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第2幕/ふたつ隣の部屋
第5場③
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浮かれていた亮太は、一番大切なことを伝えていないと思い出す。これで断られたら悲劇だが、話さないのはトラブルの元だ。
「……ギャラは交通費ほどしか出ない、ライブハウスのオーナーがドリンク1杯と軽食を出してくれるけど」
片山のきれいな形の目が少し見開かれた。
「ご飯食べられるのか? 十分だよ、歌う場所を提供してもらえるんだし」
これまで片山が、持ち出しでしか演奏したことがないのだと亮太は知る。いい声なのにもったいない。自分の歌が金になる可能性を、もっと認識するほうがいい。
ライブハウスで演奏するのは課外活動だが、芸大の院で学ぶというのは、そういうことだ。自分の音楽で食べて行くための術を身につける。それは何も、技術を磨くことに限らない。
世話を焼かなきゃいけないな。亮太はそう考えた。きっかけを掴めば、きっと片山は自分で羽ばたく。ずっと面倒を見なくてもいいだろうから、きっかけ探しは手伝いたい。
片山がおやすみと言いながら自室に戻ったあと、亮太は1人でわくわくしていたが、重苦しい仕事を済ませてしまわなくてはいけないため、気持ちを引き締めた。メインヴォーカルの天崎伸朗に、外れてほしいと今から伝えるのだ。
元々バンド活動に亮太を誘ってくれたのは、天崎だった。彼は1学年上だが、同じ神奈川県出身なので親しくなり、ちょっと頼りないところが放っておけず、恋人として交際していた。だからこそ、亮太が天崎に話をしたかった。
亮太が天崎との関係を終えたのは彼の心変わりが原因で、恋情が醒めていた亮太は、別れることをすぐに承諾した。天崎と個人的に会わなくなってかれこれ半年になるが、音楽活動はこれまで通り一緒に続けている。
リーダーである芳村が彼を外すと決めたなら、それが覆ることは無いだろう。本番が決まっているのに何度も穴をあけるなど論外な上に、ヴォーカルとしての天崎の評価もやや落ち気味なので、潮時だった。片山はいいプレイヤーになってくれそうに感じるが、今彼に後を完全に任せるのは難しいだろうから、しばらくヴォーカルを月替わりにしてみるのも、面白いかもしれない。
亮太はふと、自分が酷く冷たい人間のような気がしてしまう。仮にも交際相手だった男に対して、何か悩みがあってこんな自堕落なことになっているのかと尋ねてみてもいいだろうに、そうしないまま彼を切り捨て、先のことをどんどん進めようとしている。自分をおかんと慕う片山がこの仕打ちを知ったら、心優しい彼は自分に失望するかもしれない。
しかし、と亮太は自分に言い訳し、迷う自分を鼓舞する。ブラッドオレンジの活動はほとんど金にはならないが、音楽で飯を食うというのは、そういうことだ。使いものにならなければ外されることを知っている筈なのに、無責任な行動を取り続け、メンバーとファンをがっかりさせた天崎に責任がある。柳瀬も自分も、これまで十分フォローはしてきた。それに応える気が無い人間にいつまでも憐憫をかけるよりも、花開く可能性が高い新しい才能のために場を作るほうが大切だ。
そうだ。今の俺にとっては、三喜雄に歌う場所を提供することのほうが余程重要だし、それを考えるのは、俺にとっても楽しい。20年後もお互い音楽に携わっていて、大きな舞台で共演することがあったら、三喜雄に「俺のおかんです」と、他の共演者たちに俺を紹介してもらおう。そのために俺も、もう要らないと言われることのない、息の長いプレイヤーを目指す。
亮太はスマートフォンを手に取り、元恋人に引導を渡すべく、アドレス帳を開く。これから交わされるやり取りに関しては、片山に一切話すつもりは無かった。彼の気持ちのいい笑顔を曇らせてしまうかもしれない自分が、許せない気がするからだった。
「……ギャラは交通費ほどしか出ない、ライブハウスのオーナーがドリンク1杯と軽食を出してくれるけど」
片山のきれいな形の目が少し見開かれた。
「ご飯食べられるのか? 十分だよ、歌う場所を提供してもらえるんだし」
これまで片山が、持ち出しでしか演奏したことがないのだと亮太は知る。いい声なのにもったいない。自分の歌が金になる可能性を、もっと認識するほうがいい。
ライブハウスで演奏するのは課外活動だが、芸大の院で学ぶというのは、そういうことだ。自分の音楽で食べて行くための術を身につける。それは何も、技術を磨くことに限らない。
世話を焼かなきゃいけないな。亮太はそう考えた。きっかけを掴めば、きっと片山は自分で羽ばたく。ずっと面倒を見なくてもいいだろうから、きっかけ探しは手伝いたい。
片山がおやすみと言いながら自室に戻ったあと、亮太は1人でわくわくしていたが、重苦しい仕事を済ませてしまわなくてはいけないため、気持ちを引き締めた。メインヴォーカルの天崎伸朗に、外れてほしいと今から伝えるのだ。
元々バンド活動に亮太を誘ってくれたのは、天崎だった。彼は1学年上だが、同じ神奈川県出身なので親しくなり、ちょっと頼りないところが放っておけず、恋人として交際していた。だからこそ、亮太が天崎に話をしたかった。
亮太が天崎との関係を終えたのは彼の心変わりが原因で、恋情が醒めていた亮太は、別れることをすぐに承諾した。天崎と個人的に会わなくなってかれこれ半年になるが、音楽活動はこれまで通り一緒に続けている。
リーダーである芳村が彼を外すと決めたなら、それが覆ることは無いだろう。本番が決まっているのに何度も穴をあけるなど論外な上に、ヴォーカルとしての天崎の評価もやや落ち気味なので、潮時だった。片山はいいプレイヤーになってくれそうに感じるが、今彼に後を完全に任せるのは難しいだろうから、しばらくヴォーカルを月替わりにしてみるのも、面白いかもしれない。
亮太はふと、自分が酷く冷たい人間のような気がしてしまう。仮にも交際相手だった男に対して、何か悩みがあってこんな自堕落なことになっているのかと尋ねてみてもいいだろうに、そうしないまま彼を切り捨て、先のことをどんどん進めようとしている。自分をおかんと慕う片山がこの仕打ちを知ったら、心優しい彼は自分に失望するかもしれない。
しかし、と亮太は自分に言い訳し、迷う自分を鼓舞する。ブラッドオレンジの活動はほとんど金にはならないが、音楽で飯を食うというのは、そういうことだ。使いものにならなければ外されることを知っている筈なのに、無責任な行動を取り続け、メンバーとファンをがっかりさせた天崎に責任がある。柳瀬も自分も、これまで十分フォローはしてきた。それに応える気が無い人間にいつまでも憐憫をかけるよりも、花開く可能性が高い新しい才能のために場を作るほうが大切だ。
そうだ。今の俺にとっては、三喜雄に歌う場所を提供することのほうが余程重要だし、それを考えるのは、俺にとっても楽しい。20年後もお互い音楽に携わっていて、大きな舞台で共演することがあったら、三喜雄に「俺のおかんです」と、他の共演者たちに俺を紹介してもらおう。そのために俺も、もう要らないと言われることのない、息の長いプレイヤーを目指す。
亮太はスマートフォンを手に取り、元恋人に引導を渡すべく、アドレス帳を開く。これから交わされるやり取りに関しては、片山に一切話すつもりは無かった。彼の気持ちのいい笑顔を曇らせてしまうかもしれない自分が、許せない気がするからだった。
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