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第五章

もどかしい気持ち

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(side ローズ)


 給湯室でお湯を沸かして、わたしは 事務局の二階へ向かった。

 降臨祭まで残り数日に迫っているので、事務局の中は、まだ多少人が残っている気配がしている。
 でも、普段は事務室にいる補佐たちも、王宮に呼ばれたまま、まだ帰ってきていないし、既に九時を過ぎて少し経つからか、誰かとすれ違うことは無かった。
 

 レンさんとラルフさんは、多分聖騎士事務室よね?
 今日当直の聖騎士さんも数人いるから、いる人で分担すれば、書類の複写も早く終わるかな?

 ある程度 人がいるだろうことを予想していたから、大きめのティーポットに予備のカップも幾つか乗せて来ていた。
 足りないようなら、後で追加するとして。


 休日出勤の上、深夜残業。
 その上、職員の前で罵倒されるなんて、気の毒としか言いようがない状況。

 ……なんだけど……その。個人的に?
 朝練の時、ラルフさんとジャンカルロさんしかいなかったから、レンさんとお話し出来るのは、ちょっぴり嬉しい気がする。

 もちろん!
 お仕事の邪魔にならないよう、直ぐに帰るつもりだけど!
 って、何に対して言い訳してるのかしら……。

 考えて、一人で苦笑。

 事務室の扉をノックしようとして、わたしはそのまま固まった。


「うっわ。神官長、そいつはマズイでしょう?」

「それな。流石のクルス君も、即座に否定してたわ。
 コレばっかりは言い返さないと、聖女様や関係するご令息方を、貶めることになりかねないからな」

「実情はどうだか知らんが、まぁでも、実際本人は、そう身綺麗とは行くまいよな。
  王都外の公務でも、聖女様や聖騎士の泊まる貴賓宿じゃなくて、第六第七オオカミの群れが集う安宿に、放り込まれてるらしいじゃないか」

「ああ。模擬戦の時の人気ぶりは、そういうことか」


 一斉に大笑いする声が聞こえて、わたしは眉を寄せる。

 むむむ。
 何だか、ものすごく下世話な話で盛り上がっているんですけど?
 

「しっかし、酷いもんだよな。
 あの書類。今朝、ミゲル補佐が探してたヤツだろう?」

「そうだ。朝、私が補佐から渡された。
 帰って来たらやって貰えば良いと思って、いつもの如くクルス君の机に投げといたんが、そんな緊急だったのか?」

「それがぁ、神官長が机の引き出しにしまい込んでいて、数週間放置されてたやつらしいですよ? 明日の会議に使うってのに」

「なんだ。それじゃあ、神官長が悪いんじゃ無いか」

「それ!
 昼頃、ミゲル補佐が進捗聞きに来て、クルスさんの机上に置きっぱなの見つけて、慌ててラルフを呼び出したんです。自分らもバタついてたじゃないですかぁ。あの時」

「あー。今日、貴族の来客が多かったから」

「気の毒に思うんなら、これから手伝いに行きます?」

「ばっか、お前。あんなの庶民がやる仕事だろ?
 それに、慣れたクルス君にやってもらったほうが早く済むって」

「貴様は面倒なだけだろう?」

「それなら、お前が行けば良い。小会議室でやってるとさ」

「いやいや。今日は昼がハードだったから、きちんと寝ておかないと、夜勤にひびく。
 それに、書き間違いがあっては、逆にクルス君に迷惑をかけてしまいかねないしな?」

「う~っ! 言い訳うまぁっ!」


 わたしは、静かに踵を返した。

 ライアンさんのような、まともな貴族出身の聖騎士さんが存在するから、 貴族出身と庶民出身の聖騎士の間に差別意識はそれほど無いと 勝手に思い込んでいたけど、そう言えば、ジャンカルロさんだって、当初はレンさんに対する態度、酷かったっけ。

 それにしても、あんまりだわ。

 憤りとともに、どうしようもなくやるせない気持ちになって、わたしは歩調を早めて、小会議室に向かった。

 
 小会議室の扉をノックすると、中からラルフさんの明るい返事が聞こえて来て、わたしはほんの少しだけ穏やかな気分になる。

 そうよ。
 ちゃんと理解してくれる後輩がいるし、ニコさんやエンリケ様のような理解者もいる。
 そもそもレンさん自身が打たれ強い人だから……彼は、もっと文句を言うべきだとも思うけど。

 せめて、ほんの僅かでも、わたしが癒しになれたなら。

 そう考えて、笑顔を作る。

 
「はいはーい。あ、え? ローズさん?」


 扉を開けて出て来たラルフさんは、驚いたように目を丸くしている。
 

「お茶をお持ちしました」

「え? ええ~? いや。悪いですよ。まじかー!」


 そう言いながらも、目尻を下げて満面の笑みを浮かべるラルフさん。

 うわぁ。
 尻尾をぶんぶん振っている、わんこの幻影が見えるわ。


「とりあえず、お邪魔しても?」

「あ、はい! あ、念のため、扉開けときますね?」


 男女が密室にいることによって起こるトラブル回避の為に、聖堂では、基本こういった措置が取られるのよね。
 二人のことは信頼しているから、わたしは気にしないけど、他の人から勘繰られるようなことは、しないに限るものね。

 わたしは笑顔で頷いた。


「ローズさん。……お気遣いを頂いてしまったようで、ありがとうございます」


 散らばった書類を順番通りに並び替えていたらしい、その手を休めて、レンさんは頭を下げた。


「いえいえ。お茶だけですから」


 微笑みながら、ポットのお茶をカップに注ぎ、書類が置かれている机とは 別の机に置いた。

 レンさんの手元、ばらけていた書類は、三つの山を作っている。
 って、コレ、ラルフさんが書き写したものを、あの時、全部ぶちまけたわけ?
 忙しいのに、余計時間かかるじゃないの!

 神官長、悪質すぎる。
 
 眉を寄せていると、扉が閉まらないようストッパーをかけ終えたラルフさんが戻ってきた。
 彼は、茶目っ気たっぷりにウインクすると、口の前でしーっと人差し指を立てる。


「良ければ、夜食! ローズさんもご一緒しませんか?」

「え? 夜食ですか?」

「俺、さっきまでコレやってて、夜食べれなかったんですよ。も、腹減っちゃって」

「そうなんですか?」


 そうでなくても、いつも腹ペコなのに、ラルフさん気の毒すぎる。


「そしたらね、なんか、先輩が色々貰ってきたのがあるって!
 凄いんですよ? 
 軽食も色々あるんですけど、スイーツも!
 果物のタルトとか、めっちゃ一杯あるんです」

「それは、甘い誘惑ですね!」


 果物のタルト……思い返せば、食べたかったな。
 

「先輩、聖騎士事務室にも差し入れるとか言ってたんですけど、『貴族出身組が分担しないせいで、俺らこんな目にあったのに』って、ムカついたんで、今、オレが全部食べてやろうとしてたんですよ。
 ローズさん来てくれて、良かった!」


 あはは。
 ラルフさんて、転んでもタダでは起きないタイプよね。
 レンさんは、ちょっと人が良すぎるのよ。


「夜間、その量の甘味を食べて、胃を痛めないか……そちらの方が、心配なだけなんだが?」


 半眼で、ぼそっと呟くレンさん。

 ……はは。なるほど。
 確かにそれも、正論だわ。


 書類を揃え終えたレンさんは、それらを別の机に移し、原本の羊皮紙と新しい用紙、ペンやインク類の準備を始めた。
 一緒に食べないのかな?


「先輩は?」

「ダミアン様と一緒に、軽く夜食を頂いて来た。私に気にせず食べると良い。
 ……ローズさんも、ご迷惑でなければ。
 サロンの残り物だそうですが、配膳に回された物では無いそうですので」


 ……え? サロン?
 ええと。もしかして。

 小ぶりの箱の中にびっしりと並べられたタルトは、どう見てもミュラーソン公爵家で見たものと同じで……すると、これはまさか!


「あれ? 今日、剣術レッスンだったんです?」

「ああ。夕方からだが。終わったところに、スティーブン様の配下の方が、これらを差し入れて下さった」

「ああ。なるほど」


 納得しながら、ウキウキと軽食やタルトをお皿に移すラルフさん。


「ローズさんはどれにします?」

「え? あ。それじゃ……桃、いえ、やっぱりチェリーのタルトを」


 一口しか食べれなかったから、心残りだったし。


「え~?一杯あるから両方食べたら良いじゃないですか」


 笑いながら、ラルフさんは二つともお皿にのせてくれた。
 でも、夜だし。


「嬉しいですけど、太っちゃうんですよ?」

「ローズさんは、太って大丈夫です! 華奢すぎ!」

「ええ?……でも」

「先輩も、そう思うでしょ?」


 ラルフさんに問われて、シャツの袖を捲り上げながら、レンさんが頷くのが見えた。

 あ。
 インクで裾が汚れるから?
 いつもの腕まくりって、こんな感じでするんだ。
 ……レンさんの腕って、ほんと格好良いのよね。

 つい見入っていたら、左手の裾をめくろうとしたレンさんが、直ぐにそれを戻すところまでバッチリ見てしまった。
 
 え? 今……。


「ちょ。先輩、うでっ!」


 あ。ラルフさんも見ていたみたい。
 一瞬見えたレンさんの左腕には、力任せに握られたような、青黒い鬱血があった。


「これは、何でもない」

「何言ってんすか!良いから見せて下さい」

「っ!」


 ラルフさんに、まさに青く鬱血していた部分を掴まれて、レンさんは僅かに顔を歪ませた。

 うわぁ。相当痛いんだわ。


「またコレ? ……え。コレ、まさか晩餐会の時と同じ? 」

「少しだけ、強く掴まれただけだ……」

「『少しだけ』で、こんな風になるもんですかっ! 
 先輩、最近、以前に比べて一人で外出すること多いですけど、ヤバい人とお付き合い始めたとかじゃないでしょうね?」


 レンさんは視線を俯けながら、小さく返した。


「こちらが、先方の気に障ることをしたのが原因だから」


 ええと。
 前世でいうところの、DV被害者の思考に近い雰囲気のこと言ってますけど?

 というか、あれ?
 そう言えば、お付き合いしていることは、否定しないの?

 そう考えた瞬間、胸をギュッと締め付けられるような心地がして、思わず胸に手を当てる。

 何だろう。この感じ。
 動揺? それとも、焦り? 


「ええと。……その。
 お付き合いをされている女性に、そんなことをされたんですか? もしそうだとしたら、穏やかでは無いように感じますけど」


 思わず固い声が出てしまう。
 だって、男性の腕を青黒くなるほど握り締めるって、その女性かたかなり猟奇的では?

 苛立ちを隠せず、尚も言い募ろうと顔を上げ、二人が固まっていることに気付いた。

 しまった。
 ちょっと、感情的になっていたかしら。

 ラルフさんは、わたしを見た後、レンさんに顔を向けている。
 レンさんは、しばし考えるように視線を下げると、やがてこちらに視線を向け直し、キッパリと首を横に振った。


というのが、恋愛的な意味合いでしたら、現在、私にそういう相手はいません。
 今日は、男性の知人に頼まれごとをしたので、それに少々付き合っただけです。
 腕の怪我これに関しては、勝手に動いた私の自業自得ですので、どうぞお気遣いなく」

「え? そ……そうでしたか。わたしったら、早とちりを……」

「いえ。お気遣いは嬉しく思います。有難うございました」


 目元を僅か和らげて、お礼を言ってくれるレンさんの顔を、わたしは直視できなかった。

 うぅ。恥ずかしい。
 何を勝手に勘違いして、仮想彼女に文句言ってるのかって感じよね。

 軽く凹んでいると、今度はラルフさんが質問を投げかける。
 

「先輩にその気はなくても、その男性は? 
 先輩、自分に向けられる恋愛含みの感情に関してのみ、めちゃくちゃ鈍感だから 心配っすよ。どんな風に腕を掴まれたとか、手形を見れば分かるし……」

「……それは、無い」

「へ? 」

「あの方は、そこまで悪趣味では無い」


 うん。
 安定の自己低評価。

 まぁ、レンさんは、酔っ払ったお兄様に押し倒されても、ちゃんと逃れられるような身体能力をお持ちだし、相当強い相手でない限りは、大丈夫だとは思うけどね。

 気づけば、胸の痛みも謎の焦燥感も、いつの間にかやわらいでいた。
 一体、何だったのかしら。不整脈?

 
 会話が途切れてしばらく。

 レンさんは隠しても無駄と開き直ったのか、両袖を捲り上げて、書類の複写を開始した。

 ラルフさんは、これ以上聞いても無駄と判断したようで、軽食を食べるべく、わたしの座るテーブルに戻ってきている。

 折角だから、わたしもタルトをいただこうかな。
 真っ赤に輝くチェリーをフォークで刺して、一口。
 んー!  
 やっぱり、甘酸っぱくて美味しい❤︎

 甘いものを食べていると、もやもややイライラが吹き飛んでしまうのだから、我ながらお手軽だわ。

 お向かいのラルフさんも、満面の笑みを浮かべながら、スピーディーに食べ物をお腹に収納している。

 ふふ。
 わんぱくで可愛い。

 サラサラと、レンさんがペンを走らせる音をBGMに、可愛いラルフさんを見ながら、美味しいスイーツを、バッチリ堪能させて頂いた。

 


 
 その後、お手伝いを申し出たわたし。
 でも、『聖女候補が、夜の事務局で仕事をすることを、良く思わない人もいるから』と、丁寧に辞退されてしまった。

 複写作業を超集中、猛スピードで続けているレンさんの邪魔にならないように、わたしはラルフさんに送ってもらって、部屋に戻ってきた。


 今日は、密度の濃い一日だったな。

 エミリオ様に迎賓館を案内して頂いたのが、ずいぶん昔のことみたい。
 エミリオ様といえば、何か伝えたいことがあると仰っていた。楽しみだな。

 そのお話も、お父様が王都に戻ってくるまでお預けなのだけど。

 お父様は、今日、どのあたりまで進んだかしら。
 結局、何が起こったのか分からず終いだから、とにかく心配だ。
 お母様も不安だろうから、早く戻って来てくれると良いな。

 それから、ジェフ様。
 私に彼とのファーストダンスを下さるために、ご令嬢方全員と踊ることになってしまった。

 彼のことだから、無理を押しても全員と踊りきっただろうけど、疲れているだろうから、ゆっくり休めると良いな。
 香りの良いバスソルトとか、いつも頂くお花のお礼に贈ろうかしら。

 今日も部屋で匂い立つように咲いている、ピンクベージュの薔薇を見ながら笑みが漏れた。

 それから それから……。

 ベッドに転がり枕を抱きしめ、今日の出来事を思い出しては、一喜一憂しているうちに、いつの間にか、わたしは眠りに落ちていた。
 
 
 
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