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20、生きるために食べよ……ナノデス
しおりを挟む「トオルさん、私、ヒナコにトオルさんとお付き合いシテルと言ってしまいマシタ」
お昼休みの時間に電話でそう伝えたら、速攻で『やった!』と大きな声が聞こえてきた。
ガタッという音も一緒に聞こえたから、もしかしたら立ち上がっているのかも知れない。
「私がナイショにシテ下さいって言ったのに、勝手にごめんなさいネ。デモ、言いたくなってしまったのデス」
『よしっ、よしっ、ヤッター、公認!』
さっきより更に大きな叫び声がしたので、会社でそんな騒音を出して大丈夫なのかと聞いたら、自分のオフィスで1人パソコンに向かっていたところだから大丈夫だと言う。
『カフェテリアとか外に食べに行くと移動時間が勿体無いから、ここで仕事しながら食べてるんだ』
「1人で? 仕事しながら?!」
クリームチーズを塗ったベーグルをコーヒーで流し込んでいるらしい。
そんなのただの軽食だし、パソコンと睨めっこしながらじゃ全然ランチ休憩になってないではないか。健康状態が心配になってしまう。
「そんなの駄目デスヨ。『食べるために生きるな、生きるために食べよ』デスヨ」
『それはアメリカのことわざですか? 日本じゃないですよね』
「イギリスのことわざデスヨ。この後に、『働くために生きるな、幸せに生きるために働け』と続きマス」
『ああ、なんとなく意味が分かりました。カロリー摂取のための食事ではなく、食を楽しめ……って事ですね?』
「そんな感じです」
この言葉は、生活の糧を得るためにあくせく働いて、まるで働くために生きているようではダメだ……人生を謳歌せよ……という意味も含んでいる。
電話の向こうから『フッ』と微かな笑い声が漏れてきたから訝しんでいると、
「俺、ヨーコさんと付き合い出した今だから、その言葉の意味が理解出来るんだと思います。朝なんてブラックコーヒー1杯でいいと思ってたけど、今は毎朝ヨーコさんと向かい合って、ヨーコさんが作った味噌汁を飲みたいです。そうすると活力が湧いて、1日頑張ろうって思えるんです」
ーー!!!!
『お前が作った味噌汁を飲みたい』はプロポーズの定番!
ーーコレは……。
と考えて、はたと気付いた。
ーーもうプロポーズされてるのデシタ。
最初に迎えた朝にいきなり責任を取るとプロポーズされて、その後も十年後の未来やら親に言うやら、結婚に前向きな発言を容赦なく浴びせられていたのだった。
この期に及んでいちいち意識し過ぎだと苦笑していたら、
『因みに今の『味噌汁を飲みたい』もプロポーズの一環ですよ。その気にさせたくて必死なので』
サラッと言われて心臓がキュンとなった。
何なのだろう、このイケメンなセリフ。
インターネットで見つけた口説き文句を片っ端から口に出してるんじゃないだろうか。
あながち冗談ではない。
彼の学習能力と記憶力、そしてその再現率は半端ないのだから。
『……という訳で、今夜もヨーコさんのアパートに行っていいですか?』
またもやサラッとナチュラルにぶっ込んで来た。
「……駄目デス」
『ええっ!』
「毎晩あんなコトばかりシてたら睡眠不足になりマス。仕事に支障が出てしまいマス」
『フッ……あんな事ってどんな事ですか? 俺はただヨーコさんの味噌汁を飲みたいだけですよ』
「う……嘘デスヨ! 絶対それだけで済まないじゃないデスカ!」
『まっ、そうですね。一度始めたら一晩コースになる自信はありますからね』
ーーまた、そういう事をサラッと言う!
冗談抜きで、平日に連泊は駄目だと思う。
人生初の恋愛モードでフワフワしている上に、寝不足で脳味噌が上手く働かなくなる。
恋をした途端に仕事を疎かになんてしたくない。
それこそ朝哉や雛子、そして透のご両親に失望されるような人間になりたくないから……。
「私は仕事も恋も頑張って両立させマスヨ!」
電話の向こうでまたクスッと笑った気配。
カチャカチャ……と響くタイピングの音。
こうやって話している間も仕事をしているのだと思うと、アパートに呼んで労ってあげたい気持ちになるけれど……心を鬼にしてグッと堪える。
タイピングの音が止まった。
『ヨーコさん、分かりました。今日は我慢します。だから週末にデートして下さい。金曜日の夜から泊まりに来てくれませんか?』
ーーえっ、泊まりに?
……ということは、彼のアパート初訪問!
『土曜日はマンハッタンデートしましょう。ブロードウェイミュージカルなんてどうですか? 今調べてみたんですが、ライオンキングかオペラ座の怪人か……』
電話しながらも仕事をしていると思っていたら、ちゃっかりデートプランを立てていた。
だけどそれで良いのだ。今はお昼休み、そして『働くために生きるな、幸せに生きるために働け』なのだ。
「ライオンキング!」
『ハハッ、了解。……オーケー。今、1階オーケストラのプレミアムシートを予約しました』
「プレミアム?!」
『クインパスの後継は朝哉ですが、俺だって黒瀬の長男でクインパスの取締役の1人で株主ですからね。ヨーコさんを満足させるだけの蓄えはあるんで、思い切り甘えて下さいね』
そうか……そうなのだ。
華やかな朝哉の陰に隠れて目立たないけれど、透だって黒瀬の長男で研究開発部トップで非常に優秀な頭脳を持つ人物なのだ。
その上甘いマスクに丁寧な物腰。研究センターにも彼を狙っている女子社員がいるのかも知れない。
ーーなのに私を選んでくれたのデスヨネ……。
顔も知らない女性社員に軽く嫉妬心。
「トオル……デートが楽しみデス」
『はい、俺も楽しみです』
「手を繋いで歩きまショウネ」
『やった! 手繋ぎデートですね。俺、恋人繋ぎがいいです』
「ハイ、恋人繋ぎにしまショウ」
『月曜日の朝まで3泊してくれますか?』
「……イイ……デスヨ」
『俺、味噌汁を作るの手伝います』
「良いデスネ。お弁当も作りまショウ。ベーグルだけじゃ身体が心配デスカラ」
『マジですか?! 俺も手伝います』
「私たち、とてもラブラブ……デスネ」
『はい、ラブラブです。避妊具、また新しいのを試しましょう。昨日と違うのを3種類買っていきます。……全部試してもいいですか?』
3種類……最低でも3回はスるという意味だ。
「良いデス……ヨ。楽しみデスネ」
『はい、とても楽しみです。早くヨーコさんを抱きたいです』
素直に言葉にしてくれる彼が大好きだ……と、改めて思う。
正直言えば、もう今すぐにでも会いたい。
だけど、ここで感情に流されて欲望を優先させてはいけないのだ。
仕事を頑張ろう……と改めて思った。
会いたい気持ちをグッと堪え、見知らぬ彼の同僚に嫉妬したりしながら、目の前の仕事を全力でこなすのだ。
彼が見初めてくれた仕事のできる美人秘書を全うして、少しでも彼に釣り合う素敵な女性になって……そして2人のデートでは思う存分甘えて甘えさせて……。
そんな風に思える素敵な恋愛が出来ていることが嬉しいし、そう思える今の自分が好きだと思う。
「トオル、チョコレート味でもイチゴ味でもドンと来い!……デスからネ!」
『ふはっ、楽しみにしてます』
ギシッ……と椅子の軋む音がした。
彼が背もたれにグッともたれ掛かって目を三日月みたいに細めている姿が想像出来た。
うん、とても楽しみデス……。
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