夏の扉が開かない

穂祥 舞

文字の大きさ
48 / 58
3 7月下旬

胸を焦がすもの①

しおりを挟む
『管弦楽団か。いいと思う。長谷川って結構、弦楽器自分らしかおらんこと本気で寂しがってたもんな。。。』

 旭陽から来た返信を再読してから、泰生は電車を降り、大学に向かう。ほんの数分歩くだけの距離でも、陽射しに腕の皮膚を焼かれそうだった。
 今日と明日は試験と補講の予備日だが、キャンパスの中には人が歩いていなかった。木々の上から鳴き声を降らせてくる蝉と、空の高い場所を飛ぶ蜻蛉だけが元気だ。
 学生会館に着くと、ここには人間が活動している空気があった。軽音楽部が小さいほうの音楽練習場を使っているのだろう、ドラムの音が微かに洩れ聞こえている。何部の者かわからないが、自販機で買ったジュースを数本抱えて、部室のある2階に向かう階段を登って行った。
 泰生は音楽練習場の1枚目の扉を開き、下駄箱に数足のスニーカーやサンダルが置かれているのを見る。入部届を書いて、差し当たって練習しなくてはいけない楽譜を受け取るだけと聞いているのに。嫌な予感がしつつ靴を脱ぎ、2枚目の重い扉を開いた。すうっと冷たい風が、うなじの辺りを撫でた。

「おはよう、わざわざお疲れ」

 泰生に声をかけたのは、コントラバスパートのリーダーであり、関西圏の他大学の管弦楽団と構成される、学生オーケストラ連盟の理事でもある三村だった。彼の隣には、楽譜を管理するライブラリアンを兼ねる、総務担当の戸山と、初めて会う眼鏡の男性が座っていた。

「パーカッションのリーダーで部長の高橋たかはしです、はじめまして」

 初顔合わせの男性に、こちらから挨拶する前に言われてしまい、泰生は慌てて自己紹介した。
 今日は音楽練習場には椅子が散らばっておらず、4回生たちの前に小さなテーブルがひとつ置いてあり、その脇にはコントラバスパートの2回生の小林と、今日楽器を修理に出した1回生の斉藤、そして何故か岡本が座っている。
 どうして入部届を、こんな大勢の前で書かなくてはいけないのかよくわからないが、まず泰生は高橋の前に座るよう指示され、入部届に名前と今日の日づけを書くよう言われた。
 首を伸ばして泰生がペンを動かすのを見ていた戸山が、小さく笑った。

「結婚証明書にサインしてるみたいやな」
「どちらかというと、フリーメイソンの入会の儀式みたいな?」

 高橋が笑い混じりに応じたのに、やめんかい、と三村が突っ込んだ。上級生の冗談を聞き流して、泰生は自分の名を丁寧に書き、ペンを置く。

「管弦楽団の練習日は吹部と一緒で、普段は月水金です……でも文化祭と定期演奏会の練習が始まるんで、もうお盆明けからは火曜も練習するし、10月になったら木曜もなるべく出てほしいです」

 高橋の説明に、泰生ははい、と答えた。定演が近づけば、土曜にも練習が入るだろう。その辺りは、吹奏楽部でも経験済みだ。

「長谷川くんは3回生やし、ぼちぼちプレ就活も始まるし、慣れるまで大変かもしれん……でも音楽は楽しくやってなんぼやから、決して無理の無いように活動してください」

 では、と高橋は話を戸山に引き継ぐべく席を彼女に譲った。

「8月は学園の夏休み、つまりお盆休みやけど、それ以外の期間はここで自由に練習できます、鍵は守衛室で借りてください」

 そう説明してから、戸山は楽譜のコピーの束を泰生に差し出す。

「文化祭と定演の、現時点で決まってる全曲です、パートは調整してくれたらいいと思う……あとこれ、10月までの予定やけど、来月末の夏合宿は原則全日程出席してほしいかな」

 こうしてごっそり楽譜を受け取るのは初めてで、軽い緊張感が泰生の身体の深い場所で生まれる。戸山は微笑した。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
胸がきゅんと、甘い音を立てる。 相手は、妻子持ちだというのに。 入社して配属一日目。 直属の上司で教育係だって紹介された人は、酷く人相の悪い人でした。 中高大と女子校育ちで男性慣れしてない私にとって、それだけでも恐怖なのに。 彼はちかよんなオーラバリバリで、仕事の質問すらする隙がない。 それでもどうにか仕事をこなしていたがとうとう、大きなミスを犯してしまう。 「俺が、悪いのか」 人のせいにするのかと叱責されるのかと思った。 けれど。 「俺の顔と、理由があって避け気味なせいだよな、すまん」 あやまってくれた彼に、胸がきゅんと甘い音を立てる。 相手は、妻子持ちなのに。 星谷桐子 22歳 システム開発会社営業事務 中高大女子校育ちで、ちょっぴり男性が苦手 自分の非はちゃんと認める子 頑張り屋さん × 京塚大介 32歳 システム開発会社営業事務 主任 ツンツンあたまで目つき悪い 態度もでかくて人に恐怖を与えがち 5歳の娘にデレデレな愛妻家 いまでも亡くなった妻を愛している 私は京塚主任を、好きになってもいいのかな……?

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

処理中です...