夏の扉が開かない

穂祥 舞

文字の大きさ
上 下
55 / 55
エピローグ

開け、夏の扉②

しおりを挟む
 泰生はのんびり応じた。確かあれは、和邇わにかどこかに泳ぎに行った年だ。泰生たちはせっかく風呂に入ったのに、汗まみれの下着を身につける羽目になり、夕飯の後に父が繁華街まで車を走らせて、息子2人のパンツを買ってきたのだ。
 友樹は忌まわしいものが脳内に去来したと言わんばかりに、難しい顔になる。

「俺ほんまにあれ、トラウマレベルに嫌やったから、風呂に入る回数だけパンツは持って行く」

 酷い出来事ではあるが、すぐに新しい下着に替えることもできたので、今となれば笑える思い出だ。だから兄のこだわりがちょっと理解しがたいと思いつつ、同意しておく。

「ああ、まあ、泊まるとこに温泉もあるし、パンツは大事やな……」
「ビーサンと日焼け止め買うたか? 浮き輪とか要らんの?」
「明日バイトの帰りに買うわ」

 あの商店街にはドラッグストアが多く、喫茶淡竹の森店長なら、ビーチサンダルを沢山取り扱う隠れた名店を知っていそうだ。
 大学の管弦楽団の友人である岡本文哉は、泰生一家が訪れる予定の海水浴場の、海の家のひとつで今日からアルバイトを始めている。彼は海の家の看板の前で、Tシャツと短パン姿の写真を朝から送ってきてくれた。「ここな」という簡単なメッセージをつけて。
 泰生はこの店で浮き輪やパラソルを借りることを兄に提案する。最近あまり長距離の運転をしていない父のために、和歌山市まで私鉄で行き、駅前でレンタカーを借りる段取りをしているので、荷物は少ないほうがよかった。
 友樹は泰生のスマートフォンの画面を見て、お、と呟く。

「シュッとした子やな、ビーチでバイトするような友達がおまえにおるとは」
「チェリストやで、海の家が親戚のとこなんやって」

 泰生が言うと、兄は意外そうな表情になった。

「オケのほうが吹部より陽キャ多いんか?」

 泰生はさあ、と首を傾げる。岡本は陽キャだと思うし、4回生のコントラバシニストの三村はスポーツマン風味だが、その他の男子部員は吹奏楽部と同じ系統だと思う。と言っても泰生はまだ、管弦楽団の全メンバーを知らないのだが。
 友樹はいきなり、あっ! と叫んだ。

「花火!」
「泊まんの海の前ちゃうやん、できひんやろ」

 友樹は本当は、彼女と海水浴に行って、花火がしたかったのだろう。そう思うと、泰生は兄のテンションがおかしいことを責める気になれない。
 畳んだ洗濯物を兄弟の前に置いた母が、友樹の作っているリストを見て笑う。

「自分らで用意してくれるし楽やわぁ」
「俺らは自分のもん用意するけど、おとんのパンツの替えとか忘れなや」

 友樹は昔の恨みをこめて母に言ったが、彼女はきょとんとした。

「パンツなんか忘れへんわ、何言うてんの」

 過去のしくじりを全く記憶していない母の言葉に、泰生は吹き出した。友樹が眉間に皺を寄せあ然とするので、ますます笑えた。
 兄も父も有給休暇を使って行く家族旅行だ。素直に楽しみだった。明後日戸山に会ったら、海で岡本と会うのだと話しておこう。それで、戸山にお土産を買おう。
 泰生の今年の夏の扉が、ようやく開きかけていた。その隙間から洩れ出ている光は、いつになくきらきらしていた。


〈おわり〉
しおりを挟む
感想 4

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(4件)

モサク
2024.07.26 モサク

『カラカラに乾いた場所』まで読了。
水を与えられて、はじめて喉の乾きを知るように、人との出会いが主人公にもたらすもの。
方言を交えた会話から、読み手の心に染みこむようです。

2024.07.26 穂祥 舞

モサクさま、どうもありがとうございます(^ ^)
今までおそらくのんびり、あるいはぼんやり生きてきた主人公ですが、自分の内側をしっかり見つめ始めているようです。そこを含め、あと少しお見守りいただけますと幸いです!

解除
たらこ飴
2024.07.19 たらこ飴

ここで新しい出会いが!
今後が楽しみですね(*^^*)

2024.07.19 穂祥 舞

たらこ飴さま、感想ありがとうございます♪
登場人物を増やすのは創作上悪手ではあるのですが、主人公がやや内向きなので、引っぱってもらわないと(笑)。上手く着地できるようお見守りください!

解除
モサク
2024.07.19 モサク

『蚊取り線香の煙が〜』まで読みました。
胸のつかえが少しとれたような。
人との出会いや別れの必然、みたいなものを感じました。
お題の扱いが、まるで用意されたもののようです。続き楽しみにしています!

2024.07.19 穂祥 舞

モサクさま、ありがとうございます! 若い頃って、他人との関係にひびが入ると、もうこの世の終わり感ありますよね(笑)。実際は、はなからあまり親しくしないようです。それも寂しいですね。
お題は結構、日々ギリギリの攻防です。お褒めに預かり、恐縮です!

解除

あなたにおすすめの小説

如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~

八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」  ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。  蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。  これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。  一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

タダで済むと思うな

美凪ましろ
ライト文芸
 フルタイムで働きながらワンオペで子育てをし、夫のケアもしていた井口虹子は、結婚十六年目のある夜、限界を迎える。  ――よし、決めた。  我慢するのは止めだ止め。  家族のために粉骨砕身頑張っていた自分。これからは自分のために生きる!  そう決めた虹子が企てた夫への復讐とは。 ■十八歳以下の男女の性行為があります。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。