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第4章 奈落の果て
第87話 戦争
しおりを挟む間もなくして戦争が始まった。
ついにイヴリーンの呪縛は破られたのだ。人間に危害を加えてはいけないという誓約から解き放たれ、ずっと長い間迫害を受けていた魔女たちは反旗を翻し、強い結束のもと人間たちを攻撃した。
これを地獄と言わずになんと言うのだろう。
辺り一面血の海、かつては生きていたと思われる肉の山、吐き気を誘う異臭の街だ。
ゲルダは母を殺す義父を見た。
ゲルダの母は戦争になったのを悟り、怯えていた。しかし、その火の粉は容赦なくふりかかる。
事の発端はゲルダの母の友人が家に荒っぽく入ってきたところからだ。
「戦争だよ! あんたも戦いな!」
魔術式を纏う彼女を見たゲルダの義父は唖然としていた。
母の友人が義父を殺そうとしたが、義父は素早く手元にあったナイフで母の友人の心臓を突き刺した。
「キャアアアアアアッ!!」
母の叫び声と左右に振れる目は明らかに正気ではなかった。耳を塞いで丸くうずくまり「嫌」「助けて」「死にたくない」とぶつぶつと独り言を言っている。
「お前……魔女だったのか……!?」
義父が母に襲いかかろうとしたところを、ゲルダは震える脚を奮い立たせて止めに入った。しかしゲルダはまだ幼い子供。養父とは圧倒的な力の差があり、ゲルダはすぐに振り払われて壁に強く背中を打ち付けた。
「ゲルダ!」
母はゲルダの元に這うようになんとかたどり着いた。ゲルダは痛みで目に涙を浮かべていた。
「殺してやる……お前ら、俺を騙してやがったな!! 『虚飾』の罪で死刑だ!!!」
母が立ち上がり、怒り狂う義父に対して魔術式を組んだが、母は義父にそれを撃ち込むことはなくただ泣いていた。
義父は初めは腰を抜かして恐怖していたが、母の震える手や泣き顔を見て手近にあった斧を手に取り、一気に首を切り裂いた。
ゲルダの耳に嫌な音がこびりつく。
目を見開いて母が倒れるところを見なければならなかった。
やけにそれはゆっくりに見えて、ゲルダの時だけ壊れてしまったかのように感じた。どれだけそれが恐ろしかったか、筆舌に尽くしがたい。
倒れた母はゲルダを安らかな表情で見た。
「…………め…………ん……ね」
ゲルダは母のこんな安らかな表情は見たことがなかった。
いつも義父に怯えて機嫌を取り繕い、びくびくしていた母の死に顔はやけに安らかだった。
ゲルダは様々な感情が混ざりあった。恐怖と安堵、怒りと喜び、悲しみと嬉しさ。
その不安定な様子は表層には無として現れていた。
ゲルダを現実に引き戻したのは斧を振り上げた義父だった。
義父の表情は怒りと怯えが混在しているのが解った。
ゲルダは本能的に右手を義父の前につきだす。
一瞬で何千もの鉄製の鋭い針が現れ、義父の身体を突き刺し、貫通して後ろの気の壁に刺さった。
最後の一声をあげる間もなく、義父は絶命した。
母の血と、義父の血が混ざりあっていくのをゲルダは呆然と見ていた。
母の血が義父の血に混じると、義父の血は変色して血液ではないものに変わってしまった。まるで母の血液が意思を持っているかのように変色させていく。
――そうよ……強いものが絶対なの……
戦争は、魔女の圧勝だった。
人間に虐げられていた幼い少女がどれほどの功績を収めたか、それは計り知れない。
◆◆◆
青色だ。
見渡す限りの美しい青色。濃い色から淡い色まで、さまざまな青が折り重なっている。月夜の弱い光でも青色だということがはっきりとわかる。
廊下の城を支える柱に施されている細かい彫刻も美しく、寸分の狂いなく精密に作られている。
その彫刻よりもずっと美しい2人の魔女は、ただならぬ雰囲気で向かい合っていた。
2人とも高位の魔女が着る法衣を纏っている。
1人は黒い長髪の艶やかな魔女。細すぎるとも取れる身体は法衣を着ても隠し切れない。伸びた前髪は目にかかっているが、綺麗な顔をしていることは間違いない。
もう片方は赤い燃える様な鮮やかな髪が印象的な魔女。長く赤い髪や、桜色の血色の良い肌は瑞々しく、もう片方の魔女とは正反対だ。
だが2人とも肌が白く、城の廊下の柱から差し込む月光が淡く反射していた。
「ゲルダ、私は出て行くわ」
赤い髪の魔女が、黒髪の魔女にそうはっきりと言い放った。ゲルダと呼ばれた魔女は困惑を隠せない。
「どうしてよ!? ルナ! 私とずっと親友でいてくれるって言ったじゃない! 女王を2人で目指そうって……確かに意見の食い違いはあるけど……」
ゲルダは叫ぶように赤紙の魔女、ルナに迫る。幼いころにした約束を持ち出し、必死にルナを止めようとする。
「それに最近、どこへ行っているの? まだ人間の説得に行っている訳ではないんでしょう?」
どこでなにをしているか解らないルナをゲルダが問い詰める。
「……私は女王になるより大切なことを見つけたの」
「なによそれ……女王になるより大切なことなんてないわ!」
「そんなことないわ。女王は貴女がなりたがっていたでしょう。私は表舞台から消えるから、貴女が魔女をまとめるの。お願いね」
ルナは有無を言わさぬように話を切り上げた。
唖然としているゲルダに背を向けて、大理石の床をカツン……カツン……とゆっくり歩き出した。
「さようなら、ゲルダ」
ゲルダは月明かりが照らすルナの背中をただ見つめていた。
彼女は追いかけて止めるとこもできた筈だ。それでもゲルダは親友を止めるよりも自らが女王になれる道を選ぶしかなかった。
意見の食い違いから、ゲルダとルナの間には少なからず溝があったけれど、女王になるより大切なことがあるなんて信じられなかった。
――ルナは愛されて育った……私とは違う……
それでも、大切な親友が去った事を受け入れらない気持ちの方が強かった。
ルナが自分を裏切るわけない。
ずっとゲルダはそう思っていた。
何かやむを得ない事情があったのだ。絶対にそうだ。そう思わなければゲルダは気が狂いそうだった。
先代の老女の魔女は、老衰で女王の座を退いた。
そして数ある女王候補の中でも魔力の強く、人間を沢山殺し、使役し功績を残した魔女か
あるいは最も魔女たちの信頼のある者か。
状況は二極化していた。前者はゲルダ、後者はルナだ。
しかしルナは失踪した。
――どうして……
混乱はあったが、それでも魔女の女王即位の儀式はとり行われ、ゲルダが女王の座についた。
ルナはそれから誰の目からも姿を消し、魔女たちはルナを懸命に探したが一向に見つからない。
「しっかりしないと……」
ゲルダは念願の女王になったが、その非道なやり方には徐々に反発が強まっていった。
多くの魔女はゲルダの事を良くは思っていない。結局はルナがいなくなったからゲルダがなっただけのこと。
ルナのように天才的な素質のないゲルダが女王になれたのは、ひとえに人間との戦争で功績をあげたからだ。
魔女のほとんどは人間に虐げられ、酷い目に遭わされた者たち。ゲルダを支持するのは当然と言える。人間との戦争の後という時期も良かった。
魔女たちが不満を口にするときには必ずルナの名前が出た。
「ルナ様が行方不明になってから随分経つけれど、私はルナ様が女王の器だったと思うわ」
「そうね、ルナ様は明るいお方だし発想にも柔軟性がある。ゲルダ様は魔力は確かなものだけれど、ルナ様のように天才的というわけでもない。上に立つタイプでもないわね」
そう、影で言われていることもゲルダは知っていた。
しかし、懸命にゲルダは舵取りをして魔女たちをまとめようと躍起になっていた。それでも魔女たちの欲求を抑えるのは大変なことだ。
そうして季節が何度も過ぎるに連れて、ゲルダが女王の座にいることを思わしくないと思っていた魔女たちは女王の座の交代を迫った。
「ゲルダ様、非道な支配やその魔術の才では各地の魔女の統一は困難です。人間への憎しみが薄れた今、魔女たちの統率が乱れています」
「……何が言いたいの?」
「女王の座を退いてください」
何人もの上級の魔女がゲルダの前に立ちふさがった。全員が緊張した面持ちでゲルダを見つめている。
「私が降りたとしても、適任の魔女なんていないわ」
「いいえ」
即座に言葉を否定されたゲルダは、驚いた。
ゲルダの知る限り、適任の魔女は本当にいなかったからだ。誰がやっても同じだと本気で思っていた。
「誰?」
「ルナ様が見つかったのです」
そう聞いたとき、ゲルダは希望と絶望が入り混じった。
「どこに?」
ゲルダはルナがいると報告があった場所へ急いだ。
魔女の城からは物凄く遠い場所。地方の魔女からの報告だ。
ゲルダはわき目もふらず、あらゆる手段を使ってその場所へたどり着いた。
ルナは湖の畔で水を汲んでいる様だった。
疑問に感じたが、そんな疑問は変わらない姿のルナをみて吹き飛んだ。いつも通り涼し気な顔をして、長い赤い髪をかき上げながら歩いている。数十メートル離れた木の陰に隠れていたゲルダは、身を乗り出した。
――きっとルナは自分のことを受け入れてくれる
女王なんてどうでもいい。
ゲルダは親友のぬくもりを感じたかった。ゲルダは自分の元へ帰ってきてくれると信じていた――――
「ルナ!」
そう彼女の名前を呼んだのはゲルダではなかった。声がしたのでゲルダは再び木の陰に身をひそめる。
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