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第8話
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”九人の乙女” の影に京子がいるように、”九軍神” の影に酒井がいる。
国民は新聞で報道される部分しか知りえない。
しかし、その影で悩み苦しんでいる者が必ず存在する。
そのことを京子は改めて思い知らされた。
そして、最も知りたいことを酒井に尋ねた。
「酒井さんは、死んだ仲間の遺族にはお会いになられたんですか。」
「終戦の翌年に日本に帰ってくることができたんですが、日本のあまりの変わりように驚きました。捕虜第1号と罵られることもありました。なぜ自決しなかったんだ、と責め立てる手紙が送りつけられたことも。しかし、そんなことは私が我慢すればいいだけのこと。それよりも、戦死した部下である稲田君の実家に行ったときが一番辛かったですね。」
「どうして、片方だけ…」
戦死した稲田兵曹の墓に手を合わせに来た酒井に向かって、年老いた母がつぶやいた。
そして、こう続けた。
「酒井さん、私の家がどういうことになっているか知っていますか。息子のことを ”軍神” と英雄扱いしておきながら、戦争が終わったとたんにこうだ。」
軍国主義者を生んだ家だ!
お前の息子みたいな連中のせいで戦争が長引いたんだ!
人殺しも同然だ!
「人は勝手だ。戦争に負けたら犯罪者のように悪口を言う。今、私の家は村八分だ。」
母はよほど辛い目に遭っているのだろう。
たとえ捕虜となっても、非国民よばわりされたとしても、息子に帰ってきてほしかったに違いない。
「酒井さん、あなたを恨んでいるわけではないんだ。 "どうして片方だけ" 、何をどうしたってそういう言葉が出てしまうんだ。こんな母親を許してください。」
酒井はひととおり自身の過去を話し終えた。
そして、自分の思いを京子に優しく語りかけた。
「大きな力、いや、”空気” ですね。決して逆らうことのできない空気が日本すべてを覆っていたんです。」
「死を恐れてはならない、捕虜となってはいけない、非国民には石を投げなければならない。そして、戦争が終わった今でもその空気に苦しんでいる人が大勢いる。私以外にも。」
「私は、今、その空気に抗って生きてます。もちろん、白眼視され軽蔑されることもあります。家族にも迷惑をかけていると思います。」
「しかしね、死んだ仲間たちが、お前も早く死ねとは絶対に言わないと思うんです。どうしても死にたければ、やるべきことをやってからにしろって言うと思うんです。」
「今、私は日本の復興のために働いています。微力ではありますが。」
「京子さん、あなたも勇気を持って生きてみませんか。間違いなく辛く苦しい人生になると思います。しかし、生き残ったあなたにはやるべきことがあるはずだ。それをやり遂げてから考えてもいいのではないですか。」
京子は料亭を出て家路に着いた。
自宅である炭鉱住宅の前まで来たのだが、玄関をくぐることはせず、しばらく星空を眺めていた。
「京子、どうしたんだ。」
外にいる京子に気づき、夫である行雄が玄関を出て声をかけてきた。
「何だか、星を見ていたくて…」
「そうか…」
そして、行雄は自分のことを話し始めた。
理由は分からない。
行雄はもともと無口な性格であり、お互いに何かを背負っていることを感じ取っていたために、これまで、相手の過去を深く詮索しようとはしなかった。
「俺もな、戦争の頃の自分が嫌いだ。」
「フィリピンの山の中で終戦を迎えたんだが、食べ物を手に入れるために悪いことをたくさんしてしまった。仲間を騙すことだけでなく、現地の人たちの村を襲うこともした。何度も。」
「住民を殺し、家に火をつけた。こんなことをしてはいけないと思った。それに、命令した上官も、仲間も、根っからの悪人ではないと思う。でも、誰も逆らえなかった。逆らえない何かが俺たちにのしかかっていたんだ。」
「悩んだ、とにかく悩んだ…」
「だから石炭を掘るんだ。危険な仕事であっても。日本が復興して豊かになれば、それがほかの国の人にもいい影響を与えるんじゃないかなって勝手に思ってる。俺は、死ぬまで何かをやらなければと思ってるんだ。」
決して話し上手ではない、言葉足らずなところもあった。
しかし、話す行雄の目は真剣さと正直さに満ちていた。
そして、行雄が言った最後の言葉。
京子に対し、彼自身に対し。
「どうすることもできない。それは違う。」
「どうにかしようとしないだけなんだ。」
京子と行雄の頭上に広がる星空。
時代が変わろうとも、どれだけ月日が経とうとも、変わらず美しいであろう星空。
それを見上げる二人。
「星がきれい…。今まで下ばかり向いて生きてきたから、気がつかなかった。」
「そうだな…、きれいだな。」
国民は新聞で報道される部分しか知りえない。
しかし、その影で悩み苦しんでいる者が必ず存在する。
そのことを京子は改めて思い知らされた。
そして、最も知りたいことを酒井に尋ねた。
「酒井さんは、死んだ仲間の遺族にはお会いになられたんですか。」
「終戦の翌年に日本に帰ってくることができたんですが、日本のあまりの変わりように驚きました。捕虜第1号と罵られることもありました。なぜ自決しなかったんだ、と責め立てる手紙が送りつけられたことも。しかし、そんなことは私が我慢すればいいだけのこと。それよりも、戦死した部下である稲田君の実家に行ったときが一番辛かったですね。」
「どうして、片方だけ…」
戦死した稲田兵曹の墓に手を合わせに来た酒井に向かって、年老いた母がつぶやいた。
そして、こう続けた。
「酒井さん、私の家がどういうことになっているか知っていますか。息子のことを ”軍神” と英雄扱いしておきながら、戦争が終わったとたんにこうだ。」
軍国主義者を生んだ家だ!
お前の息子みたいな連中のせいで戦争が長引いたんだ!
人殺しも同然だ!
「人は勝手だ。戦争に負けたら犯罪者のように悪口を言う。今、私の家は村八分だ。」
母はよほど辛い目に遭っているのだろう。
たとえ捕虜となっても、非国民よばわりされたとしても、息子に帰ってきてほしかったに違いない。
「酒井さん、あなたを恨んでいるわけではないんだ。 "どうして片方だけ" 、何をどうしたってそういう言葉が出てしまうんだ。こんな母親を許してください。」
酒井はひととおり自身の過去を話し終えた。
そして、自分の思いを京子に優しく語りかけた。
「大きな力、いや、”空気” ですね。決して逆らうことのできない空気が日本すべてを覆っていたんです。」
「死を恐れてはならない、捕虜となってはいけない、非国民には石を投げなければならない。そして、戦争が終わった今でもその空気に苦しんでいる人が大勢いる。私以外にも。」
「私は、今、その空気に抗って生きてます。もちろん、白眼視され軽蔑されることもあります。家族にも迷惑をかけていると思います。」
「しかしね、死んだ仲間たちが、お前も早く死ねとは絶対に言わないと思うんです。どうしても死にたければ、やるべきことをやってからにしろって言うと思うんです。」
「今、私は日本の復興のために働いています。微力ではありますが。」
「京子さん、あなたも勇気を持って生きてみませんか。間違いなく辛く苦しい人生になると思います。しかし、生き残ったあなたにはやるべきことがあるはずだ。それをやり遂げてから考えてもいいのではないですか。」
京子は料亭を出て家路に着いた。
自宅である炭鉱住宅の前まで来たのだが、玄関をくぐることはせず、しばらく星空を眺めていた。
「京子、どうしたんだ。」
外にいる京子に気づき、夫である行雄が玄関を出て声をかけてきた。
「何だか、星を見ていたくて…」
「そうか…」
そして、行雄は自分のことを話し始めた。
理由は分からない。
行雄はもともと無口な性格であり、お互いに何かを背負っていることを感じ取っていたために、これまで、相手の過去を深く詮索しようとはしなかった。
「俺もな、戦争の頃の自分が嫌いだ。」
「フィリピンの山の中で終戦を迎えたんだが、食べ物を手に入れるために悪いことをたくさんしてしまった。仲間を騙すことだけでなく、現地の人たちの村を襲うこともした。何度も。」
「住民を殺し、家に火をつけた。こんなことをしてはいけないと思った。それに、命令した上官も、仲間も、根っからの悪人ではないと思う。でも、誰も逆らえなかった。逆らえない何かが俺たちにのしかかっていたんだ。」
「悩んだ、とにかく悩んだ…」
「だから石炭を掘るんだ。危険な仕事であっても。日本が復興して豊かになれば、それがほかの国の人にもいい影響を与えるんじゃないかなって勝手に思ってる。俺は、死ぬまで何かをやらなければと思ってるんだ。」
決して話し上手ではない、言葉足らずなところもあった。
しかし、話す行雄の目は真剣さと正直さに満ちていた。
そして、行雄が言った最後の言葉。
京子に対し、彼自身に対し。
「どうすることもできない。それは違う。」
「どうにかしようとしないだけなんだ。」
京子と行雄の頭上に広がる星空。
時代が変わろうとも、どれだけ月日が経とうとも、変わらず美しいであろう星空。
それを見上げる二人。
「星がきれい…。今まで下ばかり向いて生きてきたから、気がつかなかった。」
「そうだな…、きれいだな。」
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