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第二部
パーフェクト・ワールド・レインⅥ ⑤
しおりを挟むそれは本当に、おまえが思うほどコントロールできているものなのか、と尋ねたことがある。
ほうっておけばいいのに、オメガの後輩を助けてやっていたときのことだ。ヒートのオメガのフェロモンに引っ張られて、自分自身のバランスが崩れる心配はないのか、と、そう。
人の忠告を聞こうともしなかった男は大丈夫だと豪語していたが、向原はとてもそうとは思えなかった。
成瀬は、向原以外の誰かに勘づかれたことはないと言う。だから大丈夫なのだと、なんの根拠もなしに笑う。
たとえそうだとしても、――今は自分だけであったとしても、いつなにかのきっかけで二人目が現れるかわからない。許せるわけがなかった。
だからあのときも、原因をつくった同級生を向原は軒並み追い出した。可能性ひとつ残していたくなかったからだ。成瀬がどう思っていようと関係ない、ただ自分のためだった。
けれど、もしかすると、こんな日が来なければいいと、らしくもなく願っていたのかもしれない。いつか必ずやってくるとわかっていたのに、それでも、と。
そんな意味のないことを、思っていてしまったのかもしれない。
「本当に、おまえは人の言うこと聞かねぇよな」
談話室の前で、そう言って向原は笑った。分厚いカーテンを閉め切って、外からの光を遮断した室内は薄暗かった。それでも誰がそこにいるのかはわかっていた。
「なぁ、成瀬」
踏み込むと、ソファーに沈んでいた頭がゆっくりと持ち上がる。連動するように甘い匂いが強くなった。
その事実に、やっぱりなと溜息を吐いてやりたくなった。
いくらヒート中のオメガがいるといっても、寮内に流れているフェロモンは濃厚すぎたのだ。発生源がもうひとつあると考えなければ、納得できないほどに。
「大丈夫」
応じたのは、馬鹿のひとつ覚えのように「いつも」を取り繕った声だった。
「もう治まるから」
――治まる、か。
それはまたすごい自信だと心の底から呆れた。なにも起こらないの次は、なにか起こっても問題はなく、すぐに治まる。
暗順応した瞳は、鮮明に目の前の男を捉えていた。声とは異なり、表情はまったく取り繕えていない。だからこうして、後輩を放置して逃げ出すような事態に陥っているのだ。本当に馬鹿みたいだ。
紙一重で回避しているだけのこれのどこが、大丈夫なんだ。
「そういえば前にも言ってたな、おまえ。オメガみたいに見えるやつと一緒にいたら、甘い匂いがしたところで誰も自分からだとは思わないって」
五年前だ。今とは比べものにならない冷めた顔で成瀬が言ったことを、向原は覚えている。
「今回もそのつもりか?」
「そうなるのかもな」
成瀬の顔にぎこちない笑みを浮かぶ。受け流して、うやむやにしようとするときの常套手段だと、嫌と言うほど知っている。今までは承知の上で乗ってやっていたが、そうしてやろうとはもう思えなかった。
「それはまたいい先輩だな、本当におまえは」
「正しいよ」
沈黙のあとで、どこか投げやりに成瀬が笑った。
「おまえはいつだって正しい。俺とは、違う」
意図的だったのか、それとも無意識だったのか。わからないが、声に甘えがにじんでいたことだけはたしかだった。
排他的で頑固で、歪んでいるのに妙なところでまっすぐで、そうして面倒極まりないこの男は、向原が知る限りずっと「完璧なアルファ」であろうとしていた。
それなのに、ごくまれに甘えるそぶりを見せることがあった。
向ける相手が自分だけだと知った当初は、妙な優越感を持っていたことを覚えている。野生の動物を懐かせたときに感じるのと大差ないものではあったけれど、それでも持っていた。
それだけだったはずの感情が、ただの優越感でなくなっていくまでにさした時間はかからなかった。
知り合って一年か二年ほどしか経っていなかったころのことだ。
関係も今ほど捻じれていなかったから、もっと甘えたらいいと思っていたし、自分のそばでくらい気を抜けばいいとも思っていた。そうして実際に、自分には似合わない優しさでもって、甘やかそうとしていた。
そうすれば、自分のもとに落ちてくるような気がしていたから。
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