サファヴィア秘話 ー闇に咲く花ー

文月 沙織

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宴の前 五

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 ディリオスの大きな手がラオシンの手をとると、それを己の股間にみちびく。
(あ……)
 ラオシンは触れてはいけない場所に触れて、あわてて手を引いた。
「ディリオス、おまえは……?」
 月に、ディリオスは悲しく微笑んだ。
「そうだ、宦官なのだ。十年もまえのことだが……宮廷の守護兵をしていたとき、後宮の女に騙されて奥へ呼ばれ……」
 裏庭の警護をしていたディリオスは、女官の「曲者くせものが出た」という叫び声に急いで声のもとへ走りよると、そこは貴婦人の閨の前だった。賊が侵入したと思いこんでいたディリオスが、非礼も気にとめず寝台に横たわる女人のもとへ駆けよると、相手は艶然えんぜんとわらってディリオスを誘惑してきたのだ。
 騙されたことに気づいたディリオスが逃れようとすると、相手ははねつけられたことに激怒して大声を出した。 ディリオスに強姦されそうになったと叫ぶ彼女の言葉に、ディリオスは必死に抗弁したが聞き入れてもらえず、駆けつけてきた兵たちによって捕らえられ、牢に入れられ、三日後には罰として去勢された。
「相手の女人は、前王の妹君のひとり、つまりあなたの叔母上だ」
 前王には二人の同母妹と、六人の異母妹がいる。そのうちの誰かなのだろう。叔母といっても彼女たち未婚の王女は後宮の最奥に住み滅多に会うこともない。とくに前王イブラヒルは王権の分散や王家と縁戚関係をむすんだ者が政治へ介入してくるのを嫌って、姉妹たちの降嫁をゆるさず、三人は異国の王家へ嫁がせたが、のこりの五人の王女たちは今も後宮の最奥でひっそりと生活して歳をかさねている。彼女たちは生涯を化粧やお洒落、遊戯にふけって過ごす。王女であるから、生活はそれなりに贅沢だが、いかに豊富に餌をあたえられたとしても、死ぬまで空を飛ぶことがゆるされない籠の鳥のようなもので、まさに飼い殺しにされて終わる人生だ。
 鬱屈のすえに見栄えのよい若い兵を誘惑したのだろう。
「その王女にはまえから悪い噂があったが、なんといっても王女だ。周囲も真相を知りつつも、俺は処罰され、半死半生のまま、宮外に犬の死体でもほうるように投げ捨てられた」
「そんな……そんなことが……」
 罠に嵌められこのような身の上にされたラオシンの運命も過酷だが、ディリオスの人生にもそんな悲惨な事件があったことは衝撃だった。ラオシンは我が身の不幸も一瞬わすれてディリオスに同情した。
「だから、あなたの初めての男にはなってやれないのだ。あなたの最初の相手は、今夜あなたを買う男だ」
 残酷な運命を告げられ、ラオシンは啜り泣いた。月の光がラオシンの背に降りそそぎ、その光がラオシンの身体に染みこんだのか、彼はいっそう女性的に変わっていく。ラオシンは、月神バリアの魔法にかかっていく。
「さ、最後のたのみだ……」
 ラオシンは、そっと首をあげた。ディリオスが頷いた。
 二人の唇が、満月を背にかさなりあう。
 散々身体を嬲られたラオシンだが、そこを誰かと触れあわせるのは初めてだった。アラムと思春期の痴戯ちぎにふけっていたときも、そんなことはしなかった。相手の口から、相手の魂が入ってくるような錯覚がしてくるが、不快なものではなかった。ラオシンはこの館に来てから初めて心がほぐれていくのを感じた。
 もしかしてディリオスがラオシンを月の見える庭につれてきたのは、空しい期待を捨てさせ、月の魔力を得て強くなるようにと願ってのことかもしれない。
 たしかにこの、絶望のなかで月光を受けたラオシンは、自分のなかでなにかが変わるのを自覚した。

「ねぇ、これを見てよ殿下。ジャハン様が名のある職人に命じて特別にこしらえてくださったのよ。見事な細工でしょう?」
 室にもどったとたん、ジャハギルがラオシンにむかって得意げに手をさしだしてきた。彼の掌では、球形の蛇紋石サーペンティンがつやつやと黒い光を放っている。だがラオシンの目をひいたのは、見慣れたその石から、菱形ひしがた白銀しらがねの飾りが五本、じゃらじゃらと紐のようにつなげられていることである。
 ラオシンは一目見て、それがどういう目的で使われるのか悟り、全身の血が引いていくのを感じた。
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