サファヴィア秘話 ー闇に咲く花ー

文月 沙織

文字の大きさ
46 / 65

宴の前 四

しおりを挟む
 

 女物の衣をまとわせられ、さらにそのうえから紅玉ルビーの胸飾り、腰に金鎖をからめて編んだような見事な帯飾りをつけられ、化粧をほどこされ黒い面紗をかぶらされたラオシンは、絶世の美女といっても良かった。
「おう、おう、なんと女物の衣装がお似合いか。どうですかな? 亡き御母上の下着の着け心地は? 御母上が懐かしゅうございましょう?」
「……」
 ラオシンの頬が怒りに燃えるのも通り過ぎて、凍てついても、ジャハンはねちねちといたぶりの言葉を止めない。
「踊りの途中でほどけたりしては一大事じゃ、儂がもう一度結びなおしてやろう」
「あっ、よ、よせ」
 言うや、ジャハンは裾を持ち上げると、帯の紐をほどいた。マーメイはどうにかしてこわばった笑みを作って、ジャハンが、つい先ほどマーメイの結んだ紐をほどいて、布をひっぱり、ラオシンを狼狽うろたえさせているのを傍観した。
「ふむ。これぐらいが良いかな? いや、もう少しこっち側で結ぶほうが良いかのう?」
「うう……」
 布を強くひっぱら、締めなおされる刺激にラオシンは辛そうに眉を寄せ、頬を染める。閉じた瞼からかすかに光るものがあふれかけているのが面紗をかぶっていても知れる。
 内心、マーメイはジャハンの粘着質さに呆れつつ、ラオシンの耐える姿に感嘆した。
 これほどおとしめられても、ラオシンはやはり美しいのだ。
 その横顔は凄艶せいえんの一言である。
 いや、貶められれば、貶められるほどに、いっそう気高く、名画にえがかれた悲劇の美姫のように凄愴せいそうなまでの美しさにあふれている。
「ひひひひひ」
 それに反して、ジャハンはますます醜く、卑しく、浅ましくなっていく。さしものマーメイも彼に向かって内心、唾棄した。
 隣のジャハギルはどう思っているのか知れないが、彼もまた、ようやくジャハンの手が止まったときを見計らって、感じ入ったように呟いた。
「殿下、お召物がお似合いだわ。本当に、非の打ちどころのない美女ね」
 事実だった。
 実際には顔は面紗のおかげで霞にまかれているようでよくは見えないのだが、かすかに見える唇やうなじのあたりから匂うような色香がこぼれ、それが美女の雰囲気をたちのぼらせているのだ。
 下は薄手の衣のうえに厚めの布をまとっており、つまり二重になっているのだが、踊りの最中で上の布は脱ぐように命じられると、ラオシンの頬は怒りにこわばる。
「つまりね、貞淑な処女が、だんだん淫乱になっていくという設定なのよ。わかった?」    
 ジャハギルに念を押され、ラオシンは申し訳ていどに顎をうごかす。
 それよりも、館の中がざわめいてきたことにラオシンは気が気ではなかったのだ。
 もしや、救助の兵が来たのでは、とかすかな期待に生きる希望をとりもどしたあと、この惨めな女装を見らえることの悔しさに震え、けっきょく、それは召使たちや、気の早い客の足音に過ぎないと知って失望する、ということを三度くりかえし、神経はますます研ぎ澄まされ、疲弊ひへいしていく。
 とうてい踊りなど踊れる気分ではないというのに、時は無情に過ぎさり、辺りは薄暗くなり、月の女神の来訪がつたわってくる。
 サファヴィアでは太陽は女神バリアスを意味し、月はバリアスの双子の妹バリアだと言われているが、一説によればバリアは男ではないかという説もあり、絵や石像にのこるその姿は、たしかに男とも女ともしれない中性的なものだ。その月神バリアが姉神バリアスにかわって天を支配しはじめた。
 太陽が月に天の玉座をゆずりわたしていくのとおなじように、ラオシンの身体も心も男からむりやり女に変えられようとしているのだ。
(ああ……、アラム、兵たちはいつ来るのだ?)
 客たちの前に出されてしまったら、万が一、王子ラオシン=シャーディーだと知られてしまったら、見知らぬ男に買われてしまったら、いや、知っている男に買われてしまったら……。ラオシンは気が狂いそうだった。
「殿下……すこし夜風と月に身体を当てておこう」
 マーメイやリリは客の出迎えで忙しくなったのか姿を見せなくなり、ジャハギルとジャハンがなにやら話しこんでいたとき、ディリオスがそっと声をかけてきた。
「お頭、俺も」
 すかさずそう言うドドに、ディリオスは首を振り、有無を言わさぬ態度でラオシンを月夜の裏庭にひっぱりだす。

 小部屋から裏庭は歩いてすぐだった。
 ラオシンはどこかから味方の兵があらわれないかと目を凝らしてみたが、それらしき影すら見えず、真紅のハイビスカスが月光のもと妖しく咲き乱れている。
「殿下……、気の毒だが味方は来ない」
 驚愕に目を見開いているラオシンにディリオスは低い声でささやいたが、それ以上のことは言わなかった。忠実な小姓のアラムに裏切られたことを今のラオシンに告げるのは忍びないのだ。
「し、知っていたのか?」
「……ときどきあの、アラムという小姓が殿下を案じてこの辺りをうろついていたのを見て」
 それは事実である。
「ア、アラムはどうしたのだ? まさか」
「すこし痛めつけておいただけだ。命に別状はない」
 嘘や作り話は苦手だと自覚しているディリオスは目をそらした。
「う……」
 とうとう最後の頼みの綱すら切れてしまったことを知ったラオシンは、肩をふるわせて泣きだした。かなりラオシンの心は弱くなってきているようだ。
「う、うう……」
「殿下?」
 驚いたことにラオシンはディリオスに抱きついてきた。
 月に惑わされているのだろうか。
「た、たのむ! ディリオス、私を抱いてくれ」
 ラオシンは錯乱しているのだ。ディリオスはそう判じて彼の肩を優しく、なだめるように叩く。
「室にもどろう」
「い、いやだ! たのむ、ここで私を抱いて」
「あなたの相手は俺ではない。金を払ってくれる客だ」
 ラオシンは激しく頭をふる。
「も、もう嫌だ。嫌だ。見知らぬ男に買われるぐらいなら、せめておまえが私の初めての男になってくれ」
 それが今のラオシンにできるたったひとつの抵抗であり、己をこのような目に合わせた連中へのささやかな復讐であった。
 勿論、ディリオスも敵の一人であり、最初に体毛を剃られたときの恨みや、太陽のもとに身体を晒されたときの屈辱は忘れていない。
 だがその後つづいた生き地獄の日々のなか、どういう心境だったのか、彼だけはラオシンを嘲笑することも、卑しい視線で嬲ることもしなかった。獣の群のなかにあって、まだどこか人の心をのこしているところがディリオスにはある。
 今、この状況でラオシンが自分の身体を開く最初の相手を選べるなら、せめて彼であって欲しいのだ。
「無理なのだ、殿下……。私は」
 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

あなたの家族にしてください

秋月真鳥
BL
 ヒート事故で番ってしまったサイモンとティエリー。  情報部所属のサイモン・ジュネはアルファで、優秀な警察官だ。  闇オークションでオメガが売りに出されるという情報を得たサイモンは、チームの一員としてオークション会場に潜入捜査に行く。  そこで出会った長身で逞しくも美しいオメガ、ティエリー・クルーゾーのヒートにあてられて、サイモンはティエリーと番ってしまう。  サイモンはオメガのフェロモンに強い体質で、強い抑制剤も服用していたし、緊急用の抑制剤も打っていた。  対するティエリーはフェロモンがほとんど感じられないくらいフェロモンの薄いオメガだった。  それなのに、なぜ。  番にしてしまった責任を取ってサイモンはティエリーと結婚する。  一緒に過ごすうちにサイモンはティエリーの物静かで寂しげな様子に惹かれて愛してしまう。  ティエリーの方も誠実で優しいサイモンを愛してしまう。しかし、サイモンは責任感だけで自分と結婚したとティエリーは思い込んで苦悩する。  すれ違う運命の番が家族になるまでの海外ドラマ風オメガバースBLストーリー。 ※奇数話が攻め視点で、偶数話が受け視点です。 ※エブリスタ、ムーンライトノベルズ、ネオページにも掲載しています。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

処理中です...