47 / 55
3 7月下旬
ヘッドフォンと早とちり②
しおりを挟む
見てはいけないものを見てしまった気がして、思わず泰生はヘッドフォンを持つ岡本の手首を掴んで引っぱったが、岡本は何でもないように、こんにちは、と笑顔で彼らに挨拶した。三村は後輩2人と遭遇したことに驚いたようだった。
「お、梅田まで出てきてデートしてんのか?」
「弦楽器フェア覗いてました」
「ああ、店におったん? クラのリード見てたけど気ぃつかんかったわ」
普通に会話する岡本と三村を見て、泰生は理解する。そうか、この2人の交際は、管弦楽団では公認なんやな。すると、戸山が後輩に姿を見られたことなど全く気にしていない風情で、泰生に話しかけてくる。
「何聴きに来たん?」
「『運命』と……今から『第九』を聴こうかと」
「ベートーヴェン好き?」
「いや、それ以前に全然知りません」
そうやんなぁ、と戸山は泰生のどうしょうもない発言に理解を示した。
「吹奏楽畑におったら、アレンジ演奏せえへん限り、クラシック聴かへんもんな」
戸山は、自分も第九は好きだと言って、岡本からヘッドフォンを受け取った。
「クラリネット割と美味しいし」
言いながら視聴を始めた戸山は、すぐに真面目な表情になった。小柄で可愛らしい女性だが、その真剣な横顔は大人びていて、泰生はこの人が自分より1年先を歩いていることを実感する。
三村は「第九」のCDのジャケットを見ながら、岡本と泰生に言った。
「そら4楽章の“歓喜のテーマ”を最初に弾くのコントラバスやし、俺もこれ演りたいわ……うちの大学に混声合唱あったらなぁ、共演頼めるのに」
泰生の大学には、合唱系の音楽クラブは無い。混声合唱団は、10年ほど前に部員がいなくなり廃部になったと岡本が教えてくれた。
「合唱頼めるんやったら、俺マーラー演りたいですね」
「来年マーラーしろや、オケもちょっと足らんやろからいつでも乗るで、呼んで」
岡本と三村が語らう中、戸山が4楽章を聴いてみろと言って、ヘッドフォンを泰生に手渡してきた。彼女の耳に触れていた部分に温もりが残っていて、ちょっとどきっとした。
「第九」の第4楽章の冒頭では、これまで演奏された3つの楽章のテーマを、チェロとコントラバスが、この音楽ではないと順番に否定していく。そしてあの有名なテーマが静かに生まれ出るのだ。面白いし、美味しいと泰生も思った。
岡本は視聴した「第九」、泰生は「運命」のCDを買った。三村と戸山はもう少しCDを見ると言うので、先に店を出た。
エスカレーターに乗ってから、泰生は前に立つ岡本に訊いた。
「あの2人、どれくらいつき合ってはるん?」
岡本はえっ、と驚きの声を上げて、泰生を振り返った。
「あの人ら遠い親戚なんやで、知らんかった?」
「……へ?」
「百花姫はフリーっぽいけど、三村さんは彼女おるで、大阪のとある大学のオケの……ヴィオラやったかな?」
親戚。自分の下世話な早とちりが発覚して、顔がぶわっと熱くなったのを泰生は自覚した。岡本は低く笑った。
「ま、何か結構仲いいし、血は繋がってないらしいけど」
「いや、こないだ岡本と飲む前に、大学の図書館で一緒におるとこ見かけて」
「ゼミ違うらしいけど同じ古典文学専攻やし、卒論のネタ探してたんちゃうか?」
「……専攻も一緒なんか、知らんかった」
けらけらと岡本が笑う。
「まあ上級生の専攻なんか知らんわな、そんなに恥じんでもええやろ」
泰生は黙って頷き、岡本が冷たいものを飲もうと誘うのに同意した。戸山と三村が交際している間柄ではないとわかり、ちょっとほっとしたのが何故なのか、泰生は自分でもよくわからなかった。
「お、梅田まで出てきてデートしてんのか?」
「弦楽器フェア覗いてました」
「ああ、店におったん? クラのリード見てたけど気ぃつかんかったわ」
普通に会話する岡本と三村を見て、泰生は理解する。そうか、この2人の交際は、管弦楽団では公認なんやな。すると、戸山が後輩に姿を見られたことなど全く気にしていない風情で、泰生に話しかけてくる。
「何聴きに来たん?」
「『運命』と……今から『第九』を聴こうかと」
「ベートーヴェン好き?」
「いや、それ以前に全然知りません」
そうやんなぁ、と戸山は泰生のどうしょうもない発言に理解を示した。
「吹奏楽畑におったら、アレンジ演奏せえへん限り、クラシック聴かへんもんな」
戸山は、自分も第九は好きだと言って、岡本からヘッドフォンを受け取った。
「クラリネット割と美味しいし」
言いながら視聴を始めた戸山は、すぐに真面目な表情になった。小柄で可愛らしい女性だが、その真剣な横顔は大人びていて、泰生はこの人が自分より1年先を歩いていることを実感する。
三村は「第九」のCDのジャケットを見ながら、岡本と泰生に言った。
「そら4楽章の“歓喜のテーマ”を最初に弾くのコントラバスやし、俺もこれ演りたいわ……うちの大学に混声合唱あったらなぁ、共演頼めるのに」
泰生の大学には、合唱系の音楽クラブは無い。混声合唱団は、10年ほど前に部員がいなくなり廃部になったと岡本が教えてくれた。
「合唱頼めるんやったら、俺マーラー演りたいですね」
「来年マーラーしろや、オケもちょっと足らんやろからいつでも乗るで、呼んで」
岡本と三村が語らう中、戸山が4楽章を聴いてみろと言って、ヘッドフォンを泰生に手渡してきた。彼女の耳に触れていた部分に温もりが残っていて、ちょっとどきっとした。
「第九」の第4楽章の冒頭では、これまで演奏された3つの楽章のテーマを、チェロとコントラバスが、この音楽ではないと順番に否定していく。そしてあの有名なテーマが静かに生まれ出るのだ。面白いし、美味しいと泰生も思った。
岡本は視聴した「第九」、泰生は「運命」のCDを買った。三村と戸山はもう少しCDを見ると言うので、先に店を出た。
エスカレーターに乗ってから、泰生は前に立つ岡本に訊いた。
「あの2人、どれくらいつき合ってはるん?」
岡本はえっ、と驚きの声を上げて、泰生を振り返った。
「あの人ら遠い親戚なんやで、知らんかった?」
「……へ?」
「百花姫はフリーっぽいけど、三村さんは彼女おるで、大阪のとある大学のオケの……ヴィオラやったかな?」
親戚。自分の下世話な早とちりが発覚して、顔がぶわっと熱くなったのを泰生は自覚した。岡本は低く笑った。
「ま、何か結構仲いいし、血は繋がってないらしいけど」
「いや、こないだ岡本と飲む前に、大学の図書館で一緒におるとこ見かけて」
「ゼミ違うらしいけど同じ古典文学専攻やし、卒論のネタ探してたんちゃうか?」
「……専攻も一緒なんか、知らんかった」
けらけらと岡本が笑う。
「まあ上級生の専攻なんか知らんわな、そんなに恥じんでもええやろ」
泰生は黙って頷き、岡本が冷たいものを飲もうと誘うのに同意した。戸山と三村が交際している間柄ではないとわかり、ちょっとほっとしたのが何故なのか、泰生は自分でもよくわからなかった。
10
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~
八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」
ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。
蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。
これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。
一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

タダで済むと思うな
美凪ましろ
ライト文芸
フルタイムで働きながらワンオペで子育てをし、夫のケアもしていた井口虹子は、結婚十六年目のある夜、限界を迎える。
――よし、決めた。
我慢するのは止めだ止め。
家族のために粉骨砕身頑張っていた自分。これからは自分のために生きる!
そう決めた虹子が企てた夫への復讐とは。
■十八歳以下の男女の性行為があります。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる