そのシスターは 丘の上の教会にいる

丸山 令

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そのシスターは丘の上の教会にいる

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 若年のシスターたちに呼ばれてやって来た老齢の修道女は、厳格な雰囲気を醸し出しながら、無言で二人に向かって来る。
 
 多感な時期に散々説教された女性教師とイメージが被って、何となく気後れしたニコラは、思わず一歩後ずさった。
 ……説教された原因が、全て自分であることは棚上げであるが。

 その老齢の修道女は、ヴィクトーの前までやって来ると、一メートルほど手前でぴたりと立ち止まり、唐突に笑み崩れた。


「良くいらっしゃったわねぇ。ヴィクトー刑事。お仕事、ご苦労様」

 
 頬を若干蒸気させ、乙女のような笑顔を向ける修道女。
 そのあまりの変貌ぶりに、ニコラは更に一歩後ずさった。


(これが、マダムキラーか!)


 そんなことを考えつつ、斜め前にいる上司に視線を向けると、こちらもまた珍しく、優しげに微笑んでいる。


「お忙しいところ、すみませんね。ポーリン修道院長」

「構いませんよ。連絡は貰っていますしね。
 いつも、私たちの安全にまで気を配ってくれて、感謝しているんですよ?」

「いえいえ。こちらこそ、皆さんのご助力、いつも有り難く思っていますよ。また、お役に立てれば、我々も嬉しいです」


 社交辞令の応酬に、ニコラが疲労を感じ始めた頃、ポーリン修道院長が、くすっと笑った。


「それで、今日は一体、どのようなご用件かしらね? 私にも、何か貴方のお手伝い出来たら良いのだけど……」


 先ほどより少し砕けた口調になり、上目遣いでヴィクトーを見つめる老修道女。
 ……すっかり女の顔をしている。

 だが、そこはヴィクトー警部補。
 柳に風と受け流す。


「いえ。大した用事では無いのですよ。ここ最近の事件、ご存知でしょう?」


 修道院長は、視線を上向け 残念そうに軽く肩をすくめた。


「それは、まぁ。おかげで大忙しですから?」

「そうでしょうね。本日も、ご疲れ様でした。
 その件で、最近何かと物騒ですから、皆さん一人一人に注意喚起を、と。修道院長も、どうかお気をつけ下さい」

「あらまぁ。ありがとうございます。今日もいつものように、礼拝堂に?」

「ええ。お邪魔にならないようにしますので」

「分かりました。私はこれで修道院にもどりますが、くれぐれも信者さんの迷惑にならぬようにお願いします。本日の教会施錠時刻は五時ですので」

「はい。ご協力感謝致します。」


 ヴィクトーが会釈すると、修道院長も会釈を返し、先ほど来た時のように廊下の奥へと立ち去っていく。

 一部始終を見ていたニコラは、訝しげに首をかしげつつ、口を開いた。


「礼拝堂に入るんですか?」

「そのつもりです」

「お祈りでも、しに来たんですか?」

「生憎、無神論者です」


 あっさりとした口調でそれに応じて、ヴィクトーは開け放たれていた礼拝堂に入ると、一番後方の席に腰を下ろした。
 ニコラは一瞬悩んだが、上司に倣い、彼の横に腰掛ける。


(本当に、この人は ここに何をしに来たんだろう。 てっきり、愛人がいるとか、秘密でもあるのかと思ったけど、『実は、サボりに来ました』って言われても、今なら俺は驚かないぞ)

 上司の意味不明な行動に、モヤモヤしていたニコラ。だが、時間の経過とともに、悩むことすら馬鹿らしくなって来た。

 そう思うくらい、この礼拝堂の中は、時間がゆっくりと流れていたから。

 礼拝堂の中には、数人の人がいた。

 中央付近で、静かに祈りを捧げる若い男性。
 教壇に近い席で、寄り添うように椅子にかけ、祭壇を見上げている老夫婦。
 刑事二人の斜め前には、俯き背中を丸めて熱心に祈りを捧げている、メガネの若い女性。

 ニコラはぼんやりと、ヴィクトーは目を細めて、その光景を眺めながら、礼拝堂の片隅にたたずんでいた。

 それから程なくして、カツンと靴のなる音を聞き、ニコラの思考は現実に引き戻される。
 音のした方を振り向くと、礼拝堂の入り口から、一人のシスターが入って来たところだった。

 背筋を伸ばして歩く彼女を見て、ニコラは思わず唾を飲み下す。

 色素が抜け落ちてしまったかのような真っ白な肌に、淡くピンクがかったルビー色の瞳がよく映える。
 純白のウィンプルの上に黒のベールを被っているため、髪の色は定かではないが、眉の色は白い。

 最初、ニコラは『天使のようだ』と思った。

 しかし、よくよく観察するにつれて、その印象は少しずつ歪んでいく。
 というのも、その神聖で無垢な顔周りの印象とは裏腹に、彼女の肢体は、修道服で隠されていてもなお、妖艶だったから。
 
 ニコラの目には、そのシスターが、控えめに言っても、とても魅力的に映った。


(綺麗な人だな。二十代後半くらいだろうか?修道女に収まっているなんて、なんて勿体無い)


 ニコラが邪な目で彼女を眺めていると、隣でヴィクトーが立ち上がり、彼女に会釈した


「ご機嫌いかがですか?シスターブロンシュ」

「ヴィクトー刑事……!」


 鈴を転がしたような可憐な声音が響き、密かに胸の鼓動を速めるニコラ。

 シスターは、ハニカミ笑いを浮かべながら会釈した。


「こんにちは。こちらにいらしているとは知らず、ご挨拶もなしに……」

「いえ、こちらが勝手にお邪魔していただけですので、どうぞお構いなく」

 ヴィクトーは、普段と変わらぬ落ち着いた口調で、会話を続ける。

「今日は、何か御用だったのですか?」

「ええ。ご存知かと思いますが、ここのところ、女性ばかりを狙った凄惨な事件が続いておりましてね?
 こちらは女性ばかりですから、ご注意頂くようにと、念のため」

「それは、ご心配頂きありがとうございます」


 シスターがお礼を言ったあと、二人の間に数秒間の沈黙が下りる。
 その間二人は、視線を逸らさずお互いを見ていた。
 
 微妙な空気感を敏感に感じ取って、ニコラが眉を寄せると、ヴィクトーは咳払いをして口を開いた。


「いえ。それから、もし何か気になること、犯人につながる情報がございましたら、いつでもお気軽にお知らせ下さい」


 そう言いながら、ヴィクトーは、チラリと礼拝堂の外にある一室に視線を投げる。
 気になったニコラが視線で追うと、そこは告解室であるようだ。


「まぁ、守秘義務も有りましょうから、無理にとは申しませんがね?」

「承りました。他のシスターにも伝えますね」


 丁寧に返される返事に、ヴィクトーは目を細めた。


「それでは、私どもはこれで。お時間を頂き、有難うございます」

「いえ。お二方にも、神のお導きがありますように」


 柔らかく微笑むシスターに会釈して、刑事二人は礼拝堂を後にした。



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