鬼百合懺悔

文月 沙織

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「本当に坊ちゃんは我が儘ですね。ここは、こんなに素直で可愛らしいのに」
「ああっ! よ、よせ!」
 くっ、くっ、くっ……。
 小屋に須藤の不気味な笑いが響きます。背後では雨音が強くなりますが、わたくしは着物が濡れるのも気にする余裕はなく、ひたすら格子のはざまにある淫獄いんごくに見とれておりました。
 理性は、こんなことをしてはいけない、見てはいけない、と訴えてくるものの、須藤のふるう鞭の動きに合わせて震える坊ちゃまの白い肌、こぼれる呻き声、あふれる吐息から逃れられないでいるのでございました。
 自分でも自分が恐ろしくなってくるのですが、どうしても足を動かすことができません。
「あっ、ああ! やめろ、そ、そこに触るな!」
 泣きじゃくりながら訴える坊ちゃまを無視して、須藤は猫の喉でも撫でるように、愛玩動物をいつくしむようにして、坊ちゃまの官能を引き出しているようでございます。
「あっ……いや、いやだぁ……あふぅ……」
 小屋のなかには湯気がこもっていそうでございました。
 どれぐらいそうしていたのか……束の間のことのようにも思えれば、長い時間のことのようにも思えます。
 やがて坊ちゃまは縛られたままの姿で身体をつっぱるようにされたかと思いますと、悔し気に息を吐かれて、一声あげられらました。
「あーっ……!」
 ぴん、と張りつめた身体がゆるみ、坊ちゃまはすすり泣かれました。
「坊ちゃん、元気がいいですね。けれど、早過ぎますよ。つぎからは、我慢も覚えないといけませんね」
 須藤の手がぐったりとしている坊ちゃまの頬を撫でたかと思うと、意識を失っているのではと思うような放心した顔の坊ちゃまの口に自分の唇をよせ、そっと合わせます。
「ん……んん」
 唇を吸い、そっともう一度合わせ、さらに吸い、須藤はなかなか坊ちゃまをはなしません。坊ちゃまも、うつろな目を須藤にむけ、逃れようともせず、されるがままになっております。小屋のなかは二人のこぼす緋色の息に染まりそうでございました。
 須藤は坊ちゃまの戒めをほどくと、相変わらず放心したままの坊ちゃまを抱きかかえるようにして服を着せてやっております。
 わたくしは不思議な心持ちでございました。坊ちゃまを辱しめ、むりやり情を放たせた須藤ででございますから、つぎには鬼畜のように坊ちゃまを凌辱するのだとばかりに思っていたのでございます。それが……これで終わりとは。
 わたくしは胸のなかで静まらぬ熾火おきびをもてあまして、どうにかやっとその場から離れました。
 ですが、気のせいでございましょうか。わたくしが小屋から離れようとした、まさにその瞬間、須藤の鋭い目が窓の方角を睨んだ気がいたしました。そして、その目は、たしかに笑みのかたちに細められたのでございます。
 悪魔にとらわれたのは、坊ちゃまだけではなかったのだと知ったのは、その日の夜のことでございました。

 夕立に濡れてもどってきたわたくしは、心配する美紀をごまかし、あわてて着替えをすませました。そのあいだも身体は奇妙に昂ぶり、内のなかにこもる熱に悩まされつづけました。
 夜になっても熱はおさまらず、煩悶のあまり、庭の敷石のうえをぼんやり歩いておりますと、いつしか離れのそばに来ておりました。 
 いつかのように犬黄楊の木のはざまから、離れをそれとなく眺めておりますと、そこに動くものを認めました。
 わたくしは最初、夢でも見ているのかと我が目を疑いましたが、離れの縁側に座って月を眺めていたのは、憎い須藤と……。
 月夜にもほのかに見える紅地べにぢに白い手毬模様のお着物を召された……。
(まさか、まさか……安樹様?)
 着物の背にながれる黒髪、薄闇に浮かぶ珠のようなお顔……。悪い夢でも見ているのでは、とわたくしは再度疑いましたが、まちがいなくその方は、あろうことか須藤と仲睦まじげに語らい、かすかに笑い顔まで見せているのでございます。
 須藤も、昼間の灰汁あくの強そうな雰囲気は嘘のように、まるで好青年のようにすこやかな微笑を月下に見せております。これは、いったいどういうことなのでございましょう。
 すぐにわたくしは状況を悟って、失神しそうになりました。須藤は、坊ちゃまを毒牙にかけただけでは飽き足らず、今度は安樹お嬢様にまで手を出そうとしているのでございます。何も知らぬ安樹様は、いつになく楽しそうに微笑んでいらっしゃいます。
 昼間、その男が弟である竜樹様になにをしたか知ったら、どれほど驚かれ衝撃を受けることでございましょうか。お身体の弱い安樹様に、とういてい真実を告げることはできません。
 それにしても、憎いのは須藤でございます。
 奥様をたぶらかし、その息子である竜樹様にあのような真似をして、今度はなんと安樹様にまで手を出そうとしている……。本当にあの男は魔物ではないでしょうか。
 この松林家はとんでもない妖怪に目をつけられてしまっているのでございます。
 わたくしがそんなことをやきもき考えておりますと、須藤と安樹様はいっそう近く寄りそいあい、やがて……たがいの唇を寄せあっているのでございます。
 午後に小屋で見たことを思い出すと、わたくしの胸は怒りと、そしてわけのわからぬ焦燥感に燃えました。
 このままではおかない。そんな報復の想いがわたくしの胸にわいてまいりました。
 そうです。どうにかしてあの男の弱味なり尻尾をつかんで、かならずこのお屋敷から追い出してやらねば、という想いでわたくしの身体は熱く燃えておりました。

「今日は坊ちゃん、これに乗ってみてください」
 午後、奥様がすこしお疲れでお部屋にこもられたとき、わたくしはもしや、と思って坊ちゃまのお部屋をのぞきますと、やはり坊ちゃまもおられません。追われせっつかれる気持ちで小屋にしのびよると、やはり中からそんな声が聞こえてまいりました。
 唾を飲みながらそっと格子窓からうかがうと、小屋のまんなかには見慣れぬ物がございます。
「こ、これ……」
 坊ちゃまのお顔は青ざめておりますが、須藤の持つ鞭の先にあるものを見て、赤くなられました。
「蔵にあるのを見つけてきたんですよ。坊ちゃまに今日は乗馬の練習をさせてあげようと思いましてね。これを作るのに苦労したんですよ」
 にやりと笑って須藤は、本人の言う力作を誇らしげに眺めております。
 そこにあったのは乗馬のときにつかう鞍でございました。といっても昨今のものではなく、唐鞍からくらというのか、昔ながらの伝統的なものでございまして、今ではかなり貴重なものとなるものでございましょう。
 それは漆黒の漆塗りの蒔絵でございまして、金色こんじき唐獅子からじしと牡丹が描かれており、ちょっとした骨董品でございますが、その鞍の下には、丸太に四本の支柱となる木を釘で打ちつけた、なんとも荒作りな木馬がございます。いかにも素人の日曜大工のような作が、ひどく滑稽で、それでいてそのうえにある芸術的な鞍と、不気味な調和を見せておりました。
 ただそこにあるだけで、この奇妙な道具がなんのために作られたのかがうかがい知れるもので、坊ちゃまは頬を染められました。
「馬術も良家の子息ならこなせなければいけませんよ。さ、乗ってください」
「い、いやだよ、こんな……」
 ひゅっ、と空を切る鞭の音が坊ちゃまにそれ以上の抗議をゆるしませんでした。
「乗るんです」
「……」
 高慢な美少女めいたお顔をゆがませ、恐る恐る坊ちゃまは木馬に近づきますが、それをまたさらに須藤は鞭で木馬の足のところをたたき、坊ちゃまを怯えさえました。
「そのままで乗ってどうするんですか? ズボンを脱いで乗るんです。見たらわかるでしょう?」
 そう、わたくしでも解ります。その不格好な木馬は、坊ちゃまを辱しめるために須藤が苦労して作った拷問具なのだということが。
「そ、そんな……」
「なにを女の子みたいにもじもじしているんですか? ほら、早く!」
 鞭の効果は絶大らしく、坊ちゃまは涙ぐみながら、おずおずと紺のズボンを脱がれます。
「下着も脱ぐんですよ」
「や、いやだ」
「駄目です。大丈夫ですよ、ほら、肌に直接触れないように、布を敷いてあげますよ」
 鞍は、遠目には見えないものでございますが、座るところはぽっかりと穴が開いております。裸で座るとなると丸太に身体が触れてしまうかもしれません。それでなくとも鞍に座るというのは、かなり負担なのだと聞いたことがございます。それをおもんぱかってか、須藤はもったいぶった仕草で背後に用意していたらしい真紅の天鵞絨ビロードの布をとりだすと、鞍のうえに敷きました。
「さ、これで坊ちゃんの綺麗な肌を傷つけることはありませんよ」
 真紅の天鵞絨を張った唐獅子と牡丹の金模様をにぶく光らせる黒塗りの鞍はいよいよ美しい調度品のように見えます。けれどもその下の四本脚の丸太はひどく無骨なもので、残酷さも強調されております。わたくしは、ふと罪人を裸馬に乗せて引きまわすという昔の残酷な刑罰を思いだしました。
「ほら、脱ぐんです。坊ちゃん、なにぐずぐずしているんですか? 男なら堂々と脱ぎなさい!」
「うう……」
 坊ちゃまは仕方なく頬を染められながら下着も脱がれます。坊ちゃまの高貴な美貌をひきたてる純白のシャツはそのままで、前回のように靴下と靴ははいたままでございますから、そのお姿の淫らさはとんでもないものでございました。
「さ、乗ってみてください。ほら、この踏み台を使って」
 坊ちゃまが長い眉をしかめられ、情けなさそうな顔をしていらっしゃるのが窓からも見えます。
「も、もう嫌だ」
「なに言っているんですか?」
 須藤は坊ちゃまの弱々しい反抗を楽しんでいるようでございます。
「な、なんで僕がこんなことしなきゃいけないんだ?」
「言ったでしょう? 私は旦那様から坊ちゃまの教育をまかされているんですよ。その坊ちゃんの女々しいところをなおしてあげているんです」
「いや、いやだ!」
 頭をふって坊ちゃまは脱いだばかりの下着をふたたびはこうとなされます。
「こら、何しているんですか?」
「もう嫌なんだ。あ!」
 ぴしゃり!
 かなり強い鞭の音がひびき、坊ちゃまは半裸のお姿のままその場にしゃがみこまれました。
「我が儘は許しません!」
「うーっ……」
「痛いですか? でも、逆らうならもっと打ちますよ。私には坊ちゃんを強く鍛えなおす責任があるのでね」
 なんという空々しい言葉でしょうか。自分の欲望のために坊ちゃまをいたぶりながら、ぬけぬけとそんなことを言う須藤を、わたくしは心から呪いました。
 うずくまったまま坊ちゃまは憎々し気に須藤を睨みつけ、けれども、逃げることはかなわず、渋々と木馬に近寄ります。
「畜生!」
 悔し気に顔を赤く燃やしながら、木の踏み台をつかって、とうとう須藤が望むように鞍にまたがられました。
「あ……ああ」
 下肢に触れる真紅の布の感触はどんなものなのでございましょう……。
「いい恰好ですね。名家の御子息のこんな姿、めったに見れないですよ。眼福がんぷくというのかな」
「くそぉ……」
 坊ちゃまの声は涙声になっておられます。
 睨みつけてくる坊ちゃまに不敵な笑みをかえすと、須藤は慣れた動作で、小屋の梁にむかって縄をなげ、切り先をむすんで簡単な縄の輪を作ってしまいます。
「ほら、手をここへ、そう、ここへつかまって」
 手すりがわりの吊るされた縄に手を伸ばすと、坊ちゃまは不本意そうな顔をしながらもそこにすがるようにして、不安定な鞍のうえで均衡をたもとうとされていらっしゃいます。そのお姿はたよりなげで痛々しくもあれば、ひどく色っぽくも見えます。見る者によってはいじらしく被保護欲をかきたてるられる姿が、人によっては加虐欲をかきたてられるようでございます。須藤はまちがいなく後者でございました。
 感心したような顔になりながら、須藤は舐めるような目で坊ちゃまのお姿を鑑賞するように見ております。
「今度、写真機を用意して、坊ちゃんのこの可愛いお姿を記念にとってあげますからね」
「ううう……」
 頬を屈辱と羞恥にほんのり赤く染めながら、坊ちゃまはひたすら両手で縄をにぎりしめ、全身を小刻みにふるわせておられます。
 ぺち、ぺち、と須藤がさも馬鹿にしたように坊ちゃまのお尻を掌でたたきます。
「くぅ……。くそぉ……」
 坊ちゃまは悔しくてならないというふうに顔をどす黒いほどに赤く染め、眉をしかめ、つらそうにのけぞりますが、どうにもできません。わたくしは坊ちゃまがお気の毒で涙が出そうでございました。
「どうです、坊ちゃん、乗り心地は? そんなに悪くないでしょう? そうしていると坊ちゃん、なかなか凛々しいですよ。いつか、本当の馬に乗せてあげますからね」
 坊ちゃまは、屈辱に首筋まで赤くほてらせ、歯を食いしばっておりますが、やがて、こらえきれなくなったのか、頬を涙で濡らされました。
「うっ……うう」
 須藤が長い人差し指で坊ちゃまの頬につたう涙をすくいとりますが、男らしい顔はおもしろくてならないというふうに笑っております。
「さ、背をのばして。座骨が中心にくるようにして。ああ、膝の力はぬいて。何やっているんですか、泣いてないで頭をあげるんです」
「も、もう嫌だ」
 下半身丸出しで使用人のまえでこのような痴態をとらされることに、気位高い坊ちゃまは発狂しそうなほどの羞恥を感じているのでございましょう。悲哀としか申しあげようがございません。
「しょうがないなぁ」
 須藤は笑いながら、灰色のズボンのポケットからなにやら小さなものを取り出しました。
「坊ちゃんが楽しくお馬乗りが出来るようにしてあげますよ」

 


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