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第2幕/ふたつ隣の部屋
第5場②
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「持ち歌、ただし原調だとファルセット使わなきゃ無理かな」
「ああ、三喜雄の歌いやすい調に柳瀬さんが直してくれるよ」
亮太は軽い興奮を覚えた。片山はいつも見せる、お人好しそうな緩い表情を少し消して、きれいな目の中に強い光を灯している。持ち歌だと言い切るだけの自信があるのだ。
「Bist du bei mir, geh ich mit Freuden, zum Sterben und zu meiner Ruh ……」
片山は小さく、しかし明瞭なドイツ語で1節を歌った。亮太はどきりとする。さっき彼が「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」を口ずさみ漂った淡い色気が、深い哀調に変化したように思えたからだ。何なんだ、こいつ何も言わないけど、めちゃくちゃ歌えるんじゃないのか? しかし軽い違和感を覚えたので、亮太はすぐに確認する。
「待って、そんな何というか、哀しみ寄りの歌なのか? リクエスト曲なんだけど」
片山はひとつゆっくりまばたいて、説明した。
「あ、歌詞の意味が、『貴方が私の傍にいてくれたら、私は喜んで向かうことができる、死と安らぎに』って感じなんだけど……まあ長調のきれいな曲だし、もう少し明度上げようか?」
それを聞いて、ほとんど亮太は打ちのめされたような気分になった。天崎が同じ曲をちらっと歌っているのを聴いたとき、彼の声質のせいもあるだろうが、明るく爽やかな印象を受けたからだ。そうじゃない、と思った。あの夫人はきっと、亡くしたご主人を悼む気持ちから、この曲を聴きたいと言ったのだ。ならば片山の解釈が正しい。
「いいや、不勉強で悪かった、さっきの感じでいい」
「そうなの? ライブハウスにはちょっと不似合いな気がするけど」
亮太がリクエスト者の話をすると、片山は表情に同情のようなものを浮かべ、そうか、と呟いた。それを見て、優しいのだなと思う。
よし、面白い。亮太はスマートフォンを取り上げ、すぐに柳瀬にヴォーカルをゲットした旨を連絡する。
「バイト入ってる? この日の本番は9時からなんだ……当日リハ無しだから、1回合わせの日を作るよ」
亮太が段取りを始めると、片山は頷く。
「それでいいよ、バイトは30分早く上がらせてもらえれば、休まなくてもいけると思う」
片山がやる気になっているので、亮太まで楽しくなってきた。彼と共演するのは、クラシックでは編成的に難しいので、良いチャンスだ。
そんなことを考えていると、片山が口を開いた。
「楽しみだな……寝込んでた2日間、亮太のクラリネットを子守唄にしてたけど、今度はちゃんと聴ける」
聴いてくれていたのかと思い、亮太はらしくなく照れ隠しをする。
「おう、もうちょいエロ増しで横からガンガン吹いてやるよ」
「うん、俺クラリネットの音って好きだ」
片山はぱっと明るい笑顔になった。
「高校のブラバンはほぼ接触無かったし、大学の器楽専攻にクラリネットは上の学年に1人しかいなくて、よくよく聴いたことなかったけど……何か沁みる」
片山の言葉は、亮太の身体の深い場所に響いた。亮太の音を通じて、クラリネットそのものの魅力を感じてくれている。家族からも、交際してきた男や女からも、そんな風には言われたことがない。もちろん自分の音楽を褒めてもらえるのは嬉しいが、今の亮太が伝えたいのは、自分がどうこうというよりも、クラリネットとはこういう音楽が奏でられる楽器なのだという、根本的な存在意義に近い。片山の言葉は、その想いにジャストミートした。
「ああ、三喜雄の歌いやすい調に柳瀬さんが直してくれるよ」
亮太は軽い興奮を覚えた。片山はいつも見せる、お人好しそうな緩い表情を少し消して、きれいな目の中に強い光を灯している。持ち歌だと言い切るだけの自信があるのだ。
「Bist du bei mir, geh ich mit Freuden, zum Sterben und zu meiner Ruh ……」
片山は小さく、しかし明瞭なドイツ語で1節を歌った。亮太はどきりとする。さっき彼が「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」を口ずさみ漂った淡い色気が、深い哀調に変化したように思えたからだ。何なんだ、こいつ何も言わないけど、めちゃくちゃ歌えるんじゃないのか? しかし軽い違和感を覚えたので、亮太はすぐに確認する。
「待って、そんな何というか、哀しみ寄りの歌なのか? リクエスト曲なんだけど」
片山はひとつゆっくりまばたいて、説明した。
「あ、歌詞の意味が、『貴方が私の傍にいてくれたら、私は喜んで向かうことができる、死と安らぎに』って感じなんだけど……まあ長調のきれいな曲だし、もう少し明度上げようか?」
それを聞いて、ほとんど亮太は打ちのめされたような気分になった。天崎が同じ曲をちらっと歌っているのを聴いたとき、彼の声質のせいもあるだろうが、明るく爽やかな印象を受けたからだ。そうじゃない、と思った。あの夫人はきっと、亡くしたご主人を悼む気持ちから、この曲を聴きたいと言ったのだ。ならば片山の解釈が正しい。
「いいや、不勉強で悪かった、さっきの感じでいい」
「そうなの? ライブハウスにはちょっと不似合いな気がするけど」
亮太がリクエスト者の話をすると、片山は表情に同情のようなものを浮かべ、そうか、と呟いた。それを見て、優しいのだなと思う。
よし、面白い。亮太はスマートフォンを取り上げ、すぐに柳瀬にヴォーカルをゲットした旨を連絡する。
「バイト入ってる? この日の本番は9時からなんだ……当日リハ無しだから、1回合わせの日を作るよ」
亮太が段取りを始めると、片山は頷く。
「それでいいよ、バイトは30分早く上がらせてもらえれば、休まなくてもいけると思う」
片山がやる気になっているので、亮太まで楽しくなってきた。彼と共演するのは、クラシックでは編成的に難しいので、良いチャンスだ。
そんなことを考えていると、片山が口を開いた。
「楽しみだな……寝込んでた2日間、亮太のクラリネットを子守唄にしてたけど、今度はちゃんと聴ける」
聴いてくれていたのかと思い、亮太はらしくなく照れ隠しをする。
「おう、もうちょいエロ増しで横からガンガン吹いてやるよ」
「うん、俺クラリネットの音って好きだ」
片山はぱっと明るい笑顔になった。
「高校のブラバンはほぼ接触無かったし、大学の器楽専攻にクラリネットは上の学年に1人しかいなくて、よくよく聴いたことなかったけど……何か沁みる」
片山の言葉は、亮太の身体の深い場所に響いた。亮太の音を通じて、クラリネットそのものの魅力を感じてくれている。家族からも、交際してきた男や女からも、そんな風には言われたことがない。もちろん自分の音楽を褒めてもらえるのは嬉しいが、今の亮太が伝えたいのは、自分がどうこうというよりも、クラリネットとはこういう音楽が奏でられる楽器なのだという、根本的な存在意義に近い。片山の言葉は、その想いにジャストミートした。
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