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15 昼に舞う蝶とダンサー
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くしゃくしゃの髪のままの晶は、20本ほどのバラの花を助手席の晴也に持たせて、ゆっくりとコインパーキングを出る。
前を走りハザードランプを点滅させた優弥の車に、晴也は手を振り、晶に訊いた。
「えーっと……お疲れ、泊まるつもりでいたりする?」
晶はもったいぶって質問返しして来た。
「泊まって欲しい?」
「別に要らない」
「じゃあ泊まる」
晶は珍しく、車のCDプレイヤーを稼働させた。そして赤信号で、手早くCDをセットする。ケースを見せてもらうと、Sonate for Flute と書いてあった。
流れ始めたのは、1時間前に晶が若い2人と踊った曲だった。
「ヘンデルのフルートソナタって沢山あるんだけど、明るくて清潔な色気があるやつを選んだんだ」
余計な装飾を削ぎ落とされた、シンプルで美しいメロディが車の中に満ちる。
「ハルさんはクラシックは聴かない?」
「ほとんど聴かない」
「俺もイギリス行くまで聴かなかったけどな、バレエ音楽以外は」
音楽だけを聴くと、晴也にはそこに晶が言うような色気は感じられなかった。しかしあんな振りをつけたくなるのだから、晶には晴也と違う捉え方があるのだろう。そしてあのエロティックな振りが、この音楽に合っていたのが不思議だ。
「バロックってエロくてエモい、みたいな話で優さんと盛り上がってできたダンスでさ、タケルさんが手を入れて大学生が踊ったら、全く雰囲気変わると思うから楽しみ」
晶は無邪気に言いながら、ハンドルを切る。
「バロック……バッハやヘンデルは懐が深いんだよ、ポップスやジャズにアレンジしても芯が崩れないというか……優さんは音楽そのものじゃなくダンスでアレンジしてみたいってあの振りをつけたんだ、良かっただろ?」
「うん、何かお洒落な感じがした」
晴也は、澄んだ水が流れるようなフルートの細かい音を聴きながら言った。
晶はちらっと晴也を見てから、訊く。
「こんな話は楽しい?」
「うん、興味深いよ」
「よかった、ハルさんにはずっと俺の踊りの理解者でいてもらえそう……」
「理解者かどうかは微妙だけど、ずっとファンではいたいかな」
晴也の返事に、晶はえへへと子どもみたいな笑いかたをした。
「あれ、観てる人にエロく映るように作ったんだよな?」
晴也は晶に確認したくなってしまった。美智生共々勝手にエロ解釈したのだったら、ちょっと恥ずかしい。晶はふふっと笑う。
「水曜のお客様へのサービス的な?」
「というのは?」
「ゲイシチュエーションって何から生まれるかなって考えた、ちょい2次元的にね……トリオは『憧れ』で、デュオは『ライバル』がテーマ」
晶が角を曲がるためにハンドルを切ると、コインパーキングの看板が見えた。その奥に晴也のマンションが見えている。
「……いろいろ考えながらダンスやってるんだなぁ」
晴也は車がバックするピーピーという音を聞きながら、言った。
「創作ダンスはそれが楽しいから」
答える晶の運転はスマートだ。駐車場でみだりに切り返したり、ブレーキをがくんと踏んだりしない。今夜も軽自動車は、決して広くはないパーキングスペースにすっと収まった。
日付けが変わっているので、なるべく静かに部屋に入って、すぐに晶に風呂を使わせる。晴也は悩んだあげく、一番深い鍋に水を張って、バラを入れた。鍋の縁に白い花が咲き、美しいのだが、パスタかそうめんを茹でているようで、何とも妙な光景だった。
晶は髪と顔をしっかり洗って満足そうに洗面室から出てきた。そしてコンロの上の鍋を見るなり爆笑した。
「バラを茹でてるんですか、ハルさん」
「だって花瓶無いから……」
「ちょっと面白過ぎるからドルフィン・ファイブでシェアしていい?」
晶は鍋にスマートフォンのカメラを向けた。自分が晴也の家に転がり込んでいると、堂々と晒そうとする晶に驚く。
「俺ん家の台所って書くのかよ」
「うん、嫌かな?」
「俺はいいけど……」
勝手に楽しむ晶を放置して、晴也も入浴することにした。晶は風呂を使った後に、きれいに湯船を流しておいてくれる。身体の洗い方は割に雑なのに、こういうところはきちんとしているのが可笑しい。
晶が泊まりに来るというシチュエーションにも、だいぶ慣れた。彼も好きにしているだろうと思うので、晴也もゆっくり肌の手入れをして、髪を乾かす。
晶はベッドに横になって、チンアナゴを枕元に置き、スマートフォンを触っていた。にやにやしているところを見ると、ドルフィン・ファイブの誰かから、茹でバラに関して笑えるリプがあったのだろう。
「お疲れさま、すぐ寝る?」
ペットボトルの水を冷蔵庫から出す晴也に、晶は声をかけてくる。
「昨日サイラスが台本を送って来たんだ、見て欲しくて持ってきたんだけど」
晴也は一瞬どきりとしたが、それは自分に嫌な思いをさせるものではないと、記憶の上書きを試みる。
「じゃあ明日の朝見せて……普通にシェイクスピアなんだろ?」
「言葉はほとんど今の英語に換えてる、ト書きが多くて微妙」
晶は楽しそうである。外国にもショウのファンが増えたら、更にやきもきしないといけなくなりそうだなと、晴也は別の種類の心配を覚えた。
寒くもなく暑くもない春の夜は心地良い。晴也は台所の明かりを消して、水を飲んでから、晶の横にもそもそと入っていく。俺のベッドだろ、と密かに突っ込みながら。
「……ハルさん」
晶は迷わず晴也の背中に腕を回してくる。
「今日観てもらえて良かった、俺的に結構スペシャルプログラムだった」
晴也も少し迷ってから、晶の腰に手を回す。硬い胸に額をつけると、温かい身体にほっとして、つい溜め息が出てしまう。
「うん……どれも良かったと思うよ、最後のは前に見せて貰ってたのと変わったみたいだけど、鬼気迫るのもたまにはいいかな」
「ありがとう……振りは変わってないんだ、客席に笑いかけなかっただけ……でも笑わなかったら、おかしな風にテンションが上がった」
晶の声を聞きながら、晴也は少し不思議な気分になる。舞台の上で照明と客席の拍手を浴びて、人気の証である花をあれだけ受け取っているダンサーが、横にいて自分を腕に抱いている。
前を走りハザードランプを点滅させた優弥の車に、晴也は手を振り、晶に訊いた。
「えーっと……お疲れ、泊まるつもりでいたりする?」
晶はもったいぶって質問返しして来た。
「泊まって欲しい?」
「別に要らない」
「じゃあ泊まる」
晶は珍しく、車のCDプレイヤーを稼働させた。そして赤信号で、手早くCDをセットする。ケースを見せてもらうと、Sonate for Flute と書いてあった。
流れ始めたのは、1時間前に晶が若い2人と踊った曲だった。
「ヘンデルのフルートソナタって沢山あるんだけど、明るくて清潔な色気があるやつを選んだんだ」
余計な装飾を削ぎ落とされた、シンプルで美しいメロディが車の中に満ちる。
「ハルさんはクラシックは聴かない?」
「ほとんど聴かない」
「俺もイギリス行くまで聴かなかったけどな、バレエ音楽以外は」
音楽だけを聴くと、晴也にはそこに晶が言うような色気は感じられなかった。しかしあんな振りをつけたくなるのだから、晶には晴也と違う捉え方があるのだろう。そしてあのエロティックな振りが、この音楽に合っていたのが不思議だ。
「バロックってエロくてエモい、みたいな話で優さんと盛り上がってできたダンスでさ、タケルさんが手を入れて大学生が踊ったら、全く雰囲気変わると思うから楽しみ」
晶は無邪気に言いながら、ハンドルを切る。
「バロック……バッハやヘンデルは懐が深いんだよ、ポップスやジャズにアレンジしても芯が崩れないというか……優さんは音楽そのものじゃなくダンスでアレンジしてみたいってあの振りをつけたんだ、良かっただろ?」
「うん、何かお洒落な感じがした」
晴也は、澄んだ水が流れるようなフルートの細かい音を聴きながら言った。
晶はちらっと晴也を見てから、訊く。
「こんな話は楽しい?」
「うん、興味深いよ」
「よかった、ハルさんにはずっと俺の踊りの理解者でいてもらえそう……」
「理解者かどうかは微妙だけど、ずっとファンではいたいかな」
晴也の返事に、晶はえへへと子どもみたいな笑いかたをした。
「あれ、観てる人にエロく映るように作ったんだよな?」
晴也は晶に確認したくなってしまった。美智生共々勝手にエロ解釈したのだったら、ちょっと恥ずかしい。晶はふふっと笑う。
「水曜のお客様へのサービス的な?」
「というのは?」
「ゲイシチュエーションって何から生まれるかなって考えた、ちょい2次元的にね……トリオは『憧れ』で、デュオは『ライバル』がテーマ」
晶が角を曲がるためにハンドルを切ると、コインパーキングの看板が見えた。その奥に晴也のマンションが見えている。
「……いろいろ考えながらダンスやってるんだなぁ」
晴也は車がバックするピーピーという音を聞きながら、言った。
「創作ダンスはそれが楽しいから」
答える晶の運転はスマートだ。駐車場でみだりに切り返したり、ブレーキをがくんと踏んだりしない。今夜も軽自動車は、決して広くはないパーキングスペースにすっと収まった。
日付けが変わっているので、なるべく静かに部屋に入って、すぐに晶に風呂を使わせる。晴也は悩んだあげく、一番深い鍋に水を張って、バラを入れた。鍋の縁に白い花が咲き、美しいのだが、パスタかそうめんを茹でているようで、何とも妙な光景だった。
晶は髪と顔をしっかり洗って満足そうに洗面室から出てきた。そしてコンロの上の鍋を見るなり爆笑した。
「バラを茹でてるんですか、ハルさん」
「だって花瓶無いから……」
「ちょっと面白過ぎるからドルフィン・ファイブでシェアしていい?」
晶は鍋にスマートフォンのカメラを向けた。自分が晴也の家に転がり込んでいると、堂々と晒そうとする晶に驚く。
「俺ん家の台所って書くのかよ」
「うん、嫌かな?」
「俺はいいけど……」
勝手に楽しむ晶を放置して、晴也も入浴することにした。晶は風呂を使った後に、きれいに湯船を流しておいてくれる。身体の洗い方は割に雑なのに、こういうところはきちんとしているのが可笑しい。
晶が泊まりに来るというシチュエーションにも、だいぶ慣れた。彼も好きにしているだろうと思うので、晴也もゆっくり肌の手入れをして、髪を乾かす。
晶はベッドに横になって、チンアナゴを枕元に置き、スマートフォンを触っていた。にやにやしているところを見ると、ドルフィン・ファイブの誰かから、茹でバラに関して笑えるリプがあったのだろう。
「お疲れさま、すぐ寝る?」
ペットボトルの水を冷蔵庫から出す晴也に、晶は声をかけてくる。
「昨日サイラスが台本を送って来たんだ、見て欲しくて持ってきたんだけど」
晴也は一瞬どきりとしたが、それは自分に嫌な思いをさせるものではないと、記憶の上書きを試みる。
「じゃあ明日の朝見せて……普通にシェイクスピアなんだろ?」
「言葉はほとんど今の英語に換えてる、ト書きが多くて微妙」
晶は楽しそうである。外国にもショウのファンが増えたら、更にやきもきしないといけなくなりそうだなと、晴也は別の種類の心配を覚えた。
寒くもなく暑くもない春の夜は心地良い。晴也は台所の明かりを消して、水を飲んでから、晶の横にもそもそと入っていく。俺のベッドだろ、と密かに突っ込みながら。
「……ハルさん」
晶は迷わず晴也の背中に腕を回してくる。
「今日観てもらえて良かった、俺的に結構スペシャルプログラムだった」
晴也も少し迷ってから、晶の腰に手を回す。硬い胸に額をつけると、温かい身体にほっとして、つい溜め息が出てしまう。
「うん……どれも良かったと思うよ、最後のは前に見せて貰ってたのと変わったみたいだけど、鬼気迫るのもたまにはいいかな」
「ありがとう……振りは変わってないんだ、客席に笑いかけなかっただけ……でも笑わなかったら、おかしな風にテンションが上がった」
晶の声を聞きながら、晴也は少し不思議な気分になる。舞台の上で照明と客席の拍手を浴びて、人気の証である花をあれだけ受け取っているダンサーが、横にいて自分を腕に抱いている。
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