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宴の前 四

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 女物の衣をまとわせられ、さらにそのうえから紅玉ルビーの胸飾り、腰に金鎖をからめて編んだような見事な帯飾りをつけられ、化粧をほどこされ黒い面紗をかぶらされたラオシンは、絶世の美女といっても良かった。
「おう、おう、なんと女物の衣装がお似合いか。どうですかな? 亡き御母上の下着の着け心地は? 御母上が懐かしゅうございましょう?」
「……」
 ラオシンの頬が怒りに燃えるのも通り過ぎて、凍てついても、ジャハンはねちねちといたぶりの言葉を止めない。
「踊りの途中でほどけたりしては一大事じゃ、儂がもう一度結びなおしてやろう」
「あっ、よ、よせ」
 言うや、ジャハンは裾を持ち上げると、帯の紐をほどいた。マーメイはどうにかしてこわばった笑みを作って、ジャハンが、つい先ほどマーメイの結んだ紐をほどいて、布をひっぱり、ラオシンを狼狽うろたえさせているのを傍観した。
「ふむ。これぐらいが良いかな? いや、もう少しこっち側で結ぶほうが良いかのう?」
「うう……」
 布を強くひっぱら、締めなおされる刺激にラオシンは辛そうに眉を寄せ、頬を染める。閉じた瞼からかすかに光るものがあふれかけているのが面紗をかぶっていても知れる。
 内心、マーメイはジャハンの粘着質さに呆れつつ、ラオシンの耐える姿に感嘆した。
 これほどおとしめられても、ラオシンはやはり美しいのだ。
 その横顔は凄艶せいえんの一言である。
 いや、貶められれば、貶められるほどに、いっそう気高く、名画にえがかれた悲劇の美姫のように凄愴せいそうなまでの美しさにあふれている。
「ひひひひひ」
 それに反して、ジャハンはますます醜く、卑しく、浅ましくなっていく。さしものマーメイも彼に向かって内心、唾棄した。
 隣のジャハギルはどう思っているのか知れないが、彼もまた、ようやくジャハンの手が止まったときを見計らって、感じ入ったように呟いた。
「殿下、お召物がお似合いだわ。本当に、非の打ちどころのない美女ね」
 事実だった。
 実際には顔は面紗のおかげで霞にまかれているようでよくは見えないのだが、かすかに見える唇やうなじのあたりから匂うような色香がこぼれ、それが美女の雰囲気をたちのぼらせているのだ。
 下は薄手の衣のうえに厚めの布をまとっており、つまり二重になっているのだが、踊りの最中で上の布は脱ぐように命じられると、ラオシンの頬は怒りにこわばる。
「つまりね、貞淑な処女が、だんだん淫乱になっていくという設定なのよ。わかった?」    
 ジャハギルに念を押され、ラオシンは申し訳ていどに顎をうごかす。
 それよりも、館の中がざわめいてきたことにラオシンは気が気ではなかったのだ。
 もしや、救助の兵が来たのでは、とかすかな期待に生きる希望をとりもどしたあと、この惨めな女装を見らえることの悔しさに震え、けっきょく、それは召使たちや、気の早い客の足音に過ぎないと知って失望する、ということを三度くりかえし、神経はますます研ぎ澄まされ、疲弊ひへいしていく。
 とうてい踊りなど踊れる気分ではないというのに、時は無情に過ぎさり、辺りは薄暗くなり、月の女神の来訪がつたわってくる。
 サファヴィアでは太陽は女神バリアスを意味し、月はバリアスの双子の妹バリアだと言われているが、一説によればバリアは男ではないかという説もあり、絵や石像にのこるその姿は、たしかに男とも女ともしれない中性的なものだ。その月神バリアが姉神バリアスにかわって天を支配しはじめた。
 太陽が月に天の玉座をゆずりわたしていくのとおなじように、ラオシンの身体も心も男からむりやり女に変えられようとしているのだ。
(ああ……、アラム、兵たちはいつ来るのだ?)
 客たちの前に出されてしまったら、万が一、王子ラオシン=シャーディーだと知られてしまったら、見知らぬ男に買われてしまったら、いや、知っている男に買われてしまったら……。ラオシンは気が狂いそうだった。
「殿下……すこし夜風と月に身体を当てておこう」
 マーメイやリリは客の出迎えで忙しくなったのか姿を見せなくなり、ジャハギルとジャハンがなにやら話しこんでいたとき、ディリオスがそっと声をかけてきた。
「お頭、俺も」
 すかさずそう言うドドに、ディリオスは首を振り、有無を言わさぬ態度でラオシンを月夜の裏庭にひっぱりだす。

 小部屋から裏庭は歩いてすぐだった。
 ラオシンはどこかから味方の兵があらわれないかと目を凝らしてみたが、それらしき影すら見えず、真紅のハイビスカスが月光のもと妖しく咲き乱れている。
「殿下……、気の毒だが味方は来ない」
 驚愕に目を見開いているラオシンにディリオスは低い声でささやいたが、それ以上のことは言わなかった。忠実な小姓のアラムに裏切られたことを今のラオシンに告げるのは忍びないのだ。
「し、知っていたのか?」
「……ときどきあの、アラムという小姓が殿下を案じてこの辺りをうろついていたのを見て」
 それは事実である。
「ア、アラムはどうしたのだ? まさか」
「すこし痛めつけておいただけだ。命に別状はない」
 嘘や作り話は苦手だと自覚しているディリオスは目をそらした。
「う……」
 とうとう最後の頼みの綱すら切れてしまったことを知ったラオシンは、肩をふるわせて泣きだした。かなりラオシンの心は弱くなってきているようだ。
「う、うう……」
「殿下?」
 驚いたことにラオシンはディリオスに抱きついてきた。
 月に惑わされているのだろうか。
「た、たのむ! ディリオス、私を抱いてくれ」
 ラオシンは錯乱しているのだ。ディリオスはそう判じて彼の肩を優しく、なだめるように叩く。
「室にもどろう」
「い、いやだ! たのむ、ここで私を抱いて」
「あなたの相手は俺ではない。金を払ってくれる客だ」
 ラオシンは激しく頭をふる。
「も、もう嫌だ。嫌だ。見知らぬ男に買われるぐらいなら、せめておまえが私の初めての男になってくれ」
 それが今のラオシンにできるたったひとつの抵抗であり、己をこのような目に合わせた連中へのささやかな復讐であった。
 勿論、ディリオスも敵の一人であり、最初に体毛を剃られたときの恨みや、太陽のもとに身体を晒されたときの屈辱は忘れていない。
 だがその後つづいた生き地獄の日々のなか、どういう心境だったのか、彼だけはラオシンを嘲笑することも、卑しい視線で嬲ることもしなかった。獣の群のなかにあって、まだどこか人の心をのこしているところがディリオスにはある。
 今、この状況でラオシンが自分の身体を開く最初の相手を選べるなら、せめて彼であって欲しいのだ。
「無理なのだ、殿下……。私は」
 
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