が頭に過る。「あ」という小さな声が聞こえたのは、笑いそうになった瞬間だった。
「なにやってんの、おまえ」
植え込みに座り込んでいる少年を見とめ、南は思わず呟いた。その台詞に、少年の眉間にむっとした皺が寄る。
「なにって、べつに……」
漫画みたいにスタジオを飛び出し、漫画みたいに植え込みに座り込んでいた子どもの腹が、漫画みたいなタイミングでぐぅと鳴った。
気まずそうに逸らされた横顔の赤さは、暗がりの中でも見て取れる。まぁ、これはちょっと恥ずかしかったかもしれないなぁ、と。思いやる大人げを持ち合わせていた南は、淡々と問いかけた。
「なに、腹減ってんの? 金は?」
「……持ってきてない」
つまるところ、スタジオに置きっぱなしということらしい。
取りに帰ったついでに謝ればいいのに。そう提案するには、あまりにも声音が痛恨とし過ぎていた。しかたなく違う台詞を選ぶ。
「貸してやろうか?」
顔を数回合わせた程度の関係ではあるものの、仏心というやつだ。
数百円程度であれば返ってこなくとも構わない。それに、似た界隈に籍を置いている身だ。今後もどこかで会うことはあるだろう。
「いや、それは駄目」
「なんでだよ」
妙にはっきりと断られ、南は問い返した。みるみるうちに気まずそうになる顔は、気持ち良いほどに感情と表情が直結している。
「ばあちゃんが、バンドはいいけど、金の貸し借りだけはするなって。……なんだよ、笑うなよ。だから言いたくなかったのに!」
「笑ってねぇよ、べつに」
ちょっと犬みたいだな、と思ったのと、話す内容がほほえましかった、というだけだ。田舎育ちの自分に言われたくないだろうが、随分としっかりとした祖母がいるらしい。
憤慨した様子の少年を見下ろしたまま、さて、と南は考えた。よく知らない人間と金銭の貸し借りはしないという価値観は大変まともである。とは言え、じゃあ、と放置して帰るのも、さすがになんというか。
……と、考えたところで、リュックの中のおにぎりの存在を思い出した。朝握ったものだが、暖房のついた場所に置いていたわけでもなし、まぁ、大丈夫だろう。そう判断した南はアルミホイルで包んだおにぎりを手渡した。提案ではなく、決定事項として。
「金じゃなかったらいいだろ、ほら」
きょとんと見上げてくる顔は、高校生とは思えないほど幼い。
笑いそうになるのを堪え、じゃあな、と歩き出そうとした南を、慌てた声が引き留める。
「待って。もうちょっと、ここにいて」
振り返った先の瞳が、迷子のようだったからいけない。絆されてしまい、南は隣に腰を下ろした。季節は真冬と言っていい時期で、触れた石は冷えて冷たかった。
寂しいなら下に戻れよ、と呆れ半分で言えば、そういうんじゃないし、と拗ねているとしか思えない声が応じる。
それがあまりにもあまりだったので、堪えきれず南は笑った。
時東悠。当時、『Ami intime』という男女三人のグループで活動していた、高校生の名前だった。
今日は中止で、と高校生の少年に頭を下げられ、大学生だった南は苦笑ひとつで了承を返した。
バンドの練習にサポートで参加していただけだったので、実際にべつに構わなかったのだ。
そうと決まれば帰ろう、と。荷物を片づけていると、おろおろと諍いを見守っていた少女が、少年をスタジオの隅に引っ張った。
ひそひそとふたりで話しているが、やたらと距離が近い。付き合っているのかもしれないな、と他人ごとで南は思った。よくあることだ。メンバー内での色恋沙汰も、喧嘩別れも。
とにもかくにも練習がなくなった以上、長居は無用。「お先」と告げて、南はスタジオをあとにした。地上に向かう階段を上る。
若い人間が集まっているのだ。喧嘩など、どこのバンドでもあるだろう。だが、しかし。
――あんな漫画みたいに飛び出さなくてもいいのにな。
十数分前。メンバー内で揉め、スタジオを飛び出した少年の顔が頭に過る。「あ」という小さな声が聞こえたのは、笑いそうになった瞬間だった。
「なにやってんの、おまえ」
植え込みに座り込んでいる少年を見とめ、南は思わず呟いた。その台詞に、少年の眉間にむっとした皺が寄る。
「なにって、べつに……」
漫画みたいにスタジオを飛び出し、漫画みたいに植え込みに座り込んでいた子どもの腹が、漫画みたいなタイミングでぐぅと鳴った。
気まずそうに逸らされた横顔の赤さは、暗がりの中でも見て取れる。まぁ、これはちょっと恥ずかしかったかもしれないなぁ、と。思いやる大人げを持ち合わせていた南は、淡々と問いかけた。
「なに、腹減ってんの? 金は?」
「……持ってきてない」
つまるところ、スタジオに置きっぱなしということらしい。
取りに帰ったついでに謝ればいいのに。そう提案するには、あまりにも声音が痛恨とし過ぎていた。しかたなく違う台詞を選ぶ。
「貸してやろうか?」
顔を数回合わせた程度の関係ではあるものの、仏心というやつだ。
数百円程度であれば返ってこなくとも構わない。それに、似た界隈に籍を置いている身だ。今後もどこかで会うことはあるだろう。
「いや、それは駄目」
「なんでだよ」
妙にはっきりと断られ、南は問い返した。みるみるうちに気まずそうになる顔は、気持ち良いほどに感情と表情が直結している。
「ばあちゃんが、バンドはいいけど、金の貸し借りだけはするなって。……なんだよ、笑うなよ。だから言いたくなかったのに!」
「笑ってねぇよ、べつに」
ちょっと犬みたいだな、と思ったのと、話す内容がほほえましかった、というだけだ。田舎育ちの自分に言われたくないだろうが、随分としっかりとした祖母がいるらしい。
憤慨した様子の少年を見下ろしたまま、さて、と南は考えた。よく知らない人間と金銭の貸し借りはしないという価値観は大変まともである。とは言え、じゃあ、と放置して帰るのも、さすがになんというか。
……と、考えたところで、リュックの中のおにぎりの存在を思い出した。朝握ったものだが、暖房のついた場所に置いていたわけでもなし、まぁ、大丈夫だろう。そう判断した南はアルミホイルで包んだおにぎりを手渡した。提案ではなく、決定事項として。
「金じゃなかったらいいだろ、ほら」
きょとんと見上げてくる顔は、高校生とは思えないほど幼い。
笑いそうになるのを堪え、じゃあな、と歩き出そうとした南を、慌てた声が引き留める。
「待って。もうちょっと、ここにいて」
振り返った先の瞳が、迷子のようだったからいけない。絆されてしまい、南は隣に腰を下ろした。季節は真冬と言っていい時期で、触れた石は冷えて冷たかった。
寂しいなら下に戻れよ、と呆れ半分で言えば、そういうんじゃないし、と拗ねているとしか思えない声が応じる。
それがあまりにもあまりだったので、堪えきれず南は笑った。
時東悠。当時、『Ami intime』という男女三人のグループで活動していた、高校生の名前だった。
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